惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

8月9日(金)のつぶやき その5

2013年08月10日 | miscellaneous

まあそれはそれとして、さっき俺がつい「大学進学率の統計を・・・」などとやってしまったのは、参照したblog記事の書き手が30歳だというのに多少引きずられたということはあった。以前も書いたが、社会に出てみると「大卒者は友達も大卒者ばっかり」ということに気づく瞬間があるわけである


つまりまあおおよそ20代のうちは、日常意識にかかってくる他人というのはだいたい同世代の人間だったということが自分の経験としてあるわけである。件のblog主もその感覚で言っているのだろうと勝手に決めつけてしまった


まあそれ以外にも本音を言えば「そうかなあ」と思うところが、さっきのblog記事にはちらほらあったのだが、それでもあのblog記事くらいのところで認識しておくくらいの方が「日本の、いや一般に人間の社会というのはどういうものか」のイメージを取り違えないためにはいいのではないかと思う


もちろん逆目の勘違いというのもあって、実際問題、大卒でない人はしばしば大卒者の比率をネグリジブル・スモール(無視できるほど小さい)だと決めてかかっているところがあったりする


それはその人の生活実感には違いないのだろうし、いきなり文句を言うことでもないのだが、そのイメージの誤差が逆に、知識的なことは「自分の手の届かないところにある何か」だというような思い込みにつながっているように思えることがあるわけである


そんなご大層なもんじゃねえよ。ご大層な知識がないとは言わないけど、パソコンの前で尻込みしなくてはいけないような水準であるわけでは決してないよ


@finalvent  若者が多数コミケに行き、暑さにやられるでしょう

celsius220さんがリツイート | 6 RT

まあコミケに行く人達はベテランほど酷暑対策とかはガチガチに固めてやっているものらしいけどな。べつに猛暑の年でなくても会場内はいっつも超酷暑らしいから


”「過去から未来に向つて飴の様に延びた時間といふ蒼ざめた思想(僕にはそれは現代に於ける最大の妄想と思はれるが)」(「無常といふ事」)ということで、かれがこき下ろしたかったのは歴史的必然論だったろう→


→だが忘我の時間体験によっても、それぞれの時代にいまの瞬間しかない時間を数珠玉のようにつないでみても必然論が超えられるはずはない。また愛惜に裏づけられた「思ひ出」によって歴史が再現されるものでもない→


→歴史という概念が難かしいのは当時もいまもかわりがない。かれのいう「死人だけしか現れて来ない」のは「歴史」ではなく過去史にしかすぎない→


→歴史は未来を現在の方にひき寄せる〈いま〉の意識なしには成りたたない。そうすることによって「死人」しかあらわれない過去ははじめて、あたかも下意識のように蘇るのだ。それは「上手に思ひ出す事」とは関係のないことだ”(吉本隆明「小林秀雄」より/『悲劇の解読』所収)


『悲劇の解読』はもう長いこと読んでないというか、文庫で買ったその文庫本がどこ行っちゃったんだか判んなくなっちゃってて(笑)


でもまあこうして読み返してみると、昔読んでいたときはこのへんなんかはまるっきり理解できていなかったな(笑)今は理解できるけど「歴史とは何か」についてこれ以外の書き方ができるという気は、まだしないな(いつだったか、少しやってみた記憶はあるのだが・・・)



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8月9日(金)のつぶやき その4

2013年08月10日 | miscellaneous

→「マーケットの声に耳を傾けろ」「ニーズを探れ」「顧客優先」なんて言うリーダーほど市場や顧客の声を無視している奴はいない。そんなものはすべて存在しないものなのである”(芦田宏直「コミュニケーションとは何か?」Jan.15,2005) ashida.info/blog/2005/01/h…


今日初めて読んだのだが、ジャイアンの人(芦田宏直)がここで語っているのは、わたしが時々言っている「吉本隆明の『大衆の原像』とは判りやすく言えば商売人にとっての『顧客のニーズ』のことだ、それは不可視なものだ」ということの、より詳しい説明であるように思う


本当にそれで合ってるのかどうかは知ったことではない(笑)のだが、「大衆の原像」をそういう風に理解している人を見たのは、自分自身を除けば初めてなので「うへー」と思った


ついでに言うと「コミュニケーションというのは、いつも片方向だ」という考えも、これもわたしが「コミュニケーション」というカタカナ語を嫌って「伝達」と書いたりする理由で、わたしの考えと同じである。ただし「片方向」を、たぶんこれも吉本由来だろう「無償」と等値するのは芦田氏に独自の理解だ


驚いたのは後者の方である。「伝達は本来片方向だ」というのは、わたし自身にとっては吉本を読む以前からそう思っていることで、それゆえに、とりたてて根拠もなくそう思ってきた(笑)ことである。それを「無償」ということと等値することで吉本の議論に接続するというのは初めて見るアイデアで驚きだ


まだ驚いている最中なので(笑)これについていま詳しく考えるということはよしておきたい


さっき引用したblog記事はジャイアンの人のTLを覗いていたらたまたまリンクが張られていたのだが、そのジャ・・・いや、芦田宏直センセイはこんど本を出すらしい ── 『努力する人間になってはいけない』(ロゼッタストーン・9月刊?) kokucheese.com/event/index/10…


ところでさっきの引用の中の「『マーケットの声に耳を傾けろ』(略)なんて言うリーダーほど市場や顧客の声を無視している奴はいない。そんなものはすべて存在しないものなのである」、これはお前(摂氏)の言い分と正反対ではないのかと思う人がいるかもしれないから勝手に註解を加えてみる


この引用にある「存在しない」は、わたしの場合は「世論」についてしばしばそう述べている。たとえば選挙結果などについて「これこれが世論であった」などと政治家や党派が述べる場合の「世論」、そんなものは存在しないのである


もう少し正確に言えば、じぶんが内心で持っている「論」が存在するというように、同じ様態(存在論)のもとで「世論」なるものが存在するわけではない、ということになる


だからたとえば「市場の声」は存在しないというのも、文字通り耳を傾ければ聞こえるとか、種々のマーケティング手法を適用した結果の結論として読み取ることができるというようには存在していない。それは吉本の「大衆の原像」をただの大衆迎合主義だと誤解するのとまったく同じ種類の勘違いなのである


けれども、たとえば商売人として優れている八百屋とか魚屋とかの人が、商売繁盛の秘訣は何ですかと尋ねられて「それは『市場の声』にいつでも耳を傾けていることさ」と答えることは普通にあることのようにわたしには思える。八百屋や魚屋が説明の達人でもあるということは、普通ないだろうからである


岩波の本を読んでいると「障碍」がやたら出てくる。「障害者」ではないのだ。「障害」まで改変する岩波。

celsius220さんがリツイート | 4 RT

えっ、と思って調べてみると ── ”「障害」「障礙」はいずれも当用漢字制定前から同じ「さわり・妨げ」という意味の熟語として漢和辞典に掲載されており「障害」という表記は「礙」を同音の「害」に単純に置き換えて戦後に造語されたものではない” ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%9C…


「『障害』まで改変する岩波」というのは穏当ではない気がするが、それでも岩波の本の著者が「『障害』は碍の字が当用漢字にないので戦後に作られた造語だ」と思い込んでいる可能性はあるような気がする。実際、俺もつい今しがたまでそう思っていた


しかしさっきのWikipediaの記述が本当だとして、小谷野敦の「女の看護師とよぶな、看護婦とよべ」論にしたがうならば、これも障害と書くべきだということにはなるのだろうな


低学歴と高学歴の世界の溝(はてな) anond.hatelabo.jp/20130809115823 あまり言うことはない(だいたい判る)が、たったひとつ。「実は日本には大卒ってそんなにいない」これだけは違うと思うw 大学進学率の統計を調べてみればいい


@celsius220 正確に言うならば、一斉に変えるのがおかしいということです。

celsius220さんがリツイート | 1 RT

@celsius220 年齢が高い人もいるわけだからさ。

celsius220さんがリツイート | 1 RT

@tonton1965 あ、そこまで含めての話か。ご指摘感謝します


確かに「全成人人口に占める大卒者の割合」ということになると今でもそんなに高くはないのだろうな


世界で最も教養が高い国ランキング発表!!1位のカナダは2人に1人が大卒者と判明 果たして日本は?? irorio.jp/asteroid-b-612… この調査が信頼できるかどうか、留保はいるだろうが、一応2012年の時点で日本の全成人人口に占める大卒者の比率は「45%」とある


・・・この数字は俺が感覚的に持っている値よりもむしろ高い(笑)


爺さん婆さんまで全部含めたら3割がいいとこじゃないかなあ、と思うのだが、いまググってみた限りだとこの手の数字を算出している資料があまり見当たらない



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8月9日(金)のつぶやき その3

2013年08月10日 | miscellaneous

情報がなくては的確な判断・行為もできないではないかと言われればその通りだが、その情報によって無用な感情をかきたてられれば、ランダムに判断・行為するよりもっと悪い結果を、人間は自ら招きよせてしまう傾向があるからだ


そういう習慣が自覚的に身についたのは、俺の場合はオウム事件以後のことだ。地下鉄サリン事件が起きて数日くらいはともかく、それから以後では、あらゆるメディアが意図的に何事かを煽るような情報を流しているなと感じた


当時は部屋にテレビがあったから(笑)情報を遮断するということはできなかったが、必要十分な程度まで減らすことはできた。どうしたかというと、チャンネルを12に合わせてアニメ番組ばっかり見ることにしたわけだった(爆笑)


それだけではなく、それまでほとんど使ったことがなかったビデオ録画装置を使って、気に入ったアニメ番組を片っ端から録画しては繰り返しそれを見るようにした。おかげで萌えアニメにはいっぺんに詳しくなってしまった(笑)


今でも自分の中で明確な答は出せていないのだが、情報、特にメディア(媒体)を介した情報というのは、たくさん受け取れば受け取るほどいいのだということは絶対にない、ということだけは間違いない。はっきりしないのは、状況に応じてどのくらい絞ればいいのかの基準だけだ


貞子ちゃん任務失敗 / 半蔵 さんのイラスト #nicoseiga #im1361853 nico.ms/im1361853 今日の貞子さん


米政府、パキスタンの米領事館に退避命令 テロ警戒(CNN) cnn.co.jp/world/35035777… ”地元警察は今週に入って警戒を強め、ラホールに出入りする交通の検問を行っていた。当局は、ラマダンが終わるイドアルフィトルの祝日を狙ったテロ情報を政府が入手したと説明している”


住宅に火炎瓶4本投げ込まれる 男の目撃情報 福岡(朝日新聞) t.asahi.com/c29r


寺塚の警察官の家に火炎瓶なげこまれました…
おれんちくんなよ南無…

celsius220さんがリツイート | 1 RT

朝日新聞の記事には「警察官の家」とは書かれていなかった。未確認


ほとんどのニュースでは「工務店社長宅」となっている


建設業者の自宅に火炎瓶か(NHK福岡 NEWS WEB) www3.nhk.or.jp/fukuoka-news/2… この動画を見る限りだと「工務店社長宅」っぽい家ではある


子供のゲーム機をブッ壊す親と夫の鉄道模型を捨てる妻、やっぱり似てるというか、「本人の興味の対象を破壊すれば、自分にとって好ましい方向に変化させられる」という何の根拠もない思い込みをそのまま実行する辺りが最高にファックですね。要は自分好みに洗脳したいって事じゃねぇか。気持ち悪い。

celsius220さんがリツイート | 5014 RT

速報:秋田県警や消防によると、大雨で流された同県仙北市の住宅は少なくとも8棟という。 bit.ly/17n4iz

celsius220さんがリツイート | 48 RT

”火炎瓶の製造や所持に関しては3年以下の懲役または10万円以下の罰金、使用(他者の財産・身体に危険を及ぼした場合)に対しては7年以下の懲役刑が科される”(Wikipedia・火炎びんの使用等の処罰に関する法律) ja.wikipedia.org/wiki/%E7%81%AB…


この法律は学生運動でやたらと火炎瓶が使われた時代に自民党とかの議員立法で作られたものだが、今日でもちゃんと生きている法律である


この「もんじゅ君」というのは何者なのか。政治的問題になりかねない話を、こういう匿名のおふざけキャラクターで書くのはおかしいのではないか。名誉毀損などの問題が起きたら、BLOGOS編集部が責任をとるのか。 RT @ld_blogos: もんじゅ君の「ズバリ聞きますだよ!」

celsius220さんがリツイート | 28 RT

なあに、問題が起きたってLINEの担当者と下請け孫請けが切られるだけだよ(皮肉)


大規模火災のナイロビ空港「国際線の運航再開」(写真あり)(AFPBB News) afpbb.com/article/disast… ”政府と保安当局のいずれからも火災原因について言及がない理由を報道陣から尋ねられたカマウ運輸インフラ相は、「臆測は控えましょう」と繰り返すにとどまった”


テロ計画、出所はイエメンのアルカイダ系組織―米在外公館閉鎖(WSJ) jp.wsj.com/article/SB1000… ”米在外公館を一時閉鎖することにつながったテロ計画は、アルカイダの指導者ザワヒリが指示したものではなく、イエメンの組織が提案し、ザワヒリが承認したものだった”


Life During Wartime - Talking Heads: youtu.be/ovmH6W20TyU 訳詞(ミク・ダブルフィールド)→ d.hatena.ne.jp/Ryu_3691/20120…


”私は、コミュニケーションというのは、いつも無償のもの(=片方向)だと思っている。お互いが理解し合うなんて、最低の貧相なコミュニケーションだ(芦田宏直「コミュニケーションとは何か?」Jan.15,2005) ashida.info/blog/2005/01/h…


→帰ってこない(=返ってこない)から、配慮、無償の配慮が存在するのである。〈アンケート〉を取ったり、〈市場調査〉をしたりして企業や組織の行動を決定するというのは、実際には《マーケット》を愛していない証拠にすぎない。そんなことでは《マーケット》と“会話”はできない→(同上)


→実際の《マーケット》は、《マーケット》の沈黙(無反応)の中にある。見返りを期待しないで《マーケット》に向き合うことが、《マーケット》と会話する最大の方法(無方法)だ→(同上)



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8月9日(金)のつぶやき その2

2013年08月10日 | miscellaneous

そう言われるといかにも本当らしく聞こえる(また実際にも本当かもしれない)が、ひっくり返してみると怪しくなってくるところがないでもない。それは結局「金持ちになるためには金持ちのように振る舞わなければならない」と言っているのと同じだ


もっとも、たとえばロバート・キヨサキのような人は大真面目にそう主張していたりする


どっちにしろ他人がそうするということに文句を言う理由は、俺にはないな


俺の場合はblogを書いたり、その延長でtwiiterで呟いたりするのは、タバコを吸うのと一緒のことだ。ものを書くというのは俺にとってはそういうことだということだが、他人にとってもそうかどうかは知らない


匿名でやってるのもそういうことだと言えば判りやすくはなる。タバコ吸うのにいちいち名乗って吸うやつはいない


そうするとニュースや他人の言葉の字句を拾ってきて、それをネタに何か書いたりするのは、それらの字句に火つけて燃してるようなものかと言われれば、今までそんな風に考えたことはなかったが(笑)そうかもしれない


とはいえ、言葉については各種の保存則は成り立たないので、燃して煙にしたからと言ってもとの言葉がなくなるわけではないし、何か化学的な変化を蒙るわけでもない


ただどうも燃すための字句は他人の字句でなければならないということはあるらしい。実際、そうでないなら自分の書いたことをそのままネタにして、言葉の高速増殖炉を実現できる(笑)はずだが、そういうことにはなっていない


まあ時々はblogの過去記事にリンク張ったりしているから、全然ないこともないのだが、それもシケモクに火つけているようなものではある


世のブログ論は、影響力やPVが重視されるけど、僕はそんなのは二義的なことだと思う。市民社会は一人の個の覚醒に未来が託されている。

celsius220さんがリツイート | 22 RT

これも、市民社会云々はさておいて、影響力やPVが二義的なことだというのは、実際にそうだと思う。影響力やPVが云々されるようになったのは、Web上の日録ページが広告宣伝媒体だったり、広告宣伝そのもの(つまりステマ)だったりすることができるということに注目が集まってからのことだ


「blog書くのはタバコ吸うのとおなじ」な俺の場合は、影響力やPVとかいったことは排気口の実効流量という意味だけはもっている。形の上では排気口を取り付けてあっても、実際に空気が流れなければ意味がないし、煙は拡散しなければならないという意味でそれは大きい方がいいのである


流量は大きい方がいいと言っても、部屋より大きな換気装置をつけるバカはいない。部屋の大きさによって自然な限界をもつことになるはずだし、事実その限界はあるように思える


他人の厚顔無恥に腹が立つとき、ただちに自らに問うてみよ。「世の中に恥知らずの人間が存在しないということがありえようか」「ありえない」と答えるだろう。それならば、ありえぬことを求めるな。 =アウレリウス=

celsius220さんがリツイート | 1 RT

世の中にありえぬことを求める人間が存在しないということがありえようか。ありえない。ありえぬことを求めるとは本当のところ何をしていることになるのだろうか


東北~北海道 猛烈な雨に警戒(NHKニュース) nhk.jp/N48s5jIc ”気象庁は、秋田県では「これまでに経験したことのないような大雨」になっているとして、最大級の警戒をして安全な場所に移動するなど「命を守るための行動」を取るよう呼びかけています”


世界的な異常気象、気候変動フェーズなので過去からリニアに「これまでに経験したことのないような大雨」って言っても、ここ数年では常態である場合が多いので、確率論的にも表現を改めたらどうか?危機感が高まらない headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130809-…

celsius220さんがリツイート | 1 RT

これまでに経験したことのないような小惑星帯に突入しようとする際のミレニアム・ファルコン内での会話:
C-3PO「小惑星帯を上手く抜けれる確率は3720分1ですよ!」
ハン・ソロ「確率なんて知るか!」


英語では
C-3PO: Sir, the possibility of successfully navigating an asteroid field is approximately 3,720 to 1.
Han Solo: Never tell me the odds!


猫物語(白) 第懇話『つばさタイガー 其ノ伍』 (24:09) #nicoch2575664 #so21535065 nico.ms/1375856240 いい最終回だった、というか、最終回でやっと何の話だったのかわかった。うまく作ったものだ


今もまだ「気象庁」「地震速報」がトレンドに入っている。俺はテレスクリーンもスマホも持ってなくて、ゆえに緊急地震速報も見てないから何とも思わないわけだが、震度7の警報を見た人のショックは、やはり相当大きかったということなのだろう


同じことは東日本大震災と福島第一の事故の後の人々の狼狽っぷりについても言えるのかもしれない。俺自身も地震それ自体にはショックを受けて狼狽もしたわけだが(笑)


今も反(脱)原発テロのデマ言説を流している人があれほどたくさんいるというのは、事故それ自体よりも、事故に伴って流された情報(映像とは限らない)から受けたショックが尾を引いているのではないか。文字通りのPTSD(心的外傷後ストレス障害)として


なんでそんなことが言えるかと言えば、テレスクリーンはともかくインターネットは俺も使える状態にあったわけだが、福島第一の事故に関する限りその情報は意図的にほとんどシャットダウンしていたからだ



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8月9日(金)のつぶやき その1

2013年08月10日 | miscellaneous

それで実際IQってどうやってはかるのさ

celsius220さんがリツイート | 1 RT

いまのワカモノは小中学校で知能テストとかやらされないのだろうか。我々のころだと2~3年に一度、中学校に入ってからもやらされた覚えがあるのだが


やるのはいいけど結果は教えてもらえないんで、いつもなんとなく嫌だった。まあIQというのは努力して向上するものではないから、ということだったのだろうけれど


あと、小学校1年のとき仲良くしていた友達が、2年に進級するというところで突然特殊学級に放り込まれたということがあった。その時は単純にわけが判らなかったが、あとから考えてみるとあれが知能テストの結果だったのかもしれない


はっきりとしたことは最後まで判らなかったのだが、疑いを晴らす機会もなかったわけで、だから今でも知能テストとか知能指数とかいう話は、基本的に大嫌いであ・・・ああ、だからやらなくなったのかな(笑)


まあ好きでも嫌いでも発達心理学をやってる人なんかにとっては、知能指数というのは否応なくかかわらなくてはならない概念ではある


そっちの文脈で言う場合の知能指数は要するに相対的な精神年齢のことなのだが、いつか聞いた話では、そうであるにもかかわらず「知能指数というのは生涯変わらない」ものだということになっているらしい


「それはつまり、四十の人間がIQ150だったら六十の爺と一緒だということか」と聞いたら「そうだ」「えー」「・・・言いたいことは判る。確かにおかしい。けどそういう定義なんだから仕方がない」


発達心理学というのが事実上児童の発達心理学であった時代にはそんなこと問題にならなかったわけだが、最近のそれは「生涯」にまで範囲を広げてきているから、そういう変なところがあちこち出てきてしまった、という認識はあるらしい


あなたが明日会う人々の四分の三は、「自分と同じ意見の者はいないか」と必死になって探している。この望みをかなえてやるのが、人に好かれる秘訣である。 =デール・カーネギー=

celsius220さんがリツイート | 1 RT

こんなこと本当なのかどうかは知らない。特に「四分の三は」というのはとりたてて統計的な根拠があって弾かれた数字だとは思えない。ただ、任意の何かを喋ったとき、それに異常に感激する人がいたら、その人は確かに「自分と同じ意見の者はいないか」必死に探していた人である。そういう人は時々いる


とはいえ、名言というならこういう名言もある ── ”あなたの愛情の発作をも警戒するがいい。孤独な人間は、たまたま出会った者に、すぐ握手を求めるようになる”(ニーチェ)


この一節は通常「するがいい!」と(たぶん原文がそうなので)感嘆符をつけて訳されているわけだが、思うに独文のこういう感嘆符は必ずしもその通りに訳さない方がいいのではないか。マルクスなんかでもそうなのだが、読んでるうちに「ああもう、うるせえ!」とか思えてきてコマル


しかしいま改めてニーチェの方の名言を検索し直してみたら、この名言は「自分自身の愛情の発作」に警戒せよと言っているわけである。実は今しがたまでわたしはこれを「他人の」そういう発作について警戒すべきことの名言だと思い違いしていた(笑)


わたしにはもともと愛情がないか、あっても希薄なので、愛情の発作ということもあまり経験したことがないわけである。全然ないこともないが、ほとんどは架空の何かだったり、架空でなくても紙の上にしか存在しない何かであることがほとんどで、したがって握手など求めようがない相手ばかりだった


まだ何か考える気でいたが、眠くなってきてしまった


楽観主義者はドーナツを見、悲観主義者はドーナツの穴を見る。 =詠み人知らず=

celsius220さんがリツイート | 1 RT

・・・そして幾何学者は同型写像を見る


緊急地震速報、過去最大規模の“誤報” 原因は「地震計のノイズの途切れ」(ITmedia ニュース) itmedia.co.jp/news/articles/… ”この地震計では、同日午前3時ごろから断続的にノイズが途切れており、機器の故障や通信回線の異常などが考えられるという”


今回の件では気象庁を批判すべきでないという声も出ていたりする。もちろん悪者探しと責任追及のためにするような批判は慎まれるべきだが、緊急地震速報の精度向上につながる批判は躊躇うべきではないと思う


まあこれ以上改良するには何兆円もかかるとかいうなら話は別だが、現時点までに聞こえてきている話ではそこまで大きなコストのかかる改修ではないし、一方で今回のような誤警報が生じること、またそれが繰り返されることのリスクはずっと大きいと考えられるわけである


僕がブログを書くのはそれが市民社会というものだから。

celsius220さんがリツイート | 11 RT

「市民社会の実現はそれ自体が市民社会的なやり方によって達成されなければならない」と言っているように聞こえる。こないだのよりは理解しやすい


イギリス人がバス停やなんかで「ひとりでも整然と行列を作っている」というのに似ている


そうした態度の背景にはしばしば「デモクラシーが暴力革命によって実現するというのは嘘ではないのか」といった種類の考えがある



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