セントサイモンにまつわる悲しき物語は終わらない―
St.Simon(Galopin×King Tom)英国産 1981年~1908年
以下、前回に引き続き、「競馬の血統学~サラブレッドの進化と限界」吉村譲治著・NHKライブラリー刊より引用。
しかし、それは父系の崩壊を暗示する、不吉な前兆でもあった。
人々が、セントサイモンとその後継種牡馬たちに群がれば群がるほど、イギリス生産界には、その血を受けた繁殖牝馬が加速度的に増え、過去の名血が飽和状態に陥って衰退を招いた同じ道を、猛スピードで走り始めていたのである。
もう一つの不吉な前兆は、セントサイモンが母の父としても、たいへんな遺伝力を発揮したことにあった。この名血を受けた牝馬たちが牧場に戻って母親となり、20世紀を迎えた頃には、続々と産駒を送り出してくるようになった。それら産駒がみなハイレベルで、父親が地味であろうと父系が傍流であろうと関係なく、際立って優秀な競争成績を上げていったのである。むしろ母系にセントサイモンの血は、配合種牡馬が地味な傍流であればあるほど、威力を発揮していった。
1903年には早くも英リーディング・ブルードメアサイヤー(母の父としての首位種牡馬)に輝くが、これはセントサイモンが23歳のときという早さで、以後、1907年まで5年連続でその座に君臨していく。
皮肉にも、この母系に入っての優秀さがセントサイモン系を崩壊へと導いていく大きな原因となった。つまり、これらセントサイモンの血を受けた繁殖牝馬たちの配合相手は、セントサイモン自身でもなければ、直系の後継種牡馬でもまだ早すぎた。前者は娘と父の結婚、後者は姉と弟の結婚になってしまう。
そのため、適度な近親繁殖にはもう数世代は待たねばならず、さしあたって異父系の種牡馬を配合したが、セントサイモンの血が母系から絶大なる威力を発揮して、それらに活力や遺伝力を吹き込んでいったのである。
血統大革命をまきおこし、「百年に一頭の名種牡馬」といわれながら、1901年に9回目の英リーディングサイヤーに輝いて以降、種牡馬成績が急速に下降線を辿ったのは、こうした理由だからだろう。セントサイモンが初の英リーディング・ブルードメアサイヤーに輝いたのが1903年という事実が、それをなによりも裏付けている。
しかし、これがサラブレッドの悲しい血の宿命なのである。
過去から現在に至るまで、ひとつの父系がどんなに繁栄を誇ろうとも、それが長続きしなかったのは、こうした事情によるものだ。そして、それは常に繰り返されてきた。サレブレッドがごく限られた狭い世界で生きる動物である以上、この血の宿命はおそらく永遠につきまとうことになる。
当時はまだ血統の世界的な広がりはなく、また交流も少なく、イギリスを中心とした地域的な生産が主だった。それ故に崩壊も早かったのだろう。1910年代のイギリスの種牡馬ランキングにおいて、セントサイモンの後継種牡馬があれほど上位を独占していたにもかかわらず、1930年代にはベスト10からほとんど消えてしまっていた。
以上が、世に言われる「セントサイモンの悲劇」である。
そして、この悲劇は、セントサイモンに限ったことではない。過去の偉大な種牡馬たちも同じ道を辿り、そして消えていったのである。
歴史は繰り返す―
決して、SS系の天下が未来永劫続くことはないのである。
上の文中で、セントサイモンをSSに置き換えてみればよい。いまだSS系全盛の時代ではあるが、当のSSは既にこの世になく、95年以降13年間君臨し続けたリーディングの座を、遂に08年に後継種牡馬であるアグネスタキオンに譲り渡した。
そして、自身のリーディングサイアーの座からの陥落を自覚していたのかどうかは分からないが、06年以降からここまで、BMSリーディングのトップに居座り続けているのだ。
リーディングサイアではSS系後継種牡5頭がTOP10に入り、リーディングBMSでは、自身がトップという今の状況は、セントサイモンの末期と同じといえるのではないだろうか。セントサイモンは、9回リーディングサイアーに輝き、5年連続でBMSリーディングトップを最後に歴史の舞台から消えていった。
全てのSS系が、リーディングサイアーのトップ10から消えるのは、まだ先の話だろうが、かといってそれほど遠い将来でもない。そして、そのお膳立ては既に出来上がっているといっても過言ではない。
時代はまさに転換期を迎えている。
現に、先の桜花賞ではSS系は全滅し、そして、現時点でのリーディングサイアーのトップはSS系ではなく、キングカメハメハである。
SS系繁殖牝馬が溢れかえっている現在、自身にSS系を一切持たないキングカメハメハが持て囃されるのは必然。これもまた、歴史の繰り返しである。
=つづく=
St.Simon(Galopin×King Tom)英国産 1981年~1908年
以下、前回に引き続き、「競馬の血統学~サラブレッドの進化と限界」吉村譲治著・NHKライブラリー刊より引用。
しかし、それは父系の崩壊を暗示する、不吉な前兆でもあった。
人々が、セントサイモンとその後継種牡馬たちに群がれば群がるほど、イギリス生産界には、その血を受けた繁殖牝馬が加速度的に増え、過去の名血が飽和状態に陥って衰退を招いた同じ道を、猛スピードで走り始めていたのである。
もう一つの不吉な前兆は、セントサイモンが母の父としても、たいへんな遺伝力を発揮したことにあった。この名血を受けた牝馬たちが牧場に戻って母親となり、20世紀を迎えた頃には、続々と産駒を送り出してくるようになった。それら産駒がみなハイレベルで、父親が地味であろうと父系が傍流であろうと関係なく、際立って優秀な競争成績を上げていったのである。むしろ母系にセントサイモンの血は、配合種牡馬が地味な傍流であればあるほど、威力を発揮していった。
1903年には早くも英リーディング・ブルードメアサイヤー(母の父としての首位種牡馬)に輝くが、これはセントサイモンが23歳のときという早さで、以後、1907年まで5年連続でその座に君臨していく。
皮肉にも、この母系に入っての優秀さがセントサイモン系を崩壊へと導いていく大きな原因となった。つまり、これらセントサイモンの血を受けた繁殖牝馬たちの配合相手は、セントサイモン自身でもなければ、直系の後継種牡馬でもまだ早すぎた。前者は娘と父の結婚、後者は姉と弟の結婚になってしまう。
そのため、適度な近親繁殖にはもう数世代は待たねばならず、さしあたって異父系の種牡馬を配合したが、セントサイモンの血が母系から絶大なる威力を発揮して、それらに活力や遺伝力を吹き込んでいったのである。
血統大革命をまきおこし、「百年に一頭の名種牡馬」といわれながら、1901年に9回目の英リーディングサイヤーに輝いて以降、種牡馬成績が急速に下降線を辿ったのは、こうした理由だからだろう。セントサイモンが初の英リーディング・ブルードメアサイヤーに輝いたのが1903年という事実が、それをなによりも裏付けている。
しかし、これがサラブレッドの悲しい血の宿命なのである。
過去から現在に至るまで、ひとつの父系がどんなに繁栄を誇ろうとも、それが長続きしなかったのは、こうした事情によるものだ。そして、それは常に繰り返されてきた。サレブレッドがごく限られた狭い世界で生きる動物である以上、この血の宿命はおそらく永遠につきまとうことになる。
当時はまだ血統の世界的な広がりはなく、また交流も少なく、イギリスを中心とした地域的な生産が主だった。それ故に崩壊も早かったのだろう。1910年代のイギリスの種牡馬ランキングにおいて、セントサイモンの後継種牡馬があれほど上位を独占していたにもかかわらず、1930年代にはベスト10からほとんど消えてしまっていた。
以上が、世に言われる「セントサイモンの悲劇」である。
そして、この悲劇は、セントサイモンに限ったことではない。過去の偉大な種牡馬たちも同じ道を辿り、そして消えていったのである。
歴史は繰り返す―
決して、SS系の天下が未来永劫続くことはないのである。
上の文中で、セントサイモンをSSに置き換えてみればよい。いまだSS系全盛の時代ではあるが、当のSSは既にこの世になく、95年以降13年間君臨し続けたリーディングの座を、遂に08年に後継種牡馬であるアグネスタキオンに譲り渡した。
そして、自身のリーディングサイアーの座からの陥落を自覚していたのかどうかは分からないが、06年以降からここまで、BMSリーディングのトップに居座り続けているのだ。
リーディングサイアではSS系後継種牡5頭がTOP10に入り、リーディングBMSでは、自身がトップという今の状況は、セントサイモンの末期と同じといえるのではないだろうか。セントサイモンは、9回リーディングサイアーに輝き、5年連続でBMSリーディングトップを最後に歴史の舞台から消えていった。
全てのSS系が、リーディングサイアーのトップ10から消えるのは、まだ先の話だろうが、かといってそれほど遠い将来でもない。そして、そのお膳立ては既に出来上がっているといっても過言ではない。
時代はまさに転換期を迎えている。
現に、先の桜花賞ではSS系は全滅し、そして、現時点でのリーディングサイアーのトップはSS系ではなく、キングカメハメハである。
SS系繁殖牝馬が溢れかえっている現在、自身にSS系を一切持たないキングカメハメハが持て囃されるのは必然。これもまた、歴史の繰り返しである。
=つづく=