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ケルビム&KHSでゆくフォトマップブログ/自転車で巡る阪神間の道と街

テーマは「No bike no life」ということで、自転車を巡って過ぎゆく日常を書き綴っていくブログです。

台風一過の晴天の下、西宮市は酒蔵通り今津郷、西宮郷周辺のポタリング

2013-09-17 21:19:18 | 街ポタ

先日の日曜日から月曜日にかけての台風による大雨は大変でした。報道では、嵐山や福知山市街が川の氾濫でとんでもない被害に遭っていました。嵐山も福知山も自転車旅で何度もお世話になった土地なので心配です。また、報道されている場所以外にも多くの土地で様々な被害に遭われているのだと思います。私に何もできる事はありませんが、被害に遭われた方が一刻も早く日常を取り戻されることを祈願したします。

上の写真は宝塚大橋から武庫川上流方向を撮影した写真です。普段は穏やかな武庫川が溢れんばかりに増水しています。そんな川の状態にも関わらず、濁流のすぐ傍で多くの人たちが平然と過ごしていることに驚きました。まぁ橋の上で写真を撮っている私も五十歩百歩ですが、いつ増水するやもしれないという危機感は強く抱いていました。

ともあれ、台風一過で晴天が戻り、すっかり涼しくなりこんな時に自転車に乗らない訳にはいきません。事情で職場に置きっぱなしになっていた折り畳み自転車、KHS・F20RCを回収するのと、せっかく時間があるので、宝塚から神戸までのポタリングを楽しみながら、帰りは神戸電鉄に乗って輪行で三田まで戻ろうという計画です。

私と同じように台風一過の晴天の下、うずうずして自転車で走りに行かれた方も、
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まずは、尼崎市は武庫元町にあるなじみの自転車屋さん「アップル自転車商会」に向かうため、武庫川沿いを南下します。河川敷の武庫川CRは流石に怖いので、土手の上の道路を通りますが、武庫川の中下流域に来ても水量が衰えていません。いやはや恐ろしいですね。


アップル自転車商会にて、ディレイラーワイヤーの交換と調整をお願いしました。そして作業がてらの会話を楽しみます。いつ来ても店長のHさんとのよもやま話は尽きません。Hさんとの話の中で、サイクルベースあさひの塚口店の店長だった人が独立して小径車専門店を立ち上げて頑張っているらしい、というのがありました。お店の名前は「ムーブ」ということで早速スマホでチェック。西宮市の国道43号線よりも更に海側の酒蔵通りという東西に走る通りに店があるので、神戸に行くついでに立ち寄ってみることにしました。


南へ南へ。武庫川左岸の土手の上の道路を進んで行きます。自転車のバーテープの汚れが目立ってきたので、ショップに着いたら交換しようかな。色は何がいいかな?なんて呑気な事を考えて走りました。


9月から10月にかけての終盤戦が絶望的に弱い阪神タイガースの本拠地、阪神甲子園球場の脇を通り過ぎていきます。本当にもう何とかならんのかいなぁ。いつもクライマックスシリーズに出ても貧打で負けてるイメージしかないですしね。


なんだ、かんだと西宮市を南の方へ走っていくと、酒蔵通りに出ました。江戸時代から西宮から神戸にかけては清酒の名産地として有名だったことは知っていました。「酒蔵通り」という名称もそこから来たのだろうとは思っていましたが、このMAPのように、酒蔵巡りの観光ができるような場所とは知りませんでした。

今日は偶然、この場所に来ましたが、折り畳み自転車でゆったり街中をポタリングするのにもってこいの場所ではないですか。今日はラッキーだなぁ。ゆるキャラの「みやたん」も可愛いぞ。片手で酒樽を平然と持っているのは怖いけど。


ということで、さっそくブラブラと造り酒屋の町並みをポタリングです。最初に訪れたのは、MAPにもある今津灯台。製造した清酒を日本各地に流通するための樽廻船のための灯台だったそうです。


清酒、大関の工場です。現在でももちろん創業しています。江戸時代からずっと今でも操業している製酒工場がこの界隈には何軒もあります。


こちらは、「日本盛はよいお酒♪」のCMで有名な日本盛さんですね。


こういう観光名所で欠かせないのが、ご当地ミュージアム。当地の歴史や文化を知るのに手っ取り早いですね。


お、酒樽を運んでいた大八車が展示されていました。当方、自転車乗りなので気になるところといえば・・・・


大八車の車輪の回転部分。車輪は木製ですが、外周部は鉄の板が巻かれていました。車輪にはベアリング機構みたいなものが入っているのかなぁ。一体どんな風になっているんでしょうね。気になりました。


そして、酒蔵の風景です。時間もあまり取れないのでサッと見て回っただけですが、質の良い清酒を造るための条件みたいなことが書いてあり、それが一番心に響きました。曰く、

清酒作りに大事なのは「水」「酒米」そして「杜氏」だそうです。

水は、六甲山系から伏流水となって流れ落ちてくる水(いわゆる宮水)が製酒には良いそうで、酒米には、裏六甲地域の気候が酒米を生産するのに気候が良いのか、三木や吉川が有名な酒米「山田錦」の一大産地になっています。そして、人。酒作りの行程はさまざまなファクターが重なり合う繊細なもので、職人にはこの微妙な違いを感知できるセンサーが求められるそうです。杜氏はそうした酒作りの職人の長という存在ですが、「丹波の杜氏」といって、優れた腕の杜氏が丹波から冬期だけ出稼ぎでやってきたそうです。


さて、酒蔵の町を堪能している合間に、酒蔵通りの交差点にある折り畳み、ミニベロ専門店「ムーブバイシクルズ」を訪れてみました。


こじんまりとした店内に折り畳み自転車がたくさん展示されていました。ダホン、ターン、オリバイク、ブルーノ等が多かったですね。そして、店長さんは、初見の私とも気さくに色々なお話しをさせていただき、とても楽しい時間が過ごせました。今度、小径車関係で何かを購入する時にはこのお店のお世話になろうかなと思える印象でした。


そして、このお店で売っていたバイクリボンのバーテープを購入して、ついでに巻いてもらおうと思ったのですが、「¥1,500円かかりますがいいですか?」と言われたので、「え、高いなぁ」と思わず呟いてしまうと、そこは店長さんもこだわりがあるようで、 「バーテープ巻く作業一つにも全力で取り組みたい。費用は工賃ではなく技術料だと考えている」「この費用は一切まける気はありません」と強く仰っていました。私が特に値切った訳でもありませんが、この店長さんのショップ経営哲学の現れということなのでしょう。

「もしご自分でされるならやってもらってもいいですよ」とのことなので、結局、ハサミ等の道具を少しお借りして自分で巻きました。バーテープは、自分で使用する分くらいはなんとか巻けるので、今回は自分で巻きましたが、別の考えとしては、¥1,500を支払ってプロのこだわりの技の一端を盗ませてもらうのも悪くはなかったかな・・・という思いもありました。買うかどうかは分かりませんが、小径車関係で次に買うアイテムはやはり走りに直接繋がってくるホイールとタイヤでしょう。ホイールの相談やメンテナンスはこのお店にお願いすると安心感がありそうです。


坂蔵通り、酒造の町、今津郷や西宮郷を離れ、一路神戸へ。時間もずいぶんと過ぎてしまいました。あとは輪行で三田まで帰るだけですが、せっかく神戸に来たので、いつもの北野の萩原珈琲でコーヒーを飲んで帰ることにしました。


営業時間を僅かに過ぎ、店の片づけをされていましたが、「どうぞ、ゆっくり過ごしてください」ということで、珈琲も淹れていただきました。サントスニブラというブラジル産の珈琲豆の深煎り珈琲です。まったり、こってり濃密な味わいでした。ここでも結局1時間は長居してよもやま話で過ごしました。

今日は、アップル自転車商会の店長さん、ムーブバイシクルズの店長さん、萩原珈琲北野店のマスターと長い時間話をしましたが、自転車に乗ってる時間よりも話していた時間の方が長いかも・・・って感じですが、そういうのもまた自転車のもつ魅力でもありますね。


輪行で、神戸電鉄三田駅まで帰ってきました。折り畳み自転車での輪行は車体を折り曲げて、輪行袋を上から被せるだけでOKなので、ホイール外して、ディレイラーを守るガードを付けて、といった面倒な作業が一切不要なので便利なことこの上ないです。台風一過、午後からのサイクリングはこんな風に過ぎて行きました。


白鹿記念酒造博物館で頂いたお土産の吟醸酒をキーンと冷やしてお風呂上りに晩酌です。

ちょっと京都まで、買い物ついでポタリング

2013-04-23 05:34:29 | 街ポタ
1週間前になりますが、「京都に買い物に行きたい」という嫁さんのリクエストに応えはるばる京都までやってきました。せっかく京都まで来るのですから、車に自転車を積んで、自転車で京都の町をブラブラしようという試みです。


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車を京都駅近くの梅小路公園付近に駐車して、まずは梅小路公園巡りからスタートです。京都は学生の頃からなじみのある町なのですが、この梅小路公園に来るのは初めてです。京都には大きい寺社はたくさんありますが、こんな大きい普通の公園があるとは知らなかったですね。




梅小路公園を離れ、目的の買い物へ。京都タワービルの地下にそのお店があるとのことなので、京都の路地を走って京都タワーを目指します。




京都タワービルの開業時間前に到着したので、近くのスターバックスで小休止。最近の円安もあってか外国人観光客も増加傾向とのこと。京都駅前のスタバには外国人観光客の姿でいっぱいでした。スタバの店員さんも流暢な英語をしゃべっていました。なんか国際都市になってます。




嫁さんの買い物、何かというと、京都タワービル地下フロア丸ごと手芸の専門店。昔ながらの「編み機(今は生産中止)」が趣味の嫁さんがこの店にしか売っていないという消耗品を買いに来たという訳です。




京都タワービルを出て、とりあえず向かったのは清水寺の参道。





2台の自転車を置いて写真を撮っていると、外国人観光客の方がまじまじと自転車を眺めていました。




清水寺の山門前広場。さすが国宝にして世界文化遺産の清水寺は観光客で賑わっていました。




山門前の最も人出で賑わっていた通り「松原通り」。沿道にびっしりとお土産屋さんが並んでいますが、修学旅行生らしき一団をはじめ観光客で道が塞がっています。もちろん自転車を押して歩くことにしましたが、こんな大賑わいの雰囲気もたまには良いですね。




清水焼はじめ様々な陶器や雑貨を売るお店「朝日陶庵」に立ち寄りました。




お洒落な店内に品の良い陶器がたくさん並んでいます。




その中で、ハッっと目に入ったのが、このコーヒーマグ。真鍋元気さんという若い陶工さんの「銀河結晶」という作なのですが、一目惚れです。値段は可愛いものではありませんが、思い切って買いました。今では出勤前のコーヒーの時間を彩ってくれています。




松原通から右手に折れて「産寧坂」へ。階段になっているので自転車を担いで降りていきます。




産寧坂から二年坂。前を行く緑のジャージが嫁さんなんですが、BD-1も軽量なので持ち運びも楽です。高台寺や八坂神社の周辺で京都の風情を楽しみました。




昼食は場所を三条烏丸付近に移し、食べログでも人気だった、京野菜イタリアン「トラットリア・ガリーレ」へ。




やはり人気店のようで次から次へとお客さんがやって来ました。ランチセットを戴きましたがパスタと鶏肉料理が美味しかったです。




近くにあったシルベスト京都店にお立ち寄り。嫁さんが見入っているのは、痛車化されたドグマ2。




そして再び、高台寺付近に戻ってきました。どこのお寺の五重の塔でしょうか。町並みの中に聳える五重塔。京都らしい風景ですね。




昼食後、また戻ってきたのはこの「イノダコーヒ」の珈琲を飲むためです。「コーヒー」ではなく「コーヒ」であることがポイント。




店内の様子。ガラスの向こうの庭園を眺める佳人。絵になりますね。




イノダコーヒの看板コーヒ「アラビアの真珠」。オリジナルエンブレムの入った白いマグカップも老舗感が出ています。肝心の珈琲の味は、コクがあってまろやかかつ香り高い味わい。朝に飲んだスタバのブレンドコーヒーも美味しかったですけど、こちらと味は比べるべくもありません。深い煎りでまったりしっかりとした味わいは結構がとても美味しいです。久しぶりに御影ダンケの「バターブレンド」が飲みたくなりました。

KHSで巡る大阪・街ポタ シリーズvol.3 真田丸から天王寺七坂、四天王寺巡り

2012-11-17 09:12:25 | 街ポタ
KHSで巡る大阪・街ポタ シリーズvol.3 真田丸から天王寺七坂、四天王寺巡り
前回までは、大阪城公園外周コース(vol.1) 巡りや本丸や天守閣博物館見物 (vol.2) をしてきました。大阪都心部の中の数少ない緑地公園ということで、朝から大勢の人がランニングをしたり、愛犬の散歩をしたり、観光で歩いている人がいたりと賑わっていました。

さて、今回からは、大阪城公園を離れ、上町台地を南下して各地のスポットを巡ろうと思います。

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大阪城公園のすぐ東を通る上町筋を南下していくと、「法円坂交差点」に出ます。この付近は官庁街やビジネス街なので、どちらかというといかにも大阪らしいゴミゴミとした感じよりも颯爽として涼しげな雰囲気の街並みです。

と言っても、上町台地を南北に縦断するメイン道路である「上町筋」と「谷町筋」は全体を通してそのような印象で、上町台地の脇の低地を走る「松屋町筋」や「堺筋」とは様子の違いが明らかです。

この界隈でまず訪れたのは↓↓の地図にも赤文字で表示してあるように、「難波宮跡公園」「真田丸」「陸軍墓地」「空堀商店街」です。




まず訪れたのは、法円坂交差点の直ぐ近くにある「難波宮跡公園」


こんなに広い公園というか空き地みたいな所で特に何もありません。難波宮跡の基礎がある付近は何かのイベントのための工事が行われていたので接近できませんでした。

日本史の年表区分で言うと、飛鳥時代の後期(大化の改新西暦645年)から平城京遷都(710年)までの間に大和朝廷における首都、もしくは副都がこの難波宮に置かれていました。小学校でも中学校でもあまり大阪に当時の朝廷の都が置かれていたなんてことは何故かあまり習いませんね。明日香→平城京(奈良)→平安京(京都)というイメージです。

昨今は「大阪都構想」なんて言葉も耳にしますが、かつて確かに大阪に「都」が置かれていた時代があったのですねぇ。



上のMAPの「真田丸跡」と書いた所にある「三光神社」。上町台地から東へ落ち込んでいく辺りに、小高い丘があり、その階段を登って行くと・・・


真田幸村の勇ましい石像と真田丸陣地を模した建物がありました。この場所は、真田山とも呼ばれ、大坂冬の陣で豊臣方の部将として活躍した真田左衛門佐信繁(真田幸村のこと)が大坂城南方を守備するために建設した出丸跡があります。

真田六文銭の家紋入りの防御板(何て呼ぶものかは?)の隙間から出ている棒は、当時の火縄銃を模したものだと思います。真田丸は押し寄せる徳川方の軍勢に対して鉄砲を効果的に使うことで大いに打ち破って戦果を挙げました。そのことが示されているのでしょう。

洞窟のような穴は「史跡真田の抜け穴跡」という看板もありこちらは本物のようです。甲州武田家は土木の専門家である黒鍬集団を戦に用いる事が得意とされていましたが、武田氏の流れを組む真田家も同じように土木の力を上手く戦に利用しました。


真田山の中には、おびただしい数の墓標が立っている場所があり、墓石には埋葬されている方のお名前と軍隊における階級が記されていました。帰宅後、調べてみるとこの墓地は「旧真田山陸軍墓地」と呼ばれるもので、明治以降、西南戦争や日清、日露の大戦や太平洋戦争までの戦没者を埋葬してある墓地とのことです。


少し戻って、谷町筋から松屋町筋にかけて上町台地の丘の勾配のあると所にある「空堀商店街」です。空堀というのは、この場所に旧大坂城(豊臣時代)の南惣構(みなみそうがまえ)堀の遺構があり、ここから「空堀」の地名でできています。


この商店街、よく見かける昭和チックなアーケードの商店街なのですけど、なにが凄いって、写真じゃ上手く伝わらないのが残念ですが、坂道の上にできています。進行方向にむかって結構な下り坂になっていて、自転車で走ると加速して結構怖い。しかし大阪のママチャリダーたちは慣れている様子でこの坂道の商店街の中を滑走して行きました。

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次に訪れたのは、「天王寺七坂」をいう密かな上町台地の観光名所です。
「天王寺七坂」とは、大阪市天王寺区の上町台地西側(夕陽丘地区)にある7つの坂の総称で、たくさんのお寺が並ぶ上町台地西側一帯と、台地の下の土地(松屋町筋界隈)とを繋ぐ7つの坂道の事です。 

北から「真言坂」「源聖寺坂」「口縄坂」「愛染坂」「清水坂」「天神坂」「逢坂」の7つの坂を指します。

この坂を巡るスタンプラリーも催されています。→「天王寺七坂 ご利益いっぱい歴史も満載スタンプラリー」




松屋町筋と千日前通りの交差点。「生國魂神社」の立て看板がありますが、「いくたまじんじゃ」ではなく「いくたまさん」とわざわざ読み方がふってあるところが大阪としてのこだわりなんでしょうね。


この生國魂神社への参道に天王寺七坂の一つ、「真言坂」があります。地面こそ石畳ですが、道の両隣が雑居ビルやマンションの壁面で自転車置き場になっていて雰囲気は出ませんね。


真言坂の名の由来はこういう事のようです。


短い坂を登って生國魂神社に参詣してきました。

      
ちょうど、その日は七五三で可愛らしい子どもたちを連れたご家族がたくさん参詣されていました。生國魂神社の境内社には様々な社が祀られてあり、近松門左衛門などの文楽関係者を祀る浄瑠璃神社や井原西鶴の像まであって不思議な神社です。

そんな中、目を見張ったのが、この写真、「崖縁占い(がけっぷちうらない)」。上町台地と崖下の土地との境目の崖の上にあるので「がけっぷち」なんですけど、人生の崖っぷちと「占い」が妙にしっくりきます。崖っぷちに立たされるような状況になったら占ってもらいたくもなりますよね。


次の坂は、「源聖寺坂」。お寺の土塀や気米に囲まれた坂道で、こちらは寺町の風情がありますね。

      
源聖寺坂の説明と、坂を登って上から見下ろした写真です。


松屋町筋の「学園坂」交差点から南へ下って直ぐに「口縄坂」があります。


坂の入口付近の建物が改装工事をしていました(+_+)。「口縄」とは大阪の古い言葉で「蛇」のことであり、坂の下から道を眺めると、起伏が蛇に似ていることからそう呼ばれるようになったとされています。

      
細い坂道を登って行くと、上の方は階段になっているので自転車を持ち上げて歩きます。


登り切ると、石碑があって、「口縄坂」が登場する織田作之助の小説の一節が紹介されています。このように小説や曲の中に具体的な場所が登場することはよくあることですが、その「場所」に息吹が与えられるようでそういったものが大好きです。特に自分の馴染みの場所や知っている場所が登場すると嬉しいですね♪


愛染堂勝鬢院と大江神社の脇から下る「愛染坂」。この辺りからの夕景が美しかったそうですが、今は建物の陰になっていて綺麗な夕日はあまり見えなさそうです。



      
「愛染さん」で親しまれている愛染堂勝鬢堂の境内には、市内最古の多宝塔が建立されており、重要文化財に指定されています。


愛染坂を下らずに谷の上の淵に沿って歩くと、墓地がありますが、その墓地から西への眺めが良いんです。地図で言うと清水坂のすぐ北にその墓地があります。




この墓地が少しだけ小高い場所にあるというのが分かります。風景左には通天閣がちょこんと顔を覗かせていますね。


先ほどの墓地は、清水坂の左手上に広がっています。ここも階段なので自転車を持ち上げて登っていかないと(>_


清水坂を登り詰めると清水寺があり、その境内の更に奥に進んでいくと玉手の滝の行場があります。自転車はこの奥には入れないので、ここに置いて奥に入っていくと・・・


これが、大阪市内で唯一という「玉手の滝」です。坂を登り詰めて、寺の境内の奥へ奥へと入って行く密やかな雰囲気が良いですね。気持ちが落ち着くような感じがします。


この坂は自転車で登ることができますね。坂の勾配もずいぶん緩くなってきています。




大阪夏の陣にて、四天王寺近辺で大坂城に向かって迫り来る徳川方の軍勢と戦っていたが、多勢に無勢で矢尽き刀折れ、この地で最期を迎えたとされる真田幸村の像が設置されています。


天王寺区逢坂2丁目の交差点です。ここから東に向かって逢坂があるとされていますが、単なる国道沿いの歩道になってしまっています。


まぁ、これでは風情もなにも無いですね。

      
この道沿いにある一心寺。大勢の人出で賑わっていました。線香の煙を浴びることでご利益があるようで、参拝者がこぞって煙を浴びていました。一心寺の休憩所で一休みして、今日最後の目的地である四天王寺に向かいます。

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上町台地のちょうど中央に建立された四天王寺。逢坂と一心寺から少しの距離にあります。


四天王寺の中央伽藍。

四天王寺についての詳しい説明はウィキペディアでどうぞ。

四天王寺については色々な観点から捉える事ができると思いますが、私が関心があるのは、嘘か真か、伝承によれば、四天王寺を建立そた聖徳太子は四天王寺の境内に「四箇院」と呼ばれる、「敬田院」「施薬院」「療病院」「悲田院」といった施設を作ったとされている事です。

「施薬院」「療病院」は現代の薬草園・薬局・病院に近い施設で、「非田院」は病者や生活に苦しむ流浪人などを養ったとされる現代の社会福祉施設のようなものであったと言い、まさに官制(行政)による医療・社会福祉サービスの魁となるようなものだと思われます。

そのような施設がこの大阪の地で始まったことは、ある事を連想させますね。そう・・・大阪府が長らく全国都道府県で生活保護受給世帯で第1位となっている事です。近隣の県の福祉担当者から「生活保護をもらうなら大阪に行ったらいい」と言ったとか言わないとか。大阪は飛鳥時代の遠くから、病気や貧困に喘いでいる人々に対して行政的にケアを行うという素地が他の場所よりもあるという事なのかもしれませんね。そんな単純なものではないとは思いながらも、そんな事を考えながら境内を散歩しました。

      

四天王寺内の休憩所にて饂飩を戴きました。そういえば、お寺の境内にある休憩所とか食堂とかって素っ気のない建物ですよね。ここも工事現場の事務所のような簡易な建物でした。素っ気ない饂飩でしたが、夕方になって少し冷え込んできたので体が温まりました。

KHSで巡る大阪・街ポタ シリーズvol.2 大坂城本丸、天守閣博物館編

2012-11-12 06:42:59 | 街ポタ
KHSで巡る大阪・街ポタ シリーズvol.2 大坂城本丸、天守閣博物館編
この記事は、11月3日(土)に行ったKHSで巡る大阪・街ポタシリーズvol.1 大阪城公園編の続きです。前編では、大阪城公園周回道路を取り上げましたが、今回は大手門を入り二の丸、本丸と天守閣博物館に入って行きたいと思います。

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北西にある京橋口から二の丸に入ります。梅田から中之島、天満橋を経て大阪城に入る場合、この入口が最も近くなります。巨大な石の壁が大迫力です。


巨石の多い大坂城の中でも城内第二位の大きさ、肥後石です。建設当時の巨石運搬の苦労が想像されます。大変だったろうなぁ。


二の丸から内濠を越えて本丸にいたる極楽橋。天守閣が朝日を浴びて輝いていました。


内濠から本丸の立派な石垣の向こうに見える天守閣。忍びの者はこんな石垣も濠を渡って登っていくんだろうか。


大坂城大手門。ここから二の丸、本丸へと入っていくことができますが、そのまま自転車に乗って入る事ができます。


大手口桝形多聞櫓。重要文化財に指定されています。鉄(くろがね)門が重厚な作りとなっていますが、おそらく大砲の攻撃にも負けない強度を持たすための設定となっているのでしょう。


二の丸内にある豊國(ほうこく)神社。建立当時は中之島にあったそうですが、徳川期の大坂城になって今の場所に移されたそうです。秀吉公だけに出世開運のご利益で売り出しているようですね。


境内にある豊臣秀吉像。陣羽織を来て軍配を持っているので戦陣に立つ姿のようです。


愛嬌もありながら、威厳のある凛々しいお顔立ちです。


そして、桜門から本丸に入って行きます。この中までも自転車で入っていくことができます。他の城跡などを巡っていて思うことですが、大阪城公園は本当に懐が広い。単に城跡というだけでなく、大型緑地公園というフレームがそうさせているのかもしれませんが、本丸天守閣の傍まで自転車で走行が可能です。また、本丸に入るのにも料金は一切不用です。この辺りの違いは何によってもたらされているのでしょうね。天守閣のみならず、本丸に入るのに料金を取るお城は他には結構あるんですけどね。例えば、名古屋城なんか、料金を払わないとほとんどお城の施設に近づけない。濠の外から遠巻きに天守閣を眺めることができるだけという感じですもの。それに比べると大阪城公園は気前が良いというか開けっぴろげというか。


本丸広場の様子。多くの観光客で賑わっていましたが、団体客の多くは中国や韓国の方のようです。中国語と韓国語が飛び交っていました。中国や韓国の人たちにとっては、秀吉は李氏朝鮮への侵攻や明との戦いもあって良いイメージを持たれていないように聞いたことがありますが、実際のところ、どのような思いで大坂城を巡っているのでしょうね。


本丸内にある旧大阪歴史博物館。2001年に閉館になっていて現在は入館できませんが、この日は大坂城関連のイベントで特別に入館できるようでした。時間がないのでパスしましたが、ロマネスク様式というんですか、この昭和初期の西洋風建築って味わい深い感じがして中もまた機会があれば入ってみたいですね。


さぁ、いよいよ大坂城天守閣に入ります。この天守閣はもちろん建設当時の物ではありませんよ。秀吉時代の天守閣は大坂夏の陣で灰塵に帰し、徳川期に再建された天守閣は江戸時代1665年に落雷による火災で焼失してしまいました。もし現存していれば、国宝であることはもちろん、姫路城のように世界文化遺産に登録されていた事は間違いないでしょう。

現在の天守閣は1931年に再建されたものですが、あの1945年の大阪大空襲の際にも壊滅的な被害を免れて現在に至っています。という事で、天守閣内部はエレベーターや階段が設置された鉄筋コンクリートのビルであり様々な展示品が並ぶ博物館となっています。


天守閣博物館の入口です。


豊臣時代の大坂城模型

天守閣の内部は博物館になっており、大坂城建築に纏わる様々な史料や当時の鎧兜、武具などが展示されていました。そんな中でも、私の少年心をくすぐるのはこちら。大坂城の模型。しかも豊臣氏大坂城と徳川氏大坂城のセットで展示されてあってずっと見ていても飽きません。


徳川時代の大坂城模型

お城のプラモデル、中学生や高校生の頃によく作りました。けど、普通に市販されている物って天守閣がメインで、城郭全体が模型化されているものって皆無(たぶん)なんですよね。だけど、はっきり言って天守閣はどうでもいい。天守閣は勢力誇示の政治的な意味合いが強く、実用的な意味合いは薄いもの。防衛機能としては全体の縄張りが肝心要なんですから、そういうポイントを模型でも表現して欲しいのにブツブツと不満に思っていました。

見てください。大坂城、大坂城って言いますけど、豊臣時代の大阪城と徳川時代の大坂城はこんなに違うんです。現在の大阪城公園の基本的な構造は徳川時代に再建、改装された大坂城のものです。現在の大阪の人でさえも太閤さんの大坂城っていうイメージで現在の大坂城を見ていると思いますけど、実は現在の大坂城(公園)って徳川時代の大坂城を再建したものなんです。「太閤さん」ではなくって「徳川さん」の大坂城。豊臣時代の大坂城の遺構のほとんどは地中に埋もれてしまっていると言われています。でも、徳川氏の大坂城を太閤さんゆかりのものと懐かしがっているという事が徳川氏による巧妙なイメージ戦略に後世になってもまんまとやられてしまっているという事なんですよね。こういう巧妙なイメージ操作を行ってきた徳川幕府というのは恐ろしいものですね。何か現在の官僚統治と同じような臭いがします。


天守閣博物館の中で最も興味深かったのが、この展示物。大坂夏の陣を描いた「大坂夏の陣図屏風」の解説コーナー。デジタル処理された屏風絵の描かれている内容について自動音声で解説するというものですが、あまりの面白さに聞き入ってしまいました。

「大坂夏の陣図屏風」は左右2枚に分かれていて、右側は合戦絵巻になっていて、城を攻める徳川方と、守る豊臣方の名だたる武将やその部隊が描かれていて、軍隊同士が戦い合う様子が表現されています。まぁ普通の合戦図です。興味深かったのは左側の絵です。左側は、豊臣方の敗残兵や大坂の町の民衆が落城寸前の大坂城から逃げていく様が描かれていますが、そうした敗残兵や民衆を逃すまいと待ち伏せする徳川方の部隊や野武士、落ち武者狩りによって生き地獄のような殺伐とした風景が描かれています。歴史の授業では、大坂夏の陣は、徳川家康が豊臣氏を滅ぼすために仕掛けた戦というアナウンスしかされませんが、よく考えると、当時何万人、何十万人という民衆が暮らしている大坂の町で起こった大規模な市街戦なんですよね。多くの無辜の民が犠牲になったことでしょう。現在の大阪の街で数万、数十万という軍隊同士が激しくドンパチを始める事と同じですから、それはそれは想像したくもない凄惨な状況になることでしょう。

いやはや、そんな事を考えながら、展示物を見て回っていました。

KHSで巡る大阪・街ポタ シリーズvol.1 大阪城公園編

2012-11-06 05:28:37 | 街ポタ
KHSで巡る大阪・街ポタ シリーズvol.1 大阪城公園編
以前から大阪の街を自転車で色々と巡ってみたいという思いがあり、昨年の10月に小径車のKHS・F20RCを購入しました。しかし、自転車に乗れる時はロードバイクに乗ってツーリングに出掛けたり、国道や県道を走って写真を撮ったりすることが多く、なかなか街ポタをする機会がやってきませんでした。

しかし今回、大阪の街を色々と巡りながら走るということがようやく実現しました。
ポタリングをするなら「大都市」だと決めていました。関西の代表的大都市である「大阪」「京都」「神戸」。それぞれ成り立ちの背景や街の現在を形作る様々な要素があって、歴史的な観点における見どころが実に多いからです。そこで、今回はこの3都の中で最も古い街である大阪の色々な場所をこれから巡ってみることにしました。

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今回はその初回という事で着目したい場所があります。それは、下の写真の茶色く彩られた土地、上町台地です。


http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-413.htmlより転載)
ウィキペディアによると、上町台地とは「大阪市にある丘陵地・台地である。南北に長く、北部は中央区の大阪城付近・天満橋の辺りで、そこから緩やかに小山を形成し、天王寺区・阿倍野区周辺を経て、南部の住吉区住吉大社付近に至り、その辺りでほぼ平地になり清水丘を以て終わり、長さ12kmに及ぶ。大阪(大坂)の歴史の発祥地であり、要所である」とのことです。

大阪の街は縄文時代には、下の写真のように上町台地が瀬戸内と河内の海とに挟まれた半島のような土地を形成していたというのが現在の通説となっています。その後、時代が進み、川から流れ出た土砂によって海の陸地化が徐々に進み、現在の大阪平野が形成されるようになったとのこと。つまり大阪の街は、古代より陸地であった上町台地を中心に、もともとは海や湖沼であった新しい土地を都市化しながら発展してきたのです。


http://atamatote.blog119.fc2.com/blog-entry-413.htmlより転載)
上町台地は、それらの新しい土地より標高が20㍍程高い小高い丘のようなものですが、歴史的建造物はこの固く安定した土地である上町台地に建設されてきました。つまり、それが四天王寺であり、難波宮であり、大坂城といった当時の国家権力の思想を象徴するような巨大な建設群です。そうした政治的な意味合いの強い建造物を中心にして大阪の街が発展してきた歴史があります。つまり、上町台地は大阪という街にとって「背骨」とも言える基盤の土地ともなったのです。

現在の大阪の街は、例えば地図上では平面に描かれていますし、車などで移動をしてみても高層建築や無数の建物に覆われていたり、また道路建設にあたって低い土地と台上の土地との標高差が均されてきているので上町台地といった少しばかりの標高の高い土地と新しく形成された低い土地との繋がりが感覚的には不明瞭となっています。

そこで今回のポタリングでは、そうした地形の変化を感じながら、現代の大阪の街の歴史的基盤である上町台地周辺の各所を巡る旅を幾度かに分けて行いたいと思います。

自転車に乗ると、自然と風の流れと道の傾斜に敏感になります。坂を登り下りしながら元々の地形を感じ取るための道行に自転車ほどぴったりなお供はありませんね!
 

ということで、今回のポタリングの第一弾は大阪城公園です。

大坂城についてはまた後ほど取り上げるとして、とりあえず今回は大阪城公園周回道路をグルっと回ってみましょう。この道は自転車コースというよりも、ジョギングやウォーキングのメッカとして多くの方で賑わっているコースです。

大阪城公園という大阪市街地の中心の緑豊かな公園で、市民の大事な憩いの場となっています。



MAPで青色のラインが引かれている道が大阪城公園周回道路です。MAP左下の大手門からスタートしてぐるっと1周してくるコースを取っています。およそ3.5㌔の道のりです。


今回スタート地点とした大手門前広場にて。右手に見える建物は大阪府警本部と大阪府立歴史博物館です。大阪城公園のすぐ西側は大阪府官庁街になっています。江戸時代のお城の役割は、軍事拠点というよりも実質的には「役所」ですから、お城の近くが官庁街になるのは物の道理ですね。

ここからスタートして大阪城公園の最も外周を反時計廻りに回って行きます。

     
公園西側の道。東からの太陽光が眩しいです。

     
角を曲がって、公園の南側の道を東へ進みます。左手には南外濠と二の丸の立派な石垣が見えます。城南地区の木立を抜けていくと、途中で道が途切れています。近づいてみると・・・


急な階段が現れます。MAPで言うと、南側にある大阪城音楽堂のすぐ東付近です。階段を降りるとすぐに音楽堂があります。ジョギングやポタリング泣かせの急階段です。特にジョギングをされている方はここを走るとかなり脚を削られることになりますよ。


階段を降りて、音楽堂を過ぎると大きな噴水のある広場に出ます。この巨大な噴水は大阪城公園のシンボルの1つになっていますね。この噴水、石は犬島の花崗岩で昭和31年に完成したそうです。写真は虹が写っているのが分かりますか?

     
噴水広場からは公園の東側の道を北上してきます。市民の森、記念樹の森という名前が付いている結構深い木立の中を進んで行きます。沿道には銀杏が植えられていて、緑色から黄色へと紅葉がすすんでいます。もうしばらくもすると黄金色の銀杏並木の道となるのでしょう。


こちらは記念樹の森の辺り。右手には太陽の広場が広がっています。森の上に顔を覗かせているのは大阪ビジネスパーク(OBP)のクリスタルタワー。

     
コンサートで有名な大阪城ホール。正式名称は「大阪城国際文化スポーツホール」。そんな名前だったんだ。大阪人は「城(じょう)ホール」と呼びます。人気アーティストの公演前には入場客がズラーッと行列を作ります。ジャニーズの人気アイドルグループの公演前など凄い事になっています。

 
OBPへと続く橋の上から撮影。全面ガラス張りのクリスタルタワーに太陽光が反射して迫力の写真になっていますね。

     
大阪城公園に戻り、公園北側にある「おもいでの森」の道を走ります。

     
大阪砲兵工廠の残存施設、化学分析場と表門前 明治天皇聖躅碑。赤レンガ造りのレトロな雰囲気の建物なのに、何の表示もなく柵で囲まれているだけの曰くありげな建物です。調べてみると、旧陸軍の施設でした。

明治時代から太平洋戦争末期まで、大坂城の隣には巨大な大阪砲兵工廠という軍事工場がありました。下の地図で彩られた地域が大阪砲兵工廠です。




大阪砲兵工廠の旧正門を抜けると、しばらく大阪城公園の敷地を出て、追手門学院の前の銀杏並木の道を行きます。左の濠は北外濠です。

     
大阪城公園二の丸に入る京橋門の前を通り過ぎて行くと、再び公園内の周回道路に入ります。大阪城公園の西側の道を南に下って行きます。すぐ右手には駐車車場やタクシー乗り場、バス用のロータリーが見えます。


大阪城公園内をぐるっと1周してスタート地点の大手門前広場に戻ってきました。正面に見える門が大手門です。ここから二の丸に入って行きます。

コース概要

コース名 大阪城公園周回コース

距離  3.5Km



大阪城公園は、大坂城跡という日本史上で燦然と輝く名所を中心とした広大な歴史公園であり、大阪市内屈指の大型緑地公園です。大阪城公園周回コースは、大坂城天守閣やシ東西南北の外濠や櫓を眺めながら大阪城公園内の最も外側を1周するコースとなり、大坂城ホールや太陽の広場、大坂野外音楽堂、といった様々な公園内の施設に隣接するコースでもあります。



交通量
一部区間を除きほとんど公園内を走るコースなので自動車が走ることはありません。ただ、公園管理車両や公園内売店の営業車が走る事があります。

路面状況
周回コースは車道ではないので自転車を走らせるのに快適なアスファルトではありませんが、全面舗装路ではあるので走り易い良い道です。途中の階段では自転車を担いで降りるしかありません。

安全性
自動車との接近はほとんどありませんが、サイクリング、ジョギング、ウォーキング、犬の散歩、観光客などが多く、他の自転車や人と接触しないように注意して走る必要があります。

信号機
公園内を走るので信号はありません。

エイド
大阪城公園内の売店が数か所にあります。自動販売機も各施設付近にあり、食料補給という点では困る事はないでしょう。

景観
周回コースのほとんどは公園内の整備された森の中を走る並木道なので、春は桜と新緑、秋は紅葉、冬は冬枯れと季節の木々の移り変りを十分に堪能できるコースです。また、大坂城天守閣をはじめ、大きな外濠や石垣、各所の櫓など巨大な歴史施設を眺めながら走ることができる稀有なコースです。

用途 ポタリング
大勢の人が集まる公園内のコースなので、自転車はスピードを上げて走ると大変危険です。ゆったりと並木道や大阪城の雰囲気を味わいながら散歩がてらにブラブラと巡るのに最適なコースです。