惰天使ロック

原理的にはまったく自在な素人哲学

8月26日(月)のつぶやき その4

2013年08月27日 | miscellaneous

twitterやLINEばかりやっていたら友情は成り立たないかというと、どうやらそうでもないらしいことは、しばらく前に広島で起きた事件で証明されている。LINEでやりとりしながら仲間のひとりを殺すことも、いまのワカモノにはできるらしい、ならばそこには友情もあるのである


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夢は夜ひらく


河出書房新社のNさんよりFax。1995年に行なった吉本隆明インタヴューの再録願いのご連絡。ただちに承諾のメール。18年前の拙い仕事が活きるのは嬉しい。まったく忘れていたが、吉本氏とはまさに一期一会であり、若造を相手に真摯に応えてくださった氏の独特の息遣いや抑揚を思い出す。

celsius220さんがリツイート | 4 RT

何だろうと思って検索したら出てきた。雑誌『文藝』1995年「『ほんたうの神様』と『科学』」科学と宗教は一致するか?/「ほんたうのほんたう」/鋼色の黒ずんだような青さ/擬音語と「母」のかかわり/危ない主題への接近 fitweb.or.jp/~taka/ytbib95.…


『文藝』はそのころすでに季刊になっていたはずだから、1995年3号ということは「秋号」だろうか。オウム事件後で、吉本の発言もそれを巡ってなされたものが多かったころのはずである


シリア 国連の調査団が銃撃される(NHKニュース) nhk.jp/N4995tZ0 うわ、激しいな


@finalvent 国連を、UN=連合国と読めば、あまり違和感がないかも
未だに、日本は敵国ですからね

celsius220さんがリツイート | 1 RT

というかこれ(UN=連合国とか、旧敵国条項とか)を普通に知らない人が、わたしより年長の世代には妙に多いということを昔から不思議に思っていたりする。わたしは高校の政治経済で習ったのだが、年長の世代の教科書や副読本には、これらのことは書かれていなかったのかもしれない


あるいはわたしの受けた政治経済の授業が、進学校にはおよそ似つかわしくもない良質のものであったのか。副読本には自衛隊法なんかも載っていた。「もしも将来、自衛隊が国連あたりから国外に派遣要請されたらどういうことになるのでしょうか」などと教師に質問したりしたことを覚えている


なんでそんなことを覚えているかって、それはもちろん、ちょうど十年後に湾岸戦争が起きて、自衛隊の海外派遣ということが突然リアルな問題になったということがあったからである。その可能性だけは高校生の時から見抜くことができていた自分に、ちょっとだけ自惚れてみたい気分になったりした(笑)


そもそも「よく調べてよく考えたら正しい選択ができる」というのは大学選びでも就職でも結婚でもあまり根拠のない信念だと思う。

celsius220さんがリツイート | 93 RT

実際、大学選びでも就職でも結婚でも、「よく調べてよく考え」て選択した結果が、正しかったかどうかはともかく、費やした労力に見合うという意味で本人の納得の行く結果を引き起こしたという例をわたしは知らない


いまのワカモノはどうだか知らないのだが、少なくともわたしは進学先の大学を選ぶのに、これといって何の調査も考察もしなかった。「東京23区内の国公立大学」で「その名を告げたら親が泣き出すような大学ではなく」「ただし東大、テメーは駄目だ」この3つを満たす大学なら何でもよかった


なんで東大ではいけなかったのかと言えば、周囲が絶対に誤解するからだ。「あいつは立派な人間になりたくて立派な大学に進学したのだ」とか思われたりしたらたまったものではない。思われるだけならともかく、勝手にそう思い込まれて、求めもしない、どちらかといえば拒否したい世話など焼かれたら困る



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8月26日(月)のつぶやき その3

2013年08月27日 | miscellaneous

松江市教委 ゲン要請撤回決定(NHKニュース) www3.nhk.or.jp/news/html/2013… まずはめでたい


「絶対成功間違いなし」=イプシロン開発者ら会見-27日に初打ち上げ・鹿児島 dlvr.it/3sHVcS

celsius220さんがリツイート | 3 RT

・・・いやいや、そんな「絶対間違いなし」とか、そんな変なフラグ立てたらあかんて。打ち上げ成功してほしいのはもちろんだけどもさ


”病院で診察を受け、適切な治療を受けるよう勧めたことも多々ありましたが、逆に、僕に対する不信感を抱かせることとなってしまいました。結果、治療が成されないまま、年を追うごとに重症化したものと思われます”(宇多田照實氏のメッセージ) weemo.jp/s/67b65cdc


よくある話かな、という気もする。「精神科で診てもらえ」と他人から言われたら(それが家族でも、というか家族ならなおさら)言った相手に不信の念を抱かない人の方が、今もわが国では稀であろうと思う


自宅近くのこの品川御殿山ガーデンシィティとやらが何なのか、未だにわからない。 pic.twitter.com/Te0CyejAyh

celsius220さんがリツイート | 1 RT

建物はこんなに立派なのに、人の気配が全然ない。 pic.twitter.com/t3qx8BfgBg

celsius220さんがリツイート | 1 RT

”ガーデンシティ品川御殿山ビルは、東京都の「省エネルギー性能評価書」で最高ランクのAAA評価を得た省エネかつ環境に配慮した貸事務所です” office-navi.jp/office/0202050… だそうだ。人の気配が全然ないというのも、徹底して「環境に配慮した」結果だろう(笑)


「異性の交際相手も友人もいない」割合は男性で約6割、女性で約5割(読売新聞) yomiuri.co.jp/national/news/… この記事だと調査対象がいまひとつはっきりしないのだが、一応「18~39歳の未婚者」と読める


この記事の「友人」というのは「異性の友人」なのか「(異性同性ひっくるめた)友人」なのか、これもはっきりしない


そろそろ晩飯にするかな


今日の自炊書籍は、おそ松渉の『弁証法の論理』。おそ松が回らない頭を一番使った本。 pic.twitter.com/gvi5VKdZAu

celsius220さんがリツイート | 3 RT

そう言や日本の専門哲学者ってのは廣松渉の本も読まなきゃいけないわけだよな。ただでさえヘーゲルやらハイデガーやらを原書で読まなきゃいけない上に、そんなことまでしなきゃなんないんだから、まあ、すっげー気の毒だよな


廣松渉の本はしばらく前に一冊、岩波新書か何かで読んだことがあったのだけれど、まるっきり取りつく島もないちんぷんかんぷんだった。専門家は仕方がないとしても、素人哲学は読むだけ無駄だと思って諦めたよ


でもまああれかな、仮に余命三か月とか宣告されたら、その時にはまた読んでみてもいいかもしれない


藤圭子さんの件で<関係の病>を考えさせられますが、真っ先に思い出したのが「統合失調症」(森山公夫)。amazon.co.jp/gp/product/448… 東大病院時代から吉本隆明の心的現象論序説を探究した著者の成果でもあり、臨床に即した内容には説得力があります。

celsius220さんがリツイート | 1 RT

せっかくだから ── 吉本隆明+森山公夫『異形の心的現象』(批評社) hihyosya.co.jp/ISBN978-4-8265…

1 件 リツイートされました

念のためいうと森山センセイの『統合失調症』は確か被害妄想ということが軸になっていたように記憶している。で、藤圭子さんに被害妄想らしきものがあったという風には、いま報道されている限り、あるいは家族が証言されている限りのところからは読み取れない気がする


TwitterやFacebookやLINEばかりやってて、人を〈評価〉や〈反応〉の対象としてばかりいるとこうなるに決まっている。 RT @showgo: 交際相手いない若者、男性6割・女性5割 (読売新聞) - Yahoo!ニュース bit.ly/17Xwmxu

celsius220さんがリツイート | 51 RT

評価なんて、管理職に任せておけばいいのに(笑)

celsius220さんがリツイート | 5 RT

前者のRTのような見方が「いまどきのワカモノ」観として適当なものかというと、全然そうは思えないわけだが(笑)後者のRTと併せて考えると、ワカモノ観としてはともかく、もっと一般的な人間観のハナシとして「友情」はどこへ行ったのだと言ってみたい気はしてくる


ひとくちに評価(evaluation)と言って、単に数値関数をひとつ定めるとか、定まった数値関数を適用するということとは限らないわけである。計算機屋にとっては任意の演算子の適用は(つまりプログラムの実行は)みんな評価である


適用する演算子はいくらでも複雑になりうるし、それですべてを覆い尽くせると言い出さない限り「だいたいあってる」水準の評価はいつでも何に対してでも構成可能だと考えることは可能である。そしてそれはたぶん妥当な態度である


つまり評価ということそれ自体はとやかく言われる筋合いのものではないとわたしには思える。肝心なのはそういうことではなくて、「友情」は一方的な評価でもなければ相互的な評価でもないはずだということの方である


べつに神秘的なことを言おうとしているわけではない。わたしの考えでは「友情」の本質は「一緒に悪いことをすることができる」ということである。悪は論じることができない、したがって評価することもできない(不能)のである



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8月26日(月)のつぶやき その2

2013年08月27日 | miscellaneous

もちろん答えだけ示したって意味はない。タバコ1本かざしてみせただけで世界中の禁煙ナチスが消え失せてくれるはずもないことである。要は、素人哲学はそこから始まるというだけのことである


ギリシャ語やラテン語の語学力はいらないかわり、そこから始まる専門家の哲学とは、必然的に順序も展開もまるで異なったものになるしかない。結局世界はひとつだから、最後には一致するのだとしてもである


欧米でホメオパシーが批判される意図を酌むなら、日本で批判されるべきは漢方だと思うけど。

celsius220さんがリツイート | 14 RT

言われてみればそうだな。ただまあ漢方薬が許容されているのは、ホメオパシーみたいに普通のクスリや医学治療は毒だとか言って排除するということが、実態としてほとんどないからだろうな


病気の当人にとって苦痛が軽減するとか消散するとかの結果を引き起こす原因の外延は人体の生理学(科学)の領域に一致するわけではないし、後者が前者を被覆するわけでもない


漢方にしろホメオパシーにしろ独特なオカルト的な体系に支えられているから、そこから人体の生理学(科学)的知見に矛盾するような帰結は当然生じうる。ただ漢方の場合、その矛盾が生じたとき「こっちが正しい」ということを強硬に主張するということは、実態としてないと思う


漢方の場合、第一その体系はわが国で作られたもので、つまり形而上学的な背景を持たない(笑)、そういう言い方をすれば経験論的な体系だから、自然的な事実が理論に適合しなければならないというような厳密性や完全性の要請はもともとないということがある


シリア政権の化学兵器使用を「ほぼ断定」 米当局者(CNN) cnn.co.jp/world/35036370… これに対してロシア外務省「10年前、イラクが大量破壊兵器を保有しているとの誤った情報にかこつけ、米国が無謀な作戦を開始したことを思い起こさせる。結果は誰もが知っている通りだ」

3 件 リツイートされました

ロシアはロシアで思惑があって言っているのに違いはあるまいけれど、それはそれとして「結果は誰もが知っている通りだ」というのは真だと思う。米国は世界中の誰の目にも明らかな根拠を示さずに「ほぼ断定」などすべきではないし、それにかこつけた「行動」を起こすべきでもない


宇多田ヒカル「母の娘であること誇りに思う」(スポニチ) sponichi.co.jp/entertainment/… 「幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました(略)私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした」


上目使い / ペンさん さんのイラスト #nicoseiga #im3373144 nico.ms/im3373144 今日の貞子さん


「貞子さんが始球式で103キロの呪速球」 (1:31) #sm21673881 nico.ms/sm21673881 なんかそのうち夏の恒例になりそうな予感


手で書く手帳展。(ほぼ日) 1101.jp/16RoNdf 浅葉克己さん/梅棹忠夫さん/岡本敏子さん/小久保裕紀さん/サカキシンイチロウさん/祖父江慎さん/たかしまてつをさん/土屋耕一さん/松浦弥太郎さん/松本大洋さん/横尾忠則さん/吉本隆明さん/和田誠さん他


吉本隆明というと仕事部屋にひきこもってテレビを見ている人というイメージがある(笑)ので、その手帳というとすこし意外な気がした。でもまあ、講演とかもしょっちゅうやっていた人だから、外出時に手帳くらいは携えていたのだろうか


わたしは手帳というほどのものを持っていたことがない。学生のころには学生手帳というものがあったけれど、まともに使ったためしがなかった


手帳は持たないけれどB5版の大学ノートならいつでも持ち歩いているので、どうしてもメモしておかなければならないことがあるとそのノートのうしろからちょこちょこ書き込む


手帳というのは、人生を信じる人の小道具なのではないだろうか。そのおそらくは最新式であるところのスマホなんかもまたそうなのではなかろうか


横浜国大名誉教授(70) 妻(61)に殴られ死亡(NHKニュース) nhk.jp/N4995sup


むかしむかし浦島は
助けた亀に殴られて
竜宮城へ来て見れば
乙姫様にも殴られた


・・・いや事件とは何の関係もないが、男が女に殴り殺されたというとなんとなく、コドモのころよく歌ったこの替え歌を思い出してしまう


・・・あ。「来て見れば」じゃない、「来てみれば」だな。訂正


神も仏もないとか、そんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ、もっと恐ろしいものの片鱗を(以下略


前に座ってた大学生っぽい兄ちゃん4人組がスレイヤーズを知らないようで世代差を感じた。
何が「あれ何の曲だったの?80~90年代っぽい奴……」だ。
スレイヤーズは俺らのクレアバイブルだ。

celsius220さんがリツイート | 82 RT

男「ぐへへ…ぱんつ何色?」 女「黄昏よりも暗きもの」 男「黒?」 女「血の流れよりも赤きもの」 男「赤?」 女「時間の流れに埋もれし偉大なる汝の名において、我ここに闇に誓わん、我らが前に立ち塞がりし全ての愚かなるものに、我と汝が力もて、等しく滅びを与えんことを」 男「」

celsius220さんがリツイート | 25 RT


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8月26日(月)のつぶやき その1

2013年08月27日 | miscellaneous

さっき吉本の対談集を本の山から発掘したとき、一緒に中桐雅夫『会社の人事』(晶文社,1979)も発掘したので、なんとなく引用し続けている


「絶対、次期支店次長ですよ、あなたは」
顔色をうかがいながらおべっかを使う、
いわれた方は相好をくずして、
「まあ、一杯やりたまえ」と杯をさす。

「あの課長、人の使い方を知らんな」
「部長昇進はむりだという話だよ」
日本中、会社ばかりだから、
飲み屋の話も人事のことばかり。


やがて別れてみんなひとりになる、
早春の夜風がみんなの頬をなでていく、
酔いがさめてきて寂しくなる、
煙草の空箱や小石をけとばしてみる。

子供のころには見る夢があったのに
会社にはいるまでは小さい理想もあったのに。

(中桐雅夫『会社の人事』)


終身雇用のホーカイとかでこの詩に描かれたサラリーマンの風景も次第に現実のものではなくなりつつある。「飲み屋の話も人事のことばかり」どころか、そもそもその「飲み屋の話」が消失しつつあるわけである


そんな風に、この詩が書かれてから35年でずいぶん変わってしまったわけだが、しかしこの詩の最終2行だけは今もってちっとも訂正を要しないように思えることである


いまトレンドに入っている「俺がときめく4文字」というタグを検索したら、かなりの頻度で「ようじょ」が出てくるので少しびっくり twitter.com/search?q=%23%E…


@gomacocochan でも椙山女学園とか全面禁煙です。愛知県は特にひどい。

celsius220さんがリツイート | 1 RT

やれやれだな。チャウシェスク時代のルーマニアより悪い教育体制に、今じゃ禁煙ナチスまで突出しているのか。まあ首都圏だってたいして状況はよろしくないわけだがな


だから、〈驚く〉って大変なんです。〈驚く〉くθαυμάζειν〉ということが哲学の始まりだと言ったのはプラトン、アリストテレスです。だからロボットは哲学ができない。驚くということは高度な行為なのです。(新刊290頁)

celsius220さんがリツイート | 7 RT

これはまったくその通りなのだが、こういうことだけを言っててもロボット屋は納得してくれないんだよな。よくも悪くも工学なんで「じゃあ〈驚く〉ロボットを作ろう」って言い出すのよ(笑)


本当にそうだからな。やるつったらちゃんと大真面目にやるわけなんだ。まず「驚く」とはどういう機能かの定義から始める(笑)頭から定義しないとすれば、まず認知神経科学やそこらの文献を洗って「驚き」についてのサーヴェイをやる


必要とあらばD・デネットあたりを中継してハイデガーまで参照しちゃう。ハイデガーでも何でも徹底して機能主義的に読み解いてしまうんだから途轍もない。そういう場に居合わせると口をはさむ余地もない感じになってくる。こいつらのアタマん中は一体どういうことになってんだと思って唖然とする


ジャイアンの人は一言「アホ」と言って済ませるんだろうがね


もっともそういう無茶をやっててもロボット工学の人達がそんなにアホかと言ったら必ずしもそうではない。「つくる」ことが主眼なんで、つくったものが本物なのかシミュレーションなのかについてはあまりこだわらない(笑)


だからよほどアタマのイカレた研究者でもない限り「爆発のシミュレーションは爆発ではない」と言えば「おう、それはそうだな」くらいの同意は返ってくる


「いかにもヒコーキは鳥ではない。それは『鳥のように空を飛びたい』人間の夢をかなえるものではない、が、別にいいじゃないか、とにかく空は飛べるんだよ(笑)」というような、どっかプラグマティックな割り切りに開かれているところが工学には存在する


そういう健全性のようなものが工学にはあって、下手なスコラ哲学よりはよっぽどましな何かだという風には、必ず見えることになっている。ただの学生でもしばらくやってると「『人間は機械ではない』確かにそうだが、どうしてそれがそんなに重要なことなんだっけ?」と自問する羽目になる(笑)


実際、そういう風に思えてくるところがあるわけだ。いかにも人間存在は機械ではない、けれども、ほとんど機械じゃないかと言おうと思えば、それはそれで言えてしまう


お金で買えないものはあるかもしれない、たぶんあるだろう、けれども、人間が生涯でかかわるたいていのものはお金で買えるというのも事実だ。だったら(わずかだがあるには違いない)買えないもののことは忘れたふりをしたとしても、生涯はたいして困らないのではないだろうか?


その種の問いをとことんまで自分に突きつけたとして、最後まで「いや、決してそうではない」と(けちくさい倫理に依拠せずに)言い切れるとしたら、その(けちくさくない)根拠は何だということになるのだろうか。これは、そんなに簡単な問いではないはずだと俺には思える


それはまあ確かに日常のあらゆることが機能主義的な事物で埋め尽くされたとしたら、それはさぞかし味気ない日常だということになるだろうが、でもまあ、そんな感傷は帰りにローソンでからあげくんでも買って帰れば容易にかつ十分に慰められてしまう程度のことではないのだろうか(笑)


他に何があるんだ、あるんだったら言ってみろと詰め寄られて、ぱっと答を言うことができる専門哲学者は、世界中でもそんなにはいないのではないかと時々思う


ちなみに素人哲学は最初からその答を持っている。何のことはない、タバコを一本取り出して「これはどうしてくれるんだ」と言えばいいだけである


幸か不幸か(たぶん不幸なのだが)現代は答だけならタバコ1本で示してしまうことができるのである。それが究極の問いへの答だということだけは、どんなバカでもど素人でも、タバコを吸う習慣さえ持っていれば示せるのである



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