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デジカメを持って歩こう.

個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(15)①南木曽<三留野宿>-<妻籠宿>

2017-10-17 23:59:59 | 中山道

2017年10月17日~18日  中山道歩き15回目は木曽路・三留野宿から美濃路・中津川宿まで2日かけ約40Km歩きます。今回はフルメンバー9名の参加、街道歩き初めて。

 【1日目】    
南木曽駅へ12時半に到着。たくさんの外国人が南木曽駅に降り、何だろうと訝る。駅前で昼食、店の人に何故外国人がたくさん降りるのか聞くと外国人に人気の宿がありそのためだという。ネットで調べたら宿の事しかり、そして妻籠宿と馬篭宿 間をトレッキングするのが人気だとか。 
南木曽駅裏になる旧中山道に戻る途中、福沢諭吉の娘婿養子・桃介が発電所建設用に造った木造の吊り橋、桃介橋を見る。木製の吊り橋は珍しく木曽の橋という風情を覘かせる。  <三留野宿>はここ南木曽駅まで来てしまうと間もなく終り妻籠宿になる。 
妻籠峠手前の一里塚で雨上がりに濡れしっとりと黒光りする石畳道を歩く。 峠にある<妻籠城跡>に寄り道し、妻籠の北の入口になる鯉岩に来るとすぐに<妻籠宿>である。 
江戸時代の宿場はこうであったろう町並みが息づく。地元の住民が組織し「売らない、貸さない、壊さない」の信条に基づきこの町並みが保存、復元されたという。 外国人も含め大勢の観光客で賑っている。妻籠を抜け大妻籠という場所の宿に泊まる。妻籠から結構離れていて、夜の妻籠宿を散策しようと思ったが無理であった。今回は短めの歩数1万6千歩、7.9Kmの歩きである。

次のルート:⑯中津川宿~大鍬宿         前のルート:⑭上松宿~三留野宿

           

<三留野宿> …  広重/木曾海道六拾九次之内・三渡野  白梅、紅梅の花が開く春の訪れとともに野良仕事が始まり、子供連れの女房は岡持ちを頭に乗せ農夫の所へ行く。旅人はのどかな畑が広がる畦道で一休み中。木曾谷の春の訪れを告げる。昔も今も三留野は梅で知られる。

三留野は東山道時代からの古い宿駅で、その昔木曽氏一系の館があり、それを御殿(みとの)といったことからこの宿場の名前が生まれた。 現在、本陣に枝垂れ梅の名木が、円空が逗留した寺には円空仏が残るが、度々の火災で昔の面影を見出すことは難しい。

 

南木曽駅                       桃介橋…福沢諭吉の娘婿養子桃介が発電所建設用に建造

            

桃介橋…福沢諭吉の次女ふさと結婚、養子となった桃介が読書発電所の資材運搬路用に建造

    

園原先生碑                    銘酒「諸白」醸造元の近く保存D51                   巴御前:袖振りの松      かぶと観音水舟

                             

上久保の一里塚手前の石畳

 

<妻籠宿> …  広重/木曾海道六拾九次之内・妻籠    広重の描いた「妻籠」の図は、妻籠峠を描いたものであろう。峠独特の七折八折の道を旅人が行き交う様子を取材している。妻籠城跡の鞍部を中山道が通り、茶色で主郭空堀と右上の妻の神土塁を表現する。街道にほどこされた緑の隈や横線は、その地面の凹凸の状を表わしたものである。そして天秤を担いだ人足、大きな荷を背負ったお遍路。杖をついた旅人。皆一様に膝を曲げた姿ではあるが、その角度の違いで年齢的な違いまで描写している。こうした描写が生きたのも、広重の色面構成による作画法がきいているからだといえる。

 明治以降に宿の機能を失うと衰退の一途をたどり、離村者も相次いだ。  昭和51年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、町並み保存運動の先駆けとともに、木曽路ブームの推進役となる。 現在は、出梁(だしばり)造り・竪繁格子(たてしげごうし)・卯建(うだつ)のある昔ながらの町並みが保存され、終日観光客でにぎわう。 

  

上久保の一里塚          良寛歌碑                                 妻籠城址             主郭

                

妻籠宿はずれ                鯉岩…濃尾地震で頭部が落ちた 江戸絵        妻籠宿入口:水車前

                      

鯉岩:中山道三銘石の一つ

妻籠宿 北の入口:水車小屋前、向かいに復元・高札場跡がある

                                      奥谷脇本陣跡・歴史資料館 

            

島崎本陣跡・復元(本陣は島崎藤村の母の生家):南木曽町博物館

            

                                                                           常夜灯で右の石段を下る

                

(左端)下嵯峨屋・復元:妻籠の典型的民家 

                

下嵯峨屋・復元

 

                

 大妻籠入口                                  宿                  具材は殆んど宿の自給自足です

                

大妻籠入口:金剛屋

   【2日目】  に続く   …… 


・中山道を歩く(14)②<須原宿>-<野尻宿>-<三留野宿>南木曽

2017-08-30 22:36:54 | 中山道

【2日目】  
秋めき、爽やかに眠れた朝、民宿から木曽川を渡り返し中山道<須原宿>へ戻る。   須原宿は道沿いに用水路があり所々大木の丸太をくりぬき、そこに水をたたえる<水舟>があり飲めるということ、宿場の風情を高める。宿の中央にある水舟は後ろに「須原宿」の碑と子規の歌が刻まれた立派なものだが新しく、少し先にある屋根がかかった古い感じの水舟の方が好ましい。   中山道を少し離れ京側の枡形道の先にある定勝寺に寄る。木曽三大寺の中でも最古刹で桃山時代の山門、本堂、庫裡が国重文ということで荘厳さと格式がある。朝の穏やかな斜めの光線に庭の緑とサルスベルの紅色が映え美しい。 <須原宿>と<野尻宿>の境あたりの伊奈川は浮世絵に激流が描かれているがそれ程でもなく穏やかな流れである。    このあたりから中山道は木曽川を離れ、山の方へ向かっている。このルートは木曽川が極端に蛇行したため基部が切れて短絡し、旧河道が馬蹄形に残り平野となった部分を利用したものとのこと。   再度木曽川の流れに沿って歩く様になり「南寝覚」の景観、そして断崖絶壁に桟道を造り、木曽の桟より難所だったという「羅天」を過ぎる。 現在はトラックがびゅんびゅん走る日向の車道脇道、難所のかけらはみじんもなく只暑いだけ。 車道を離れると間もなく<三留野宿>に入り今回の終着、南木曽駅である 。 歩数3万1千歩、15.3Kmの歩き。

次のルート:⑮三留野宿~中津川宿         前のルート:⑬奈良井宿~上松宿

民宿前の歴史民俗資料館   街道歩き出発      朝霧の木曽川を渡り返す

      

 

須原宿              木村本陣跡        西尾脇本陣跡

      

水舟 … サワラの木をくり抜いた

            

屋根が付いた素朴な水舟                                  旧旅篭…三都講、御嶽講の看板がかかる

            

定勝寺 … 山門        朝の光線に映える庭が美しい                             庫裡

            

庫裡内部 

            

 

   

JRを渡る       木曽川越しの須原水力発電所 

    

     

<野尻宿> … 無款(英泉)/木曾路駅・野尻 伊奈川橋遠景  『木曾路名所図会』に、「三富野の東よりここを過ぎて上松にいたる。水流奔騰して、其声雷窪の如し。大雨の時、水漲りて畏るべし」と紹介されている木曾川に負けない迫力を示す伊奈川の流れが描かれ、また『木曾路名所図会』に「十六間」と記されている伊奈川橋が、両岸からやっと架け渡したような独特のカーブを示す刎掛橋として描かれている。山国独特、野尻付近の地形の特徴はよく表現されている 。激流の表現に葛飾北斎の影響が出ている。

宿内は屈曲と坂が多く、「野尻の七曲り」と呼ばれる。南に控える羅天(らてん)が木曽の桟以上の難所だったため、宿は栄えた。宿は拡大し、木曽では奈良井宿に次ぐ、810mの長い町並みをなす。

                              伊奈川上流:浮世絵の場所…伊奈川橋上から

       

                             天長院 … マリア地蔵がある

          

                木曽川を振り返る      台石が「イボ岩」                      野尻宿本陣跡

            

脇本陣跡碑

             

下在郷の一里塚跡碑                                    

            

<三留野宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・三渡野  三渡野宿と北の野尻宿の間は木曽川沿いの切り立った断崖を棚の様に設けられた桟の上を渡る木曽第一の難所だった。広重描く図は、そうした危険な道ではなく、めすらしく畑地や段丘がひらける三渡野宿のあたりを描いている。鳥居のたつ丘には白梅、紅梅の花が開き、木曾谷の春の訪れを告げている。 

 野尻宿と三留野宿の間は険しいV字谷で花崗岩地帯のため、蛇抜けと呼ばれる土石流がよく発生し、迂回路の与川道もあった。 …「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり・・・」(藤村『夜明け前』)…   現在は、度々の火災で家屋を焼失し、昔の面影を見出すことは難しい。

南寝覚:柿其(かきぞれ)峡入口

   

羅天 … 木曽路最大の難所                三留野宿           本陣跡           JR南木曽駅                         

            

=おわり=

 次のルート:⑮中津川宿~***宿         前のルート:⑬奈良井宿~上松宿


・中山道を歩く(14)①上松<上松宿>-<須原宿>

2017-08-30 22:30:57 | 中山道

2017年8月29日~30日  中山道歩き14回目は木曽路・上松宿から三留野宿まで2日かけ約41Km歩きます。今回も7名の参加者です。

【1日目】  
上松駅へ12時到着。<上松宿>木曽檜の検見をした上松材木役所跡碑を見、30分程歩き中山道をはずれ、木曽川畔の「寝覚の床」へ向かう。  手前にある蕎麦屋で昼食。  寝覚の床は山版浦島太郎伝説のある臨川寺の中を通らないと見に行けない。「寝覚の床」は花崗岩の溪谷を木曽川が浸食してできたもの。水の流れで自然の岩がこのような奇観になるのは素晴らしいものである。  川の下り登りでお腹がこなれた処で中山道に戻る。 暫らく行くと墓地の上に中央アルプスが見えてくる。木曽駒ヶ岳等が大きく雄大に見える。JRを潜り国道に出ると左手に小野の滝が現れる。水量が多く滝壺には虹がかかり爽やかな景観である。    <須原宿>に入ると宿場らしいしっとりした雰囲気になり、道の端に湧水を引いている場所が多く現れる。国道と木曽川を渡り対岸にある今日の宿に入る歩数2万6千歩、12.9Kmの歩きである。

次のルート:⑮三留野宿~中津川宿         前のルート:⑬奈良井宿~上松宿 

<上松宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・上ケ松  中山道の土橋から、旅人は珍しそうに滝を眺め、里人は見慣れた風景に何事もなく通り過ぎる。岩の上の祠、石置屋根の茶屋、土橋の上の旅人、石の岩山など葛飾北斎「諸国滝巡り・小野ノ瀑布」を踏襲している。

昔から木曽檜の集散地として栄えた宿場町。度々の火災で古い建物は殆んど焼失したが、十王橋に近い上町だけが類焼をまぬがれ、古い家並みが昔の面影を伝えている。

 

上松宿歩き始め     尾張藩上松材木役所跡     諏訪神社

            

寝覚の床入口の越前屋   右:茶屋本陣 たせや               寿命そば 越前屋(昼食) 

                                                       

臨川寺            浦島伝説のお寺

    

寝覚の床

        

 

         

中央アルプス   右方ピークが木曽駒ヶ岳

小野の滝

                        

萩原の一里塚跡    木曽川対岸の貯木場                  神明神社:夫婦大杉                           

                       

<須原宿> … 広重/木曾海道六捨九次之内・須原   広重描く須原の図は、突然の夕立にあわてて駕籠を傘がわりに駈け込む人足を前景に、遠景に馬上で俵をかぶる旅人や菰をかぶった男の姿、森影をシルエットで描いている。広重は、「東海道五拾十次」(保永堂板)の「庄野」ですばらしい夕立の情景を描いているが、本図もそれに劣らない図だといえる。 

江戸中期の水害後に計画的宿場町として高台に再建されたため、宿の両端に坂道があり、宿内の道幅は5間の広さを持つ、道に置かれた数か所の水舟には季節の花が添えられ、宿の温もりが伝わる。「水舟の里」として地域づくりに取り組む。 

            須原宿入口    須原の一里塚跡碑   幸田露伴の石碑    JR須原駅

         

    

須原宿の町並み                                               夕暮れの木曽川     夕食

            

  【2日目】  に続く   …… 


・中山道を歩く(13)②<宮ノ越宿>-<福島宿>-<上松宿>上松

2017-07-25 23:59:59 | 中山道

【2日目】  
木曽福島の宿、朝起きてみると昨夜から降り出した雨が小降りながらまだ続いている。電車までの時間、福島市内を散策しながら駅に向かう。   宮ノ越駅へ9時過ぎに到着、本降りの雨である。<宮ノ越宿> 駅の先にある「義仲館」・「徳音寺」を見学してから街道歩きスタート。木曽11宿で唯一残ったという本陣を見る頃には小雨になる。雨に黒く濡れた旅篭等、風情がある。 やがて中山道の中間点「中山道東西中間之碑」である。碑側面に「京へ 六十七里二十八町」「江戸へ 六十七里二十八町」と刻まれている。 ここからバックに木曽駒ヶ岳が見えるということだが今日は生憎の雨空で見えない。   今では中山道とは思えない川沿いに下った草道を歩き小さな川を鉄橋で渡ると<福島宿>地区に入る。手習天神を過ぎ国道沿いに歩くと間もなく「福島関所跡」である。  東門から入り西門へ抜ける。関所は礎石だけ残っている。地形的に傾斜の急な断崖に作られた関所という事が良くわかる。 宿中から左に道が曲がり「上の段(うえのだん)」に入ると宿の中でも最も江戸の風情を残している地区になる。雨に濡れた千本格子・袖卯建のある家が落ち着いた宿場の風情を色濃く漂わせる。    JR木曽福島駅に出て昼食。この間雨が強くなり豪雨の様な状態。ここで止めるという人も出てきたが出発する時になって小降りになり全員でスタート。      御嶽遥拝所までくると<上松宿>地区へ入る。有名な「木曽の桟」に到着するがどれが「桟」か分からず皆でなんだかんだ。 国道沿いに歩きJR上松駅に到着、今回の街道歩き終了。 歩数3万2千歩、16.2Km。 

今回の<宮ノ越宿>までの歩きで、中山道の真ん中、約266Km歩いたことになる。

次のルート:⑭上松宿~三留野宿         前のルート:⑫下諏訪宿~奈良井宿

≪木曽福島≫

島崎藤村:「夜明け前」原稿碑        木曽川          大手橋            七笑酒造         駅前坂から木曽川方面

                

JRで戻る

                     

≪宮ノ越宿≫  … 駅に着くと大雨で傘をさしての街道歩きスタート

義仲館…雨宿りを兼ね見学       義仲、巴御前像          徳音寺:

                

        

義仲の墓:母、巴御前 他3兄妹も並ぶ                                                   木曽川を渡り中山道へ

                             

 

宮ノ越本陣                 客殿(修復復元)                                         旧旅篭田中屋

                             

宮ノ越の一里塚

                     

中山道中間点…「京へ 六十七里二十八町」「江戸へ 六十七里二十八町」 

    

                    


                       木曽川支流を鉄橋で渡る                    手習天神…木曽義仲の手習目的に北野天満宮を

                

 <福島宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・福しま    右側の山はそそり立ち、左側の石垣の向うは木曾川の深い渓谷という地形を巧みに利用した関所のたたずまいを、化学系の緑の顔料を大胆に用いて表現している。 関所の冠木門を旅人が往来し、番所前では土下座して取り調べを受けている。西門から外は急坂に続くため、平坦なまま関所に通じるのは東門で、番所の位置とも一致する。左の石垣は関山の麓、右は木曽川に落ちる崖であるが、広重の創作で山麓として描いている。   関所の有様を描いた版画はこの図だけである。

 福島宿の手前に、広重も描いている木曾福島の関所がある。この関所の様子について有名なのは、島崎藤村の『夜明け前』の序文「鉄砲を改め、女を改めるほど旅行者を取締りの厳重にした時代に、これほど好い要害の地勢もないからである。この渓谷の最も深いところには木曾福島の関所も隠れていた」という文である。      またこの木曾福島の関所は、東海道の箱根、荒井(新居)、中山道の碓氷とともに四大関所の一つに数えられたという。  土地が狭いため崖屋造りがみられる。宿の南に隣接する上の段には袖卯建の町屋や土蔵がよく残る。

                                             出尻の一里塚                    経塚 芭蕉句碑

               

福島関所入口              関所跡…礎石が残る                     復元関所:資料館            

                

                        資料館入口          高瀬家資料館:島崎藤村小説のモデル

                    

≪上の段≫                                  復元高札場

                

塩淵の一里塚                                                   御嶽遥拝所:樹木に覆われ眺望なし

                             

中央線に沿って歩く                           沓掛の一里塚                                    

         

 <上松宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・上ケ松     広重描く「上ケ松」の図は、宿から近い、やや南にいった小野瀑布を描いている。この滝は高さ三丈(約九メートル)ほどで、垂直に木曾川に落ちると記録されている。広重の先輩葛飾北斎も、「諸国滝めぐり」の中で描いている。  滝壺から流出する小川に架かった土橋を中山道が通り、旅人2人が滝を興味深そうに眺めている。里人は見慣れた風景に一顧だにしていない。

尾張藩が管理する材木役所が置かれた上松は、秋田、青森と並ぶ日本三大美林の一つがあり、木曽五木の集散地として発展した。今も木曽最大の木材工場地区を擁し、「ひのきの里」と呼ばれる。度重なる火災からまぬがれた十王橋に近い上町(かみまち)にだけ、古い町並みが残る。

 

木曽の桟(かけはし)跡…場所わからず

                        磨崖銘文            下流側               木曽川の渓谷:上流側

                

「桟やいのちをからむつたかづら」…芭蕉

「かけはしやあぶない処に山つつじ」  「桟や水にととかず五月雨」…正岡子規

短歌「むかしたれ雲のゆききのあとつけてわたしてそめけん木曽のかけはし」…正岡子規

    

上松宿を見下ろす            宿入口           上松宿高札場跡・地蔵尊      上松宿・上町

                

上松一里塚碑                            JR上松駅

            

=おわり=

 次のルート:⑭上松宿~三留野宿         前のルート:⑫下諏訪宿~奈良井宿


・中山道を歩く(13)①奈良井<奈良井宿>-(鳥居峠)-<藪原宿>-<宮ノ越宿>

2017-07-25 22:54:03 | 中山道

2017年7月24日~25日  中山道歩き13回目は木曽路・奈良井宿から上松宿まで2日かけ約40Km歩きます。今回は街道歩きフルメンバーの予定が直前に2名減って7名の参加者です。

【1日目】  
奈良井駅へ11時過ぎに到着。3回目の来訪で見慣れた<奈良井宿>を歩き、宿 南はずれの蕎麦屋で昼食。 お腹の準備もできた処で街道歩きスタート。 太平洋に注ぐ木曽川、日本海に注ぐ奈良井川(信濃川)の分水嶺となる<鳥居井峠>を登る。登り口に石畳道が残るが基本的に山道である。峠を越えると栃ノ木の大木が群落している場所があり壮観。     やがて<藪原宿>が見えてくる。こちら、峠下り側にも石畳道が復元整備されている。 藪原神社は立派な社を持つきれいな神社。暫時休憩。  お六櫛の主生産地ということだが店は数軒しか見られない。   <宮ノ越宿>へ入ると巴御前とか木曽義仲の名前が多く現れる。今日はJR宮ノ越駅から木曽福島駅まで電車で移動し、木曽福島の宿に泊まる。歩数2万9千歩、14.8Kmの歩きである。

次のルート:⑭上松宿~三留野宿         前のルート:⑫下諏訪宿~奈良井宿

 

<奈良井宿> … 英泉/岐阻街道・奈良井宿 名産店之図  奈良井宿の西はずれ、鳥居峠の登り口で、お六櫛を製造販売する家を主題とする。谷の奥に見えるのは木曽駒ヶ岳である。板葺石置屋根の石が落ちそうに見えるが、実際は緩勾配である。

 街道筋には旅籠や茶屋が軒を連ね、裏通りは檜細工や漆器を製造する職人の町として栄えた奈良井宿。現在残つているのは天保8年の大火後の建築物だが、古い絵図を見ると基本的な町の構造がよく継承されていることがわかる。外観は保存して内部はアレンジ、自然な形で職住一体の暮らしが息づいている。南端に位置する鎮(しずめ)神社から散策すると、信州側には青々とした山並みが広がる。

 

奈良井駅スタート

                   

水場                                     本陣跡                  長泉寺:横から見る     枡形・鍵の手

                

中村邸:櫛問屋跡                                              昼食

                         

高札場                 宮の沢水場                 鎮神社                          奈良井宿を振り返る

                

鳥居峠へ:石畳道                                                 鳥居峠

                             

トチノキ群                                子産の栃~実を煎じて飲むと子宝に恵まれる

               

<藪原宿> … 英泉/木曾街道・藪原 鳥居峠硯ノ清水     奈良井と藪原の間には鳥居峠がそそり立つ。かなり大きい右の鳥居が峠の上に残っている。この頂上にはまた「雲雀よりうへにやすらふ峠かな」の芭蕉の句碑がある。  英泉の描く図で左隅に描かれているのがそれである。その前の松樹の下の泉は、木曾義仲が願文を書いたという硯清水だという。はるかにみえる山は、木曾御岳である。いこう旅人の後ろの、たき木を背負い、かるさんをはいた女たちは、小木曾女とこのあたりで呼ぶ女性たちだそうである。

お六櫛の産地として栄えた藪原は飛騨街道追分の宿    薮原宿は難所の鳥居峠を控えて多くの旅人が草鞋を脱いだ宿場町であり、野麦峠へと続く飛騨街道との分岐点でもあった。本陣跡や高札場跡の標識が立てられているものの、今は宿場町としての賑わいはない。しかし、街道筋には伝統の特産品であるお六櫛の看板を掲げる店や飛騨の工女たちが泊まった旅籠の建物があり、郷愁を誘う。    宿場の中心には櫛を祀る薮原神社がある。

峠先の御嶽神社:江戸から最初に御嶽山を見れる(石造鳥居や霊神碑・石像が40基林立)

        

丸山公園・鳥居峠の戦の古戦場:芭蕉句碑                 藪原宿を見下ろす      石畳道

 木曽の栃 うき世の人の土産かな          

                                     天降社:村内唯一の大モミジ    原町清水           尾州御鷹匠役所跡

                          

                          藪原神社

                             

湯川酒造               お六櫛屋           高札場跡                藪原一里塚碑         D51:かつて中央線を走る

                

<宮ノ越宿> … 広重/木曾海道六十九次之内・宮ノ越    「木曾街道六十九次」七十図中、「長久保」、「洗馬」とともに三役物とされるのが、この「宮ノ越」である。この図は、この一シリーズの名作というだけでなく、広重の代表作の一つとして紹介されている。
  広重描くこの図はどこを描いたものであろう。広重は、前景だけに描線を用い、中景、遠景を色面構成で描く画期的手法を用いて、山国独特の霧の深い様子を巧みに表現している。  橋を渡る家族を近景に、中景は輪郭線のないシルエットで霧を表現している。 川は木曽川、橋は引塚大橋(現葵橋)で遠景右は宮ノ越宿へ続く。

中山道中間点に最も近い宿。木曽山脈と木曽川が並行する縦谷のため、平野の少ない木曽では珍しく広い平野の中にある。木曽義仲を育み、史跡や伝承が多い。

宿入口:「巴が淵」…木曽義仲の愛妾・巴御前の名にちなむ

                

  

宮ノ越駅前                  駅                               木曽福島駅         夕食

                             

 【2日目】  に続く   …… 


・中山道を歩く(12)②<和田宿>-<下諏訪宿>

2017-06-05 23:59:59 | 中山道

【2日目】  
朝、気温3℃くらいまで下がり霜が降りているとのこと、しかし昼間は天気良く暑くなりそう。和田宿外にある民宿から前日PICUPの場所まで送ってもらい2日目の街道歩き開始。中山道最大の難場・長丁場、和田峠を越える。    当初計画より1時間手前の場所からのスタートになり下諏訪に何時頃到着になるか気にしながらの歩きとなる。  古中山道に残る唐沢の一里塚は立派、両塚が残り見ごたえがある。男女倉・峠口に30分強遅れで着く。  峠歩きはなだらかな土の山道で歩き易い。  車道ビーナスラインが合流する接待茶屋跡では湧水が美味しい。 暫らくはビーナスライインと着きず離れず歩き、車道の下を潜るパイプトンネルを抜ける。昔あった和田峠スキー場を左に見ると間もなく和田峠・古峠1599mへ着く。    峠からは乗鞍岳から中央アルプスが良く見える。残念ながら北アルプスは北側の山に隠れて見えない。     昼食後、諏訪側へ下る。和田側と異なり山道の急な下り坂となる。 それでも悪場はわずかで程なく国道にぶつかる。ここからは舗装道路歩きとなり足裏が痛い。<下諏訪宿>に入り、「木落とし坂」の御柱を見る。最大斜度35°、長さ100mの坂は迫力ありこの坂を御柱と一緒に下ったら怪我人でること必至。  諏訪大社春宮と万治の石仏をさっらと見、旦過の湯で汗を流し今回の街道歩き終了。1時間長く歩いたにも関わらず当初計画より30分早く下諏訪宿へ到着。  歩数4万歩、20km。

今回<下諏訪宿>まで歩き、通算で<日本橋>から<奈良井宿>まで繋がり中山道六九次の真ん中、三十四宿歩いたことになる。

 次のルート:⑪下諏訪宿~奈良井宿       前のルート:⑦軽井沢宿~望月宿 

曲水(芭蕉の門人)句碑        鍛冶足の一里塚跡                        和田宿と浅間(左)        牛宿跡

 … ここから出発

                

                         唐沢一里塚(古中山道) … 両塚ともほぼ原形をとどめる

                

              

男女倉口(おめぐらぐち)…和田峠口                  休み茶屋跡            三十三体観音         接待茶屋跡

                

                

野生の九輪草があちこちに、たくさん咲いている

    

    

近藤巡査殉職地碑         広原の一里塚…両塚を残すが塚木はない          ビーナスラインをパイプトンネルでくぐる

                     

古峠・和田峠 到着

                        

中央アルプス              御嶽山              乗鞍岳

            

            

 

御嶽山大権現碑                   和田峠 色々

                

下山開始                                牛頭天王              西餅屋の一里塚      異形 ヒトリシズカ

                             

水戸浪士の墓への道         浪人塚             橘屋茶屋跡

        

<下諏訪宿> …  広重/木曽海道六冶九次之内・下諏訪   広重は、この「木曾街道六拾九次」の旅で一服するかのように旅籠の内部を描いている。食事をする泊り客の中央後ろ婆は、広重自身だという説がある。

中山道で唯一温泉が湧く宿で、随所に温泉の湧出が見られる。北に和田峠、西に塩尻峠を控え、東からの甲州街道終着の宿であると共に、諏訪大社秋宮の鳥居前町としても賑わった。

道祖神…四本の御柱に囲まれる        木落とし坂

                

                      道祖神                             

        

諏訪大社下社春宮                    

                

万治の石仏                                                 御作田神社          旦過の湯

                

下諏訪宿本陣跡            甲州道中・中山道合流之地碑                下諏訪駅

            

=おわり=

次のルート:⑪下諏訪宿~奈良井宿       前のルート:⑦軽井沢宿~望月宿 


・中山道を歩く(12)①佐久平<望月宿>-<芦田宿>-<長久保宿>-<和田宿>

2017-06-04 13:18:11 | 中山道

2017年6月4日~5日 中山道歩き12回目は佐久・望月宿から和田峠を越え信州・下諏訪宿まで2日かけ約40Km歩きます。5月はお休み、2ケ月ぶりの中山道歩きです。参加者7名、中山道で最もきつい峠越えと長丁場の歩きに皆 気合いが入ります。

【1日目】  
佐久平駅からバスに乗り望月BTへ。8ケ月前の秋、1時間以上バス待ちをしたBTを思い返す。前回一部見た<望月宿>を歩き、谷合にある間の宿<茂田井宿>に入る。白壁の民家や杉玉の下がる造り酒屋があり昔を偲ばせ好ましくほんのりできる場所。    <芦田宿>へ向かう道から浅間山から黒斑・籠ノ登・湯の丸山が澄んだ空にクッキリと見える。芦田宿は昔の面影のあるものはあまりなく、交流館で軽く軽食を摂ってから笠取峠へ向かう。   なだらな上り坂に松並木が日陰を提供していて歩き易い。一里塚はあったが峠はあまり目立たず気が付かずうちに通り過ぎる。 国道脇の林間道を歩き<長久保宿>へ。   竪町、横町という名のL字型の町並みとなっていて短い距離だが本陣も残っている。 国道脇で昼食。広重の浮世絵に描かれた和田宿へ折れる橋でメンバー一人が分かれ宿に先行。    我々は暫らく開けた谷あいの国道沿いを歩きやがて<和田宿>に入る。振り返るとクッキリと晴れた青空に浅間山の噴煙がはっきりと見え珍しい。 宿本体部分は江戸末期に「皇女和宮」宿泊のため宿場復興され、風情が残る旅篭・民家や本陣跡が残っている。   宿中央部分で民宿バスが迎えに来、本日の街道歩き終了。 歩数3万4千歩、17Km。

 

<望月宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・望月  八幡から望月の間に瓜生峠があり、『木曾路名所図会』に、「金山坂上下十三丁」と記されている。広重の図は、その瓜生峠の上りを描いたものである。街道脇に巨大な松並木が続き、行き交う人々に明るく照らす月光もとどかないようだ。それと対照的に遠くの山や森林は明るく月光を反射している。      広重といえは、雪の景、雨の景、そして月の景に彼独特の画趣をもった作が多い。本図も佳作の一つに数えられているが、実際には一間半ぐらいしかない街道を、構図上から幅の広い道のように描いている。

8月の満月(望月)の日に合わせて、名馬を京都へ納めたことから望月と呼ばれ、中世には謡曲『』望月でも知られた。  本陣に資料館が建ち脇本陣や旅篭が残り、古風な旅館が営業する。周辺には石仏や双体道祖神が多く佇み、安曇野と双璧をなす。

 

新幹線車窓 …妙義山         浅間山と榛名山                      バスから望月宿入口

                         

            

望月宿               大和屋・重文                 大伴神社                       鹿曲川長坂橋方面  

                

                     間の宿・茂田井宿 … 白壁の造り酒屋が多く古の風情を残し好ましく気持ちの良い集落

                     

造り酒屋                                 若山牧水歌碑 …しらたまの歯にしみとほる秋の夜の 酒はしづかに飲むべかりけり(三首あり)         

                  

大澤酒造

                

右から…浅間山・黒斑山・籠ノ登山・三方ケ峰・湯の丸山・烏帽子岳

            

<芦田宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・あし田   中山道このあたりは立科山の尾根すそを行くことになる。起伏に富んだ地形で、望月からも青木坂という坂があったりする。芦田の宿は、『木曾路名所図会』に、「望月まで一里八丁、芦田何某が城跡あり。此駅に眼薬売る」と記されているが、慶長七年(一六〇二)中山道の伝馬の駄賃が定められる五年前、すでに町割りの計面が始められていたという。そして本陣兼問屋、脇本陣兼問屋などといった大家が多かったという。      この芦田を出て、笠取峠に向かう上り坂あたりのアカマツの並木は美しく、天然記念物に指定されている.広重描く図は、この笠取峠を取材したものである。そして起伏の激しい峠道を大胆なカーブで描き、化学系色料の緑で彩ったモダンさが、若い人々に歓迎される。そしてこのカーブと対照的遠山描写が調和して、感銘深い図となっている.

 芦田城の城下町古町から住民が移り住んで宿が誕生し、昔は「あした」と清音で呼んでいた。本陣、旅篭、牛宿などが残る。笠取峠の東側に小諸藩が753本のアカマツを植え、今も中山道一の松並木を誇り、東海道御油松並木と双璧をなす。

 

                       山浦脇本陣跡          土屋本陣                            旅篭津ちや

                

男女双体道祖神                          笠取峠・常夜灯

                             

                                                           笠取峠一里塚

                 

<長久保宿> … 広重/木曽海道六拾九次之内・長久保  西から来た者は、はじめて浅間の噴煙をのぞむ笠取峠を下ると、長久保の宿である。ここは南に和田宿を経て和田峠をひかえ、追分から腰越を経て、中山道より善光寺道に抜ける要衝の地でもあり、旅籠屋も数多かったという。そして旅籠屋の建物はこの地方特有の出梁(だしばり)造りで、屋根は図にもみえるように石をのせた「長板茸」であった。屋根を茸く茅が採れない木曾谷では栗の長板を用い、五月頃はげしく吹く季節風をふせぐために石をおいたものだという. 図は和田宿に近い依田川の河畔を描いたものであろう。    長久保は洗馬・宮ノ越と並ぶ、広重の中山道三大傑作とされ評価が高い。 近景だけを著彩とし、遠景の山岳、旅人たちが渡る橋、松の繋みを墨色で処理した色調がよく夜の景の実感を表現したといえる。そして中景の松の繋みをわぎと版がずれたような摺り方をしているため、風にゆらぐ松の実感が出されている。

竪町と横町が直角に接するL字型の宿は交通の要衝で、旅篭が信濃26宿のなかで塩尻宿に次ぎ、2番目に多かった。本陣付近は火災を免れ、中山道最古の建築が残っている。長窪と表記していたが、宿名変更願が出され、幕末に変更した。

 

長久保                    松尾神社         長久保宿・竪町                         一福処濱屋

                

石合家旧本陣…中山道最古の本陣    卯建             竪町・横町を分ける枡形

                

四泊一里塚周辺         大門道分岐・落合橋

    

 <和田宿> … 広重/木曽海道六拾九次之内・和田  『木曾路名所図会』に、「和田、此処は日本一高き所なりと云う」とある和田宿から鍛冶足(かじあし)、大出、唐沢、施行所(接待)、東餅屋村と過ぎ、東餅屋村から九十丁の上りで和田峠である。この間にある施行所とある土地は、深沢と呼はれていたが、文政の初め頃(一八二〇)、江戸の綿糸商かせや友七がここを通り、けわしい山道を越す旅人の苦しみを察して旅人には一椀のかゆを、牛馬には小桶一杯の煮麦を施した。それから接待と呼ぶようになったといい、当時の「永代人馬施行所」の標札は、今も林家に保存されている。 この和田峠は標高千五百三十一メートルで、現在も雪が深く、頂上には雪よけトンネルが設けられているほどである。広重も雪が山の緑をおおう季節を描いている。起伏のある街道に描かれた横線は、峠道のでこぼこ道を表わしたものであ

下諏訪宿まで五里半という中山道最大の長丁場と標高1600mの難所・和田峠を控え賑わった。和田の中山道と宿は国史跡「歴史の道」として、よく整備されている。本陣や出梁(だしばり)造りの問屋・庄屋・旅篭など旧態をよく留める。

                                                         三千僧接待碑

                   

和田宿入口              浅間山噴煙            和田神社          八幡神社          旅篭かわち屋

                

        山木屋・大黒屋                          和田宿本陣跡・復元

                

 

   ・ ・ ・ (この間 民宿泊) ・ ・ ・

【2日目】  に続く   ……


・中山道を歩く(11)②<洗馬宿>-<本山宿>-<贄川宿>-<奈良井宿>奈良井

2017-04-19 23:59:59 | 中山道

【2日目】
2017年4月19日 中山道歩き11回目・2日目は宿から洗馬駅に戻り<洗馬宿>スタートです。朝起きると雨が降っていましたが朝食を摂って出発する頃には雨もあがり青空が見えます。   駅に戻るには洗馬神明宮の境内から鳥居のある正門を通るのですがJR中央西線の線路にぶつかってしまい踏切はありません。線路を渡るのが鉄道開通で寺道が削られた証しです。    前方に山が迫ってくると<本山宿>はすぐです。小さな集落、右側に建つ各戸は屋号を大書した看板を出し宿場の雰囲気を残しています。   変わった地名の日出塩集落過ぎ、ほどなく 「是より南 木曽路」 の碑に出会い、「すべて山の中」の木曽路です。   完全な山道の桜沢旧道に苦労し、<贄川宿>に入ります。若神子集落の先から雨が降り出し傘をさします。贄川駅に着き駅前の蕎麦屋で雨宿りをかね昼食にしようと思いましたがお休み。 ちょっと小雨になってきたので先に進み、復元贄川関所では完全に晴れ。  しかし、また雨が降り出し傘をさして宿はずれの屋久島の屋久杉に匹敵する様な巨木「贄川のトチ」を見学。    間の宿<平沢>は漆器の町、道の両側に木曽漆器の店が並び人も少なく落ち着いた雰囲気で好ましいものです。 奈良井川河床が高くなり、せせらぎに沿って歩く様になると間もなく<奈良井宿>奈良井駅に到着、今回の街道歩き終了です。  14時半に駅到着ですが16時まで電車がないため、奈良井宿の見学をして時間つぶしです。    2日目は歩数3万5千歩、15.6Kmでした。

 中山道も<奈良井宿>に入ると<宿数としては半分歩いたことになります。 ただ、この時点で<望月宿>から<下諏訪宿>は歩いてなく中抜け状態なので、宿数半分には未だです。 見るものの多い充実した二日間が終わりました。  

次のルート:⑬奈良井宿~上松宿         前のルート:⑫望月宿~下諏訪宿 

<洗馬宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・洗馬   「北斎の赤富士」「広重の洗馬」といわれるほど、広重の全作品中の最高傑作と評価される。満月の月明かりの中を芝船と筏が奈良井川を下り、秋風に葦が揺れる。自然と人間の調和は日本人の琴線に触れる風景画であるが、山はなく流れは緩やかで、洗馬宿に同一風景を発見するのは至難といえる。

塩尻・洗馬・本山の3宿は中山道 が塩尻峠経由になり誕生した。洗馬の宿にかつての面影はない。本陣、脇本陣の庭園は評判のものであったらしいが、鉄道に削られ、今はあとかたもない。

朝食                        洗馬神明宮

                

洗馬宿本陣跡           萬福寺                芭蕉句碑            高札場跡碑

                

牧野の一里塚跡碑                              信濃の洗馬「入梅(つゆ)はれのわたくし雨や雲ちきれ」

  

 <本山宿> … 広重/木曾海道六捨九次之内・本山   洗馬から三十丁で本山である。本山宿の先、日出塩(ひでしお)と桜沢との間にある桜沢橋は、松本領と尾州領の国境であった。そのためこの本山宿には松本藩の口留番所が置かれていたという。ここは木曾街道六十九次の宿場中では三指のうちに数えられるほど昔の形態をよく残している。
 広重は、画面を横切る大木を描き、その下で切り倒した大木に腰をおろして一服する樵を配し、こうした山仕事が主であった地方色を出している。自分と同じぐらい大きい籠を背負った子供の姿も可愛らしい。

  そば切りの発祥の地として、江戸時代からよくしられていた。中央本線の駅を近くに作らなかったため、その後の変化は少なく出梁(だしばり)造りと袖卯建(そでうだつ)を持つ家並みが保たれ、屋号の看板を掲げる。信濃十五宿の端の宿となる。

本山宿入口・秋葉神社                     登録有形文化財・川口屋    「雀おどり」の家          ・若松屋

                

脇本陣跡碑                               日出塩の一里塚        長泉寺

                      

 <贄川宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・贄川(にえかわ)  本山から三キロの地点が桜沢橋である。今は境橋といい、この橋を渡ったところに碑があり「これより南、木曾路」と記されている。そしてさらに先の中畑と賛川宿との間には御番所があり、「上下女改め、ひのき細工改め」が行なわれたとある。
 この賛川の宿は今も昔に変わらぬたたずまいを見せる。広重は、この贅川の図では、旅籠屋の店先を描いている。店頭には宿役人であろうか帳面を手にした老人が通りすぎ、馬の荷をおろそうとしている馬子、客を送ってきて一服する駕籠屋、店先ではすすぎを使う客、その客に茶をすすめる女や大きな荷物を運ぶ女、そして二階にはすでにくつろぐ客の姿を描いて、当時の旅寵風俗をあますところなく表わしている。またこの図には、宿の掛け札を利用して、「松島房二郎刀」「摺工松邑安五郎」「同亀多市太郎」とこのシリーズの彫摺に関係した職人名が記されているが、これはきわめて珍しい。

  木曽11宿北端の宿は、女改めと木曽木材の搬出を取り締まる尾張藩の贄川番所があり、石置屋根で復元した建物が公開される。宿場時代の面影は、昭和5年の大火によって殆んど失われいる。交通量も少なく、静かな宿の佇まいを保つ。

 是より南 木曽路               是より南 木曽路 碑                 桜沢旧道

                

 

                     鶯着(おうちゃく)禅寺      若神子(わかみこ)の一里塚            旧若神子村 水場

                

諏訪神社                 贄川駅 … 雨が強くなり駅で雨宿り、蕎麦屋が駅前にあったがお休み!残念               

    

贄川関所(復元)

        

麻衣ヌ(あさぎぬ)神社                                       深沢家住宅

            

贄川のトチ … 推定樹齢千年、樹高33m、根本周囲17.6m(長野県指天然記念物)

                               

        

押込の一里塚跡碑         旧長瀬村分岐                     芭蕉句碑「送られつ をくりつはては 木曽の秋」 

               

平沢集落・漆器の町

                

    

<奈良井宿> … 英泉/岐阻街道・奈良井宿 名産店之図  『木曾路名所図会』に、「名物お六櫛、宮越、薮原、奈良井にこの店多し。木曾山中の名造にして、特に近年はお六櫛と名して諸州に商う、木は棟梁を使う」とある。
 英泉描くお六櫛を商う店には櫛の材料が陰干しされていたり、後ろ向きになって櫛の目を刻む人物の姿が見え、その仕事ぶりを知ることができる。お六櫛の主産地は藪原宿であったが、奈良井側にも及んでいた。はるかにみえる山は木曾駒ヶ岳である。茶を多用した配色のため、ひなぴた感じを受ける。

  中山道の難所・鳥居峠を控え、ここで宿をとる旅人が多く、木曽十一宿中一番の賑わいだった。その繁昌ぶりは「奈良井千軒」とうたわれた。     木曽でも最も長い880mの町並みは重要伝統的建造物群保存地区として、全国で10番目に選定された。また、鍵の手や枡形の位置も往時のままで、全体的に宿場情緒が色濃く漂っている。

橋戸の一里塚… 奈良井川の対岸にある           木曽楢川小学校…木曽漆器が食器

                

奈良井駅 到着

奈良井宿                                                お六櫛

                

 

水場                                                        大宝寺…マリア地蔵と呼ばれる地蔵が                                                    

                        

                                       鍵の手

            

 

=おわり=

次のルート:⑬奈良井宿~上松宿      前のルート:⑫望月宿~下諏訪宿 


・中山道を歩く(11)①下諏訪<下諏訪宿>-<塩尻宿>-<洗馬宿>

2017-04-18 23:59:59 | 中山道

2017年4月18日~19日 中山道歩き11回目は下諏訪駅<宿>から奈良井宿まで2日間かけ約36Km歩きます。  2月・3月は雪があるため中止、3ケ月ぶりの中山道歩きです。     本来はこの日程で望月宿から和田峠を越え下諏訪へ抜ける予定でしたが今年は寒さが続き峠に未だ雪があるという情報を受け今回のルートに変更です。  参加者6名。

【1日目】  
9時過ぎに下諏訪駅に到着。当初は午前中雨が残るかもしれない予報でしたが変わって好天。 一旦和田峠方面に戻り、諏訪大社下社・秋宮を見学。この秋宮は昨年夏、甲州道中完歩のおり観光で見てまわっている。   甲州道中の合流地点から中山道<下諏訪宿>を歩き始める。旧道に入ると古い家の棟飾りとして菱形の「雀おどり」というものがあり初めて見た。格式がある。  11時30分前、ちょっと早いが朝が早かったこともあり信州蕎麦の店で昼食。昼食後、道は徐々に登り坂となり塩尻峠へ向かう。      春の陽光を浴び急坂に汗をかきながら峠に到着。峠に展望台があり諏訪側に諏訪湖・八ヶ岳・富士山・南アルプス、塩尻側に御嶽・乗鞍・北ア穂高の山々が眺望でき中山道随一ということ。塩尻峠茶屋本陣跡を過ぎ高速道路を越えると葡萄畑の向こうに雪を冠った北アルプスの山々が見え<塩尻宿>に入る。ここ柿沢集落でも「雀おどり」の棟飾りの旧家をたくさん見る。ここの「雀おどり」は諏訪地方の菱形と異なり、鳥が翼を広げた形をしいる。恰好良い。
  「中央東線」高架のしたを潜り、一対完全に残っている貴重な平出の一里塚を見、「中央西線」を渡り葡萄畑の道を歩くと<洗馬宿>。追分を過ぎ洗馬駅の脇道から民宿に着いて本日の街道歩き終了。 歩数3万6千歩、16.2Kmだった。

<下諏訪宿> … 広重/木曽海道六冶九次之内・下諏訪   和田峠を過ぎ、西餅屋村から三十四丁で樋橋、さらに一里半の下りで下諏訪宿に達する。今日でも昔の面影をとどめた低い二階の出し造りや格子造りの建物も多く残っている。この宿から三里の上諏訪は、江戸の内宿新宿から発した甲州街道の終点でもある。
 広重は、この「木曾街道六拾九次」の旅で一服するかのように旅籠の内部を描いている。食事をする泊り客の中央後ろ姿は、広重自身だという説がある。

中山道と甲州街道の分岐点にあたり、和田峠と塩尻峠の二つの峠に挟まれた交通の要衝であった。 また古くから諏訪大社下社の門前町として栄え、中山道で唯一温泉の湧く宿場で旅篭や飯盛り女も多く、大いに賑わった。  現在、温泉街には出桁造りの低い二階建て、立繁格子の家が多く残っており、宿場時代の面影を伝えてる。

中央線車中から南ア)甲斐駒 …雨上がりの朝で非常に澄んで見える                                下諏訪駅

                             

諏訪大社・下社秋宮                                           神楽殿(重要文化財)  秋宮一之御柱・社殿右手前

                

幣拝殿(重要文化財)      秋宮二之御柱・左手前                 甲州道中・中山道合流地 綿の湯      高札場跡

                                    

一之宮大燈籠                              平福寺              日限地蔵

                   

 

右中仙道 左いなみち                          「雀おどり」菱形…諏訪地方

                             

                     昼食                  今井番所跡         今井茶屋本陣      道標:右しもすは 左しほじり峠      

                

塩尻峠坂途中から諏訪湖を望む                   石船観音

                       

<塩尻宿> … 無款(英泉)/木曾街道・塩尻嶺 諏訪ノ湖水眺望    国道百四十二号線と下諏訪町でわかれ、国道二十号線を進むと塩尻市に達する。    英泉描くこの図は、題名にもある塩尻峠からの眺望である。左に八ヶ岳と高島城、右に南アルプスの端があり、富士山を中心に移した以外は写実的で、英泉は実際に見たと推察できる。諏訪湖は凍結した御神渡り後の風景、人馬が湖上を通るのは誇張だが、今も類似風景に会うことができる。

三州街道五千石街道の塩の道が合流する交通の要衝で、太平洋産の南塩と日本海産の北塩の終着点から塩尻の名がある。旅篭は深谷宿の次に多く、国重文の旅篭が修復保存される。国道に唯一バイパスができていないため、宿は常に喧噪の中にある。

 

塩尻峠展望台から諏訪方面

            

塩尻方面 北アルプスを望む    

         

塩尻峠史跡群            塩尻茶屋本陣跡           東山の一里塚…江戸から五十七里目

            

柿沢の「雀おどり」…鳥が翼を広げた形             北アルプスの大展望

                                         

雀おどり                                  塩尻口留め番所跡       元旅篭屋いてふ屋     塩尻宿本陣跡碑

                

                    阿禮神社              北アルプスを望む        大門神社

            

平出の一里塚 … 一対完全に残っている

        

北アルプス              松本空港への飛行機     中央西線を渡る

        

<洗馬宿> … 広重/木曾海道六拾九次之内・洗馬   広重描く「洗馬」の図は、広重の代表作としてしばしは紹介されている作品である。奈良井川の流れに柴をいっぱい積んだ船と筏を配し、大きな月が中天にかかり川面を明るく感じさせる。そして空にほどこした淡墨の天ポカシ、淡藍のたなぴく雲、さらにオレンジ色の大和絵風の雲形などが、不自然さを感じさせないほど、山国独特の空の様子を表現している。またことさらに大きく描かれた月も山国ということを意識した描写であって、河岸の樹木やおい茂る葦、そして葦のかげに屋根だけしかみえない人家の描写も、この図に抒情的なムードを盛り上げるのに大いに役立っている。

 木曽義仲の馬を洗った故事から洗馬の名前が生まれた説が伝わるが、平安時代に洗馬牧や洗馬庄があり、説話に過ぎない。塩尻・洗馬・本山の3宿は中山道 が塩尻峠経由になり誕生した。  北国西街道が分岐する要地で、改目改所(かいめあらためしょ)が最初に置かれていた。

中山道と善光寺街道の分去れ                                     洗馬駅               宿の夕食     

                             

 2日目に続く


・中山道を歩く(10) 安中<板鼻宿>-<安中宿>-<松井田宿>横川

2017-01-29 23:59:59 | 中山道

2017年1月29日 中山道歩き、10回目は安中駅から横川駅まで約15.7Kmを歩きました。今年最初の街道歩きです。前橋地方は午前から良い天気になり歩き日和になりそうです。

 10時前に<板鼻宿>はずれ安中駅に到着。9時くらいから晴れる予報が曇り空、非常に寒いです。持ってきた上着を全部来て歩き始めます。碓氷川にかかる橋上から左手に妙義山、正面に雪を冠る浅間山が遥か彼方に望め素晴らしい展望です。   <安中宿>に入り、朽ちかけた木の 「下木戸跡碑」の横から樹齢千年の大欅が残る熊野神社に行き最初のお寺詣でです。碓氷川の支流九十九川と本流に挟まれた河岸段丘の上段にある安中城跡近辺にある復元「藩郡奉行役宅」を受付の人の説明で室内見学です。曲がり家構造になっている建物は重厚な造り、梁は太く立派なものです。その隣にある「武家長屋」は改修中で見る事が出来ませんでした。「上木戸跡」は郵便局の敷地に碑だけあります。常夜燈を前にした愛宕神社を右手に見ながらさらに進むと立派な「杉並木」が道の両側に植わっています。今は500mの間に70本あるとか。   「八本木旧立場茶屋」は樫の屋敷林(かしぐね)に囲まれ白い連子格子が当時の風情を感じさせます。      18号線にぶつかった向こうに「妙義道常夜燈」を見、手前の坂を右に下り、坂道を登り返す辺りが広重が描いた<安中>という話しです。 さらに先の田舎道からは正面に白い浅間山、左手に妙義山が良く見えます。…ここで道を間違え、予定の昼食店に行けません…          <松井田宿>では宿の真ん中にあるケーキ屋さん!で昼食を摂り、宿はずれにある「補蛇(ふだ)寺」お詣り。松井田城主・大道寺政繁の墓、石庭などがあり凛とした大寺の雰囲気があります。日本橋から三十三里目の「新堀の一里塚」の小丘を見、再建「五科茶屋本陣」を外観見て先を急ぎます。夕方近くなり妙義山の丁須の頭岩がシルエットに良く見える様になります。広重描く「夜泣き地蔵・茶釜石」を見ると間もなく横川駅到着で本日の街道歩き終了です。    1時間に1本しかない信越線ターミナル駅の風情を暫時偲びます。

 次のルート:⑧横川宿~軽井沢宿     前のルート:⑨倉賀野宿~安中宿 

  <安中宿> … 木曽海道六拾九次之内・案中[広重]     広重は、宿の出はすれたところにある安中の杉並木のような名所ではなく、左から丘陵が迫る街道を、広重独特の米粒のような大名行列や旅人が行く場景を描いている。前方のなだらかな丘に立つ二本の樹木や石碑は一里塚であろう。旅の画家広重は、大自然にとけこんだ人間の抒情感をよく表現している。

 板鼻からわずか三十丁で、板倉伊予守三万石の城下町安(案)中で上段段丘に安中城と武家屋敷、下位段丘に安中宿があった。城下町といっても『木曾路名所図会』に「この近郷、網、細縄を商う。また竹細工の類あり」と記されている、家数六十四軒を数えるにすぎない寒村であったという。中山道の他の宿同様の人足50人・伝馬50疋の負担に苦しんだ。      この宿の出はすれたところにある天然記念物に指定されている安中の杉並木は、じつに見事である。中山道に沿って約一キロにわたって高さ四十メートルもある大木が続いていて、昔は三百十本あったという。今日では樹齢や排気ガスによってその数は減ってはいるが、まだ他の旧街道筋には残っていない壮観さである。

安中駅から背後の東邦亜鉛工場                        / 前方に 左:妙義山 右:浅間山 碓氷川を渡る

                             

安中宿下木戸跡            / 熊野神社                           / 安中宿市街

            

旧碓氷郡役所跡                                                / 上木戸跡碑         / 愛宕神社と常夜燈

                

                        / 安中原市ノ杉並木                    / 双体道祖神        /石祠…御神燈が対

                   

八本木旧立場茶屋跡        / 八本木地蔵堂      / 日枝神社  

         

  <松井田宿> … 木曽海道六拾九次之内・松井田[広重]    街道と向うの丘との間に見える山が妙義山であろう。図は松井田の宿を出た丸山坂あたりを描いたと考えられる。大木の下の祠は夜泣き地蔵で、遠くの山は裏妙義になるが、妙義山の荒々しい特徴がまったく出ていない。
 米俵を四俵もつけ、そのうえ自分までも乗って煙管をくわえる農夫。その農夫と対照的に、馬にも荷をいっぱい積んだが、自分も大きな荷を背負って下る農夫の姿。旅したものだけが知るこうした風俗を広重は心地よく描き分けている。

 安中から上りになった街道を二里十六丁進むと松井田の宿である。『木曾路名所図会』をみると、郷原とぴわのくぼとの間に、「是より橋を渡りて妙義へ一里」と記されている。         南に特異な姿を見せる妙義山、北に上州最大の山城・松井田城が控える。信州各藩の江戸廻米の中継地となり、「米宿」とも呼ばれた。   屋根に大きな鬼瓦を載せた平入り主家と妻入り袖蔵の関東型土蔵造りが、江戸からこの宿までに見られる。

 石仏石塔群            / 生まれたばかり?           / 行く手に妙義山が近づく

            

                      / 松井田宿市街

    

補蛇寺 … 最後の松井田城主・大道寺政繁の墓がある

                

                                       / 新堀の一里塚 … 日本橋から三十三里目

                     

 

五科茶屋本陣跡

            

妙義山 丁須の頭(ちょうずのかしら)遠望           / 夜泣き地蔵・茶釜石   

                                          

碓氷神社                                / 北側から見る妙義山

            

横川駅 … 信越線。終着駅

        

=おわり= 

 次のルート:⑧横川宿~軽井沢宿       前のルート:⑨倉賀野宿~安中宿