もう黙ってられない! 原発なくせ! ちばアクション

原発再稼働阻止!原発輸出絶対反対!福島の子ども達を守ろう! chiba20110507@mail.goo.ne.jp

福島の子どもたちを放射能から守ろう!12・1ティーチインちば

2012-11-29 12:10:38 | ちばアクションの活動

 

 

 

東洋経済より

健康相談を担当した柳沢裕子医師(千葉県の民間病院に勤務)は、
「郡山では、年間に一般人が許容される追加被曝線量の1ミリシーベルトをはるかに超える放射線が存在続けている。それにもかかわらず、放射能問題に終止符を打とうとしている郡山市の姿勢に疑念を感じた」(東洋経済)

 

 

 


ちばアクションNEWS  発行 11月25日号

2012-11-27 16:41:12 | ちばアクションの活動

PDF

23日午後7時のNHK福島ユーチュウブ
http://www.youtube.com/watch?v=D4zcep4PLSE&list=UU-hw2jpxi9MgDRRv7oVSqnA&index=3&feature=plcp

「放射線が健康に与える影響について市民が気軽に医師の診断を受けられる診療所が来月福島市に開院されることになり施設の見学会が開かれました。」

原発なくせちばアクション「避難プロジェクト@千葉」が、診療所に絵画が贈呈しました。

IAEAは福島に来るな!
12月14~15日福島現地へ!
●福島の女たち」の呼びかけ
 「原発いらない福島の女たち」から全国の、世界中の皆さんへ
 女たちはIAEA(国際原子力機関)と政府主催の「原子力安全に関する福島閣僚会議」
に抗議し、次のような非暴力アクションを全力で展開します。どうぞ、それぞれの地からつ
ながって下さい、共に行動に参加して下さい。
■女たちの主張 「私たちを抜きに、福島のことを決めるな!」「避難の権利を認めて!」「私
        たちは本当のことを知りたい!」
■行動予定
 ◎ 12 月14 日(金)午後 福島県庁申し入れ/オープニングデモ行進(福島市)
 ◎ 12 月15 日(土)午前~午後 郡山市・ビッグパレットふくしま(閣僚会議会場)包囲行動・
  歌・ダイイン・リレートーク・かんしょ踊り等/夜 フリーステージ&交流会(会場は
  郡山駅前・ビッグアイ)
 ◎ 12 月16 日(日)夜 フリーステージ&交流会(会場はビッグアイ)
◆行動の詳細は070-5549-6770(事務局)まで


「放射能は8日たてば消えます」福島第一原発作業員が実名告発!

2012-11-27 09:52:23 | 原発

福島第一原発作業員が実名告発!「私は高線量部隊にされるところだった」

福島第一原発作業員が実名告発!「私は高線量部隊にされるところだった」
林氏は現在40歳。「年をとっている分、若い世代より原発の恩恵を長く受けて育った。だから、収束作業は僕らの世代が行かないと」

東電は指導をしているというが、今も多重派遣、ピンハネが絶えない福島第一原発(1F[イチエフ])での作業。そんななか、自分の待遇を実名で訴える人物が現れた。林哲哉氏、長野県出身の40歳。彼が訴え出た内容とは? 福島第一原発で働きながら「週刊プレイボーイ」に連載を寄せるジャーナリスト・桐島瞬が直撃した。

***

桐島 林さんは、どうして1Fで働こうと思ったのですか。

 事故から時間がたつにつれて原発関係のニュースも少なくなっていくし、明らかにおかしいと思うような報道がたくさんあって。例えば、収束宣言がありましたが、そんなわけはないだろう、と。それで、自分の目で確かめてみようと思ったのがきっかけです。

桐島 働き始めたのは今年6月ですね。

 ネットに作業員の求人を出していたフルマークという会社(6次下請け)を通して4月から働く予定だったんですが、先方の都合で延び延びになっていて。6月に入り、ほかを探そうかと考えていた矢先に電話が来ました。確か、火曜か水曜に電話があって「今週中に来られるか」と言われました。

桐島 急ですね!

 仕事の内容は、汚染された道具の貸し借りの受け付けや汚染検査と言われました。すぐに住んでいた長野からいわき市へ行ったんです。6月8日でした。フルマーク(6次)の上の、RH工業(5次)の人が駅まで迎えに来てくれました。

桐島 (契約書のコピーを見て)給料に関しては書いてませんね。

 6月10日にRH工業(5次)と雇用契約を交わしたのですが、口頭で一日1万3000円と言われました。ただ、宿代が一日1660円かかると。それに食費もかかるから、一日働いたって1万円も残りません。あと、電離検診を受けてもらうのに約1万1000円くらいかかるんですけど、それも最初の給料から引かせてもらいますと説明がありました(*)。エッと思ったけど、もう長野から来てしまっていましたからね。

*9月18日、労働安全衛生法に違反すると、林氏は労働局へ告発。まもなく電離検診代は返金された

桐島 同じ時期に集まったのは何人でしたか。

 6人です。全国から来ていましたよ。宿代が引かれることに話が違うと怒って帰った人もいました。それに、フルマーク(6次)の担当者もおかしな人でした。

桐島 どんなところが変だったのですか。

 宿に集まった作業員は異なる3社に採用されたのですが、話しているうちに、そのすべての担当者が同一人物だったとわかりました。おまけに私は最初、中田という人が担当だったんですが、1Fへ行く直前に「中田は帰り、担当が岩下に代わりました」と言われたんです。ところが現地へ行ってみると、岩下氏から「あの中田ですが、実は自分です」と言われて、はぁ?っていう感じでした。しかも、以前メールで、「私は募集の担当もしながら昼間は原発で作業員として働いているから、日中は電話に出られません」と言っていたにもかかわらず、どうも今回が初めての原発のようでした。

桐島 複数の会社と偽名を使って募集をかけていたんですね。それで、次に林さんが行かされたのは、RH工業(5次)の上の鈴志工業(3次)の事務所だったとか。

 はい。6月12日に鈴志(3次)の専務から社員経歴書が配られ、これからエイブル(1次)に行って経歴書を書くから、このとおりに書いてくれと言われました。でも、この社員経歴書に書かれている福島県の三ツ谷工業は知らない会社です。3月までここで働いていたことになっていますが、私は今年の5月以前に福島に来たことがない。同僚にも聞いてみると、それぞれ1個ぐらい知らない会社がある。

桐島 経験者に仕立て上げられたわけですね。エイブル(1次)ではどんな説明がありましたか。

 まず、「皆さんには今回、ご存じのとおり少し線量の高いところでの作業を行なってもらいます」と話がありました。「4号機建屋のそばにフランスのアレバ社の除染装置があって、その攪拌(かくはん)機を交換しなければならない。しかし地面は汚染水で汚れているので、遮蔽のために皆さんにはゴムマットを地面に敷いてもらいます」と。

桐島 作業内容は事前に聞いていましたか。

 いや、初耳でした。そのとき「不安があるようでしたら手を挙げてください」と言われたんですけど、直接の雇用主じゃなかったので言い出せず、誰も手を挙げる人はいませんでした。その後、エイブル(1次)の担当者から「たぶん1Fでは初めてのことですが、今回、皆さんのために酸素ボンベを用意してあります」と言われたんです。でも酸素ボンベって、明らかにおかしいでしょ。

桐島 酸素ボンベを使う現場なんて聞いたことがないです。つまり線量が極めて高いから、ボンベなしだと放射性物質を吸い込んじゃって危険だと。

 酸素ボンベを2本背中に背負った写真が示されたのですが、直に酸素を送り込むようになっている。いったいどんなところだよって思いました。しかも、後から来る人のためにゴムマットを遮蔽用に敷くってことは、どう考えても線量が高い。そんな場所での作業なら最初から言ってほしかった。私は交通費1万円くらいで長野から福島まで来られたけど、飛行機で3万円も4万円もかけて来ている人たちもいました。彼らにとっては酷です。 

■「放射能は8日たてば消えます」

 それから2日後の6月14日、元請けの東京エネシスで線量についての説明がありました。現場でのAPD(携帯型線量計)設定値は最大で9ミリシーベルトを考えていて、APDが3回鳴ったら交代してもらう。おそらく、5~10分程度で交代してもらうことになるだろう、と。

桐島 APDは設定値の5分の1刻みでアラームが鳴りますから、9ミリで設定していたら3回鳴った時点で5.4ミリ。5分で交代したら1分当たり1ミリですね。1時間いたら、法律で決まっている年間被曝上限の50ミリシーベルトを超える。とんでもない現場ですね。

 私もその場で計算したんですが、ほかの人たちは意味がわかってなかったんじゃないかな。1ミリだったら大丈夫じゃないかという反応でした。

桐島 元請けの東京エネシスの年間被曝上限は16ミリです。一日約5ミリなら、3日ほどで年間の被曝上限に達して原発で仕事ができなくなります。

 そうです。説明会が終わった後、RH工業(5次)に「自分は1年契約で原発で働くと契約を交わしているのに、3日程度でいっぱいになってしまう。その後どうするんですか」と聞いてみたんです。

桐島 なんと言われました?

 被曝した線量は8日たてばなくなるから大丈夫と言われました。累計で足していくもんじゃなくて、減っていくから増えないんだよって。

桐島 どういうことですか。

 毎日1ミリずつ浴びるとしますよね。初日に1ミリ、2日目で2ミリ。そうして8日目になると、初日の1ミリがゼロになっているから、次に1ミリ浴びても大丈夫だと。でも、それが本当なら7ミリ以上にならないじゃないですか。明らかにおかしいですよね。

桐島 確かに放射性ヨウ素131の半減期は約8日ですが、それ以外のセシウム137などの核種は残りますからね。林さんたちを騙そうとしたんでしょうか。

 いや、その人は本当に信じているように見えました。で、ある程度の線量を浴びたらもっと低いところへ行くから大丈夫、1年は仕事があるからと説明を受けました。だけど、年間被曝上限量を超えてしまったら、どう考えても働けない。その後の保証は何もないんです。大丈夫、大丈夫と言っているだけ。実際に、そのときの同僚で引き続き1Fで働いている人はひとりもいませんしね。

■「お得意さんに意見はするべきじゃない」

この直後にアレバ社製除染装置のある建屋内で水漏れ事故が起こって林氏らの作業は中止となり、幸運にも線量の低い現場に回されることになった。だが、林氏は1次下請けのエイブルの現場責任者と議論したことが原因で、作業を開始したその日にクビになる。

***

桐島 エイブル(1次)の責任者に苦情を申し立てたそうですね。

 6月19日の初日の作業が終わって免震棟に上がるとエイブル(1次)の責任者がいたので、疑問に思ったことをその場で聞いたんです。例えば、同僚に原発で働くのが初めての20歳そこそこの地元のコらがいて、最初に内部被曝を測定したら2000カウントという高い数値だった(注・原発で働いてない人は通常1000カウント以下)。つまり、地元民というだけでそれだけ被曝している。その上、被曝の危険性なんてよく知らない彼らに線量の高い現場の作業をさせようとしている。

それでエイブル(1次)の責任者にどう思いますかと振ってみたんですね。すると彼は、「本人は了解の上で来ている。あなたがいやだったら来なくていい」と。もちろんそうなんですが、「もしあなたの子だったら1Fで作業をさせますか」と返したら、「絶対にさせない」と言われて。それでちょっとしたやりとりがあったんです。

そしたら、その日の帰りに電話があって、同僚全員、鈴志工業(3次)に来てくれと言われました。

桐島 エイブル(1次)から電話がいったのですね。

 事務所に行くと鈴志工業(3次)の社長やTSC(4次)の人がそろっていて、「お得意さん(エイブル)に意見するべきじゃない」と言われて。最終的に、「エイブルさんから『林さんは来させるな』っていうことらしいんで、今回はこれで帰ってね」と言われました。

桐島 その場でクビですか。

 クビとは言われませんでしたが、もうこれ以上の作業はいいですよって。口調はそんなに激しくなくて、諭すようなトーンでした。それで、22日にホールボディカウンターの検査を受けて帰りました。

■事実確認に行ったら2時間もの恫喝!

林氏は解雇された後、いったん長野へ帰る。だが、彼の頭の中には、どうして高線量の現場で自分が働かされることになったのかを知りたいという思いが渦巻いていた。何重にも連なる下請け企業。そのどこまでが作業内容を把握していたのかを調べるため、彼は再び福島へ向かう。そこでまた理不尽な出来事に遭遇する。

***

 何次請けまでが高線量作業を知っていたのか。フルマーク(6次)もRH工業(5次)も知らないようだった。TSC(4次)は所在も何も知らされてない。それで、鈴志工業(3次)の社長に聞けばわかるんじゃないかと思い、鈴志の事務所に行きました。

桐島 社長には会えましたか。

 事務所に社長がいなったので、連絡をつけてもらうと、「社長は会う必要はないと言っています」と言われた。するとすぐにRH工業(5次)の社長から自分の携帯に電話があって、「そういうことはするな」と言われました。でも、そのまま帰るつもりもなかったので、さらに上の会社に行くことにしました。鈴志(3次)の上はテイクワン(2次)ですが、ここも所在地がわからないので、さらに上のエイブル(1次)に行きました。

桐島 順々に上がっていったわけですね。

 エイブル(1次)の事務所へ行き、テイクワン(2次)の連絡先を教えてほしいと頼んだのですが、教えてくれない。何か証拠になるものはないかと思い、「それでは自分の労働者名簿のコピーをください」と言ったら、1時間ぐらい待たされて。そしたらRH工業(5次)の社長が車で来て、鈴志(3次)の社長が会うから一緒に来いと。

桐島 手を焼いたエイブル(1次)からRH工業(5次)に連絡がいったんだ。それで慌てて迎えに来た。

 鈴志(3次)の事務所に着くと、鈴志の社長、専務、TSC(4次)の人など6、7人に囲まれ、怒鳴られました。「あんた、なんなんだ」「いったい何がしたいんだ」「おまえは左翼か」「営業妨害がしたいのか」。約2時間、ほぼ怒鳴られっ放し。会話にはならないですね。「ですから、自分は何次請けまでが高線量だと知っていたか聞きたいんですよ」と言おうとしても話を遮られて、「『ですから』ってなんだ」って言われる(笑)。本当に会話ができなくて、あー、もうこれはダメだ、と思いました。挙句の果てに、「おまえじゃ話が通じない」と、私の実家へ電話し始めたんです。

桐島 えっ、親にですか!? 

 電話に出た母親に「おたくの息子さんが福島に来て問題を起こしているんで、説得してくれないか」と。電話が終わると鈴志の社長が「もう二度と、関わった会社へ私は訪問しませんという内容の書類を作るから、それにサインして帰れ」って言うんです。拒否したら、また親に電話ですよ。「おたくの息子さんはサインしないから、お母さん、福島まで来てサインしてください」と。

桐島 長野から来いと。

 母は、「一応うちの息子もいい大人なんで任せてます」と答えたようです。その後、鈴志の社長らは、私のことを訴えるっていう相談を始めてました。「これ訴えられるよな」「ああ」というやりとりがありました。

***

缶詰め状態からようやく解放され、らちが明かないと思った林氏は、知り合いに相談し、個人で加入できる労働組合の派遣ユニオンを紹介される。派遣ユニオンは東電と下請けを合わせた8社を相手に団体交渉要求を開始する。RH工業のみ団交に応じ、交渉は現在も継続中だ。同時に、林氏はそれまでのやりとりを撮影した動画をネット上に公開【https://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=B121taGznWM】し、反響を呼んだ。

***

桐島 作業員の労働環境について思うところはありますか。

 作業員を東電が直接雇えばいいんです。もしくは国策なんだから作業員を公務員化する。それが無理なら、せめて元請けがちゃんと雇用して面倒を見てあげる。横並びになれば、多少は報われると思います。

桐島 そうすれば給料のピンハネもされないし、労働条件は守られますね。原発自体はどう考えていますか。

 半減期まで何万年もかかるような核のゴミを処理できないのなら、原発を使うべきではない。それから、田舎で人のいない所に造って、そこにお金で縛りつけて、原発がなければ町が立ち行かなくなる状況に追い込むシステムが一番気に入らない。事故が起きたら作業員の犠牲は必ず必要になるということもはっきり実感しました。そんなシステムはやっぱり間違っていると思います。

***

林氏から聞き取りを行なった後、取材班は事実確認をすべく東京エネシス以下7社にコンタクトを取ろうと動いた。ところが、ある会社は電話で林氏の名前が出ただけで取材拒否、別の会社は弁護士事務所を通してやはり取材拒否のFAXを送ってきた。何度も電話し留守番電話を残しているのに、いまだ話さえできていない会社もある。もし読者の中に1Fで働くことを検討している人がいたら、どうか慎重に下調べを行なってほしい。これがすべてとは言わないが、林氏が受けたようなとんでもない待遇は今後も起こり得るのだ。

(取材・文/桐島瞬)


【大緊急署名】>福島原発事故による避難者の住宅支援新規受付を打ち切らないで!

2012-11-22 15:46:58 | 主張

「避難の権利」ブログより

【大緊急署名】>福島原発事故による避難者の住宅支援新規受付を打ち切らないで!

報道の通り福島県は12月28日で借り上げ住宅の新規申込打ち切りをするとしています。
この制度は、原発事故により避難を強いられた方々の生活にとってたいへん重要なものです。まだまだ多くの方々が避難を考えられています。
福島県は避難者の数が減ってきたことをあげていますが、県外での借り上げ住宅の新規受け付けは今年1~4月では毎月約500世帯1200人、6月でも141世帯328人の申し込みがあるといいます。
私たちの調査でも、福島の空間線量や土壌汚染の状況は決して楽観できるものではありません。

住宅支援打ち切りの話しは昨年も出ました。このときは、福島県内外からの多くの市民の抗議の声が福島県のもとに寄せられ、福島県は断念を余儀なくされました。

ぜひ、また市民の力で、避難者の住宅支援制度打ち切りを阻止しましょう!

署名にご協力ください。

☆紙の署名は下記から☆
https://dl.dropbox.com/u/23151586/121121_shomei_hinan_jutaku.pdf
☆オンライン署名は下記から☆
個人署名フォーム1⇒ https://fs222.formasp.jp/k282/form1/
個人署名フォーム2⇒ https://pro.form-mailer.jp/fms/6fd4c23135853
団体賛同⇒ https://pro.form-mailer.jp/fms/87992e8335813
一次締め切り:11月21日(水)朝10時
二次締め切り:11月26日(月)18時
三次締め切り:12月5日(水)朝10時

また、ぜひ、下記の厚生労働省、福島県に電話&ファックスして、みなさまご自身の声を届けてください。
「原発事故の方々の借り上げ住宅支援の新規受付打ち切りに抗議します」「まだ避難を考えられている方々がいます。避難に門戸をとざすべきではありません」などとお伝えください。

厚生労働省社会援護局災害救助・救援対策室
TEL: 03-5253-1111(内線2817) / 03-3595-2614(直通) 
FAX: 03-3503-3099

福島県生活環境部避難者支援課
TEL: 024-521-8046
FAX: 024-523-4260

避難者の方々、これから避難したいという方々の苦境を見捨ててはなりません。
市民の声で、支援打ち切りを撤回させましょう。

要請書は下記のとおりです。ぜひご協力をお願いいたします。
----------------------------------
2012年11月  日
福島県知事 佐藤雄平 様
厚生労働大臣 三井 辨雄 様
復興大臣 平野 達男 様

今なすべきことは、避難者支援の拡充です。
福島原発事故による避難者の住宅支援を打ち切らないで!

私たちは福島原発事故の被災者およびその支援を行う市民グループです。

福島県は、11月5日、福島県外の借上げ住宅(注1)について新規受付を12月28日で終了することを発表しました。これにより、12月28日以降に政府指示の避難区域外からの避難を行う方は、借上げ住宅制度による支援を受けることができなくなります。

借り上げ住宅制度は、福島原発事故により避難を強いられた方々の生活にとって重要なものです。

どうか、これを打ち切らないでください。
いま福島県・国がなすべきは、被災者支援の縮小ではありません。
支援の拡充です。

現在でも、多くの地域において、空間線量は公衆の追加被ばく限度である年間1mSvを上回っています。市民団体が福島市内で行った土壌汚染調査では、町中の水路や民家の庭で、放射性セシウム10万Bq/kgを超える深刻な汚染が報告されています(注2)。

福島市が5月に行った意識調査の結果によれば、8割以上の市民が外部被ばくや内部被ばくの影響について「大いに不安」「やや不安」としており、全体の3分の1、乳幼児や小学生のいる世帯の半分以上が「できれば避難したい」と回答しています。

本年6月21日に成立した「原発事故子ども・被災者支援法」は、一定の放射線量を上回る地域からの避難について自己決定を行うことができるよう支援することを基本理念として定め、避難先における住宅の確保に関する施策を講じるとしています。同法に基づく支援の開始までは時間がかかることが見込まれる中、区域外避難者への切れ目のない支援を実現するためにも、借上げ住宅の受付は当面の間継続されるべきです。

福島県は、新規受付終了の理由として、県外への避難者が減少傾向にあることを挙げています。しかし、私たちは新規避難者が減少傾向にあるのは避難者に対する支援が不十分であるからと考えます(注3)。また、避難者が減少したことは、避難者の新規支援を打ち切ることの理由にならないと考えています。

よって私たちは下記を要請します。

災害救助法による、借り上げ住宅制度の支援を継続して下さい。
原発事故被災者支援法に基づき、被災者支援を確実に実施して下さい。

なお、私たちは、福島県が福島県内でより放射線量の低い地域に避難した避難者について、福島県が借上げ住宅による支援の対象としたことは評価し、歓迎します。厚生労働省は、県内区域外避難者への借上げ住宅支援についても、国庫負担の対象とするべきです。

注1)災害救助法に基づく借上げ住宅制度は、受入先都道府県が民間賃貸住宅を借り上げ、被災地からの避難者に対して提供し、その費用を福島県に求償し、最終的に最大9割を国費で負担する仕組み。

注2)福島老朽原発を考える会、FoE Japanが2012年10月14日に実施した調査によれば、福島市渡利の水路で515,000Bq/kg、民家庭の土115,000Bq/kg、同苔489,000Bq/kgのセシウム汚染を観測した。
「依然として高濃度汚染が続く渡利・大波」
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-d3fa.html

注3)11月5日付け毎日新聞によれば、県外での借り上げ住宅の新規受け付けは今年1~4月
では毎月約500世帯1200人、6月でも141世帯328人の申し込みがあるという。
「福島県住宅支援:県外分の新規借り上げ、廃止へ 」
http://mainichi.jp/select/news/20121106k0000m040092000c.html

参考)
日弁連会長声明
http://www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/2012/121114_2.html

本署名は、「原発事故子ども被災者支援法市民会議」の構成メンバーが中心になって呼びかけを行っております。
http://shiminkaigi.jimdo.com/

子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク、福島の子どもたちを守る法律家ネットワーク、国際環境NGO FoE Japan、 福島老朽原発を考える会、ハーメルン・プロジェクト、グリーンピース・ジャパン、子どもたちを放射能から守る全国ネットワーク、福島避難母子の会in関東、東日本大震災市民支援ネットワーク・札幌むすびば、任意団体Peach Heart、ピースボート、市民放射能測定所 CRMS、311受入全国協議会、福島原発震災情報連絡センター、富士の麓のうつくし村、ヒューマンライツ・ナウ、子どものための平和と環境アドボカシー(PEACH) 、安全安心アクションin郡山(3a郡山)、子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク、みちのく会、福島避難者子ども健康相談会、つながろう!放射能から避難したママネット@東京、つながろう!放射能から避難したママネット@埼玉、ハイロアクション福島 、福島乳幼児妊産婦ニーズ対応プロジェクト

※本署名の問い合わせ先/署名集約先:
国際環境NGO FoE Japan
tel: 03-6907-7217(平日10:00~18:00) fax: 03-6907-7219
〒171-0014東京都豊島区池袋3-30-22-203 
finance@foejapan.org


人間になるために (ジュネーブ報告記) ふくしま集団疎開裁判 弁護団 柳原敏夫

2012-11-18 19:43:21 | フクシマの怒り

しかし、いったい日本の医師たちのどの団体から、これと同様の避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
「教え子を再び戦場に送るな」から戦後をスタートにした日本の教師たちと教育者たちのいったいどの団体から、同様の、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
これまで、憲法9条を守れと叫ぶ平和主義者や文化人たちのいったいどの団体から、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
この異常極まりない事態はいったい何に由来するのか。
それは、いま、日本が再び、ある種の戦争状態に突入したからで、日本全体が見えない戒厳令状態にあり、多くの専門家、知識人、文化人たちが、「命を守る」のではなく「祖国防衛」(経済復興)の側に回ってしまったからにほかならない。


以下 ふくしま集団疎開裁判HPより転載


ジュネーブ報告記 人間になるために(弁護団 柳原敏夫)
以下は、10月28日~11月1日、ジュネーブの国連人権理事会に、福島の惨状を伝えに行った疎開裁判の弁護団の柳原敏夫の報告

   ***************************

人間になるために
(ジュネーブ報告記)
ふくしま集団疎開裁判 弁護団 柳原敏夫

世界中の皆さんへ
私達を守ってください。助けてください。
子どもの健康を守ってください
これ以上、放射能被ばくをさせないで下さい
日本政府がやらない移住を助けて下さい
世界の常識で我々を救って下さい
私達を直接調査して下さい、本当の姿を見るために
子供達は我慢の限界です
                 井戸川克隆 双葉町長

1、はじめに
なぜ国連に行ったのか。3.11以来、福島の人々、とりわけ子どもたちは前代未聞の危険な状態に置かれ、なおかつ愚劣極まりない非人間的な扱いを受け、このままでは奴隷か生きる屍(しかばね)と変わらない存在に貶められてしまうから。そこから抜け出し、人間となるために。


今回、スイス・ジュネーブの国連人権理事会に福島の惨状を訴えることを決めたものの、双葉町長の井戸川さんと共に行くメンバーが最後まで決まらなかった。「あなたが行くべきだ」という妻の声に背中を押されて私が行くことになった。パスポートのなかった井戸川さんが途中で迷子になったり、誘拐されないためにもボディーガードが必要だった。
5日外泊したのは親父の介護以来初めてのことで、家族のおかげで彼の命はつながった。帰国して、彼を「ベンジャミン・バトン」のラストシーンのように、2度目の育児を30年ぶりにするような気持ちで、命に対する感情に襲われながら接することができる気がした。
1917年、新潟県佐渡島に生まれた今年95歳の親父は、戦前、生来の人柄と大陸での生活のおかげでお人好しの極限形態みたいだったのが終戦前夜の1ヶ月余りで突然変異を起こし人格が豹変した。それまで特に何も考えない極楽トンボが、1ヶ月で、誰が何と言うとぜったい撤回しない不動の確信を持った反戦平和主義者に変貌してしまった。それまで、満州鉄道の下っ端職員とはいえ、植民地生活の特権の端くれを享受していた彼は、終戦前夜に至っても、大本営発表をうのみにして避難もしなかったふつうの市民だった。しかし、8月9日、ソ連参戦の報と同時に現地招集されて事態が一変した。ろくな装備もないズサンな軍隊としてソ連兵と向かい合う羽目となり、偶然にも命を落とさず終戦1週間後に武装解除を迎えたが、今度はソ連兵に捕まってシベリア抑留になるまいと、ドブネズミのように満州平野を逃げ回る羽目となった。昼間は草原に身を隠し、夜間に行動して、1ヶ月後に中国撫順市に辿り着いた。彼は自分が奇跡的に生き延びたことを、この1ヶ月の体験で知った、そこで見た、未だ語ることもできない、満州開拓民の家族たちの命が無惨に奪われていく光景と共にまざまざと知った。さらに、彼は次の真実を知った――自分は、戦争推進者たちが逃げのびるための「盾(たて)」として召集され、ソ連兵との戦闘の最前線に立たされたのだ。自分はただの兵士ではないのだ、いけにえにされたのだ!
おそらくこのとき、彼はそれまでの自分の無知を恥じ、「無知の涙」を流した。それまで行儀よくしつけられ、学校で社会で大本営発表をうのみにする羊のようにマインドコントロールされた自分のタガが外れて、満州の荒野でドブネズミになってみて、初めて見えてきたものがあった。このとき彼は人間になったのだ。それが、戦争と平和に対する彼のその後の態度を決した。彼は終生この認識を手放そうとしなかった。

今回、スイス・ジュネーブの国連に行くときに思い出されたのがこのことだった。つまり、福島に生まれた人たちもこれと同じ目に遭っているのではないのか。

3.11の原発事故は、私にとって自分があと百年どころか、千年生き永らえたとしても二度と体験できないと思えた未曾有の事故だった。しかし、当時、この認識を回りの人々と共有することは困難だった。というのは、この惨害は原発周辺以外は目に見えず、臭いもせず、痛みも感じない、要するに私たちの日常感覚に頼る限りぜったい理解できないものだから。ひとたび日常感覚に頼ってしまったら、3.11以後の光景も3.11以前と何も変わらない、つまり事故はなかったも同然に見えるから。

しかし、たとえ放射能の異常を日常感覚で理解することが困難でも、日常感覚で理解可能な異常事態が1つだけあった――政府・原子力ムラ・御用学者・御用マスコミの対応ぶりである。それまで羊のように大人しく飼いなされていた私たち市民もさすがに「福島県の学校の安全基準を20倍にアップする」「健康に直ちに影響はない」「国の定めた基準値以下だから心配ない」‥‥に天と地がひっくり返る位思い切り翻弄された。天と地がひっくり返る極限形態が戦争である。普段なら殺人という凶悪犯罪が戦争では英雄行為と賛美される。普段なら不登校、辞職といった離脱(逃走)行為が戦争では死刑に処せられる重大犯罪とされる。この意味で、3.11以後、私たちは戦争状態にある、福島原発から放出された大量の放射性物質から発射される放射線の絶え間のない攻撃という意味での核戦争の中に。

ふくしま集団疎開裁判が起こされた郡山市に何度か通ううちに、郡山市が事実上戒厳令状態にあることを知った。ここに住む以上、人々は、正直に、思ったままのことを言うことはできない。
それは福島県の殆どの市町村も同様である。
のみならず、日本全体も、事実上、戒厳令状態にあることが判明した。世界では、いま、福島の子どもたちの救済を求める様々な声が上げられている。ノーベル平和賞を受賞した医師の国際的団体「核戦争防止国際医師会議」は、昨年と本年の8月に、くり返し、以下のように述べ、年間1ミリシーベルトを超える地域に住む子どもたちの避難の必要性を表明した。
「国際的に最善といえる水準の放射線防護策を実施するには、いっそうの避難が必要です。私たちはそれ以外に方法はないと考えます。」(11.8.23原文)
「一般公衆の医療行為以外での付加的な被ばくの許容線量は、すべての放射性核種に対する外部被ばくと内部被ばくの両方を含めて、合計年間1ミリシーベルトに戻されるべきです。これは特に子どもと妊婦にとって重要であり、一刻も早く実施されるべきです。」(11.8.23原文)
「子どもや子どもを出産できる年齢の女性の場合には1ミリシーベルトを超えることが予想されるときには、彼らが移住を選択する場合に健康ケア、住居、雇用、教育支援および補償が公正かつ一貫した形で受けられるようにしなければならない。」(12.8.29原文)
しかし、いったい日本の医師たちのどの団体から、これと同様の避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
「教え子を再び戦場に送るな」から戦後をスタートにした日本の教師たちと教育者たちのいったいどの団体から、同様の、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
これまで、憲法9条を守れと叫ぶ平和主義者や文化人たちのいったいどの団体から、子どもたちの避難の必要性を表明した声明がなされただろうか。
山本太郎さんはいつも言う--なんで、疎開裁判なんて起こさなければいけなかったのか。おかしいじゃないか。裁判なんかするまでもなく、子どもを救うために、国も大人も率先して動くのが当然じゃないか。なんで動かないのか。
この異常極まりない事態はいったい何に由来するのか。
それは、いま、日本が再び、ある種の戦争状態に突入したからで、日本全体が見えない戒厳令状態にあり、多くの専門家、知識人、文化人たちが、「命を守る」のではなく「祖国防衛」(経済復興)の側に回ってしまったからにほかならない。

であれば、戒厳令のない場所で、福島の惨状を訴えよう。これを試みない理由はない。それ以後、この認識を共有できる人をひそかに求めていた。そこで出会ったのが双葉町長の井戸川さんだった。10月30日の本番2週間前、それまで一度しか会ったことのない私に、彼は「ジュネーブに行きたい」と言い出した。福島の惨状、福島の真実を世界に伝えるという伝道者としての決意がそれを言わせたのだ。それは冒頭に紹介した彼の原稿に現れていた。

これまでに何度も述べた通り(8.24官邸前スピーチ「なぜ福島の子ども達の集団疎開は検討すらされないのか」など)、日本政府くらいチェルノブイリ事故から学び尽くした者はいない。彼らのSPEEDIの情報隠しも、避難地域拡大防止のためにソ連政府が行なった情報隠しから学んだ成果の実行にすぎない。
チェルノブイリ事故でソ連政府がタブーにした最大のものが2つあって、その1つが子どもたちの被ばくデータである(「ネットワークでつくる放射能汚染地図」のプロデューサー七沢潔「原発事故を問う――チェルノブイリからもんじゅへ」137頁)。日本政府もソ連政府の忠実な教え子として、子どもたちの集団避難をタブーと決めた。
なぜ、そのような決断をしたのか――ベトナム戦争の米軍による枯葉剤散布で最も深刻な被害が出たのは子どもだったように、長期にわたる低線量被ばくによる最大の被害は子どもに出るから。子どもたちの被ばくに関するデータが明らかになると、原発事故で子どもたちがどれほど深刻な、どれほど悲惨な被害を受けるか、これが人々の前に明らかになる(チュルノブイリ事故で多重先天障害を負った子どもたちの写真参照)。なおかつ、深刻な被ばくから子どもたちを救うために集団避難を実施するとどれくらい大規模なプロジェクトになるか、これも人々の前に明らかになる。その結果、誰もが、二度と、決して、原発事故はあってはならないと、深く確信するようになる。そして、二度とこのような悲惨な事故を起こさないために、二度と、決して、原発は稼動してはならない、廃炉にするしかないと、深く確信するようになる。多くの人々がこの不動の確信を持つに至ること、それをソ連政府も日本政府も最も怖れた。だから、必死になって子どもたちの被ばくデータを隠すことを決めた。
真実は――ふくしまの子どもたちは、原発推進者たちが今後とも原発推進をやり続けるために、「原発事故が起きてもたいしたことはない、問題ない。」と言い続けるための「盾(たて)」として使われたのだ。子どもたちは福島県立医大のただの患者ではない、原発推進者たちの最大の犠牲者、否、彼らが生きのびるためのいけにえにされたのだ!

これ以上考えられないほど理不尽極まりない不正義に対して、はっきりノー!という声を上げる者がいるぞを世界に示すのが今回のスイス・ジュネーブの国連行きの目的だった。
だが、国連はIAEAのような国際原子力ムラの牙城ではないのか?しかし、我々が行ったのは国連の人権理事会である。それは人類普遍の原理である人権を鏡として問題を明らかにする場である。
人権を定めた憲法の基本書(例えば宮沢俊義「憲法Ⅱ」(法律学全集))を一度でも手にしたことがある人なら、もともと近代憲法の出現が世界史の奇跡であることを知るはずである。なぜなら、それまでの法律は我々市民に対し「~してはならない」と命じるものであったのに対し、近代憲法において初めて、市民ではなく、国家に対し、お前は「~してはならない」と命じ、しかも、我々市民の生命・自由・人権を奪ってはならないと命じたからである。このとき天と地がひっくり返ったのである。それは世界史の奇跡と呼ぶほかない(国家主義者たちはこの事実を隠そう、隠そうと必死だが)。
その近代憲法が定めた人権の本質が「抵抗権」である。それは「個人の尊厳から出発する限り、どうしても抵抗権を認めない訳にはいかない。抵抗権を認めないことは、国家権力に対する絶対的服従を求めることであり、奴隷の人民を作ろうとすること」(宮沢俊義「憲法Ⅱ」173頁)だからである。
しかし「抵抗権」とはさかのぼれば、生命そのものを鏡にして得られた理念である。なぜなら、自然界では生命体も含めてすべての物理現象に押し寄せるエントロピー増大の法則が存在するが、生命とは、この「無秩序に向かうエントロピー増大の法則にたえず抵抗して、生命体の秩序を維持するあり方」(福岡伸一氏が命名した「動的平衡」〔生物と無生物のあいだ〕164頁~)のことであり、この意味で抵抗とは生命そのものの営みである。私たちの「生きたい!」という渇望と行動が「抵抗」そのものなのである。「生きたい!」という渇望・行動が止まない限り、「抵抗」が止むこともない。逆に「抵抗」をやめたとき、それは生きる屍である。生きる屍はなく、生きた人間となるために抵抗が不可欠なのである。「命を守る」私たちの取組みこそ人権理事会で取り上げる議題として最もふさわしい。

18世紀に世界史の奇跡として出現した近代憲法(ヴァージニア憲法3条やフランス人権宣言など、これらは改めて声に出して読みあげる価値がある)は、人類普遍の原理として300年後の「命を守る」私たちの取組みに尽きることのない勇気と激励を鼓舞してくれる。その人権宣言を詩(うた)にしたのが、同じ18世紀の詩人ウィリアム・ブレイクである。彼の預言詩『ミルトン』(Milton)の序もまた世界史の奇跡のように、私たちに無限の勇気と激励を与えてくれる。以下はその21世紀版である。

And did those feet in ancient time,
Walk upon Fukushimas mountains green:
And was the holy Lamb of God,
On Fukushima pleasant pastures seen!

古代 あの足が
ふくしまの山の草地を歩いたというのか
神の聖なる子羊が
ふくしまの心地よい牧草地にいたなどと

And did the Countenance Divine,
Shine forth upon our clouded hills?
And was Jerusalem builded here,
Among these dark Satanic Mills?

神々しい顔が
雲に覆われた丘の上で輝き
ここに エルサレムが 建っていたというのか
こんな闇のサタンの工場のあいだに

Bring me my Bow of burning gold:
Bring me my Arrows of desire:
Bring me my Spear: O clouds unfold!
Bring me my Chariot of fire!

ぼくに燃える黄金の弓を
希望の矢を
槍を  ああ 立ちこめる雲よ 消えろ
ぼくに炎の戦車を 

I will not cease from Mental Fight,
Nor shall my Sword sleep in my hand,

精神の闘いから ぼくは一歩も退かない
この手のなかでぼくの剣を決して眠らせておかない

Till we have built Jerusalem,
In Japanese green and pleasant Land.

心地よいみどりのニホンの大地に
エルサレムを打ち建てる日まで

(12.11.15 柳原敏夫)
   



福島のこども 直ちに2次検査必要、甲状腺がんの疑い 初めて1人判定

2012-11-18 11:18:55 | 放射能汚染

今日の河北新報2012年11月18日日曜日

甲状腺がんの疑い 福島県直ちに2次検査、初めて1人判定

 東京電力福島第1原発事故による放射線の影響を調べるため、福島県が18歳以下の約36万人を対象に行っている甲状腺検査の1次検査で、がんの疑いがあり「直ちに2次検査が必要」と初めて判定された子どもが1人いることが17日、関係者への取材で分かった。
 18日に開かれる「県民健康管理調査」検討委員会で報告される。
 調査を進めている福島県立医大は「チェルノブイリ原発事故でも甲状腺がんの発見に最短で4年かかった」として、放射線との因果関係は低いとみているが、血液や細胞を調べ、がんかどうか判断する。
 1次検査による判定は、しこりの大きさなどを基に、軽い方から「A」「B」「C」があり、今回の1人は「C判定」。
 9月の検討委では、緊急性は低いが念のため2次検査が必要という「B判定」だった1人が、甲状腺がんと判明したと報告された。だが、がんの状態から「震災以前に発症していた疑いがある」として、原発事故の放射線との因果関係を否定している。
 県立医大は「県内全ての子どもの検査という前例のない調査なので、早期発見の子は少なからず出る。放射線との関係を丁寧に調べていく」としている。

この間の検査では「C判定」は0だった

 

 

「事故無関係」危うい即断 チェルノブイリ翌年から増加
医師の菅谷松本市長が警鐘


「このデータをまさか日本で必要とするとは思わなかった」そう語りつつ、
菅谷市長はベラルーシ国立甲状腺がんセンターから入手した
小児がん患者数(15歳未満)の推移のデータを示した。

2102092912

チェルノブイリ(ウクライナ)は国境近くにあり、ベラルーシは深刻な汚染にさらされた。
同センターは急増した小児甲状腺がんの治療などのため、90年に創立された。
菅谷市長は甲状腺がん専門医として96年から5年半、同センターの活動に携わった。

菅谷市長が注目するのは、ベラルーシの場合、
86年には2例だった小児甲状腺がんが、翌年には新たに4例、
88年には5例、89年には7例と増加している点だ。

今回の福島県での結果(検査対象は18歳以下)について、
検査を担当する県立医大の鈴木眞一教授
チェルノブイリ事故でも、甲状腺がんが見つかったのは最短4年」と説明したが、
同市長は
事故後、早い時期に甲状腺がんが発症する可能性は否定できない。
現段階では『わからない』としか言えないはずだ
」と即断をいさめる。

菅谷市長が入手した同センターの資料によると、
86年~97年の小児甲状腺がんの患者570人のうち、
半数以上の385人にリンパ節転移が見られ、
16.5%に当たる94人が肺に転移していた。

甲状腺がんは進行も遅く早期に治療すれば完治するとされている。
ただ、菅谷市長は
「ベラルーシでは、転移していたケースが非常に多い。
将来にわたって、注意深く経過を追わなければならない」と指摘する。

診察よりも調査を優先している検査体制にも疑問を投げかける。
「しこりがあると言われたら、親は心配するに決まっている。
でも、同じしこりでも水のたまったのう胞はがんにはならない。
心配なのは肉のかたまりである結節。
一人一人への丁寧な説明を怠ってはならない」

県側は一定の大きさのしこりが見つかり、二次検査した子どもたちについては
「個別の経過観察をする」とし、
他の子どもたちは2年に一回検査するとしている。

だが、菅谷市長は
「心配な保護者には、むしろ他の機関でも調べることを勧めるべきだ。
データをまとめるには県立医大に送るよう指導すればよい。保護者の不安解消が大切だ」と語る。

ちなみにベラルーシの子供らの甲状腺がん検査は半年に一回。
同市長は
「子どもが甲状腺がんになった場合、何年も治療や検査を続けねばならない家族の苦しみは深い。
現地の往診で、そんな姿を見てきた。
チェルノブイリの先例に真摯に学ぶべきだ」と話した。


 

以下も参照↓

 

甲状腺がん1人確認 福島医大「放射線の影響ない」
福島民報 (2012/09/12 10:57)

都民の甲状腺エコー検査と血液検査Add Star

 先日、都内のある病院で、うちの子どもたちの「甲状腺エコー検査」と「血液検査」を行いました。


そこで、甲状腺検査が今年5月以降保険適応外になっている説明をうけて驚きました。
厚生労働省「過剰診療」と理由を付けて、東京での甲状腺エコー検査を保険適用外にしました。

甲状腺エコー検査では、大きいもので1.2ミリ~1.8ミリの嚢胞が見られましたが、問題は無い範囲と医師に言われました。

血液検査では、気になる点がありました。

ひとりは、好中球が基準値より大きく下回り、リンパ球も若干下回りました。 
もうひとりは、好中球が基準値より若干下回り、好酸球の値が590まで上昇しています。

医師の話によると現在、好酸球が多く好中球が少ない子がとても多く、問題を感じているそうです。
年齢が10才以下の子ども、そして年齢が低いほど変化が多くみられるようです。


◎好酸球について、この病院の検査では、昨年の12月頃までは「200」ぐらいの値の子どもが多かったが、その後数値が徐々に上がってきていて、最近では「500」ぐらいの値の子が多くなってきた。

◎好中球の数値が下がってきている。以前は検査した子どもの95%が基準値に収まっていたが、最近は25%~30%しか基準値に収まらなくなっている。


普通の小児科医で診察してもらうと、基準値外とはいえ微妙な数値なので「問題ない」で済まされるかもしれませんが、基準値外の割合を見ると、異常に感じてしまいます。

どのぐらいの人数の子どものデータかは確認しませんでしたが、今回の検査を今年7月に予約した時に最短で11月と言われました。
現在は来年の4月まで予約が埋まっている状況ですので、そのことからも多くの子どもたちの受診データと思われます。

放射能健康被害を心配して受診される子どもの家庭では、飲食にも気を使っている方が多い。
原因について、医師は、吸っている東京の空気に疑いを持っていました。

2011年3月15日、東京都民は呼吸だけで3600ベクレル内部被ばくをしています。
その後も、降下した放射性同位体の舞い上がりを吸入し被ばくを重ねています。

東京電力福島第一原子力発電所事故に係る大気浮遊塵中放射性物質の調査報告http://www.metro.tokyo.jp/INET/CHOUSA/2011/12/60lcq100.htm

東京の話です。

 

未公表データが存在 放射線量が急上昇

11月17日 19時13分 NHK
未公表データが存在 放射線量が急上昇
 

去年3月の原発事故で放射性物質がどのように放出したかを調べるのに重要な原発周辺の放射線量について、公表されていないデータが存在することが分かりました。東京電力は未公表の理由について「調査中」としていますが、この中には、事故から5日後の去年3月16日午前に一時的に急上昇しているデータもあり、専門家は「原発で何かが起きた可能性を示しており、詳しく調べる必要がある」と指摘しています。
           

福島第一原発の事故で放出された放射性物質については、東京電力がことし5月に最新の解析結果を公表し、去年3月15日に2号機から翌16日には3号機から、大量に放出されたとしていますが、具体的な放出経路などは明らかになっていません。
この未解明の謎に迫ろうと、NHKが原発周辺で観測された放射線量について改めて調べたところ、第一原発から南に12キロにある第二原発の値に不自然な点があり、問い合わせた結果、未公表のデータの存在が分かりました。
東京電力によりますと、未公表は去年3月15日午前から4月3日にかけてのデータで、このうち確認できたとして東京電力が明らかにした3月16日のデータを見ると、午前9時40分ごろ、それまで1時間当たり20マイクロシーベルト前後で推移していた放射線量が突然80マイクロシーベルトに跳ね上がり、10分後には87.7マイクロシーベルトまで上昇していました。
線量が上昇する1時間余り前の午前8時半ごろに、3号機の建屋から白煙が大量に噴き出ているのが確認されていて、放射性物質の放出との関連が疑われていますが、何が起きたのか詳しいことは分かっていません。
これについて、事故のあと、原発周辺の放射線量などを調べている東京大学の門信一郎准教授は「事故から1年8か月がたつのに、いまだに未公表があるのは分析を行ってきた立場として大変残念だ。今回のように大きく値が変化するデータは、福島第一原発で何かが起きた可能性を示しており、3号機の白煙との関連を含め、詳しく調べる必要がある」と指摘しています。
東京電力は「なぜ公表されていないのか調査中だ。確認ができしだい公表を検討したい」と話しています。




この大事件が、日本にあったことを!!多くの方に広め、伝えてください (広瀬隆さんのメール)

2012-11-12 12:45:38 | ニュース
 
 みなさん、昨夜の国会大包囲デモ参加、そして全国のデモ参加、本当にありがとうございました。
 ありがとう、ありがとう。東京では寒い雨の夜、信じられないほどトテツモナイたくさんの人が集まってくださいました。デモ参加者は、鉄柵に囲まれた厳重な警戒の中、動物園の檻に閉じ込められたようになっていましたが、上空には一機だけ、希望を積んだヘリコプターが飛んでいました。ヘリの音がわれわれを励ましてくれました。そこに向かって、われわれは下から傘を振り、ペンライトで応えました。雨のため、ヘリからは見えなかったと思いますが、心は一本に通じていました。みなさんのお金が飛ばしたヘリコプターです。みなさんの熱意のおかげです。そして、行動力のおかげです。
 山本太郎さん、広河隆一さんをはじめとして、ヘリ空撮スタッフのみなさん、あの悪天候の中、よく伝えてくださいました。ありがとう、ありがとう。
 夜になって、広河さんから電話があり、「よくみんなが運動をつないでくれた。うれしかった。うれしかった」と連絡があった時、胸が一杯になりました。
 全国のみなさまに、心からの感謝を申し上げます。
 
 スタッフの綿井健陽さんから、下記の連絡がありました。この報道は、見事なものです。ぜひご覧ください。今日は、新聞休刊日ですので、多くの方に広め、伝えてください。
この大事件が、日本にあったことを!!
 
  昨日は雨の中、何とか飛行・撮影できました。
上空では雨と雷に加えて、かなり雲と靄(もや)があって視界が厳しかったのですが、
ギリギリのところで撮影できました。
映像と写真は以下をご覧ください。
 

放射線量測定器のゴマカシ!「一割の誤差があっても、健康を心配する必要ない」だと!

2012-11-09 13:47:51 | フクシマの怒り

高村昇とは、以下の記事参照

汚染度を隠されていた飯舘村 安全を主張する講演も開催されていた

日刊SPA 2011.11.14 ニュース

飯舘村に大量の放射性物質が降り積もったのは3月15日。福島第一原発で3度目の爆発があった日だ。このとき、飯舘村や福島市など、原発北西部に向かって汚染が急激に広がった。

「政府はその時点で飯舘がひどく汚染されているとわかっていました。
でも、飯舘の住民に避難を求めると発表したのはそれから約1か月後の4月11日。
それまで、その事実を隠していた(細野豪志首相補佐官は「国民がパニックになることを懸念した」
と説明)どころか、
高村昇さんという長崎大学の教授が来て
『現在の数値は安全です。マスクをしなくても、子供を外で遊ばせても問題ありません』と講演
をしていきました。
偉い先生が言うんだから安全だ、避難しなくても大丈夫だ、と村民は思ってしまったのです。
あの講演は一体何だったのでしょうか」


さいたま市と同じ線量 ウクライナで健康な子どもは6%

2012-11-09 13:23:45 | 放射能汚染

(日刊ゲンダイ2012/11/8)

 
健康な子どもは6%――。昨年4月にウクライナ政府が発表した衝撃の事実。被曝(ひばく)者から生まれた子どものうち、健康なのは、チェルノブイリ事故から6年後の92年で22%だった。それが08年には6%に激減。一方で、慢性疾患のある子どもが20%から、78%に急増したという。
 
 恐ろしい結果だが、他人事ではない。ウクライナの放射能汚染レベルは、さいたま市と同じなのだ。
 9月24日~10月4日にかけてウクライナで現地調査を行ったNPO法人「食品と暮らしの安全基金」代表の小若順一氏がこう言う。
「3地域の学校を調査したところ、一番線量の低かったコバリン村学校は0.03~0.1マイクロシーベルト。さいたま市と同じ水準なのです。残りの2つ、ピシャニッツァ村学校は0.09、モジャリ村学校は0.12でした」
 小若氏らが子どもたちの調査を進めると、新たな問題も発覚したという。コバリン村学校の生徒の7割が足の痛み、2割が頭痛を訴えた。ピシャニッツァ村学校では足の痛みが6割、頭痛は5割に。モジャリ村学校では7割が足の痛みを、8割が頭痛があると答えている。小若氏は、「これらの健康障害は、食品摂取による内部被曝しか考えられない」と言う。

食品の検査で、モジャリ村のキノコは1キロあたり200~400ベクレルでした。
ウクライナの田舎では、森でキノコやベリー類をとって食べる。
キノコは肉の代わりとして使われ、食事の5%を占めるのです。
どれぐらいで健康被害を起こしているのか調べると、彼らは平均して10ベクレルの食品を摂取していた。
10ベクレルは日本の基準の10分の1。
訪れた地域の線量はうちの事務室とだいたい同じでしたが、その地域でとれたライ麦を検査に出したら昨年の埼玉の小麦より低い線量でした。さいたま市でとれる食物が、どのくらい汚染しているか分かりませんが、汚染度が高い地域ほど危ないのは間違いない。
政府は責任を持って調査すべきです」

 放射線量が落ち着いているからといっても安心はできない。放っておけば、子どもたちは内部被曝でジワジワとやられてしまう。国は真剣に対策を急ぐべきだ。
 
http://sankei.jp.msn.com/life/news/121108/trd12110814250012-n1.htm 
引用:
チェルノブイリ原発事故の収束作業などに関わって低線量の放射線を浴びた作業員約11万人を20年間にわたって追跡調査した結果、血液がんの一種である白血病の発症リスクが高まることを確かめたと、米国立がん研究所や米カリフォルニア大サンフランシスコ校の研究チームが米専門誌に8日発表した。

 実際の発症者の多くは進行が緩やかな慢性リンパ性白血病だったが、中には急性白血病の人もいた。調査対象者の被曝(ひばく)線量は積算で100ミリシーベルト未満の人がほとんど。高い放射線量で急性白血病のリスクが高まることは知られていたが、低線量による影響が無視できないことを示した形だ。

 チームは1986年に起きたチェルノブイリ事故で作業した約11万人の健康状態を2006年まで追跡調査。137人が白血病になり、うち79人が慢性リンパ性白血病だった。チームは白血病の発症は16%が被曝による影響と考えられると結論付けた。(共同)
:引用終了


11万人の内、137人から白血病が見つかったということは、約100人に1人は白血病を発症したということになります。日本の白血病統計を見てみると、2009年で年間10万人当り6.3人が白血病を発症しています。
今回発表されたチェルノブイリ事故の調査結果と比較してみると、発症率に20倍以上の差があるのが分かります。

リンク

小出裕章 (京大) 非公式まとめ