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{衝撃の報告}  ベラルーシでは、「0.23マイクロシーベルト毎時っていうのは、廃村のレベル」

2013-03-29 16:15:47 | 放射能汚染

みんな楽しくHappy♡がいい♪

より転載

<ベラルーシ報告 前半>「0.23マイクロシーベルト毎時っていうのは、廃村のレベルです」川根眞也先生3/26【ペイフォワード環境情報教室】

【ペイフォワード環境情報教室】130326川根眞也先生Vol.022 
http://www.youtube.com/embed/2k2EUpYGTtA?rel=0

川根眞也先生  2013年3月26日

川根先生には1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の近く、
今もなお放射能による健康被害が深刻なベラルーシへの訪問についてお話をいただきます。


Sawada:
川根先生は今回ベラルーシですよね、こちらの方に訪問されたということで、
先ずは今回訪問されたきっかけと、後内容。
どんな内容だったのか、少しお話しいただけますか?

川根:
今年の3月11日で東日本大震災、原発震災と言うべきだと思うんですけれども、
それから2年経ちました。
本当はですね、今年の3月11日に、僕なりには内部被ばくの問題できちんとね、
多くの心ある人たちがきちんと集まるような大きな大きなミーティングを開きたかったんですけれども、
それができなかったんですね。

そのかわりに今回、
「ベラルーシの方へ行って、小児甲状腺がんの事を勉強してみないか」というお話しがあり、
これはですね、現地のベラルーシのお医者さんの研修会なんですね。
それに参加する機会を得ました。
それが3月16日から3月24日の9日間ということで、そこに行く機会があったので、
大変申し訳ないんですが、
今年の3月11日に大きな集会とか内部被曝に対する生命とか出せなかったんですけども。

本当にですね、多くのベラルーシのお医者さんに会って、
いろんな情報を聞いてくる事が出来ました。


Sawada:そんな中で、今回行かれたエリアというのは、どんなエリアに行かれたんでしょうか?


川根:
ベラルーシというのはですね、
まず、チェルノブイリ原発がどこにあるかという事をご存じない方もいらっしゃるかと思うんですが、
チェルノブイリ原発というのは、現在のウクライナ共和国の北部にあります。
そのさらに北側に広がっている国がベラルーシっていう国なんですね。
その大体の右側にロシア共和国というのがバーッ!て広がっています。

で、ベラルーシの、私が中心的に訪れたのはミンスク市、ミンスク州と、
最大の汚染地であるゴメリ州、
そして現在小児甲状腺がんが多発しているブレスト州。
この3つの州を訪れました。




Sawada:汚染度で言いますと、ゴメリというのが高濃度と呼ばれる場所でしたっけ?

川根:
そうですね、あの、ゴメリ州の中、
実は今回ですね、スモルニコワ・バレンチナさんという
鎌仲ひとみさんが「内部被ばくを生き抜く」っていう映画の中でも出てきましたが彼女にも会いました。



彼女はゴメリ州に住んでいるんですけれども、
ゴメリ州の地図をもらったんですね。
セシウム137の汚染マップなんですが、もう…真っ赤です。
もうここまで汚染されているところは…たぶんベラルーシの中で一番汚染されているのがゴメリ洲です。


Sawada:
そういうマップというものは市販されているものなんでしょうか?
それとも民間団体がつくられているものなんでしょうか?

川根:
いや、これはもう政府が地図をつくって、
一応ベラルーシ共和国は社会主義国ですので、政府が認めたものしか出ません。
地図とか、これは軍事機密に属する事なので。

えっと、一番最初にですね、
このセシウム137、ストロンチウム90、プルトニウム238,239、240の汚染マップが出たのは、
おそらく1990年の事だったと思います。
イギリスの科学雑誌の方にもこれは載りましたけれども、
私が手に入れたのは1992年の汚染マップですね。
多分昔の単位が分からない方もいると思いますが、
一番汚染がひどいところは40キュリー/平方km以上という場所なんですけれども、
現在ですと、148万ベクレル/平方mという単位です。それ以上ですね。
福島ですと、たとえば飯館村であるとか、大熊町、双葉町、富岡町、そういったところは
148万ベクレル/平方メートルの所は確実にあります。

ところがですね、これ、
私が訪問した所がゴメリ州のゴメリの近くなんですけれども、
170km離れているんですよ、チェルノブイリ原発から。


Sawada:という事は、距離という意味でいくと、関東の近いところまでの距離感ですね。

川根:そうですね、千葉とかですと柏市ですとか、そこら辺位が相当するんじゃないかと思いますね。

Sawada:当時の風が北西の方へ抜けて、風向きとしては一番厳しい所に行ったのが、そのゴメリのエリアと。

川根:
えっと、北東ですね。チェルノブイリからすると北東になりますね。
で、いま小児甲状腺がんが多発しているブレスト州は北西の方になりますね。

こちらはですね、私も今回いろんな、ベラルーシの医学アカデミーの先生にいろいろと聞いたんですが、
セシウム137の汚染地帯はあります。
ありますけど、真っ赤じゃないんですよね。

次のオレンジ色のレベルなんですね。


Sawada:あぁ・・高濃度と一般的には言われない場所ということなんでしょうか。

川根:
いや、ん…、ま、でも
小出裕章さん達が研究されている放射線管理区域というのは大体4万ベクレル/平方mなんですよ。
これはキュリーに直すと1キュリー/平方kmの単位になります。
これはね、薄い黄色位。
オレンジじゃないんですよ。
ブレスト州で結構あるのが5~15キュリー/平方km
55.5万から185万ベクレル/平方mぐらいですかね。
ま、40キュリーからすると、半分ちょっと下ぐらいですね。
その位の所が結構広がっているのがブレスト州です。

そこで今、現在小児甲状腺がんが多発していますね。


Sawada:
そうしますと、そういうエリアに先生は行かれまして、
基本的には先生は、お医者さんへのヒアリングと、後は線量の計測等もされたんですか?


川根:
あ、そうそう、そうですね、はい。
実はですね、原発震災があった年の5月に野呂美香さんから話を聞いていて、
あの…「そうだろうな」とは思っていましたが、
本当にですね、たとえばですよ、
川口に住んでいるんですけど、川口の駅から自分の自宅まで歩いていくと、
0.5,056とか高いところで0.06マイクロシーベルト/時なんですよね。
ところがその汚染地帯のゴメリにずーっと車で移動している時の線量は、
車ですよ、バスの中なので、それよりも低いんですよ。


Sawada:0.05…

川根:
よりも低いんです。
0.03とか、0.04です。バスの中では。
ところが廃村になった村、もうここは人が住んじゃいけないという場所がですね、
これがノラリーっていう器械だと0.15マイクロシーベルト毎時ですね。

Sawada:今の日本の数字から聞いてもそんなに高くないですね。

川根:
だから、これは、んーま、事故から27年経っていますので、
セシウム137の減衰だとすると、半分以下になっている可能性があります。
だから大雑把に言ってセシウム137の半減期が30年って言われますので、
2倍としても0.3です。事故当時が。
それがもう廃村になっています。


で、いまでもですね、
40キュリー/平方km、だから148万/平方m、飯館村のレベルになっている村。
これはね、「最近土壌を調べてもやっぱり40キュリー/平方kmありますよ」って言われたところですけど、
それがですね、0.6ぐらいですね。

0.6マイクロシーベルト/時ぐらいです。


Sawada:ん……

川根:
ただね、高さ1m位にすると、0.27マイクロシーベルト/毎時ぐらいになります。
地上に直置きすると0.6マイクロシーベルト/時ぐらいになりました。


Sawada:あぁ……

川根:
だから高さ1mで、政府は0.23マイクロシーベルトで除染基準とか言っていますけど、
ぼくにとってみれば、0.23マイクロシーベルト毎時っていうのは、廃村のレベルですね


Sawada:それ・・・、日本の方が高いような場所も多いというようなことなんでしょうかね?

川根:
いや、もう…、
もう本当にですね、野呂美香さんのお話し会に行ってお話を聞いた時には
「本当なのかな?」って言うふうに思いましたけど、
やっぱり現地に何度も入っている方にしか分からない事があって、
放射線の専門家ですとか、原子物理学の専門家とか、
ましてやそのね、どこかの県立医科大学の先生とかが言っている事っていうのは、
もう本当にデタラメだと思っています。

Sawada:日本と比較された中でも、健康状態っていうのはどうなっているんでしょうかね?

川根:
実はですね、今回も、非常になんていうんですか、
あの、素晴らしい出会いが沢山あったんですけれども、
ひとつ、菅谷昭さん、現在松本の市長さんですけれども、
彼がですね、ベラルーシに行って沢山の小児甲状腺がんを治療しました。
その時に彼ものとに集まったベラルーシの医師がいるんですよね、沢山ね。
その中のドクターの一人に会う事が出来ました。

ビクトル先生の案内で、甲状腺がんの手術の現場の準備室にまで入ったんですけれども、
その時に、手術台の上に乗った方は21歳のブレスト州の方でした。
事故後6年後に生まれた方です。


甲状腺がんというのは、小児甲状腺がんが非常に稀で、10万人に0.2人ぐらいと言われています。
その後甲状腺がんが発症率というのが増えて行くんですね。
ま、あの~、多分ですね、山下俊一さんの資料だと、
日本ですよ、日本だと20代から24歳までで、10万人に2人ですね
で、今現在のブレスト州では、もう、こんなレベルを超えています。
遥かに超えています。

ここでちょっと、山下先生がですね、なんと今年の3月11日の東日本大震災の2周年の日に、
アメリカのACRPというアメリカ放射線防護測定審議会って訳されるんでしょうね、
その講演会で話した内容を話したいんですが、
まずはですね、彼は今、
今回福島で10人中3人の小児甲状腺がんの患者が出たという事について、
「放射線の影響ではない」って言っていますよね。
ところがですね、今年の3月11日の講演会の中で、彼は、
まず「これは放射線の影響ではない」と言いつつも、
10人全員が甲状腺がんだ」と講演で言っちゃっているんですよね。
これは、僕の知る限りでは日本のマスコミでは報道されていません。


Sawada:今までの中では「3人プラス7人が疑いがあり」というところだけですよね。

川根:
そうですね、実際彼も、自分の講演のスライドの中で二枚舌みたいな事を言っているんですね。
61ページからちょっとその説明が入るんですけど、
最初のスライドでは彼は
「10人甲状腺手術を行って、そのうち3人が甲状腺がんと確定した」と言っているんですね。

(表:内部被ばくを考える市民研究会より)

ところが次のスライドでは、彼はグラフを出してですね、
現在の福島の甲状腺がんの発症数の中に「3万8000人中10人」って書いてあるんですよ、
何の説明もなく。

(表:内部被ばくを考える市民研究会より)


それを見たアメリカの医学者が、
「今まで聞いた事が無い、10人という数字は」ということで、崎山比佐子さんにメールを送られたそうで、
崎山比佐子さんに「こんなメールがきた」ということで私は初めてこの講演があった事を知りました。


Sawada:
二つの事故を知る人物がまさに山下先生であるわけですけど、
山下先生が当時、1998年からですね、
チャルノブイリの事故で入られた時にやられた研究というのもあるんですよね。


川根:
ありますね。
今回ベラルーシへ行きまして、
実は本当にですね、山下俊一先生というのは、
小児甲状腺がんの治療については尽力された方だと本当にわかりました。
ベラルーシの方々は、本当に山下先生の事を尊敬し、
「山下先生が教えてくれた事だ」「日本の医師が教えてくれた事だ」っていう事を本当に言っていました。

で、実はですね、菅谷昭さんと山下俊一さんはほぼ同じような時期に現地に入られて、
小児甲状腺がんの治療もやられているんですけれども、
菅谷昭さんは子どもを守る側に立ち、
ぼくは、山下俊一氏は原子力ムラを守る立場に立ってしまったのかなというふうに今では思っています。

内部被ばくを考える市民研究会のホームページの方に、資料としてUPさせていただいたんですが、
実は今年の3月11日に山下俊一氏がアメリカで講演をした際のスライド、
この一部で本当にですね、今回のベラルーシの中でぼくが知りたかった事の一つ、
今後の福島の子どもたち、そして宮城だとか、茨城だとか、
その「高汚染地帯の子どもたちが今後どうなるのか?」という事の、本当に証拠が出ているんですね。

チェルノブイリ原発事故が起きたのが1986年の4月26日ですが、
その当時に生まれた子どもたち、そして、その当時に4歳以下だった子どもたち。
実は山下俊一氏が実際に超音波検査で、
ベラルーシのゴメリ州の子どもたち9720人の子どもたちを検査しているんですね。
その中で彼が、1998年に検査していますから、事故当時生まれた子ども達は12歳になっていますね。
当時4歳ぐらいだった子どもたちは16歳になっています。
だから、事故から12年から16年後経った、
ただし、原発事故がお起きた時は0歳から4歳以下だった子どもたち
9720人中31人の甲状腺がんの子どもを彼は見付けているんですね

もっと衝撃的なのは、
彼は今回の3月11日の講演会の中で話しをしてますけれども、
事故直後に生まれた子ども達から、1986年に生まれた子ども達、
つまり、チェルノブイリ原発事故後に生まれた子どもたち。
事故後ですよ。


Sawada:はい

川根:
その中で、2409人中一人の甲状腺がんを彼は見付けているんですね。
これは、2409人ですから、単純に4倍すると1万人ぐらいになります。
1万人中4人です。
ゴメリ州の中だけです。
彼がスクリーニング検査、超音波検査をやった人間の中だけです。
それを彼は報告をしているんです、アメリカで。

でも日本の新聞には一切語っていません。

先月の2月のね、第10回福島県健康管理調査検討委員会でも、
こんな話は一切していませんよ。
しないんだったらしないで、
「チェルノブイリではこんな事例があるけれども、福島の線量は低いからこういうことはないだろう」
っていう説明ならわかります。

彼は、こんなことを言っているんですよ。
当時のね、「ベラルーシの診断はものすごく劣悪で、今から20年前、15年前の診断だから役に立たない」
って言っているんです。

でも彼がゴメリに行ってこの検査をやったのはちょうど15年ぐらい前なんです。
その時にやったのは彼自身で、こんな検査結果を出していながら、
福島の健康管理調査検討委員会では全く別な事を言っている
というですね、

もう、これはですね、僕は
この問題を日本の新聞記者、テレビ、マスコミがきちんと追及しなければ、
日本のマスコミ新聞はですね、死んだものと思っています。


こういった、Sawadaさんとかがやっておられる、小さな小さなミニコミと言いますか、
それだけが本当の事を報道するんじゃないかなという事を思っています。

Sawada:
そうですね、そういった事でも今回、
川根先生も公立中学の先生と、「特別な立場であるわけではない」というところではありますけれども、
その中でもやっぱり、思いは熱く、
特に今回ベラルーシまで訪問されていろいろ体験されてというところで、
この話もう少し是非お伺いしたいなと思うんですけれども、
先生、また、この報告会があるそうですね。


川根:
そうですね、はいはい。
今週の土曜日の夜に例会がありますけれども、それはほんのちょっとだけ、さわりだけなんですが、
4月14日の日曜日の午前中に浦和の方であります。
また4月20日土曜日の午後に横浜市の方であります。

Sawada:
先生の報告会については、
先生が活動されています内部被ばくを考える市民研究会というホームページの方に掲載されていますね。

川根:はい

Sawada:で、今後の申し込みの方につきましてもこちらの方に詳細等がありますので。

川根:そうですね、はい。
あの、ちょっとですね、会場が狭いので、後ほど申し込み方法なんかはUPしたいと思いますが、
ちょっと予約をしないとダメかもしれないですね。
ちょっといろんな方が…、
あとは是非ですね、お願いをしたいのがお医者さんなんです。

今回私もベラルーシのお医者さんに、何人だろう…、10人を超える方に会ったんですね、
もう、それぞれの方が子どもたちの健康被害について心を砕いていて、
あとは小児がんも増えていますので、会いましたが、
日本のお医者さん達が本当に気付いて、自分たちで行動を始める事が大事だと思っています。
是非、つたない報告ですが、日本のお医者さんにも来て話を聞いていただきたいなと思っています。

Sawada:
ありがとうございました。
また先生今後もお話を伺えればと思いますので、よろしくお願いします。


第10回「県民健康管理調査」検討委員会2013.2.13 
質疑応答山下俊一氏の答弁部分

山下俊一:
基本的にはチェルノブイリでも甲状腺の超音波を行いました。
20年から15年前ですから、機械の制度に関しては今よりもかなり劣るというなかで、
大体1万人に1人、多いところで5000人に一人ぐらいの甲状腺がんが見つかりました。
見つかった小児の甲状腺がんは、
大人と比べて小さくても転移をしているというのが特徴であります。
ですから子どもだから、あるいは放射線に被曝したからどうこうという事はありません。

二つ目の今回の頻度が、全体的に見て多いのか少ないのか?言うようなご質問だと思います。
単純に考えるとこれは非常に多いというふうに捉えやすいと思います。
理由はこういう超過検査をした事がありませんでしたから。……




原発事故はまだ収束してない。それなのに国や県は被災者を見放し始めたー佐藤幸子さん

2013-03-28 11:01:10 | 東京新聞

フクシマの自主避難者たち 「置き去り」に危機感(東京新聞:特報)

http://www.asyura2.com/13/genpatu30/msg/847.html
投稿者 播磨 日時 2013 年 3 月 25 日 07:58:26: UcrUjejUJLEik

福島原発事故による放射能汚染から逃れるために、いまから自主避難を望んでいる人たちが困惑している。国は自主避難者たちに家賃補助をしてきたが、その新規申請の受け付けが閉じられてしまったからだ。代替策と位置付けられ、前政権時代に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」の運用は政権交代で事実上、棚上げされている。被災者の「避難する権利」が奪われた形だ。(荒井六貴)

「長女の中学卒業を待って、避難するつもりだった。市内の放射線量は除染した後も高いまま。ところが、制度が変わってしまった。これでは避難できるのは、お金がある人たちだけに限られてしまう」

福島県郡山市に住む主婦野口時子さん(48)はそう話す。野口さんらは家賃補助の申請継続を求めて昨年末、約10万人分の署名を県に提出した。だが、反応はまだない。

福島市や郡山市では、いまも除染目標の年間1ミリシーベルトを超える場所が少なくない。除染効果に失望して、事故後2年たった現在になって、避難を計画する人たちがいる。ところが壁が築かれた。

県によると、事故により避難している人は県内外で約16万人(県外は5万6000余人)。このうち、避難指示区域(11市町村)の住民ではなく、福島市や郡山市から自主避難した人の数は約2万8000人に上る。

ただ、この数字は行政の補助を受けている人に限られ、実際の自主避難者数はこれよりも大きいとみられている。

避難期間中の金銭的補償については避難指示区域の人たちは原則、1人当たり月10万円を受け取っている。一方、自主避難者には一括で妊婦と子ども(18歳以下)に60万円、その他の人には8万円が支払われた。

避難者にはこのほか、災害救助法に基づく住宅支援がある。適用の実態は都道府県によって異なるが、一般に避難者が民間住宅を借りた場合、みなし仮設住宅の位置づけで、国から一世帯当たり(4人以下の場合)月6万円以下の家賃が補助される。これは自主避難者にも適用される。

ところが、この補助の新規申請が昨年末に打ち切られた。今後、新たに自主避難する場合には、完全に自腹で家賃を賄わなくてはならない。

本来なら、昨年6月に超党派で成立した「原発事故子ども・被災者支援法」で、打ち切り後の支援策を示すことになっていた。しかし、年末に自公政権が誕生。基本計画はおろか、支援策の予算付けもしていない。

たとえ政権が代わっても、全会一致で成立した法律が放置されたままでよいわけがない。

県避難者支援課の原田浩幸主幹は「国に対して自主避難を選択する方法をなくさないでほしいと要望してきた。だが、打ち切られた」と語る。

県は独自に県外の子どもや妊婦がいる世帯が、自宅とは別の県内の自治体に戻ってくる場合は、住宅を提供する制度を始めた。しかし、自主避難者の間では、避難者を県に戻すことが本当の目的ではないか、という懐疑の声も上がっている。

一方、復興庁の斉藤馨参事官は「県からは県民の流出を防ぐため、支援策をやめてもいいと聞いた。支援法の基本計画は早くつくりたいが、検討段階だ」と説明した。

国と県の言い分は食い違う。ただ、新たな自主避難者が置き去りにされることは疑いない。

住宅支援の新規申請打ち切り後、福島市で活動する市民団体「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」が10世帯の枠で、引っ越し代20万円を補助する計画を公表したところ、福島市や郡山市などの13世帯から応募があった。

代表の佐藤幸子さん(54)は「まだまだニーズがある。原発事故はまだ収束してない。それなのに国や県は被災者を見放し始めた」と指弾する。

不安を抱いているのはこれから自主避難する人たちだけではない。すでに自主避難した人たちもいら立ちを隠さない。

それというのも、現在の国からの家賃補助は来年3月までの期限付きになっており、延長されるかが不透明だからだ。

郡山市から新潟市に小学生の子ども2人を連れて、避難している女性(38)は、家賃補助を受けた住宅で生活している。

「補助の問題がはっきりしないと、新潟で今後も暮らしていけるのかどうか、将来の計画が立てられない。長期で支援を考えてほしい。夫は郡山に職場があるため、いまは二重生活。経済的にどんどん追い込まれており、子どもに習い事をさせるのもあきらめた」

新潟県内に避難する人たちの交流の場「ふりっぷはうす」(新潟市)には、同じような悩みを持つ自主避難者たちが集まる。経済的な理由で福島に戻る人たちも増えてきているという。

この施設を運営する福島大の村上岳志講師(地方行政論)は「自主避難者たちの声が反映されている施策がない。自主避難者たちの生活状況を調査したデータもなく、実態を把握しようとしていない」と批判する。

村上講師らは今月14日、参議院議員会館で国会議員らに、自主避難者の取り巻く環境を説明した。避難指示区域と異なり、家賃を除けば、継続的な金銭支援はない。

必然的に東京電力に対して生活費や慰謝料を求めることになる。東電に直接求めるか、原子力損害賠償紛争解決センター(原発ADR)を利用するかに分かれ、東電と和解できない場合には、訴訟に持ち込まれる。

山形県で暮らす自主避難者たちの相談に乗っている外塚功弁護士は「これまで二重生活を送る自主避難者たちの福島と避難先を往復する交通費については、補償されてこなかった。しかし、今年に入り、その8割が認められるようになった」と話す。「しかし、生活費として事故直後に渡された8万円(妊婦や子どもを除く)以外、いまにいたるまで、東電側は慰謝料の支払いなどを一切拒否している」

こうした事態を打開するため、自主避難者を含む被災者らは各地で集団訴訟に動いている。東京や千葉では、今月11日に提訴。避難者が多い山形、新潟、群馬の各県の被災者たちは6月までに訴訟を起こす方針だ。

避難指示区域の双葉町から愛媛県に避難しているNPO法人「えひめ311」事務局長の沢上幸子さん(37)は、自主避難者たちの苦境をおもんぱかり、こう訴える。

「避難指示区域の人たちと、自主避難者との間で溝が深まっている。自主避難者らの状況は深刻だ。国が被災者の『避難の権利』を認めていないことが最大の問題だ」

[デスクメモ]
自主避難を「勝手に逃げた」と曲解する人がいる。避難するか否かは、国や電力会社が決めることではない。まして「すぐに影響はない」なんて言われた日には、逃げて当然だろう。東電は賠償を減らしたい。国はゼネコンへ「名ばかり除染」でカネをまく。避難者たちがたたかれる汚れた背景がある。(牧)


2013年3月25日 東京新聞 朝刊[こちら特報部]より
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013032502000133.html

千葉県民、とりわけ市原市民!必読 市原在住の元フジTVアナ山川建夫氏のツイート

2013-03-25 11:01:49 | 放射能汚染

子ども達を放射能から守るネットワーク@ちば

より転載

元フジTVアナ山川建夫氏が放射能汚染で市原での田畑作業断念


「3・11以降、自分の体を観察してきましたが、呼吸器、消化器、循環器系に違和感を覚える事が継続的、断続的にありました。その原因の或る「部分」が自給米や野菜にあった事は間違い無いと思います。ぼくは自家用ですが、プロの農家の方たちにとっては死活問題です。放射能汚染の残酷さが身に沁みます」


元フジテレビのアナウンサーであり、現在は千葉県市原市で生活されてる山川建夫氏がツイッター上でこう発言し、放射能の汚染実態や内部被ばくを懸念するコメントを発信されてます。







少し前、ぼくが体調を崩した事でご心配をお掛けし申し訳ありませんでした。その件で、「自分でつくった農産物を食べているからだ」との指摘を頂きました。その通りだと思います。原発事故の後、房総も汚染から免れないと覚悟したにも拘らず、米作りを続けました。予想通り放射性物質が検出されました。

最も恐れていた原発事故が起こり、茫然自失状態の時、何事も無かったように周りの農家の人達が田の荒起こしをするトラクターのエンジン音が風に乗って聞こえて来たのです。その音で我に返りました。居ても立ってもいられず、放射能の怖れを抱えながらも、手押しの耕運機で田の荒起こしを始めていました

当然、収穫した米は汚染されていました。だから、家族には食べさせられませんでした。でも、折角のお米です。有難く頂きました。そして昨年収穫のお米も食べて来ました。一年半の間です。いわば自分の身体を通した「人体実験」でした。倒れた時、遂に来た!と思いました。ここでの田畑作業はお終いです

3・11以降、自分の体を観察してきましたが、呼吸器、消化器、循環器系に違和感を覚える事が継続的、断続的にありました。その原因の或る「部分」が自給米や野菜にあった事は間違い無いと思います。ぼくは自家用ですが、プロの農家の方たちにとっては死活問題です。放射能汚染の残酷さが身に沁みます

千葉県市原市です。千葉県北西部から東京湾岸を舐めながら木更津方面へ流れた放射能雲が市原市も通過しましたが、計測すると斑条に濃淡があります。我が家の入り口の土は千ベクレル位です。昨年米を精米した糠で33ベクレルでした。

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千葉市でも場所によっては数千ベクレルの土壌汚染が発見されてますので
市原でも場所によっては汚染されているのは事実だと思います。
何度も書いてきたとおり本来は細かく土壌汚染を検査すべきです。汚染を明らかにしたうえで作物をつくるか賠償をするかを判断すべきです。ベラルーシやウクライナでも細かく土壌汚染を調べ、その汚染度によって食用を作っていいかの判断をしてるわけです。日本は健康被害が大々的に顕在化する前に本来はこうした取り組みを先んじてやるべきです。

山川氏のツイートにおいては放射能問題とは別にマスコミの真実を伝える内容も発信されてます。タブーな発言をして干された状況を詳しく書かれてましたのでこれも紹介します。フジは日テレと並び、外国人の株主比率が高く、僕なんかが見ても明らかな米国寄りで支配されたメディアなので、自民や維新応援が露骨で、TPP応援、原発応援、新自由主義応援の報道があまりに露骨です。NHKの堀潤アナの退職問題にしかり日本のTVメディアは言論統制が厳しいです。北朝鮮や中国を馬鹿にしてる場合ではないと思います。

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照美さんの番組終了は年初めから公表されていたが、43年前、出演していた朝のワイドショーでのぼくの降番については視聴者に最後の日まで知らされなかった。そのまま行けば、ぼくは突然、番組から消える事になっていた。レギュラー出演者が或る日急に消えるという「異常事態」が何故起きようとしたか

70年当時、ベトナム戦争は末期的な状況だった。メディアはベトナムでの米国の戦争を支持していた。だから番組内での反戦的発言は許されなかった。その一方、ゲスト出演者の中で米国を支持する者は沢山いた。その一人の発言に堪りかねて思わずぼくは言葉を挟んでしまった。

ベトナムでの取材を終えて出演したゲストは、それが命がけだったと言い、日本に帰って来てこの国が平和で素晴らしいと言った。ぼくは反射的に「あなたが平和だと言う日本の基地からベトナム人を殺しに米軍が出撃している事をどう思っているのか?」と強い口調で問いただした。

更に、「数日の取材でベトナム戦争が分ったような口は利かないでくれ」といった為、ゲストを怒らせた。この「事件」後、ぼくは上層部からゲストに謝罪するように言われたが突っぱねた為、問題が尾を引き、その後の「反戦発言」も重なって、とうとう番組から降ろされる事になった。その日が近付いて来た

ぼくにとっての番組最後の日、その枠内のどこかで視聴者に別れを告げたかったが、とうとう最後まで来てしまった。メイン司会者が「突然ですが今日で山川さんが番組を降りる事になりました」と告げた。そのままCМに入る筈だったのに、何故かまだ1分近く時間が余っていた。彼がぼくに発言を振った。

ぼくに発言のチャンスが回って来た!ぼくは、これまでの感謝と、この降番が自分の意志では無い事を辛うじて告げた。それでもまだ30秒程時間があったと思うが、言いたい事は山ほど有ったのに何も言えなかった。無言の、石と化したスタジオに永遠と思える30秒が経過しCМに入った。

CМに入った途端、突然スタジオが動いた。ぼくは10数人の管理職に手足を抱えられ、そのまま役員室に連れ込まれ、つばが飛んで来るほどの罵声を浴びせられた。一方、TVを見ていた視聴者は一体何が起きたのか分らず、一斉に局に電話を掛けた為、回線のヒューズが焼き切れ不通となった。

ぼくが引き起こした「事件」は、メディアからスタジオジャックとか言われたが、それまでのバーチャルな繋がりだった「視聴者」と直接会える事になり、ただ受け身の状態での視聴から、TVに主体的に係わり、視聴者の意見を反映させ、TVを変えて行こうという機運が生まれかけたのだが・・。


TV局の後ろに国が、そのバックに米国が、という構図の中で、一人で立ち向かったとしても所詮は線香花火。あっという間につまみ出されたというところ。局アナ生命の終わり。たったのワンチャンスでした。だから、ぼくは、吉田照美さんの果たして来た「役割」に本当に頭が下がります。

テントを守ろう! 3月22日経済産業省前

2013-03-23 16:20:40 | ちばアクションの活動

脱原発テント、撤去の動きに抗議 「志は消せない」(朝日)

 脱原発を訴える市民らが東京・霞が関の経済産業省前に設置したテントは不法占拠に当たるとして、同省などが明け渡しを求める訴訟を準備していることを受け、市民らが21日、テント前で記者会見を開き、撤去しないよう訴えた。

 2年前に福島市から2人の娘を連れて東京都内に避難した二瓶和子さん(36)は「このテントのおかげで、首都圏に避難しているお母さん方とつなが れた」と話し、交流の場になっているテントの存続を求めた。ルポライターの鎌田慧さんは「行政の中心で市民が体を張っている風景を守っていきたい」と語っ た。 

[時事通信社]


【緊急の呼びかけ】 テントを守ろう! 3月22日経済産業省前へ!

2013-03-21 09:31:00 | ちばアクションの活動

「3・11」二周年からただちに、安倍政権は原発再稼動に向けて、大きく動き出そうとしています。反原発運動の「象徴」である経済産業省前のテント広場の撤去に向けて本格的に動きはじめています。先日の福島第一原発の「停電」でも明らかなように、原発事故は収束どころか、いつ大惨事になりかねない危機をはらんでいます。4号機使用済み核燃料プールの冷却システムが崩壊すれば、関東圏はおろか北半球全体が放射能汚染されると言われています。いま声をあげるときです!3月21日(金)17時、多くの人がテントに集まることを呼びかけます。(以下、転送です)

【テントひろばからのお知らせ】

仮処分に対する「記者会見」と「集会」のお知らせ

 福島原発事故後2年余り経ちましたが、フクイチは未だ収束していません、そればかりか毎日貯まる400トンの汚染水を太平洋に放出しようとしています。また、多くの人々がふるさとも生活も仕事も奪われてしまい、15万人以上の人が避難し、十分な賠償もされず、今も高線量の中での生活を余儀なくされ、さらに多くの労働者に除染や廃炉のための被曝労働を強いています。誰が事故の責任をとったでしょうか? 安倍政権は、半世紀以上も原発を推進してきた自民党政権の責任をとらずに、新安全基準(新稼働推進基準)を原子力規制委員会に作成させ、この夏から多くの原発の再稼働を企んでいます。

 経産省テントひろばを開設して1年半、このような状況の中で、福島をはじめ脱原発を訴える全国のさらに世界の人々が訪れる文字通りの脱原発ひろばに危機が来ました。債権者として「国」がテントひろばに「占有移転禁止仮処分」を訴え、東京地裁がこれを認め、3月14日にテントひろばに仮処分を通告してきたのです。次に土地の明け渡し請求訴訟を準備していると思われます。

 そこで、私たちは顧問弁護士の出席をお願いして、次の様に緊急の記者会見と集会を開催します。メディア関係の皆さまには両方への取材および報道をお願いしたく、全国のテントの支援者の皆さまには集会への参加をお願いしたく、ご案内申し上げます。
 
経産省前テントひろば
 
○ 記者会見 
日時 2013年3月21日(木)13時~14時
場所 経産省テントひろば前(雨天等の場合はテント内)
〒100-0013 東京都千代田区霞が関1-3-1
  出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他
問合せ 経産省前テントひろば(070-6473-1947)
淵上太郎(090-3919-0604)

○ 抗議集会
日時 2013年3月22日(金)17時~18時半
場所 経産省テントひろば前
出席者 淵上太郎、正清太一、原発いらない福島の女たちから、弁護士、他著名


問合せ 経産省前テントひろば(070-6473-1947)

(2012年1月27日、700人もの人々が集まり、テント撤去を阻止しました)

 


恐怖!人の皮をかぶった維新の会、西田譲議員!なんと千葉選出だと!

2013-03-14 15:51:52 | 千葉県ニュース

まず、以下のユーチュウブを見てほしい。

http://www.youtube.com/watch?v=a01mvG6P1Oc

衆議院予算委員会質疑3/13西田譲(維新)の質疑だ。こんなことが堂々と国会で論議されているとは?

フクシマは原子炉からは何も漏れていない、建屋からごく少量セシウムのみが漏れた

・セシウムは害がないので除染の必要はない。


・医学的にも科学的にもおかしく、憲法違反の強制連行は直ちにやめて、住民をすべて帰還させて、住民自身の手で除染させたら、復興が進む


・ベータ線は紙一枚でさえぎれるので、全く怖くない。


・空間線量は、外部被曝を過大に評価することになる。ICRPの基準自体も大きな間違いだ

■質問の仮起こし

http://www.twitlonger.com/show/l9th2e

西田譲 〔…冒頭略…〕福島県の復興問題について、まさしくこの日本再生、日本の立て直しに全力で取り組んでいらっしゃる、今日最高の安倍総理、そしてさらにはその卓越した閣僚の方々と、今国会この予算委員会の場で討議をさせていただき、さらには熟慮を深めさせていただくことをこの上なく光栄に存じます。
 私たち日本維新の会は、言葉だけでの復興加速では意味がないと考えております。
 日本維新の会では、復興を阻害…復興を阻害する弊害の除去こそ急がなくてはならない、このような観点から、本日の質問をさせていただきたいと思っております。
 さて、3・11からマル2年、しかしこの1年9カ月間のあいだ、必ずしも適切な方向での福島県での、福島県の再建ではなかったかと存じます。そう断じるのは、決して私だけではなく、全国の国民の多くも一致した見解かと思います。
 とりわけ、福島県の方々が安倍自民党政権、いや、安倍総理に熱く期待しているのは、法的正義と科学に照らして、これまでの政策をただし、そして政治を王道に取り戻すべく、コペルニクス的大転換をする、まさにこのことへの期待であって、これまでの間違ったやり方を自民党がそのまま無批判に継続することではないことはいうまでもないと思います。
 翻って、3・11とは、福島第1原発、この4機のその原子炉からではなく、建屋の爆発から微量なセシウムが飛散した事故の発生でもありました。そして福島県民のうち約10万人が2011年4月21日よりセシウムの放射線被曝を回避するとの名目で強制的に避難させられるという、この戦後日本において前例のない、まさしく憲法第22条第1項に違背する居住権の禁止、さらには故郷選択の自由の簒奪が政府の手によって公然と行われました。
 憲法に違背するこの人権侵害やりたい放題の前代未聞の行政は今なお続いているわけでありますが、それは国民の安全を守り、国民の健康を守るという名目で、当時より進められてきた政策であります。これらについては当時から放射線医学の多くの専門家の先生方が、医学無視の暴挙だ、さらには反科学の人権侵害だと激しく非難し、反対したものでもありました。
 さて総理、原子力災害対策本部長であります安倍総理にもおうかがいさせていただきたいと思います。福島第1原子炉(ママ)の建屋から広範に飛散したのはセシウムのみでありまして、ストロンチウムもプルトニウムも広範に飛散してはおりません。しかも、そのセシウムの線量は微量でございます。つまり、個人の外部被曝線量は、年間累積でわずか数ミリシーベルトでございまして、しかし、これまで進められてきた政策、これを振り返りますと、あたかも日本経済の発展を阻害すべく、反原発を宣伝する手段として、反医学的な福島セシウム避難を考案し、そして実行したもののように思われます。このような前政権のやり方を、安倍自民党内閣が継承する合理的な理由は一切ないと考えます。
 原子力災害対策本部長として、安倍総理は、避難の全面解除を行う行政命令を直ちに決断され、直ちにそう下達するべきであると考えます。医学や科学に反する以上、災害対策基本法にのっとれば、憲法違反の人権侵害行為を即時中止するのが正しい行政のありようだと思います。議論の余地はないと考えますが、避難解除の命令を決断されるか否か、総理におうかがいさせていただきたいと思います。

 石原環境相 あの…私も避難、困難区域にいってまいりました。そこを、こう、歩きまして、累積の、この、線量計の1年間に対する被曝量を計算いたしましたら、えー、そこを歩いただけでございますけれども、年間20ミリシーベルトを超えてしまう。現にやはり、そういう高(濃度の)放射能で汚染をされた地域はございます。そこのみなさん方に帰っていいということは、現政権でもいえないのではないかと思っております。

 西田譲 本日お配りさせていただいている資料の一つでもございます。低線量セシウムは人体にまったく無害でございますこのベーター線は皮膚で遮断をされておりますので、外部被曝の問題にはなりませんまた内部被曝は、生物学的な半減期が短く、結果、ほとんど短時日に消えてしまいますし、合わせて汗や尿でも排出されます。えー、総理にお尋ねしたんですが、石原大臣にお答えをいただきました。
 〔…以下略…〕

① http://www.youtube.com/watch?v=OTPyiXikL34&feature=youtu.be
② http://www.youtube.com/watch?v=a01mvG6P1Oc&feature=youtu.be
③ http://www.youtube.com/watch?v=_d81etxX3kY&feature=youtu.be

いま、四街道の西田謙事務所では、クレームの電話が鳴りやまず「大変なことになって」いるそうです。

電話 043-424-7255 です!!

さらにフェースブックでも抗議殺到です!!http://www.facebook.com/yuzuru.nishida

・放射能の影響が ないというのなら是非 双葉町に移住してください
 福一の汚染水を 次回の国会でのんでください 福一終息の作業に参加してください あなたのお考えに仰天して 手が震えてます

・申し訳ないけど議員に止まることは日本の恥だと思います。男ならば潔く辞職して福島の原発復旧工事に従事なさいませ。貴方にとってセシウムも放射脳も関係ない超人的な肉体のようですから。税金が貴方のような無知蒙昧に使われていることは耐えられません!

・科学と医学に基づいた質問と、大変な同調圧力の中でそれをやり遂げた勇気に敬意を表します。空間線量と内部被曝線量の混同や、有り得ない前提で計算された不安を煽る報道のあり方への指摘など、具体的で説得力がありました。福島県民の為にも日本の為にも頑張って下さい。(^^)

・どんな事を言われても、あなたがおっしゃる通りなら、ご家族親戚一同で南相馬に移住して地元で採れた農作物のみで生活をして下さい福島で捕れた魚を食べて水を飲んで福島から国会に通って証明して下さい安全なら出来るでしょう!国会議員はJRの無料パスをお持ちのはず、我々国民に証明して見せて下さい。


・放射線障害に対して勉強されてから国会で質問して下さい。
放射性同位元素等による放射線障害の防止に関する法律
(昭和三十二年六月十日法律第百六十七号)
隅々まで読んで下さい。

・議員辞職をされ、F1(福島第一原発)に来られてはいかが!貴方の天職はそこだ!

・セシウムが健康に害がないなら、福島の危険地区に住んだら良いだろう。国会議員の権利を全部使って、福島から国会に通っって見せろ!!

・放射能をなめるのもいい加減にしていただきたい。
安全だと言うならあなたの一族郎党引き連れて福島に住めよ。

でました高田 純 【放射能安全御用学者】

札幌医科大学教授の高田純です。昨日の力強い国会質問の動画、拝見しました。素晴らしいの一言、これが、福島を真に復興させる国会発現です。引き続き、頑張ってください。応援します。
予算委員会での質問の動画、観させていただきました。

・.貴方の先日の『低線量セシウムに害無』発言に多くの人がショックを受けてます。避難解除なんてとんでもない話で貴方の認識不足にあきれてる国民が沢山います。FBでも多くの人が貴方に不信と疑問を抱いてます。全て読まれ、コメントされてはいかがですか。避難せずに!

・いつ辞めるの?この人。
さっさと辞めて欲しいわぁ~
こういう人間は政治家になった事で満足なんだろうけどな。

まず、福島が安全なら1F周辺(大熊あたり)に5年くらい住んでから物事を言えよ。こんな馬鹿議員がいる政党に投票しなくて良かったよ。こいつは殺人者と一緒。

以下多数


報道と写真 『3.11反原発福島行動'13』

2013-03-13 15:40:20 | 福島ニュース

『3.11反原発福島行動'13』

1300人が「原発いらない」の声 福島でデモ行進

 原発の廃炉や再稼働反対を訴えるデモ行進は11日、福島市で行われ、約1300人(主催者発表)が「原発いらない」と声を上げた。
 震災から2年を迎え実施。「3・11反原発福島行動実行委員会」が全国にデモへの参加を呼び掛けた。
 参加者は同市の県教育会館を出発し、県庁などを経由、JR福島駅に向かった。参加者は横断幕やのぼり旗を掲げながら「子どもを守ろう。原発ゼロに」などと訴えた。
(2013年3月12日 福島民友ニュース)

【3・11福島報告】 帰還急がせる政府 「原発事故で棄民される」

実行委員長の椎名千恵子さんは、原発事故の犠牲者に黙祷を捧げた。=11日、福島市内 写真:諏訪撮影=

実行委員長の椎名千恵子さんは、原発事故の犠牲者に黙祷を捧げた。=11日、福島市内 写真:諏訪撮影=

 福島の人々を不幸のどん底に叩き込んだ原発事故から2年が経った。まだ2年しか経っていないというべきなのだが、政府は再稼働に向けて突き進み、マスコミは復興を喧伝する。

 「3・11をなかったことにしてはならない」。原発事故被災者や支援者がきょう、福島市で集会を開き県庁などにデモをかけた。(主催:3・11反原発福島行動実行委員会)

 「復興ビジネス、復興キャンペーンばかりがまかり通る。(福島を取り戻すための)道筋を私たちがつけないと子どもの将来はない」。実行委事務局長の椎名千恵子さんは、集会とデモの意義を語った。

 福島県教育会館ホールで開かれた集会には、大間原発建設予定地のど真ん中に立つ「あさこはうす」の小笠原厚子さんらが駆け付け、福島の脱原発運動にエールを送った。

 小笠原さんは、電力会社の社員が「事故は起きません、安全です」と説明に来た時に母親が言い返した言葉を紹介した。「一度事故が起きたらもう(元に)戻らねえ。海も土地も戻らねえんだ。おめえらは保証してくれるのか?」

 会場からは割れるような拍手が起きた。福島で実際起きていることを小笠原さんの母が予言していたからだ。

 集会・デモ呼びかけ人の会田恵さんは会場の聴衆に次のように訴えた。「人間は弱い生き物です。札束でピシャピシャと頬を叩かれているうちに54基も原発ができてしまった。原発は人間の負の遺産でしかない。『ならぬものは ならぬ のです』(NHK大河ドラマ・八重の桜 キャッチフレーズ)と政府につきつけたい」。

「希望の牧場」の吉沢正巳さん。酪農に生きていた人生を原発事故によって無茶苦茶にされた。東電と国への恨みは深い。=福島教育会館 写真:諏訪撮影=

「希望の牧場」の吉沢正巳さん。酪農に生きていた人生を原発事故によって無茶苦茶にされた。東電と国への恨みは深い。=福島教育会館 写真:諏訪撮影=

 原発事故は静かに生きてきた人々の人生を一変させた。福島市内の主婦(68歳)は事故直後、24μSv/hの所で水汲みの順番待ちをしていた。彼女が食事や放射能について書き留めたノートは、この2年間で10冊以上になった。

 「事故後初めての除染が近く来る。除染と言っても土をはいで袋につめて庭に穴を掘って埋めるだけ。いわきに住む孫には“あまりこっちに来るな”と言ってある」。

 孫と会うささやかな幸せさえも奪った原発。「もう2年間原発なくてもやってこれてるじゃないか。このまま生活のレベルを下げても原発はない方がいい」。彼女は切々と語った。

 憤りを露わにする人もいる。「希望の牧場」の吉沢正巳さんだ―

 「浪江、双葉、大熊は町の意味を失った。人々は精神的に絶望状態。先が見えないから。仮設に2年も住んで、あと2年もいたら倒れてしまう。原発事故がひと度起きたら棄民される。見舞い金プラスアルファで国も東電も終わりにしたいのだ。逆らう奴は面倒見たくないというのが本音だ」。

 政府は利権のためにあるような除染をむやみやたらと続け、住民の帰還を急がせる。健康な営みが取り戻せるかは二の次だ。

 土地と暮らしを奪われた福島県の避難者は、2年経った今も15万4,157人(復興庁調べ・2月7日現在)にのぼる。

《文・田中龍作 / 諏訪都》

東日本大震災2年:82歳被爆者が福島で訴え

毎日新聞 2013年03月11日 18時31分(最終更新 03月11日 21時41分)

脱原発を訴え、集会後に市民とデモ行進する下田礼子さん=福島市で2013年3月11日午後3時27分、田中博子撮影
脱原発を訴え、集会後に市民とデモ行進する下田礼子さん=福島市で2013年3月11日午後3時27分、田中博子撮影

 東日本大震災から2年を迎えた11日、福島市内であった反原発を訴える市民集会で、原爆の被爆者、下田礼子さん(82)=広島市=が「福島の皆さんと手を取り合って原発の再稼働に反対していきたい」と訴えた。「放射能の恐ろしさを伝えねば」という信念で、初めて福島を訪れた。

 14歳の時、建物疎開の片付けに出ていた母親(当時43歳)を捜すため、原爆投下直後の広島市中心部に行き、残留放射線によって被ばくした。熱線で皮膚のただれた人々が「水をくれ」と助けを求めてきた光景が忘れられない。

 母親は全身にやけどを負い、3日後に亡くなった。下田さんに健康被害はなかったが、20歳を過ぎたころ、鼻血がよく出た時期がある。当時は放射能の知識がなかったが、最近になって被ばくの影響を疑うようになった。

 福島原発事故のニュースを見た瞬間、「取り返しのつかないことが起きた」と全身から血の気が引いた。「もう誰にも同じ悲しみを味わわせたくない」と願ってきたのに、事故が起きてしまった情けなさで、涙が止まらなかった。

 集会では約1000人を前に「福島の人々の強さに驚いている。一緒に頑張りたい」と呼びかけ、こう力を込めた。「この年まで元気でいられるのは、原爆の犠牲者に見守られているから。私には放射能の恐怖を伝える責任がある」【田中博子】


高濃度汚染地帯に装備もマスクも付けない人が自由に出入りー避難指示解除準備区域

2013-03-12 13:32:47 | 福島ニュース

避難指示解除準備区域
高濃度汚染地帯に装備もマスクも付けない一般人がたくさん立ち入る

ハッピーさんのツイッターより

東日本大震災3.11から2年が経とうとしてる中、今月の3月25日には富岡町、来月4月1日浪江町が警戒区域再編により、警戒区域が1F原発から約10kmに縮小する事が決まったみたい。


これによって避難指示解除準備区域に指定された地区には、泊まる事は出来ないけど、日中は人の出入りに規制がなくなり今の楢原町みたいに、自由に立入が許される事になるんだ。でもこれってオイラは、かなり危険だと思うんだ。

※避難指示解除準備区域……年間積算線量が20ミリシーベルト以下の地域。通過交通や住民の一時帰宅、事業再開などが可能(宿泊は禁止)。

今の楢原町も半ば無理やり警戒区域を解除した感じがあるんだけど、オイラその最大の理由は除染業者や工事車両が自由に出入り出来るようにするためだったと今でも思ってるんだ。

普通に考えて、除染もしてない区域に住民や一般人が自由に立入り出来るっておかしいでしょ。
でも、そのリスクよりも、「警戒区域で人や車両を規制する事によって起きてる除染作業を妨げる弊害を、警戒区域解除する事により回避し解決出来る」って国や自治体やゼネコンの誰かさんがおかしな事を考えて、実行した人がいたと思うんだ。


楢原町の除染が始まった当時、まだ警戒区域だったんだけど、途中からいきなり"避難指示解除準備区域"なんてオイラが生まれてから、これまで聞いた事のない、とても覚えにくい単語がいきなり出てきたんだよね。最初はこんな単語覚えられなかったでし。


それまで楢原町除染の為に出入りする工事車両許可や作業員の登録・許可は、環境省や国交省に提出してたんだけど、物凄く時間がかかってて作業が全然進まなかったんだ。たぶん1ヶ月単位で待たされた業者もいたんじゃないかな。


環境省も国交省も公務員だから土日は休みだし、書類受付も確か週1・2回だったと思うんだ。次の週に受け取りにいったらコメントついて出し直しとかでまた遅れて…。そんな国の対応じゃ契約期限内に除染が完了するのなんて、とても考えられないし無理な状況だったんだ。


そこで考えたのが警戒区域解除する事で作業員や工事車両の出入りを自由にし、除染を迅速に進めたかったはずなんだ。だからオイラは警戒区域解の最大理由は、決して住民の為じゃなくて、除染作業の為だと今でも思うんだ。


こで今回の富岡町や浪江町の警戒区域解除なんだけど、これは楢葉町の場合と比べて、かなり危険だと思う。楢葉町も確かに汚染してるけど、富岡町や浪江町は汚染レベルの桁が違うんだ。今までの警戒区域解除と全然違うという事なんだ。


富岡町も浪江町も事前モニタリングやってるはずだけど、まだ完了してないし、結果も公表されてないと思うんだ。結果もきちんと公表されるかわからないけど…。富岡町なんかは、まだまだ線量の高い場所やホットスポットが多数存在してる。


オイラが一時帰宅した時に計ると平均で0.02mSv/h(20マイクロ)位でホットスポットはその10倍の0.2mSv/h位ある場所も存在する。これって1Fの構内のヤードとたいして変わらない数値だし、むしろ新しい砂利や整地した1F構内の方が低いよ。

0.2mSv/h(200マイクロ)って4号機下の作業場所とあまり変わらない線量だし。そんな除染もしてない3.11から時間の止まった手付かずの場所に今月3月25日からいきなり「自由に入っていいですよ」なんて有り得ない。

国や自治体やゼネコン元請けは、人の命なんてこれっぽっちも考えてないよね


海外メディアにチェルノブイリと比べられ「さすが日本、チェルノブイリでは出来なかった除染がこんなに早く出来て復興が進んでる」と誉められ、ほくそ笑んでる人がいると思うと腹立たしいし悲しいよ。

チェルノブイリのやり方の方が正解だと思うし、住民の事を考えてると思う。


警戒区域が解除されれば、装備もマスクも付けない一般人がたくさん立ち入る。車両だって、汚染しても汚染検査のサーベイも受けないから全国どこを走る事も出来る。家財だってサーベイに引っかかって今まで持ち出す事が出来なかった物も持ち出して売ることも出来る。

そんな警戒区域解除が、今月から行われようとしてる。

オイラは沢山の人に「今回の富岡町や浪江町の警戒区域解除は、今までのとは全然違うから騙されないで、十分気を付けて」と伝えたい。日中に帰宅する住民や除染に携わる作業員の人たちには特に気を付けて欲しい。


国は昨日、新聞報道されたように「早期帰還者には、精神的賠償を見直し増額する」みたいな事を言い出し、大きな人参をぶら下げ、金で命を買うような国になってしまったかもしれない。国や自治体はどんな手段を使っても1日でも早く住民に帰還して欲しいんだろうね。


でも、それは住民の為じゃなくて自治体の維持や存続、国のエネルギー政策の為なんだ。昨日の新聞みて富岡に家のあるオイラの仲間も「ふざけてるよなぁ、人をバカにしすぎだよ」って怒ってた。国や自治体や企業のいう事を決して鵜呑みにせず、自分や家族、子孫の命は自ら守って欲しいな。
あとマスコミやメディアや研究機関の人たちには、警戒区域解除されたら直ぐに富岡町や浪江町に入り、独自に汚染モニタリングを実施し、速やかに公表して貰いたい。国や自治体が発表する数値と、いかにかけ離れた数値なのか、きっとはっきりするはずなんだ。


マスコミやメディアや研究機関の人達は、今まで取材したくてウズウズしてたでしょ。警戒区域解除になって、いつでも誰でも入れるようになったら報道価値がないなんて言わないで、しっかり報道してね。但し、解除後、直ぐに入らないと3.11の証拠消えちゃうかもしれないから急いでね。
社説なんていらないよ、見解なんていらないよ、誇張もしなくていいよ、ただ測定したありのままの数値を多くの人に伝えて欲しい。

オイラは、今そこに、目の前にある危険を知らされてないという事の現状、差し迫ってこれ以上危険な事はないと思ってるから。 

 

 

 

 

 

 


「3.11」を、反原発メモリアルデーとして、ここに宣言いたします。『3.11反原発福島行動'13』

2013-03-12 12:28:21 | ちばアクションの活動

集会宣言

農民は、春が来ても鍬をもてない


漁民は、イカリを海におろせない


酪農家は、子牛の誕生を喜べない


労働者は、非正規と被曝労働を強いられる


子ども達のいのち、私たちの日常、未来を奪われている福島の現実。


疾病、分断、錯綜、目を背けたくなるほど厳しい現実がある


しかし、私たちは、揺るがない。立ちはだかる壁を階段にして超えていこう


今日私たちは、「3.11」を、反原発メモリアルデーとして、


8.6広島、8.9長崎に続く、核兵器、原発、すべての核廃絶を誓う日、


そして「3.11」を忘れない、忘れさせない日にすることを、


市民、農民、漁民、労働者とともに、ここに宣言いたします。

 

2013年3月11日

『3.11反原発福島行動'13』

怒りのフクシマから!! 動画




誰が福島を忘れることなどできるでしょうか!3.9明治公園

2013-03-10 14:43:54 | ちばアクションの活動

誰が福島を忘れることなどできるでしょうか

「誰が福島を忘れることなどできるでしょうか。毎日、反原発、原発的なものに反対し続け、できることをすべてすることをすべて取り組むことをもう一度ここで約束しましょう。

福島は私たち自身なのです。沖縄が私たち自身であるように。」

「どうか、どうか、どうか、選挙の結果なんて蹴っ飛ばせばいいんです。ニヒリズムを押し入れの奥に入れておきましょう。私たちが目指しゴールがどんなに遠くても、私たちは歩き続ける。自分も自分自身で励ましていきましょう」

「移ろいやすさを否定して、生きているかぎり、「原発反対」を心の真ん中においていきましょう。今日この日を鎮魂の日として、抗いの日として再び自分の心に刻みつけることを私はあなたに約束したいと思います」

(落合恵子さん、3・9明治公園)

動画「福島を忘れないで」~脱原発集会で避難者が訴え制作:OurPlanetTV


反原発:震災2年前に 東京で1万5000人集会

毎日新聞 2013年03月09日 19時15分(最終更新 03月10日 00時12分)


大江健三郎さん(手前中央)も参加して行われた脱原発を訴えるデモ行進=東京都港区で2013年3月9日、久保玲撮影

 東日本大震災から2年を前に、東京都新宿区の明治公園で9日、脱原発を訴える大規模な集会が開かれた。昨年夏のピーク時に比べ、「下火になった」といわれる運動だが、主催者発表で約1万5000人が集まった。初参加の人もおり、脱原発を求める声が根強いことを示した。

 主催は「さようなら原発一千万署名市民の会」。呼びかけ人の一人で作家の大江健三郎さんは「(運動が)色あせたという声もあったが、今日はその反証になる」と話した。

 集会に続くデモに参加した横浜市の男性会社員(48)は「こういう所に来るのは初めて。脱原発に向けた私の第一歩です」と語った。2歳の長女を連れた大田区の主婦、升光久美子さん(33)は昨夏以来の参加。「今日は同じ年代のママさんを多く見かけた。原発に関心を持ち続けているのは、私一人じゃないことが分かって心強かった。これからもできることをやっていきたい」と話した。

 主催者によると、9~11日にかけては、全国各地で100近い原発関連のイベントが開かれる。毎週金曜に官邸前抗議を続けている「首都圏反原発連合」も、10日に国会周辺でデモを行う。【川崎桂吾】

 ◇西日本でもデモ

 一方、京都市の円山公園でも同日、市民団体や労組などによる「バイバイ原発3・9きょうと」が開かれ、主催者発表で約3500人が参加。脱原発を訴えて市内をデモ行進した。また、高松市では、市民団体「脱原発アクションin香川」のメンバーら約30人が四国電力本店前まで約1・7キロを行進した。

明治公園で大規模な脱原発集会!参加者は1万5千人!尚、集会時に不当逮捕が発生した模様!

【空撮】つながろうフクシマ!さようなら原発大集会

「さようなら原発」大江氏ら大規模集会 東京・明治公園 朝日

貫く脱原発 福島と共に 1万5000人集会 東京

*10日も参加しました。

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「異常は見られませんでした」ー「県の検査は『安全です』という結果ありきではない」

2013-03-10 14:00:15 | 東京新聞

不信募る「小児甲状腺検査」 別機関の診断結果と違い (東京新聞:こちら特報部)

福島県の「県民健康管理調査」検討委員会は先月、18歳以下の2人に甲状腺がんが見つかったと報告した。昨年9月に1人が判明しており、計3人となった。県は福島原発事故との因果関係を否定するが、「安全神話」に徹した姿勢に批判は強い。なにより、検査データを当事者にすら十分開示していない。「賠償の低減が狙いではないか」。保護者たちの不信と不安は募るばかりだ。(林啓太)

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「県の検査は『安全です』という結果ありきではないかと…」。

福島県伊達市の主婦島明美さん(43)はそうつぶやく。

手には小学5年生の長女(11)が受けた甲状腺検査の報告書があった。「異常は見られませんでした」と記されていた。

だが、島さんは市内の診療所で再検査させた。すると、嚢胞が2つ見つかった。中学1年生の長男(13)も県の検査では嚢胞が1つだったが、2ミリ大が2つ見つかった。

子どもたちに再検査の結果を伝えた。二人は黙りこんだ。以来、島さんはその話題を避けているという。「あんまり怖がらせても仕方がない」

同市の主婦津田亜紀子さん(39)も県の検査に納得せず、別の医療機関で子どもを再検査させた。結果は異なっていた。

小学6年生の長男(12)と5年生の長女(11)で、県への問い合わせで、長男は「最大2.5ミリ」、長女は「複数」の嚢胞があることが分かった。

別の医療機関の検査結果では、長男の嚢胞は最大3.8ミリが2個で、長女の嚢胞は4ミリ大を筆頭に12個以上。長女の検査写真には、嚢胞のつぶが無数に写っていた。

再検査した医師に「海苔や昆布を毎日、食べさせなさい」と指導されたが、長男は海藻類が苦手。みそ汁のだしに昆布を使って飲ませている。

県の甲状腺検査の結果は症状が深刻な順にC、B、A2、A1の4段階で示される。CとBは二次検査の対象になる。ただ、嚢胞が被ばくの結果とは言い切れない。

 

環境省が8日に発表した長崎など3県での子どもの甲状腺検査では、計56.6%に小さなしこりなどが見つかった。約41%の福島県より高い。八王子中央診療所(東京都八王子市)の山田真医師(小児科)も「嚢胞と結節は、がんと直接は関係がない」と指摘する。

それでも、島さんや津田さんらの不安は尽きない。県の検査への姿勢に粗さが目立つからだ。

「県のやり方は完全に間違っている」「ふくしま共同診療所」(福島市)所長の松江寛人医師

例えば、時間だ。県の検査で甲状腺に超音波を当てる時間は異常な所見がない限り、一人当たり短いと数十秒。たいていは2~3分だ。広報担当は「詳細な検査が必要な人を見つけ出す『スクリーニング』」と話す。

一方、島さんが再検査に利用した診療所は、10分以上かけて調べた。

その診療所とは別に再検査を受け付けている「ふくしま共同診療所」(福島市)所長の松江寛人医師(放射線科)は「県のやり方は完全に間違っている」と言い切る。

「たった数十秒では、がんにつながる重要な病変を見落とす可能性がある。一見、異常な所見のない子どもでも15分はかけて調べるべきだ」

先月の「県民健康管理調査」検討委員会の発表では、甲状腺がんの3人以外、7人に疑いがあるとされた。席上、県立医大の鈴木真一教授は「甲状腺がんは最短で4~5年で発見というのがチェルノブイリの知見」と述べ、福島原発事故との関連を否定した。

世界での大人を含む甲状腺がんの発生率は人口10万人に対して男性1.7人、女性4.7人

しかし、世界保健機関(WHO)によると、世界での大人を含む甲状腺がんの発生率は人口10万人に対して男性1.7人、女性4.7人。山田医師は「患者とその疑いがある人が、3万8000人のうち10人。割合は多い」と懸念を示す。

県は1986年のチェルノブイリ事故のデータで、福島原発事故との関係を否定する。だが、本当に否定できるのか。

鈴木教授の「上司」にあたる山下俊一・県立医大副学長が約20年前に書いたチェルノブイリ原発周辺の子どもの甲状腺がんを研究した論文を読むと、疑問が浮かぶ。

山下氏が放射線影響研究所の長滝重信元理事長らと執筆した論文は「チェルノブイリ周辺の子どもの甲状腺の病気」。事故時に10歳以下だった約5万5000人を検査し、4人を甲状腺がんと診断した。「放射線への感受性が高い小児は、初期の急性被ばくとその後の低線量被ばくで甲状腺が傷つけられる可能性がある」と懸念を示していた。

北海道の深川市立病院の松崎道幸医師(内科)は、福島県郡山市の児童・生徒らが市に対し「集団疎開」を求めた仮処分の申し立てで、「山下論文」を基に「福島の小児甲状腺がんの発生率はすでにチェルノブイリと同じか、それ以上になっている可能性がある」との意見書を作成した。

ただ、「福島では放射性ヨウ素の放出量はチェルノブイリに比べ少ないとされる」(山田医師)という指摘もあり、確定的なことは言えない。

それでも、保護者らが不安を覚えるのは当然だろう。その解消には検査データの伝達、公開こそが前提となるはずだ。

県の対応はその逆に徹している。今回の発表でも、がんや疑いのある子どもたちの年齢や居住地区、被ばく線量などは伏せられた。山田医師は「これでは、放射線と甲状腺がんの関連を考察できない」と県の姿勢を批判する。

当事者への情報公開も不十分だ。県の検査で高校2年生の長女(17)に複数の嚢胞が見つかった伊達市の主婦大山かよさん(49)も、詳しい報告書や超音波で撮った写真を検査データを集約する県立医大に求めたが、担当者は「渡せない。見たければ、情報公開請求をして」と伝えてきた。

情報公開制度は時間がかかり、資料の複写の費用なども自己負担だ。県健康管理調査室は「調査を素早く進めるため」と釈明するが、大山さんは「データは当事者のものなのに」と憤る。

情報の出し惜しみについて、集団疎開の仮処分申し立てで代理人を務める柳原敏夫弁護士は「被害者に東電に対する損害賠償訴訟を起こさせないよう、詳細な情報を出さないようにしてる可能性もある」と推察する。

そうだとしても、被害の実態を隠し通すことはできない。実際、島さんのように、別の医療機関で子どもに再検査を受けさせる保護者たちは増えている。松崎医師は県の対応にこう忠告した。

「情報を隠そうとすればするほど、保護者の不信の蓄積は募っていく。保護者たちに対して、県にはもっとオープンになり、一緒に甲状腺がんの脅威に立ち向かう、という姿勢を示すべきだ」


[県民健康管理調査]
福島県が福島原発事故を受けて、全県民を対象に実施している。被ばく線量を推計する「基本調査」と、事故後の健康状態を把握する「詳細調査」がある。甲状腺検査は詳細調査の一環で、事故発生時に18歳以下だった36万人が対象。計画的避難区域の居住者から始まり、2011年度までに詳細な調査を終えたのは3万8000人。


[デスクメモ]
知らなかったとしても、責任からは逃れられない。先の戦争でも国民は被害者であり、加害者でもあった。原発も同じだ。被ばくした子どもたちへの一義的な加害責任は東電や行政にある。が、原発政策を看過し、電力を享受してきた者にも責任がある。絆の本来の意味がいま、個々人に問われている。


2013年3月9日 東京新聞 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013030902000177.html
 


東日本大震災2年:女たちの復興―「子どもの命を守りたい」(毎日新聞より)

2013-03-06 14:48:08 | 福島ニュース

東日本大震災2年:女たちの復興/下/子どもの命を守りたい 
原発事故・放射能、情報集め 募金で福島に診療所開院 
(毎日新聞 2013年03月06日 東京朝刊) 

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 「子どもの甲状腺がんの発生率は100万人に1人が通説と言われているのに、調査結果は大きく上回った。ヨウ素だのセシウムだのをまき散らされた揚げ句、『原発は関係ない』『安心しろ』と言われても……」 
 今年2月、福島県は新たに2人の子どもに甲状腺がんが見つかり、7人に疑いがある、と発表した。東京電力福島第1原発事故後、がんが見つかったのは計3人となったが、県は事故との因果関係は考えにくいとする。11年夏、福島市から山形県米沢市へ転居した会社員、柏木容子さん(47)=仮名=は、発表を冷ややかに聞いた。 
 結婚後約20年、福島市で暮らしていたが、事故が起きるまで原発にほとんど関心がなく、県内にある原発の数も知らなかった。事故後、家族や自分の命が放射性物質の危険にさらされて初めて、ミカン箱四つ分もの放射能関連の本をむさぼり読み、1日3~4時間、パソコンに向かい情報を集めた。知るにつれ、子どもへの影響に不安を感じ、国や県の説明にも矛盾を感じた。11年夏、仕事の都合で福島を離れられない夫を残し、小中学生の子ども2人と米沢市に引っ越した。 
 昨年の検査で、子ども2人の甲状腺に、「のう胞」(液体がたまった袋状のもの)が見つかった。のう胞自体は危険ではないと説明を受けたが、経過観察が必要だ。「こんな小さな子たちに重荷を背負わせたかと思うとショックだった」。県は2年後の次回調査まで検査は不要というが、子どもたちには半年ごとに自主的に検査を受けさせるつもりだ。 
 被災地に住む多くの人は、今も被ばくの不安と向き合いながら暮らしている。被災地で暮らす子どもたちの健康を守るために、今後、自分に何ができるのか。柏木さんは少しでも役に立ちたいと、昨年から被災地の親たちで作る「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の活動に加わり、国への申し立てなどに参加する。「将来後悔しないよう、私なりに精いっぱい子どもを守りたい」 
     * 
 昨年12月、福島市中心部にオープンした「ふくしま共同診療所」。3階建てビルの1階部分約130平方メートルを改装し、二つの診察室や甲状腺検査ができる装置も設けた。 
 開院に向け奔走したのが、市民グループ「福島診療所建設委員会」。県の甲状腺検査では、子どもにのう胞などが見つかっても大半が2次検査不要と判定され、保護者から「検査結果が分かりにくい」などの声が上がった。こうした不安に応える身近な医療機関を作ろうと、募金活動を開始。わずか1年間で約4000万円を集めた。中心メンバーの一人、佐藤幸子さん(54)は「被災地にとどまる人のためにどんな不安にも寄り添ってくれる診療所を作りたかった」と話す。 
 福島第1原発から約47キロの川俣町で養鶏場を経営していた佐藤さんは、原発事故で飼っていたニワトリ250羽をすべて処分した。夫は新たな農地を求めて岡山県に移り住み、福島県内にいた4人の子どもも県外に出るなど家族はバラバラになった。佐藤さんも福島市に転居した。仕事、穏やかな老後、故郷−−。すべてが事故で崩れ去った。 
 開院から3カ月。診療所では県外から駆けつけた医師6人が働く。当面は無給だ。東京都国分寺市の杉井吉彦医師は「放射能の影響は分からないことが多いから長期的に診たいし、被災者の不安を少しでも和らげたい」と話す。 
 診療所には、これまで県内外から約200人の患者が訪れたが、子どもの甲状腺検査のため来院する親子も多い。 
 「子どもの命を守りたい」。佐藤さんはこれからも被災地の子どもたちを支えていくつもりだ。【大迫麻記子】


【紹介】3/15神田香織 立体講談「チェルノブイリの祈り」in佐倉市民音楽ホール

2013-03-05 15:54:47 | 千葉県ニュース

佐倉市民ネットワークが、講談師 神田香織さんの「チェルノブイリの祈り」を佐倉市民音楽ホール(京成臼井)で開催します。

1人でも多くの方の参加を訴えています。

さくらネット事務所(043-462-0618)、臼井レイクピア「コラム」(本屋さん)で前売り券を発売しています。
電話にても受付していますので、当日受付で券を取り置きでもOKです。
まずはご連絡ください。

前売り1500円、当日2000円
高校生以下500円

以下、東京新聞の記事とチラシを紹介します。

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「フクシマの怒り語る 社会派講談師・神田香織さん@こちら特報部」 
2011年10月23日 東京新聞より 


未来に警鐘を鳴らしていたはずだった。福島県いわき市出身の講談師、神田香織さん(56)が、9年前に創作した講談「チェルノブイリの祈り」。

旧ソ連で起こった原発事故の実話を伝え、新たな悲劇の発生を食い止めたいと願ったが、史上最悪の事故が大好きな故郷で現実になってしまった。庶民に寄り添う話芸は今、“フクシマの怒り”を広く発信している。(中山洋子)

 ものものしいヘリコプターのプロペラ音をBGMに、パンと拍子木の音が鳴り響く。

 「ときは1986年4月26日、旧ソ連のチェルノブイリ原発で、原子力発電開発史上最悪の事故が発生しました」

 今月中旬、千葉大教育学部の大教室。はかま姿の神田さんが語る旧ソ連(現ウクライナ)の消防士夫妻の物語を、200人近く集まった学生や市民らが息をのんで聞き入っていた。

 物語は実話で、ウクライナのチェルノブイリに隣接するベラルーシの女性記者が取材したインタビュー集がもとになっている。新婚の夫は事故直後にシャツ一枚で出動して被ばく。妻は妊娠をひた隠しにして、ボロボロに朽ちていく夫に付き添い、最後まで看病した。子どもは生まれてまもなく先天性疾患で死亡した。

 夫妻の生々しい証言が、臨場感たっぷりに話芸で再現され、会場内にはすすり泣く声が広がった。

 神田さんは「福島第一原発の事故後はつらくてつらくて。もうこの話はできないんじゃないかと思った」と振り返る。

 4月下旬、「今こそ聞きたい」と請われて市民集会で披露したのをきっかけに、ほぼ毎月のようにあちこちで演じている。「以前と比べて、客席の空気が変わった。ものすごく真剣に聞いてくれている。緊張感がひしひしと迫ってくるんです」

 日本語訳のインタビュー集「チェルノブイリの祈り」(岩波書店)に出会ったのは2002年ごろ。読み始めると涙が止まらなかった。「愛し合っている夫婦を放射能が引き裂いた。もし福島の友人や家族がこんな目に遭ったらと思うと、とても人ごとじゃなかった」と講談にすることを決意。著者に連絡し許可を得て作品を練り上げた。

 当初、客席の反応はさまざまだった。「『旧ソ連だから事故は起きた』とか『日本の原発は安全』という空気が強く、『脅かさないで』と耳をふさぐ人も少なくなかった。『電力会社に気に入られる内容にした方が仕事になるんじゃないの』と心配もされた」と話す。

 チェルノブイリの事故を身近なこととして関心を持ってもらおうと、日本で起こるかもしれない架空の原発事故を作品の最後に付け加えた。「静岡県の太平洋沖に面した原子力発電所で…」などと、公演会場ごとに原発の立地場所も変えて警告してきた。

 異色の社会派講談に「赤い講談師現る」などと皮肉られたこともあったという。「組合といっても農業協同組合くらいしか知らないノンポリだったのに。誰だって平和は好きでしょうに」と苦笑する。

 放射能汚染が広がったベラルーシも訪れた。背丈ほどの草が伸びている立ち入り制限区域に行くと、高齢女性が一人で残っていた。女性は「昔は200人くらい住んでいて、にぎやかで楽しい村だったのよ」と懐かしんだ。裏庭で育てている野菜に「ほら、こんなに大きく育っているでしょ」と目を細める姿に、神田さんは何も言えなかった。

 チェルノブイリ事故の後、神田さんはいわき市で農業を営む父親に「もし、福島で事故が起きたらどうする」と尋ねたことがある。畑仕事の手を止めた父親は、ゆっくりと「風向き次第だっぺな」とつぶやいた。

 福島第一原発の事故後、父親は「(国の原発推進政策に懐疑的だった)おまえや佐藤栄佐久(前知事)さんの言った通りだったな」と話した。「みんな『しまった』と思ってるんだから、ちっちゃい顔してるんだよ」とも。心優しい福島人の父親が、ベラルーシの高齢女性に重なってみえた。

 神田さんは「故郷を壊し、家族や友人を苦しめ、世界の海を汚しておきながら、国は原発が必要だと主張し、海外に輸出しようとする。正気の沙汰じゃない」と憤る。

 地元の高校を卒業し、18歳で上京。劇団の養成所に入り、舞台女優を目指したが、いわき弁に苦しんだ。同じころ、高校の同級生だった秋吉久美子さんが映画デビュー。華やかな級友の活躍を横目に、焦りが募っていたとき、講談に出会った。話し方の練習で始めたが講談の表現力に魅せられ、25歳で二代目神田山陽氏に弟子入り。

 3年間の修業を経て、1984年に二つ目に昇進し、次々に独自の作品を発表。86年に広島の原爆を題材にした漫画「はだしのゲン」を講談にしたのを転機に、「理不尽につぶされる側に立とう」と腹を据えた。

 結婚したものの39歳で離婚し、幼い娘2人を育てるため、いわき市の実家に戻った。疲れ果てていた心を故郷がいやしてくれた。「寄席のある東京を離れるのは不安だったが、家族が子どもをみてくれた。同級生や地域の人々が寄席を設けて応援してくれた」

 娘の高校進学を機に再び東京へ戻ったが、今月初め首都圏在住のいわき市出身者を中心にNPO法人「ふくしま支援・人と文化ネットワーク」を設立した。

福島の人々を孤立させないように交流の輪を広げる狙いで、来月に都内で開く初イベントでは「チェルノブイリの祈り」を披露する。「原発事故の汚染は各地に広がるが、『福島』に被害を押し込めようとする空気が続いている。差別を絶対に阻止しなければならない」と力を込める。

 神田さんの近年の作品には、いわき市を舞台に炭鉱の娘たちを描いた「フラガール物語」もある。いわき弁をたっぷりまぶした作品は震災後、福島へのエールとして各地で演じている。

 江戸時代の津波を題材にした「稲むらの火」も講談にした。現在では防災講談として全国の自治体から引っ張りだこだ。いわき市でも支援者が昨年、一昨年と同市に防災用に演じてもらおうと打診したが、門前払い。

この作品は来月、同市主催の行事で披露される。「できれば1年前にやりたかった。津波を想像する機会になっていたかもしれないと思うと、本当に残念」と神田さん。

 古典芸能でも落語が「笑い」、浪曲が「泣き」なら、講談は「怒り」を表現するといわれる。「定番の忠臣蔵ももとは時事ネタ。当時の大ニュースを伝える語りが古典になった。

代々伝わる話芸も素晴らしいが、大転換のときには現代を語ることも講談の役割のはずだ」。福島出身の講談師は、庶民の怒りを代弁し続けるという。

 千葉大で開かれた公演の終幕。神田さんはパンと拍子木をたたいて続けた。「ときは2011年3月11日、太平洋に面した東京電力福島第一原発が史上最悪の原発事故を起こしました。再循環経路は破断し、炉心は空だきとなりメルトダウンを起こしました。付近の住民は避難をしたもようです」

 もう、架空の事故ではなかった。

<デスクメモ> 
インターネットで生々しい映像が配信される時代だが、講談師やミュージシャンらが娯楽作品で人々の想像力をかき立てる力はあなどれない。

実写よりメッセージ力を持ち、パワーを発揮する場合もあるのだ。政治家はうそつきで信念がなくても務まるが、作品はうそをつかず信念を伝えようとする。(立)


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