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個人の 登山、トレッキング、散歩、海外旅行 の記録です。

 2012年9月 南米.ペルー周遊からブログ参加です

・中山道を歩く(10) 安中<板鼻宿>-<安中宿>-<松井田宿>横川

2017-01-29 23:59:59 | 中山道

2017年1月29日 中山道歩き、10回目は安中駅から横川駅まで約15.7Kmを歩きました。今年最初の街道歩きです。前橋地方は午前から良い天気になり歩き日和になりそうです。

 10時前に<板鼻宿>はずれ安中駅に到着。9時くらいから晴れる予報が曇り空、非常に寒いです。持ってきた上着を全部来て歩き始めます。碓氷川にかかる橋上から左手に妙義山、正面に雪を冠る浅間山が遥か彼方に望め素晴らしい展望です。   <安中宿>に入り、朽ちかけた木の 「下木戸跡碑」の横から樹齢千年の大欅が残る熊野神社に行き最初のお寺詣でです。碓氷川の支流九十九川と本流に挟まれた河岸段丘の上段にある安中城跡近辺にある復元「藩郡奉行役宅」を受付の人の説明で室内見学です。曲がり家構造になっている建物は重厚な造り、梁は太く立派なものです。その隣にある「武家長屋」は改修中で見る事が出来ませんでした。「上木戸跡」は郵便局の敷地に碑だけあります。常夜燈を前にした愛宕神社を右手に見ながらさらに進むと立派な「杉並木」が道の両側に植わっています。今は500mの間に70本あるとか。   「八本木旧立場茶屋」は樫の屋敷林(かしぐね)に囲まれ白い連子格子が当時の風情を感じさせます。      18号線にぶつかった向こうに「妙義道常夜燈」を見、手前の坂を右に下り、坂道を登り返す辺りが広重が描いた<安中>という話しです。 さらに先の田舎道からは正面に白い浅間山、左手に妙義山が良く見えます。…ここで道を間違え、予定の昼食店に行けません…          <松井田宿>では宿の真ん中にあるケーキ屋さん!で昼食を摂り、宿はずれにある「補蛇(ふだ)寺」お詣り。松井田城主・大道寺政繁の墓、石庭などがあり凛とした大寺の雰囲気があります。日本橋から三十三里目の「新堀の一里塚」の小丘を見、再建「五科茶屋本陣」を外観見て先を急ぎます。夕方近くなり妙義山の丁須の頭岩がシルエットに良く見える様になります。広重描く「夜泣き地蔵・茶釜石」を見ると間もなく横川駅到着で本日の街道歩き終了です。    1時間に1本しかない信越線ターミナル駅の風情を暫時偲びます。

 次のルート:⑧横川宿~軽井沢宿     前のルート:⑨倉賀野宿~安中宿 

  <安中宿> … 木曽海道六拾九次之内・案中[広重]     広重は、宿の出はすれたところにある安中の杉並木のような名所ではなく、左から丘陵が迫る街道を、広重独特の米粒のような大名行列や旅人が行く場景を描いている。前方のなだらかな丘に立つ二本の樹木や石碑は一里塚であろう。旅の画家広重は、大自然にとけこんだ人間の抒情感をよく表現している。

 板鼻からわずか三十丁で、板倉伊予守三万石の城下町安(案)中で上段段丘に安中城と武家屋敷、下位段丘に安中宿があった。城下町といっても『木曾路名所図会』に「この近郷、網、細縄を商う。また竹細工の類あり」と記されている、家数六十四軒を数えるにすぎない寒村であったという。中山道の他の宿同様の人足50人・伝馬50疋の負担に苦しんだ。      この宿の出はすれたところにある天然記念物に指定されている安中の杉並木は、じつに見事である。中山道に沿って約一キロにわたって高さ四十メートルもある大木が続いていて、昔は三百十本あったという。今日では樹齢や排気ガスによってその数は減ってはいるが、まだ他の旧街道筋には残っていない壮観さである。

安中駅から背後の東邦亜鉛工場                        / 前方に 左:妙義山 右:浅間山 碓氷川を渡る

                             

安中宿下木戸跡            / 熊野神社                           / 安中宿市街

            

旧碓氷郡役所跡                                                / 上木戸跡碑         / 愛宕神社と常夜燈

                

                        / 安中原市ノ杉並木                    / 双体道祖神        /石祠…御神燈が対

                   

八本木旧立場茶屋跡        / 八本木地蔵堂      / 日枝神社  

         

  <松井田宿> … 木曽海道六拾九次之内・松井田[広重]    街道と向うの丘との間に見える山が妙義山であろう。図は松井田の宿を出た丸山坂あたりを描いたと考えられる。大木の下の祠は夜泣き地蔵で、遠くの山は裏妙義になるが、妙義山の荒々しい特徴がまったく出ていない。
 米俵を四俵もつけ、そのうえ自分までも乗って煙管をくわえる農夫。その農夫と対照的に、馬にも荷をいっぱい積んだが、自分も大きな荷を背負って下る農夫の姿。旅したものだけが知るこうした風俗を広重は心地よく描き分けている。

 安中から上りになった街道を二里十六丁進むと松井田の宿である。『木曾路名所図会』をみると、郷原とぴわのくぼとの間に、「是より橋を渡りて妙義へ一里」と記されている。         南に特異な姿を見せる妙義山、北に上州最大の山城・松井田城が控える。信州各藩の江戸廻米の中継地となり、「米宿」とも呼ばれた。   屋根に大きな鬼瓦を載せた平入り主家と妻入り袖蔵の関東型土蔵造りが、江戸からこの宿までに見られる。

 石仏石塔群            / 生まれたばかり?           / 行く手に妙義山が近づく

            

                      / 松井田宿市街

    

補蛇寺 … 最後の松井田城主・大道寺政繁の墓がある

                

                                       / 新堀の一里塚 … 日本橋から三十三里目

                     

 

五科茶屋本陣跡

            

妙義山 丁須の頭(ちょうずのかしら)遠望           / 夜泣き地蔵・茶釜石   

                                          

碓氷神社                                / 北側から見る妙義山

            

横川駅 … 信越線。終着駅

        

=おわり= 

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