「秘密保護法」廃案へ! 12.6大集会「特定秘密保護法案」の廃案まで、あと一歩です。
10月25日に国会に提出された法案は、そのあまりにも危険な本質が知られるに連れ、各方面から反対の声がどんどん上がり続けています。 今、全国の大半の新聞が社説で廃案を求めており、法曹界、言論人に加え宗教界、演劇人など、続々と反対声明が発せられています。安全保障と情報の権利に関する国際基準から大きく逸脱しているとして、海外からも非難ごうごうです。ニューヨークタイムズなどのメディア、日本外国特派員協会、国連専門家、人権NGOが日本政府を厳しく批判しています。 この法律ができたら、ジャーナリスト、市民運動はもとより、国会議員も処罰の対象となり、裁判も秘密のまま行われます。官僚は情報をいくらでも闇に葬ることができます。情報にかかわる人は周辺も含めて監視され続けます。この国は、国会も司法も手が出せない、官僚独裁の監視国家になってしまうのです。 政府・与党は密室協議を重ねて、みんなの党、日本維新の会と修正合意しましたが、内容はよりひどくなり、国会での大臣答弁は二転三転するばかり。それでも政府・与党は強行採決を狙っています。 圧倒的多数の市民の声を「廃案!」の一点に結集させ、稀代の悪法「秘密保護法案をつぶすために、再び政府と国会に私たちの声をぶつけましょう! 日時 12月6日(金)午後6時半 7時15分 デモ出発 (6時~6時半=プレトーク) 場所 日比谷野音 主催 「秘密保護法」廃案へ!実行委員会 |
ちばアクションの行動方針
「秘密保護法」廃案へ! 12・6 大集会
▼12 月6日(金)18 時半~ @日比谷野音
■主催 「秘密保護法」廃案へ!実行委員会
落合恵子さん(作家)
私たちは知っています。権力は腐敗するものです。
権力はいつでも、情報を隠すものなのです。
彼らは、私たちの命より違うものを守ろうとし、
私たちの命は、彼らの靴の下の小石ほどの重さもないのです。
報道する自由もなくなり、それを受け取る権利すらないのです。
そんな時代をつくってしまって、次の世代にどう申し開きをするのでしょうか。
もう一度、闘う、闘わなかったら超えられない。
1969年東大安田講堂の壁に書かれていたあの文字を思い出しましょう。
「力及ばずして倒れることを辞さないが 力を尽くさずして挫けることを拒否する」
今こそ力を尽くしましょうよ!
まだまだはじめの一歩を踏み出すことができます。
スピーディの情報を隠したみなさんも、さっき、こっちにもいましたけど(笑)、超えていきましょう。
命から平和から人権から もう一度握りしめ
明日に向かって歩いて行きましょう。
(11 / 21 日比谷)
▼12・12 東電申し入れ&デモ
▼12 月 12 日(木)16 時半~ 申し入れ行動 19 時~ デモ出発(新橋・櫻田公園)
▼■呼びかけ:NAZEN杉並・新橋アクション
11 月23 日、千葉市DC会館にて、福島から椎名千恵子さんをお招きして、お話と意見交換を行いました。
「2年目までは辛抱できた。3年はもう限界だ」「睡眠不足で睡眠剤を飲まないと寝られない」という仮設住宅の人々のやるせない怒り。学校現場では、子どもが復興のために利用され、「2人に1人はがんになる! ? これは(放射能の影響はなく)国民病だ」という内容のチラシが郡山市で配られている。
原発事故による「関連死」が1539 人に増えて、ついに津波による被害を超えた…、など。福島の人々の苦悩と不安を抱え、ともに闘っている様子を具体的に知ることができました。
このなかで、椎名さん自身の、ふくしま共同診療所での健康を守る闘い、毎週の金曜日行動の闘いも報告として出されました。
ふくしま共同診療所では、甲状腺検査を保険診療としておこない、ずっとカルテに残し、診療するという福島の人々の立場に立った診療を目指していることが具体的に出されました。これから、ふくしま共同診療所建設は「第2ステージ」に入ります。「さらなるカンパをお願いします」と呼びかけられました。
最後に、椎名さんから「昨年の今、『3・11』をやろうと方針を立てたことで、あの時見えなかった13年の未来が見えた。
未来はとんでもないところにあるのではなくて、たぐるよせるものです。未来をつなぎかえすものとして、来年は郡山市で3・11 反原発福島行動をやります。
『あそこが悪いとか、何が足りないか』とか考えるんではなくて、『自分が何をするか?』と考えることで自分が変わる。
命の密度が変わると、“この時代に生まれて楽しい” となる。苦しいとか怒りだけでは変えられないんです。
みなさん、ぜひ〈3・11〉は福島にいらしてください!」と訴えられました。
(報告・事務局)
県が出し渋っている? 福島の子どもたちの検査画像
子どもたちが甲状腺がん発症のリスクを負うこととなった、東京電力福島第一原発の事故。県の検査に対する親たちの不信感は大きく、一方で追加検査を行う病院は少ないなど、問題は多い。
そんななか、追加検査を行う数少ない医師らが、一様に必要だと感じているのは、検査画像の本人開示だ。現状では県個人情報保護条例に基づき、ややこしい手続きを踏まないと見られない。
本人が未成年の場合には、法定代理人(親)が自身の戸籍抄本を取る。それから自己情報開示請求書に記入し、県政情報センターへ郵送する。請求が認められれば2週間ほどで画像が送られてくる。慣れないと時間がかかる。例えば戸籍抄本の請求書にある「筆頭者」の記入欄に、だれを書けばいいのか迷う。福島県の場合、避難生活で家族と離れ離れというケースもあるので、余計に難しい。開示請求書にしても、狭い記入欄に請求内容などを、具体的に書き込まなくてはならない。
郡山在住で2歳の女児を持つ舘(たち)明子さん(42)がこの制度を知ったのは今年の春先、知り合いが開いた勉強会だった。
「娘は原発事故直後の4カ月間で、少なくとも1.1ミリシーベルトを被曝し、いまも年間1ミリシーベルトを超える場所に住んでいます。健康被害は起きないという県立医大の説明は、信じられないし、開示請求しないとわが子の画像が見られないのもおかしい。状況を変えるためには、一人でも多くの人が声をあげていかないと」
県への開示請求は、この1年半で200件を超えた。今でこそ、開示を拒否されるケースはなくなったが、はじめは違った。新関まゆみさん(53)は昨年6月、当時高校生だった娘の甲状腺画像の開示を求めた。ところが、
「最初はほったらかしでした。催促すると、ようやく動き始めましたが、当初、CDで画像データを出すと言っていたのに、結局は紙の写真になった。情報を出し渋り、実態を小さく見せようとしているのではないか」
北海道がんセンターの西尾氏は、県の姿勢に首をかしげる。
「原発事故で放出された放射性ヨウ素を吸引したことで、子どもたちは将来的ながん発症リスクを負った。永続的に比較データを取るためにも画像は必要。そのためには本人に渡して自己管理してもらうのが一番良い。そもそも画像は本人のもの。病院は預かっているに過ぎない。それなのに出し渋るのは、証拠を残して後々責任を取りたくないからではないかと勘ぐってしまう」
ジャーナリスト 桐島瞬
※AERA 2013年11月18日号より抜粋
ふくしま共同診療所では、甲状腺検査を保険診療としておこない、ずっとカルテに残し、診療するという福島の人々の立場に立った診療を目指しています。
http://magicmemo.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/330-646c.html
2013年11月24日 東京新聞:こちら特報部 俺的メモあれこれ
福島原発事故に伴う福島県の健康管理調査で、事故当時18歳以下の子どものうち、今年9月末までに甲状腺がんと確定された人数は26人に達した。予備軍とも言える2次検査対象者も1500人を超えた。統計的には、事故後のがんの多発は否定しようがない。親たちは放射能からわが子を守れなかった、と自責の念に駆られている。だが、県はいまだ事故の影響を直視しようとしていない。(榊原崇仁)
◆情報公開請求で詳細判明
「【判定結果…B】 甲状腺に、結節(しこり)が認められました」
原発事故当時、福島市に在住していた中手聖一さん(52)の次男、小学3年生の虎太郎君(8つ)の1次検査の結果通知だ。
結節の数と大きさの表もあり、2個以上と5.1ミリ以上の欄にマルが記されていた。
1次検査は異変が軽い方からA1、A2、B、Cと判定され、BとCはがんの可能性があるとして、2次検査に進む。
野球が好きで元気な次男坊。「子どもだけでも早く避難させるべきだった」。中手さんには後悔ばかりが募った。
自宅は福島第一原発から約60キロ。事故当時、中手さんはすぐにでも避難したかったが、役員を務めていた福祉関係のNPO法人の仕事を投げ出すことをためらった。
結局、妻と2人の子どもは2週間後に親戚のいる岡山へ避難し、1年ほどたって、一家そろって札幌市へ移住した。
中手さんは妻子が岡山に避難する前後、線量計で自宅周辺の空間線量を測った。毎時10マイクロシーベルトだった。平常時の被ばく上限の毎時0.23マイクロシーベルト(年1ミリシーベルト)の四十数倍。事故直後はもっと高かった可能性が大きい。
子どもたちには外に出ないように言ったが、親の目がないと庭で遊んでいた。築50年近い木造平屋の自宅は機密性が低く、放射性物質を妨げたとは考えにくかった。
虎太郎君は今年4月、札幌で1次検査を受け、7月にB判定の通知が届いた。妻は動揺し、「どうしよう」とあちこちに電話をかけた。中手さんはA1判定の小6の長男(11)を含め、子どもたちに「堂々としていればいい」と言い聞かせた。
2次検査は半年後だった。「結論が出ない状況が続くと、精神的につらい。早く受けたい」と県に求めたが「検査が混み合っている」とすげない答えが返ってきた。
中手さんはB判定の通知が届いた2週間後、2次検査で行う血液検査などを、札幌の病院で自主的に受けた。費用は自己負担。県側が1次検査の詳細な結果を伝えなかったため、情報開示請求をした。結節の数が2つ、大きい方が10.1ミリと分かったのは、開示した資料からだった。
検査の結果、がんの存在を疑わせるデータは出なかった。「家族みんながほっとしました」(中手さん)。だが、県の2次検査を受けることはためらっている。
2次検査の案内には「結節は事故前からあった可能性が高く、良性と予想される」とあった。「検査前からなぜこう言える。ちゃんと調べようという姿勢が見えない」
◆原発近隣自治体は割合約3倍
福島県の県民健康管理調査には、当初から不信が付きまとってきた。
甲状腺検査の1次検査では、多くの保護者が要望した血液検査や尿検査をせず、唯一実施する超音波検査も1人当たり数十秒程度。健康管理調査の検討委員会は、非公開の場(秘密会)で議論の方向性を決めていた。
検査対象も福島県民に絞ったため、県外の子どもらは自主的に検査を受けざるを得なかった。
昨年9月以降、がんと確定される子どもが出てきた。調査主体である福島県立医大の鈴木真一教授は「1986年のチェルノブイリ原発事故で、甲状腺がんが発見されたのは事故から4年後。(がんと)福島原発事故との因果関係はない」と繰り返してきた。
これに対し、部外の専門家からは批判の声が上がった。岡山大の津田敏秀教授(疫学)は「原発に近い市町村ほど、がんの子どもが目立っているのは明らか」と訴える。
福島県内で甲状腺がんと確定した子どもの数は9月末現在、26人。このうち、10人が何らかの避難指示が出された13市町村で暮らしていた。がんになった子どもを子ども全体から見た割合は、残る市町村と比べて3倍になる。福島第一原発の近隣区域で、がんが多発している。
ちなみに1年間に子どもが甲状腺がんになる割合(年間発生率)は平常時で「100万人に1~2人」というのが通説だ。
◆福島県の甲状腺検査の進展状況(9月現在、単位は人)
ただ、健康管理調査ではがんの状態にある子どもの割合(有病割合)を調べているため、発生率とは簡単に比較できないという反論もある。
とはいえ、調査結果によれば、先の13市町村での小児甲状腺がんの有病割合は「100万人に241人」。これを「100万人に1~2人」の発生率に当てはめようとすると計算上、有病期間を人間の寿命以上に設定しなくてはならなくなる。
それでも、鈴木教授は原発事故の影響を一向に認めようとしない。
12日の検討委後の会見では、環境省が福島との比較のために青森、山梨、長崎の3県で実施した甲状腺検査を引き合いに出し、「A2より悪い症状の子どもの割合は福島とほぼ同じ」と述べ、原発からの距離がどうであっても子どもの症状は変わらないと主張。
さらに、今回は格段に性能が向上した検査機器を使い、例のない大人数を調べたため、従来は見逃した小さながんを発見しているとしている。
だが、津田教授は「3県のデータは一次検査のもの。がんの確定数は出ておらず、今の段階では福島と比較する意味がない」と反論する。
チェルノブイリ事故の被災地で、甲状腺がんの治療に当たってきた医師の菅谷昭・長野県松本市長も首をかしげる。
鈴木教授が因果関係を否定する論拠としているのは「チェルノブイリでは事故発生から4年たって、子どもに甲状腺がんが出た」という話だ。
しかし、菅谷市長は「あの当時、現在の機器を使っていれば、4年以内にがんが多く見つかった可能性がある。機器の性能向上の話を持ち出すと、チェルノブイリの調査結果に基づく論拠が揺らいでしまうことになる」と矛盾を指摘する。
「がんの発生には何らかの原因があるはず。県の検討委は、その原因をはっきりさせていないのに原発事故の影響だけは否定する。これは明らかに不自然。都合の良い情報をつなぎ合わせているだけだ。否定ありきの結論を出すのは早計だ」
[デスクメモ]
子の検査結果が親に知らされない。この異様さは福島事故の情報隠しの一例として衝撃を与えた。異様さは特定秘密保護法案にも通じる。適性評価システムが好例だ。環太平洋連携協定(TPP)も交渉過程は秘密。自らの生命や生活が自らの手を離れていく。奪おうとする者がいるなら闘うしかない。(牧)
「汚染水は完全にコントロールされている」安倍総理は世界にこう言い放ち、原発事故がなかったかのように世界に宣言しました。原発再稼働、TPP推進、秘密保護法、消費増税解雇自由化…。労働者民衆の命を切り捨てる政治はもう終わらせるときです。この攻防の最先端にいるのが福島の現地で闘う人々です。福島の地で声を上げ、子どもたちの命と健康を守るために奮闘する椎名千恵子さんを千葉にお招きし、お話と討論を行います。ぜひおこしください。
NAZEN通信発刊 ☆★☆
福島とつながる全国の行動をつなげる全国通信より抜粋...
・・・
■避難・保養・医療の3原則
この時期に、診療所を作る意味、避難・保養・医療という三つの原則をたててやるべきだという討論をしてきました。「診療所を作るとそこに住民をおしとどめてしまうんじゃないか」「被曝を強制する診療所になるんじゃないか」とさんざん言われた。
避難できないとしても保養があって、線量が低い所にいれば一定程度の自浄作用、回復力がつく。保養で放射線障害から避けられることはほぼ確定しているからそれも非常に大事。
その上で、どうしても避難できないし保養もできない人に、医療的な支援をしなければいけない。
がんの早期発見とか、免疫機能の低下など放射線障害による疾病への医療的な支援や指導。
避難も保養も医療も全部、被曝を強いられている福島県民と共に、医療者が全力で放射線障害から身を守っていく、
この3原則は、医療問題が人々の、患者の求める根本的な解決を目指すということと直結している。福島のお母さんたちが「子どものために私たちはどうすればいいの」と聞く時に、この三つを全部言わないと納得してもらえない。
・・・普通の開業医、私的な診療所じゃない。何重もの共同の意味がある。患者さんや福島県民との共同。医者同士の共同と医療関係者同士の共同。
それと三つ目は診療所内の共同、診療所を構成する医療従事者の職責、職域を越えた共同の医療をつくりあげる。
12 年12 月1日に開院しましたが、国際的にも国内的にも、私の予想を超えた驚くほどのカンパが寄せられて開設できました。
■安倍の「将来も健康問題ない」発言の重大さ
現在までの診療で、共同診療所に保険診療を認めたというのは、それだけ正当性を認めざるをえなかったということ。やっぱり福島の声が最大の原因です。
それと、他の医療機関はやっぱり思想的にできない。国と真っ向からぶつかる気がないと、「予防的」に保険診療でやることに耐えられない。
共産党系の病院も含め、「保険はだめだから自費でやってくれ」と言っている。
だから共同診療所に来る人はみな、「保険でできるんですか」「検査の結果を明示に説明してくれるんですか」「ちゃんと結果を残してくれるんですか」って聞いてくる。
それに応えて、ちゃんと説明・診療しています。
・・・・「福島県民健康管理調査検討委員会」は少しは中間的になるのかと思ったんだけど、違う。
新しく副委員長になった福島大の清水修二が8月17 日付の福島民報で、「放射線被曝による遺伝的な障害はない」と断言している。
政府の意を受けて、どんなひどい検査結果が出ようと「まったく健康被害はない」と言いくるめる機関なんだ。
これが当面する最大の敵だが、ある意味で逆に一番弱い機関。
最もいま福島の健康を害しているのに、無責任にもまったく健康被害を認めない。
何度も言うけど、福島の医療問題で勝たなければ反原発闘争はない、と思ってます。
全国でふくしま共同診療所とつながる運動をさらに発展させる。この健康問題で闘わなければ。
全文はhttp://4754e3a988bc1d78.lolipop.jp/tsushin_07.pdf
「保護者から相談があっても(甲状腺の)追加検査は必要ないと説明してほしい」
東京電力福島第一原発の事故で、子どもたちは甲状腺がんの発症リスクを負った。県の検査に不信感を抱く親子は追加検査に走るが、受け入れる病院は少ない。
福島県は2011年10月、子どもたちの甲状腺検査を始めた。原発事故による健康被害を調べるためだ。対象年齢は東日本大震災が起きた11年3月11日時点で、0~18歳の県民。
「原発絡みとなると県の事業なので、こちらではやっていない」
県は甲状腺検査を福島県立医科大学に委託している。ただ、親たちの県や県立医大に対する不信感は大きく、民間による独自検査の増加につながっている。その不信感の根っこをつくったのは、5月まで県民健康管理調査検討委員会の座長を務めていた県立医大の山下俊一副学長(非常勤)だ。
山下氏が福島第一原発事故の直後、講演会などで話した「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません」といった発言に、県民は疑問を抱く。昨年1月には、日本甲状腺学会の会員医師たちに「保護者から相談があっても(甲状腺の)追加検査は必要ないと説明してほしい」と要請する文書を送っていたことが明らかになり、決定的な溝となった。
実際、県民が追加検査を望んでも、受け付けない病院がほとんど。甲状腺検査ができる郡山市近辺の10以上の病院へ問い合わせたが、受け付けると答えた病院はなかった。
「原発絡みとなると県の事業なので、こちらではやっていない」(太田西ノ内病院)
「県民健康センターから委託されているので、そちらの紹介があれば検査を受けられるが、それ以外の人は受け付けていない」(星総合病院)
放射線被曝の診療を目的に、昨年12月に設立されたふくしま共同診療所(福島市)の松江寛人院長は言う。
「甲状腺検査を受けられる病院は、この近辺だと3カ所ぐらいしかない。県内の開業医は県立医大出身者が多い。山下氏の文書で医師会に圧力がかかったとしても不思議ではありません」
共同診療所を訪れる9割は、甲状腺検査の希望者だ。開業以来およそ500人が検査を受けたが、松江氏は、
「追加検査を受けたい人がたくさんいるのに、そもそも県立医大だけが検査を行うことに疑問を感じている」
ジャーナリスト・桐島瞬
※AERA 2013年11月18日号より抜粋
福島第一原発事故を受けて実施されている福島県民健康管理調査の第13回目会合が12日開催され、2011年秋から今年9月30日までに甲状腺検査を受診した子どものうち、甲状腺がんの悪性または悪性疑いと診断された子が58人にのぼったことがわかった。母数となる受診者数は216,809人で5000人に1人の割合となる。2次検査が終了しているのは78.1%。
県民健康管理調査の資料から抜粋
この中には、新たに8歳の女児が含まれているほか、今年度に1次検査を受診したいわき市の13歳男児が2次検査の細胞診で悪性と診断され、3.3センチの腫瘍があった。
これら細胞診で悪性または悪性疑いと診断された58人のうち26人が手術を実施し、乳頭がんと確定している。
診療所を建設したいという呼びかけをしまして、2012年12月1日に、開院することができまし
た。ここにお集まりの人たちにもたくさんの募金をいただきました。ありがとうございます。
この診療所を呼びかけてきた時に、実は2つの立場の側から私はバッシングを受けてきました。
放射能が危険だと思っている人たちにとって、「福島に診療所をつくるということはそこに住んでもい
いことを認めることになるんではないか」「避難を一番に訴えて下さい」そういう意味で「診療所を建
てないでください」という意見です。
また一方では、放射能はたいしたことはないと思っている人たちからです。「診療所をつくると言っ
て、お金を集めて、実際には使わないで、そのお金が流用されるんだ」というバッシングです。
どちらの人たちも、福島の住む立場の者を本当に理解していないと思いました。
放射能が危険なのは十分承知のうえで、福島に留まらざるをえない人たちが膨大にいるんです。今
もっているわけですよ。そこで住んでいながら、不安な日々を送りながらも、なんとか生活していきた
い。そういう人たちを支援する必要があると思って、診療所建設の呼びかけを続けてきました。
本当に心ない人たちの言われなきバッシングは、私だけではなく色んな人にも影響を及ぼしました。
本当に「福島に来て、福島の空気を吸って、福島の食べ物を食べてみて下さい」とその人たちに言いた
かったです。
しかし、12 月にオープンしたときには一つの希望を見たような気がしました。『毎日新聞』が「募
金の診療所」「希望の診療所」と報道してくれたことは本当にうれしかったです。
いまの福島の状況を話させてください。福島に残っている人たちよりも、福島ではない子どもたち
千葉や東京の子どもたちに影響が出ているとよく聞きます。最近聞いた話では、乳歯が抜けて、大人の
歯は出てこないということです。
放射能の影響は影響がでる人との差がものすごくあると思っていました。子どもはもちろん、感受性
の高い人、免疫力が低かった人たちに影響が出ています。
福島には南会津という線量の低い場所があります。そこには、化学物質過敏症という化学物質を避
けて暮らさなければならないという人たちです。この人たちは、本能的に危険を察知するのがすぐれて
いた。
ある先生が、放射能の影響か突然、具体が悪くなって、休職して南会津に戻って、よくなったと
いう話を聞きました。 子どもだけではなく、大人でも健康状態が悪化しています。
もちろん、放射能だけではなくて、化学物質が影響をもたらしています。私は、放射能とあ
わせて、化学物質の影響も含めて、震災後、いろんなところで話をしてきました。
こういうこともふくしま共同診療所は提案していきたい。震災以前から、
「医療ムラ」というようなものができていると思います。こういうところとも闘わなくてはいけないと
思います。震災をきっかけに、フクシマのことをきっかけに行動して欲しいと思います。
福島の子どもたち、日本の子どもたちは、未来の労働者です。その労働者を守らない日本政府に対し
て「NO!」という声をつきつけていきたいと思っています。
(11・4国際連帯集会の発言より抜粋)
11月3日、日比谷野外音楽堂で開催された全国労働者総決起集会は、「今こそ闘う労働組合を全国の職場に!」をメインスローガンに、全国と世界から5600人が参加して、新たな闘いの出発点となるやる気いっぱいの集会となりました。その中で、福島診療所建設委員会呼びかけ人の佐藤幸子さんが発言し、会場全体に大きな感銘を与えました。以下、紹介します。* * *
福島も実りの秋を迎えました。しかし気持ちは複雑です。
このお米を本当に子どもたちに食べさせていいのだろうかと。
全袋検査での検出限界値以下の表示は信用できるのだろうかと。
常に頭をよぎります。
子どもたちの甲状腺検査結果が発表されるたびに甲状腺がんの子どもが増えています。
それでも今は、放射能との因果関係を全面否定します。
しかし、否定できなくなったとき最後はこう言うでしょう。
「甲状腺がんで死ぬことはないから大丈夫だ」と言うに決まっています。
「日本は、もう少しましな国だと思っていたが、もう何も信じられない」と怒りを表している母親たちの声は無視され続けています。
2020年東京オリンピックが決まったとのニュースに、喜びの声を上げた人たちに聞きます。
「福島原発の汚染水は完全にコントロールされているのですか?
放射能はもう完全に空気中に出ていないのですか?
2020年までに大きな地震が来ないという保証があるのですか?
2020年までに福島原発を本当の意味で収束させることができるのですか?
答えは「NO!」です。
目先のオリンピックに浮かれて、福島の子どもたちの命をないがしろにすることは、許せません。
あなたの子どもが重病になっているとき、あなたはその子どもを看病せずに自宅に客を招くのですか?
治療費を出さずに、スポーツ用品を買うのですか?
国家も家庭も考え方は基本的に同じです。
自分の家庭のことと考えて見れば簡単なことです。「子どもの命を大切にせず、国家天下を語ることなかれ」です。
15歳の娘が言いました。「お母さん、オリンピックが決まったら、福島原発の収束作業が更に遅れることになるんじゃない?」。
これが福島県民の正直な気持ちです。
娘は今、福島を出て山形の全寮制の高校にいます。
原発事故がなかったら親友と同じ福島の高校に進学するはずでした。
自分の意思でなく、母親である私の指示に従い避難し、
私が一緒に住めるようになるまで兄妹2人だけの4カ月間の不安と悲しみは、
娘にとって心の傷になったに違いありません。
震災当時13歳だった娘が、震災後2年6カ月経って、ようやく結論を出しました。
「原発がどこにあるかさえ知らなかった自分の罪は、知っていた人と同じく、もしかしたらそれ以上の罪だと思う。自分は知らなかったということを許すことができない。今の自分が楽しければ、未来が真っ暗でもいいと思った自分を許すことができない。その罪を自分は背負って生きていく。その罪を償うことは、福島に戻って福島の復興のために働くのではなく、未来の自分の子ども、孫の命を守ること。そのために今の自分が健康でなくてはならない。そう決心しました。大好きだった自然農での自給自足の『やまなみ農場』を継ぐことが私の夢だった。それは今ではできない。でも、いつか必ず、どこかで『やまなみ農場』のような暮らしをする。それが自分の夢だ」と。
学園の中で、全校生の前で発表しました。
福島の子どもたち全員が、こうした心の葛藤を背負っかっとうています。
その事に大人としてきちんと向き合い、二度とこのようなことのないようにすることが、私たち大人の「罪」の償いです。
私は10月22日から30日までアメリカに行ってきました。
ヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されたとき、自分たちの祖先から「その時が来たら人類を救うために世界中にこのメッセージを伝えなさい」という「石版」に残されていた「ホピの予言」を国連に届けたことで有名なアリゾナ州に住むホピに行き、長老に会うことと、予言を確かめること、ホピ族の暮らしを見ることが目的でした。
そこで目にした光景、暮らし、予言の書かれている岩絵は、地球と人類の誕生から現代までの歴史を垣間見た気がしました。
どんなに過酷な条件の中でも、人は生きられることと同時にその過酷な暮らしを守り続けてきたホピでさえ、電気と水道と石油製品と自動車の前には、その暮らしぶりが一変してしまうのだということを感じました。
しかし、そのような中でも昔からの収穫物や獲物を、自然に感謝して部族みんなで分けるという行事を未だに続けていることに感激しました。
断崖絶壁の上に住んでいるホピ族の人たちを見たとき、「ここはふくしま共同診療所だ」と思いました。
360度見渡せるその大地の上で、命を守るために、どんなに不便でもそこで命をつないできた人たちを見たときに、福島の子どもたちを守る、そこが福島の診療所だと思いました。
この診療所をどうしても続けなければいけないと固く決意して帰ってきました。
人がこの世に生まれたからには、必ずやるべき使命があるはずです。
それは、人が生きていくために不可欠な自然を敬い恵みに感謝うやまめぐする心を忘れた時にその使命を見失います。
大地に足を付け大地と繋がっているつなことを思い出せば、その大地を汚染し続ける放射能を許すことはできないはずです。
それは、すなわち自分たち自身を汚染し、未来がなくなることを意味します。
国の宝は子どもたち、労働者、これまで働いてきた高齢者ではないですか。
その弱者を切り捨てるようなこの日本、絶対に変えなければいけません。
全国の労働者とともに闘って、その権利をかちとって、福島の原発にどんなに被害を受けても負けない福島の人たちと、来年3月11日メモリアルデーで再会しましょう。
原発事故で市民団体 甲状腺エコー検査
基金は千葉、埼玉、茨城三県の市民団体が「健康調査は国や自治体がやるべきだと訴えてきたが動きがない。もう待てない」と設立した。現在、三百の団体と個人が会員となり、ボランティアで運営する。
国は十月、原発事故を受けた「子ども・被災者支援法」の基本方針を閣議決定したが、福島県以外の健康調査は明記されていない。
検査は北海道がんセンター名誉院長で医師の西尾正道さん(66)が協力し、画像や検査結果をその場で手渡す。費用は一人千円程度のカンパで賄う。西尾さんは「全国どこでも検査できる体制を整える必要がある」と話す。
基金では、機器を購入して十月から検査を始めた。九日の検査は茨城県つくば市、ひたちなか市に続き三回目で、東葛地区の児童を中心に九十人が受診した。娘二人を連れた白井市の男性会社員(46)は「検査を受けること自体も緊張した。結果をじっくりと理解し受け止めたい」と話した。
基金呼び掛け人の一人、松戸市の木本さゆりさん(44)は「子どもの将来のために今のデータを残し、継続的に調べていく必要がある」と話し、来年から月一回程度の検査実施を目標にしている。
問い合わせは基金事務局=電0297(48)4911=へ。 (三輪喜人)
東京新聞 2013年11月10日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/chiba/20131110/CK2013111002000137.html
STOP!「秘密保護法」11.21秘密法反対大集会
2013年11月21日(木曜日)
午後6時30分 開会
午後7時30分 国会請願デモ
会場:日比谷野外音楽堂
地下鉄「霞ヶ関」「日比谷」「内幸町」下車
千代田区日比谷公園1-5
■内容 主催者・国会議員・各界からのアピール
■主催 STOP!「秘密保護法」大集会実行委員会
<呼びかけ5団体>
●新聞労連 03‐5842‐2201 jnpwu@mxk.mesh.ne.jp
●平和フォーラム 03-5289-8222
●5・3憲法集会実行委員会(予定)(憲法会議 03-3261-9007/許すな!憲
法改悪・市民連絡会 03-3221-4668)
●秘密法に反対する学者・研究者連絡会 article21ys@tbp.t-com.ne.jp
●秘密法反対ネット(盗聴法に反対する市民連絡会 090-2669-4219/
日本国民救援会 03-5842-5842)
*ぜひプラカードなどアピールグッズをお持ちよりください。
集会チラシ案内頁
http://www.himituho.com/11-21大集会チラシ/
チラシのダウンロード
http://www.himituho.com/app/download/8570658979/1121tirasi.pdf?t=1383364503
「秘密」は秘密って ばかな話 作家・沢地久枝さん
2013年11月4日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013110402000126.html
機密を漏らした公務員らへの罰則を強める特定秘密保護法案に、強い懸念が広がっている。一九七二年の沖縄返還をめぐる日米密約を、著書で取り上げ たノンフィクション作家沢地久枝さん(83)は「この法律が成立したら、密約の当時よりもっとひどいことになる。憲法がどんなことを定めていても全部吹っ 飛ぶのではないか」と憂える。
「とんでもない法案だとあきれました。こんなに内容が分からない法案は初めて見た。具体的な部分で『政令で定める』と書いてある箇所がいくつも出てくる。政令は、政府がいくらでも出せるものです」
特定秘密とは、安全保障に著しい支障を与える恐れがあって特に秘匿する必要のある情報で、防衛相ら行政機関トップが指定する。「一般の人には、自分が特定 秘密に触れているのか分からない。文章を書く人が取材した後、これは特定秘密だと言われたらアウト。特定秘密の秘密とは何ですかと聞いても『それは秘密で す』なんて、こんなばかな話はない」
政府は今国会中の成立を目指しているが「戦争中の法律よりひどいのではないか。当時、軍事機密に触 れるようなことは一般の人も予測できた。今度の場合、想像ですが、何が特定秘密かはだいたい米政府との話し合いで決まるのではないか。今急いでいる理由 は、日米関係を特に軍事面で円滑にするため、日本はこうしますという約束を米国に見せようとしているんだと思いますね」
沖縄返還の日米 密約に迫った新聞記者が逮捕された外務省機密漏えい事件を、著書「密約」で取り上げ、密約の文書開示請求訴訟にも原告として加わった。「法案が成立すれば 警察国家のようになる。特定秘密の保護措置として警察庁長官はいろんなことができる。戦争中の日本人は『警察ににらまれたらまずい』と思いながら話してい た。そういう時代に戻る可能性が非常に大きい」
罰則で、公務員らが特定秘密を漏らすと最高十年の懲役に、漏らすよう働き掛けた場合も五 年以下の懲役となる。「公務員は恐ろしくて何も言わなくなるし、情報提供を受ける側も取材しにくくなる。おかしいと思うことを調べ、社会のためだと思って 発表しても、特定秘密を公にしたと認定されれば罪に問われるかもしれない。記者やライターがさらし者になり、公務員も被告になるのです。われわれがこれも 特定秘密かと用心深くなっていけば、この国の言論は窒息します。それが法案の狙いかと思います」
法案は、平和主義や国民主権、基本的人 権の尊重という憲法の基本原理に対する反動とも指摘する。「明らかな憲法違反です。米国の戦略の中で戦争に向かう約束をしても、秘密といえば分からない。 この法律が通った瞬間に日本は別の国になる。それほど悪い法律で、憲法を変えなくても何でもできる。憲法九条や九六条を変えると言えば反論できるが、特定 秘密の内容には反論できない」
安全保障に関する情報を守るのが目的としているが「安全保障自体がはっきりしたものでないから、どれがその情報か分からない。みんな特定秘密にしてしまえば国は答えなくていいし、憲法も無視できる。こんな法律のある国を、次の世代に渡せますか」。
× ×
さわち・ひさえ 三〇年東京生まれ。中央公論社を経て「妻たちの二・二六事件」でデビュー。「火はわが胸中にあり」で日本ノンフィクション賞。ミッドウェー海戦の克明な調査で菊池寛賞。
福島 増える不登校 転校強制なじめず
2013年11月5日 東京新聞:こちら特報部
http://www.tokyo-np.co.jp/article/tokuho/list/CK2013110502000140.html
福島第一原発事故は地元住民の生活を一変させた。子どもの多くは心の傷を負い、不登校として問題が表面化しているケースもある。事故直後、無理やり強いられた転校による引きこもり。2年半以上たっても避難生活の終わりが見えず、我慢の限界を超えて不登校になった子どもも目立ち始めている。(榊原崇仁)
◆遅い対応 「もう行政頼まない」
「学校に通っていないと『だらしない』って非難される。だけど、悪いのは原発でしょ。住み慣れた家も友達も奪われ、娘は突然転校させられたのだから。文句を言う人には『ふざけるな』と言いたい」
不登校になった中学2年の長女の母親(33)は怒りをあらわにする。
一家が暮らしていた町は現在、帰還困難区域に指定されている。事故直後は、栃木県内の親戚宅に身を寄せた。長女は環境の激変によるショックで、小学校に行けなくなり、引きこもるようになった。
福島に戻る方法を模索し、事故から約4カ月が過ぎた7月の終わり、原発から60キロほど離れた仮設住宅に入った。かつて暮らした町の住民の多くも入居してきた。
帰還のめどが立たない地域の学校の一部が、子どもたちの避難先で授業を再開していた。母親は、長女が顔なじみの子どもたちと再び学べることを期待したが、かつて自宅があった地域の小中学校は再開しなかった。
長女は仮設住宅のある地区の学校に通わざるをえなかった。「新しい学校の教室には知らない子ばかり。福島に戻っても状況は変わらなかった」。結局、長女はずっと心を閉ざし、引きこもりを続ける。
最近になって、町の教育委員会がようやく再開の検討を始めたが、「今さら何を」と冷めた保護者が少なくない。
母親の気持ちもそれに近い。長女のほかに2人の子どもがいる。2人は仮設近くにある小学校に通い、既になじんでいる。「2人はたくさん友達ができたから、『もう転校したくない』と言っている。今になって再開して、うまく運営できるのだろうか」と心配になる。
母親は仮設住宅の窮屈な生活も子どもたちにストレスを与えてきたと考えている。6畳2間と4畳半の広さは、一軒家の自宅と比べると相当に狭い。仮設では、ベニヤ板の壁の向こうから聞こえてくる隣家の話し声が気になってしまう。
原発事故の避難者らを援助する子ども・被災者支援法が議員立法で2012年6月に成立した時避難中の保護者は何らかの改善を期待した。しかし、対象地域を線引きする放射線量の基準策定が難航し、国は支援の基本方針を1年以上も決めずに放置した。先月、ようやく基本方針の閣議決定があったが、内容はスクールカウンセラーの配置などで、目新しい対策はほとんどなかった。
政府の態度からは、本気で子どもの支援をするつもりはないように受け取れる。母親は「行政には頼れないということですよね。待っている間に子どもは大きくなってしまう」。
◆親の不安 いら立ち伝染 生活立て直し不可欠
文部科学省の調査では、福島県内の小中学生のうち、不登校の日数が1年間に30日以上だった子どもの割合は、原発事故前まで減る傾向にあったが、2012年度は増加に転じた。
県教委は「原発事故との関連は今後分析する」と理由についての説明を避けるが、県教職員組合の菊池ゆかり女性部長は「教諭たちからは、被災した子どもの不登校がさらに多くなっていると聞いている」と語る。事故直後は避難先でなじめないことが不登校の主な理由だったが、最近は不登校を招く種が増えているという。
福島で心の相談に関わる東北福祉大の渡部純夫教授(臨床心理学)は「事故収束や除染の遅れから、先を見通せない親がいらだっている。家庭内で声を荒げたり、手を出したりしている」と説明する。心が落ち着くはずの家庭で、子どもたちは逆にストレスをため込んでいる。また、思春期を迎え、不満を募らせることもある。いつまでも元の生活に戻れない状況に納得できないようになると、心に変調を来してしまうという。
渡部教授は「徐々に我慢の限界に近づいている。高校生になると、不登校以外にも、飲酒や喫煙、学校の中退といった問題行動にも出てしまっている」と話す。
政府による避難指示がなかったが、原発事故の影響を恐れて自主的に県外に避難をしている家庭でも、不登校が問題になっている。
自主的に避難した人には国の支援がほとんどなく、両親がともに働きに出ることが多い。山形県米沢市教委の担当者は福島から避難した子どもの不登校の存在を認め、「忙しい両親にかまってもらえず、慣れない土地で不安ばかりを募らせている」と明かした。
自主避難の場合、父親が福島に残って働き、母親と子どもだけが県外に出るケースも目立つ。ここにも問題があるという。
母親は避難先で友人をつくれないと、夫がいないため誰にも相談をできない。ストレスをため込むと家庭に悪影響を与える。夫以外の男性を家に連れ込み、子どもがふさぎ込む例も報告されている。
そもそも、父親が普段一緒に生活しないことは、不登校になった子どもを支える上でマイナスだという。
福島県臨床心理士会東日本大震災対策プロジェクトの成井香苗代表は「母親と比べると父親の方が、一歩引いた視点で子どもを見つめられる。不登校のようなつらい状況を乗り越えるには、父親のような冷静なまなざしでアドバイスすることが必要だが、母親は甘やかすことが多い」と語る。
福島大の筒井雄二教授(実験心理学)は「専門家のカウンセリングは心の痛みを一時的に緩める対症療法にすぎない」と述べ、子どもの心を守るための処方箋をこう示す。
「不登校の原因は子ども本人というより、親の不安定な生活にある場合が多い。だからこそ、親が将来を見通せるように事故の収束や復興を急がなければならないし、経済的な不安を打ち消す対策も欠かせない。逆に言えば大人たちの生活を立て直さない限り、子どもたちの心の不調は完治しない」
[デスクメモ]
転校した時、なかなかなじめなかった。子どもの多くは遠慮も配慮もしない。その輪に後から参加するのは難しい。父親の転勤で、毎年のように転校した先輩は「子ども時代の友人はいない。故郷がない」と嘆く。大人の勝手で転校を強いるのは避けたい。ましてや原発事故のせいでなんて許されない。(文)