もう黙ってられない! 原発なくせ! ちばアクション

原発再稼働阻止!原発輸出絶対反対!福島の子ども達を守ろう! chiba20110507@mail.goo.ne.jp

2015年 冬休み 保養プロジェクトを おこないます!--ちばアクションNEWS

2014-09-30 10:39:54 | ちばアクションの活動









 

 

 

夏休み保養のご支援ありがとうございました。来年の1月にも保養をやることを決定しました。

千葉では、7回目の保養となります。

福島の甲状腺がんの増加、帰還運動にたいして具体的なかたちで運動をすすめていきましょう。

10 月13 日には、福島市に続きいわき市でも、ふくしま共同診療所報告会が行われます。











東京-鹿児島現地で「再稼働反対」の声あがる! 

9月23 日、さようなら原発主催の集会は、亀戸中央公園いっぱいの人で埋め尽くされました。この日は「デング熱」問題で予定されていた代々木公園から亀戸へ急遽変更。主催者の予想を上まわった大結集となりました。デモも真っ暗になるまで続きました。
 28 日は、再稼働第1号と言われている川内原発のある鹿児島現地に7500人が集まりました。ちばアクションからも参加。御嶽山の噴火に見られるような想定外の現象が、原発事故の危険性をあらわしています。原発再稼働、戦争・首切りに突き進む安倍への怒りは広がっています。

フクイチまで2キロ! 国道6号線が開通

 

 9月15日、富岡町-双葉町間の国道6号線が開通しました。3・11 から3年半ぶりで、「復興」への一歩と宣伝されています。これまで、帰宅困難地域とされ、許可がなければ入れなかった道路を誰でも通れるようになりました。
 しかし、その中から見えるのは、「復興」ほど遠い現実です。空間線量は、高いとこで6~7マイクロSv。あまりにも高い放射線量に線量に、二輪車や歩行者の通行は禁止。車両も、窓を閉めエアコンは内気循環にするように呼びかける。国道6号線からは、まだ収束していない福島第一原発が見える。
 防犯防止という理由で、6号線沿いの家にはバリケードが築かれ、カメラが並ぶ異様な光景だ。
 ここまでして、帰宅困難区域とされている地域を「安全だ」と言いなし、帰還運動を推進する。ここに帰れというのか!?
 これは「川内原発も再稼働OK!」というサインです。福島の怒りと結び、原発再稼働を止めよう!

川内原発の再稼働反対、7500人が訴え 鹿児島



再稼働阻止!フクシマを忘れるな!9/23 さようなら原発 全国大集会

2014-09-17 09:55:10 | ちばアクションの活動

 

http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2014/09/20140923%E3%81%95%E3%82%88%E3%81%86%E3%81%AA%E3%82%89%E5%8E%9F%E7%99%BAin%E4%BA%80%E6%88%B8%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E9%9B%86%E4%BC%9A%E3%83%81%E3%83%A9%E3%82%B7%EF%BC%92%E8%89%B2%E3%83%93%E3%83%A9A4v4-1.pdf



9/23 さようなら原発 全国大集会 プログラム

会場:亀戸中央公園←(代々木公園から変更になっていますのでお間違いなく)

11:00 ブース開店
      第二ステージ ライブ&トーク 開始
       ゼロノミクマ
       桃梨&制服向上委員会
       島キクジロウ&NO NUKES RIGHTS
   
       小野有五(北海道大学名誉教授)
       パク・ヘリョン(韓国から)
       チェ・スーシン(台湾から)
       福井県の原発現地から
       河合弘之(弁護士)
12:20 第二ステージ ライブ&トーク 終了

12:20 第一ステージ ライブ
       エセタイマーズ

13:00 第一ステージ トーク開始
       司会:木内みどり
       鎌田慧
       内橋克人
       澤地久枝
       大江健三郎
       大石又七(第五福竜丸元乗組員)
       向原祥隆(川内原発現地から)
       橋本あき(福島から)
       古今亭菊千代
       パク・ヘリョン(韓国から)
       チェ・スーシン(台湾から)
       広瀬隆(作家)
       落合恵子

       デモ出しライブ
14:15  第一ステージ 
        李政美
第二ステージ 
        ジンタらムータWITHリクルマイ&The K


ビラへのリンク

さようなら原発1000万人アクションのサイトから転載

始まった「福島一揆」――東日本大震災から3年半

2014-09-14 23:19:49 | フクシマの怒り

↓以下、転載はじめ

始まった「福島一揆」――東日本大震災から3年半
2014年09月12日



漆黒の闇。
車のライトに浮かび上がる、曲がりくねった道路の先に、時折、野生の狐の目が黄色く光る。

福島県郡山市から南相馬市に向かう途中、予定の遅れを取り戻そうと、幹線道路から山中の枝道に入ったのが間違いの元だった。
以前、日中に何回かは通ったことのあるルートだったが、夜は全く別の世界。
レンタカーのナビゲーション・システムに、最新情報が入っていなかったこともあり、行く先々で交通止めに出くわす。
東京電力福島第1原発の事故後に、原発に近い地域一帯にかけられた、避難指示や居住制限等の指定に伴う交通規制である。

やむなくUターンをして出直そうとしても、別の道で、再び規制に行く手を阻まれる。
わけが分からなくなって、闇雲に走りまわったあげく、出発点に戻ったりする。
まるで狐に化かされているような旅の末、目的地に着いたのは、何と5時間後。
その間、道を尋ねようにも人影はなく、たまに人家を見かけても、屋内に人が住んでいる気配はない。

3年半前、大震災直後の現場を取材しようと、原発のある福島浜通りを、車で北上した時のことを思い出した。
誰にも出会わない夜道の恐ろしさは、あのときとそっくりだ。
当時、足を延ばした宮城から、岩手にかけての道は、津波で運ばれてきた瓦礫で埋め尽くされ、これもすさまじい光景だったが、
これら三陸地方では、今は、高台移転や漁業の復興など、次第に明るい話題も伝えられている。
だが福島では、被災の傷跡は、むしろ拡大しているように見えた

瓦礫の代わりに除染作業で出た泥や草木が、ビニール袋のような巨大な特殊容器に詰め込まれて、無人の街の道路脇に延々と並んでいる。「福島の復興なくして日本の復興なし」と叫んだ安倍晋三首相の言葉がいかに空しいか、現地を見れば説明の必要はない。


被災者の不満が噴出


東電の再回答はどんな内容になるか(馬場有・浪江町長。筆者撮影)

静まりかえった町や村。
表向きは何も変わらないように見える、福島の風景の裏で、しかし、徐々に、そして大規模な、かつてなかった変化が起きようとしている
原発に隣接した浪江町が、代理人となり、住民が、全町避難に伴う精神的苦痛への慰謝料増額を東電に求めて、
国の原発ADR(原子力損害賠償紛争解決センター)に、集団で、和解申し立てを行った
のである。
続いて、浪江と同様に、全住民が避難生活を強いられている飯舘村の住民も、同様の集団申し立ての準備を進めている

驚くべきは、申立人である住民の数だ。
浪江の場合は、
全町民の73%にのぼる1万5313人(申し立て後 、避難生活の中で死亡した住民も170人以上いる)。
飯舘村は、
9月6日に申し立ての受付を始めたばかりだが、週末6、7の両日だけで、既に約6000人の住民の半数を超える3100人に達するという。


浪江の申し立ては、
国の原子力損害賠償紛争審査会(原倍審)が決めた指針で、事故半年後に、いったん1人月額10万円とされた慰謝料を、
これに加え25万円を支払うこと(2012年3月-14年2月)、などを求めたもの
である。
避難生活の長期化と、今後の生活再建の見通しが困難なことが、その理由だ。

ADRセンターは今年3月、その趣旨を認めて、増額分を1人5万円とする和解案を示した
浪江側は今年5月、これを受諾したが、東電は増額を1人2万円とする「事実上の拒否回答」(馬場有浪江町長)を行い、
今度は、ADRが東電に、今月25日を期限に、再回答を求めている


一方、飯舘関係の申し立ては、
「初期被曝の慰謝料・避難の長期化への慰謝料延長と、増額・不動産賠償の増額」等を求めるもの

どちらの町村も、
被災者が長期間、避難生活を強いられ、その生活環境は、改善どころか悪化しているという過酷な現実の中で、
現在の不安だけでなく、将来の生活設計ができない、それなのに原倍審の指針は、こうした現実に対処するのにきわめて不十分だ、という、被災者の不満が噴出したもの
である。



「一揆」主導者の深い悩み

寡黙で忍耐強い、福島の農村地帯の住民たち。
元来、お上(かみ)にたてつくことは好まず、原発事故という理不尽このうえない仕打ちにあったというのに、下を向いたまま耐えてきた人々が、とうとう声を上げたのである。
それは、日頃穏やかな彼らの性格を考えると、心の中の抑えきれない激しい怒りの表現であり、
静かで緩慢ではあっても、浜通りの「一揆」と言っても過言ではないように思える

飯舘村で、ADR申し立てを主導した長谷川健一さん(60)は、申し立てを言い出した時の心境を、こう語る。

「今まで黙って暮らしてきたのだから、このまま黙っていたかった。
もう我慢できねえと踏ん切りをつけるのに、どれだけ悩んだか」


「一揆」の首謀者にしても、悩みは深かったのだ。
年老いた親や親戚、の人々に気兼ねをして暮らしてきた住民はすべて、「蜂起」にあたってもだえ苦しんだようだ。

福島は、3年半前も、やはり過疎地だった。
今、政府は、景気回復政策の柱に、「地方創生」を掲げる
そして一見、福島の復興にとって、追い風のように聞こえるこの政策が、
実態は全く逆に、これまで福島の復興を阻み、これからも福島住民の希望を奪っていくことが見えている
福島の住民は、それを見てしまったのだろう。


絵空事になった「美しい村」

「政府が打ち出す公共事業のラッシュで、人手が集まらないんです」
今も全村避難を強いられている、飯舘村の門馬伸市副村長は、うめくように言う。

飯舘村は菅野典雄村長の下、独特の地域作りによって、原発事故前までは、過疎地の村おこしのモデルとさえ言われてきた。
「心のこもった」といった意味の「までい」を合い言葉に、進めてきた「美しい村」は、全国に知られるようになった。

原発事故は、そのすべてをたたきつぶした。
村の過半を山林で覆われた飯舘村では、中途半端な除染は効果がない。
雨や雪とともに、山林の放射性物質が、里に流れ込む。
実際、除染作業によっていったん下がったはずの線量が、しばらくすると再び元に戻る事態が、村の各所で何回も繰り返された
住民が住めない、仕事もできないのでは、「美しい村」は絵空事だ。

福島被災地の住民が、心の中で切実に望んできたのは、ふるさとの町や村への帰還である。
明日のふるさとを約束するには、子どもたちが安心して住める環境がなければならない。
それにはなおのこと、徹底した除染が必須である。
放射能汚染をそのままにしていては、田や畑はもとより、学校も保育所も使えない。
山深い飯舘村の環境は、それを分かりやすく教えたのである。


本音は「財政支出の抑制」

しかし、徹底した除染とは、果たして実行可能なのか。
家々や学校の屋根を葺き替える。
場合によっては、土台から建て替える。
山林の伐採も必要になるだろう。
田や畑の土は掘り起こして、はぎ取らねばならない。
養分を含んだ土がなくなって、作物はできるのか、といった問題もある。

仮に、そのすべてが実行可能だとしても、それらには、天文学的な費用がかかるだろう。
それは誰が負担するのか。
ここまできて、福島の復興を阻んでいるのは、単なる人手不足ではなく、復興費用の財政負担であることが、誰の目にも明らかになる。

政府にとっては、適当な除染で、「帰還」が可能であるかのように住民が思ってくれている状態が、最もありがたい
住めないと分かって、集落を丸ごと移転させることになれば、さらに金がかかる。
要は、政府にとっての復興政策の原則は、財政支出の抑制なのである。

菅野村長は事故当時、「2年で除染を終え、全員の帰村を実現する」と宣言した。
「そんなにうまくいくのかな、という気もしたけれど、そうなってほしいという期待もあって、村民は村長についていったのです。
でも、既に3年半が過ぎたのに、事態は全く変わらない
もう、村長の言葉にまじめに耳を貸す村民は、いなくなり始めている
と、村の長老たちは口をそろえる。

浪江町と違って、飯舘村当局は、ADRに消極的だ。
代わりに、村長の口からは、「公民館の建て替え」「村営住宅の建設」など、今も次々と、村の「復興計画」が語られる。
しかし、こうした話も、今では多くの村民が、単なる箱物行政ではないか、今はそんなことをしている場合か、と醒めた目で見るようになった


はるかに重い政府の罪

村の復興を阻む元凶は、夢物語を語り続ける菅野村長ではない。
村長の苦闘は、創業時代とは激変した経営環境についていけずに凋落する、ベンチャー企業経営者の姿に重なる。


時折目を潤ませながら語る今野さん(筆者撮影)

被災地を襲った不幸の本質は、共同体の崩壊だ。
崩壊させたのは国である。
飯舘村だけの話ではない。
かつて、浪江町の津島地区で、下津島区長を務めた今野秀則さん(67)は、今は、郡山に近い本宮市で、夫人とともに避難生活を送っている。

「東京に去った子どもは、この本宮にさえ寄りつかない。孫がいるから仕方ないね」
語るほどに、今野さんの目は潤んでくる。

無責任な夢物語を語って、目の前に進行する問題を放置してきたのは、菅野村長だけではない。
その点で、政府自身の罪は、はるかに重い


今や、国の財政は、破綻寸前
福島への財政支出をためらってまで、必死になった景気対策も、ほとんど効果はない
その間、原発関連の支出に歯止めがかからず、東電自体が、経営破綻寸前に追い込まれた。
すべてが無策のまま、原発再稼働の日程だけが、粛々と語られる
右も左も無責任
それが日本の現実である。



愚かな汗水

1年前の9月、筆者は、「福島原発はアンダー・コントロールの状態にある」と、世界中に向けて叫んだ安倍首相の嘘を、このコラムで指摘した。
オリンピックの招致を焦るあまり、福島の現実など、首相の頭からはすっかり消えていたのだろう。

しかし当時、汚染水対策の切り札とはやされた、原発建屋周囲の凍土壁建設は、大金を使ったあげく、大失敗に終わろうとしている
今、凍らない壁を冷やすために、四苦八苦して試みているのが、壁の中に氷を詰め込む作業だという。
無意味に詰め込まれた氷は、新たな汚染水の源となる

オリンピック開催が決まってほどなく、疑惑の金銭収受で辞職した都知事が、
最後に、満場監視の議会で、札束の模型をバッグに詰め込もうと、汗水を垂らしていた哀れな姿を思い出す。
氷を詰め込もうと、必死の凍土壁作業員と、汚れたカネを詰め込む元都知事の姿が、痛々しく重なって見えるのは、偏見にすぎるのだろうか。
誰も彼もが、福島の人々の本当の苦しみや、それが日本にとってきわめて重い課題であることを忘れ、愚かな汗水を流しているのではないか。


「知事なんて誰でもいい」

住民全員が避難を強いられた、福島県内自治体の中で、最も早く一昨年「帰村宣言」をして、村の再建に懸命の努力を続けてきた川内村
だが、今年8月1日現在、全人口2751人のうち、完全に帰村できたのは、まだ499人にすぎない


それでも政府は、10月1日に、原発に近い場所に残っている、居住制限区域の規制を、避難指示解除準備区域に緩和することにした。
住宅地や農地などの除染にめどがついた、という理由
である。

原発事故前は、村民は、医療施設や商店などの生活インフラを、隣町の富岡町に頼ってきた
原発立地地域に近い富岡は、依然、無人の町
川内村の生活や産業は、前途多難である。
川内村の規制再編区域住民は、合計330人弱
8月に行われた住民説明会では、当然、激しい反発が出たが、「帰りたい住民もいる」として、村は、区域再編受け入れに踏み切った。

「帰りたい」。
「帰るのが怖い」。
どちらも住民の本音である。

晴れ晴れと、故郷の生活を満喫するにはほど遠い環境で、村と村民は、複雑な思いを抱えながらも、前に進むことになった。
あと10年、あるいは30年後に、村民たちは、どんな生活をしているのだろうか。

9月11日で、震災と原発事故から3年半。
来月末には、福島県知事選挙が予定され、早くも、自公民相乗りの、「争点隠し」が噂されている
親しい官僚から、恐ろしい話を聞いた。

30年後には、福島・浜通りからは、誰もいなくなるよ
住民は老人ばかりだから。
今をだまし通せばいいのだ。
知事なんて、誰でもいいってことよ


こうして、日本は亡びていくのかもしれない。

吉野源太郎
ジャーナリスト、日本経済研究センター客員研究員。
1943年生れ。
東京大学文学部卒。
67年日本経済新聞社入社。
日経ビジネス副編集長、日経流通新聞編集長、編集局次長などを経て、95年より論説委員。
2006年3月より現職。
デフレ経済の到来や、道路公団改革の不充分さなどを、的確に予言・指摘してきた。
『西武事件』(日本経済新聞社)など、著書多数。


福島原発事故:1週間後にも放射性雲 東北、関東へ拡散

2014-09-07 13:46:30 | 放射能汚染

毎日新聞 2014年09月05日

東京電力福島第1原発事故後、上空に巻き上げられた放射性物質の雲状の塊「放射性プルーム(放射性雲)」が、これまで知られていた2011年3月15~16日に加え、約1週間後の20~21日にも、東北・関東地方に拡散していく状況が、原子力規制庁と環境省による大気汚染監視装置のデータ分析から裏付けられた。1回目の放射性雲の影響で高くなった空間線量に隠れて、2回目の放射性雲が見逃されていた地域もあった。専門家は「データは住民の初期被ばく量を正確に見積もるのに役立つ」とみている。

 放射性雲の拡散はこれまで、「緊急時迅速放射能影響予測システム」(SPEEDI)を使ったコンピューター計算に各地の空間線量や航空機による観測データを突き合わせて推定してきた。

 今回、環境省が各都道府県に設置している自動車の排ガスなどを常時監視する装置に着目。東京大大気海洋研究所や首都大学東京などに依頼し、大気中に浮遊するちりを1時間ごとに捕まえたろ紙を9都県約90カ所の測定局から回収して、3月12~23日分の放射性物質濃度を調べた。

 その結果、福島市の一つの測定局では15日夜、放射性セシウム137と134の濃度が1立方メートルあたり最大計45.5ベクレルを計測した。16~19日も、原発から放射性雲が出続けていた考えられるが、西風で太平洋側に運ばれたため、大気中濃度は上がらなかったらしい。その後、風向きが変わり、20日午後3時に同計104.1ベクレルに高まり、その状況は21日朝まで続いた。

 雨が降った15日は放射性物質が地表や家屋に沈着し、空間線量が1時間あたり20マイクロシーベルト程度まで急上昇したため、放射性雲が飛来したことが広く知られているが、雨が降らなかった20~21日は、既に高くなっていた空間線量計の値が目立って上昇しなかったため、放射性雲が見過ごされてきたと考えられる。

 関東地方では、15日と21日の2回、帯状に高濃度の放射性雲の拡散が確かめられた。特に21日朝は茨城県南部や千葉県北東部で放射性セシウム濃度が急上昇。その後、東京湾北東沿岸部へと南西に移動した。その間、雨で沈着し、各地で「ホットスポット」と呼ばれる局地的に線量の高い場所を作ったとみられる。

 福島原発事故の環境汚染に詳しい森口祐一・東京大教授(環境システム学)は「事故直後に大気中のセシウム濃度がいつ、どこに拡散したかを示す貴重なデータが発掘された。このデータは住民の初期被ばく線量の正確な把握に役立つ」と指摘している。【酒造唯、阿部周一】

 ◇放射性プルーム(放射性雲)

 気体状、またはちりなどに付着した粒子状の放射性物質が雲のような塊になって大気中を流れる現象。高濃度のプルームを吸い込むと内部被ばくする。上空を通過した場合でも降雨や降雪で家屋や地面などに沈着すれば外部被ばくの原因になる。

 

千葉県で放射性セシウムだけで497ベクレル/立方メートルと言う事は、放射性ヨウ素も含めると数千ベクレル/立方メートル以上、さらに放射性希ガスも含めると数万ベクレル/立方メートルになったということでしょうか?

その時の政府の発表


リンク

小出裕章 (京大) 非公式まとめ