東日本大震災6年 原発事故と国策=日野行介(特別報道グループ)
毎日新聞2017年3月17日 東京朝刊http://mainichi.jp/articles/20170317/ddm/005/070/026000c
被災者団体のデモや集会では、意見を聞かない政府に対する不信の声が止まない=東京・日比谷公園で昨年3月、日野行介撮影
被災者置き去り、加速
東京電力福島第1原発事故から6年。被災者政策は大きな区切りを迎える。政府は自主避難者への住宅提供を打ち切り、一部を除き避難指示を解除する。避難者への賠償は避難指示と連動しており、解除は賠償打ち切りに向けた最後のステップとなる。経緯を見る限り、政府が掲げた「復興の加速化」とは、原発避難の早期幕引きが正体だったと言うほかない。被災者の納得がないまま一方的に進めているようにしか見えない「国策」は、民主主義の基盤を壊しつつあるように思える。
ここ数年、原発事故に関する調査報道を続けてきた。健康調査、自主避難者、住宅政策、除染とテーマを変えながら、政策決定の裏に潜む為政者の真意を追いかけた。テーマにより担当する省庁や官僚は違うのに、密室で検討し、被災者の要望とかけ離れた施策を打ち出して「決まったこと」と押し付ける。この行動パターンはいつも同じだ。
一方的な決定 「二重基準」も
例を挙げたい。一般人の放射線被ばく限度は年間1ミリシーベルトだが、政府は事故発生直後、「緊急時だから」と年間20ミリシーベルトを避難指示基準とした。2011年12月の「収束宣言」で緊急時を終えたことにして、避難指示区域の再編を進めると、次は指示の解除基準の検討を秘密裏に始めた。13年4月以降、経済産業省や復興庁などの担当課長らが密室で検討を重ね、「政権に迷惑をかけないように」(関係者)と同年7月の参院選が終わるのを待って、年間20ミリシーベルトを下回った地域を解除する方針を表に出した。何のことはない。年間20ミリシーベルトが緊急時の基準から平時の基準にすり替わり、1ミリシーベルトの基準は「なかったこと」になった。
それから4年近く。福島県の浪江町や富岡町の避難者を対象にした説明会では、今春の避難指示解除に賛成する意見はほとんどなかった。被災者がしばしば口にする「無用な被ばく」という言葉が表す通り、事故による被ばくを引き受ける理由は皆無だ。ましてや意見を無視されたまま、一方的に決められるのでは納得できるはずもない。
さらに問題なのは、密室での決定過程について不都合な部分を削除し記録を残さず、事後の検証すらできず、責任をあいまいにすることだ。
政府は16年度で除染をおおむね終える。残された膨大な汚染土について環境省は昨年6月、公共工事への再利用方針を打ち出し、専門家を交えた非公開会合で汚染土1キロ当たり8000ベクレルを上限とする再利用基準を決めた。だが、原発解体で出る鉄などの廃棄物の再利用基準は100ベクレル。非公開会合で話し合ったのは、この「二重基準」のつじつまを合わせることだった。
昨年6月にこれを報道し、情報公開請求が相次ぐと、環境省は一転して議事録を公表した。ところが「全部開示」の扱いとしながら、8000ベクレルの結論ありきで誘導したと受け取れる環境省担当者の発言などを削除していた。
政治家や官僚たちは「被災者に寄り添う」などと美辞麗句を繰り返してきた。それでも復興庁参事官による「暴言ツイッター」など「真意」をのぞかせることがある。浜田昌良副復興相(当時)は15年8月、自主避難者を対象にした「子ども・被災者生活支援法」の成立を主導した国会議員との非公開面談で、住宅政策を巡りこんな発言をした。「基本的に自主避難は支援しない前提で引き受けている」
浜田氏は12年12月、第2次安倍政権の発足とともに副復興相に就任し、自主避難者支援を担当してきた。自主避難者にとって住宅提供は最も期待した政策だった。にもかかわらず、自主避難者の支援などするつもりがないと放言しているに等しい。こうした発言をする政治家が本当に被災者に寄り添っているのか、疑問を抱かざるを得ない。
国の協議非公開 議事録は黒塗り
被災者は常に蚊帳の外に置かれてきた。原発事故の被災者政策を協議する国と自治体の会議は多くが非公開で、後から議事録を情報公開請求しても「公にすれば混乱を生じさせる恐れがある」としてほとんど全面黒塗り(非開示)だ。存在自体を隠した「秘密会」の中では「いかに情報を外に出さないか」ということについても話し合っていた。
当たり前のことだが、政策に関する情報を公開し、決定プロセスを透明化しなければ、民主主義は成り立たない。被災者、そして国民の意見を無視して、政府が一方的に形ばかりの幕引きを急いでいるように見える「国策」の手法は、民主主義の基盤を危うくしかねない。これも原発事故の重大な「被害」であろう。「あの事故の処理が曲がり角だった」と、後世に言われないよう、こうした被害の実態も見つめ直さなければならない。