じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

じいたんの、はつ恋。

2005-05-23 14:08:10 | じいたんばあたん
昨日の昼下がり、三人でお茶していて
ふと思い立ち、聞いてみた。
「なあ、じいたん。じいたんの初恋はいつやったん?」

じいたんは答えた。
「初恋なんてなかったさ。
 しいて言えばおばあさんが、初恋かもしれん。」

仰天した。
というかあの。待てよじいたん。

私は突っ込んだ。
「なあじいたん、前に聞いたで~あたし。
 "純ちゃん"(仮名。祖父の姪)から。
 戦争でハイラルに行って、帰還した時、
 ”日本へ連れて帰りたいと思ったくらいのロシア女がいた”って
 さかんに言うてたって(笑)
 それ、初恋とちゃうん?」

じいたん曰く、
「それはちがうよお前さん、初恋とは。
 何しろ人妻だったしな。
 ”綺麗な女だったなぁ”って、ただそれだけさ」

じいたんにとっての「初恋」の定義って何なんだ??
んんんん??

じいたんは続けた。
「初めて見合いの席で会ったときのおばあさんは、
 それはそれは愛らしくておいでだったんだぞ、お前さん。
 恥ずかしそうに、にっこりと笑って出てきなすった。
 襖の向こうから、そっと。
 今でも、ほら、おばあさん可愛らしくていなさるだろう。
 お前さんも、見習わねばならんよ」

・・・いつの間にか、のろけてますよこの人。
めっちゃ、笑顔ですよ奥さん。

どんな顔をしたらいいんだ。私。
ひょっとして、おジャマ虫かアタシは。
てかさ、じいたん。

最後のコトバは、余計なお世話だよっ(爆)

そして。
じいたんは、書斎へ立ち去り際、私に言った。

「そのー、なんだ、お前さん。
 フクロウには、
 『おばあさんの初恋の相手は、おじいさんだった』
 と書いておけ」

フクロウとは、言わずとも皆様おわかりですよね。
このブログのことでございます・・・

もう少ししたら、
二人仲良く手をつないでデイケアから帰ってくるはず。
お茶のしたくでもしよ。あほらし(笑)

『疲れがなかなかとれない』と思ったとき読む本

2005-05-23 01:24:27 | 本棚
著者は心療内科医。

この本のすばらしいところは、
・読むだけで「精神科」と「心療内科」の違いが
 とても良く分かる。
 (そのことには言及していないにもかかわらずです)
・「ココロ=脳」と「身体」は繋がっている、
 という前提に立って書かれている
・「自分の疲れを自覚するメソッド」を
 具体的に示している
・疲れを取るための様々な方法を、
 具体的かつ「実行しやすい形」で提案してある

実はこの本を読むまで私は、
心療内科ヘイトだったのですが、

(だって心療内科って…変なのいっぱいいるんだもん。
 精神科の指定医の資格一つとってない、
 統合失調症や人格障害の診療経験もない医師とか。
 またはその逆で、
 血液検査のデータひとつまともに読めない
 心療内科医とか。あくまで内科だろてめー、みたいな。
 お金払っているのに、不勉強な医師に当たるなんて
 理不尽だし腹立たしいじゃないですか(笑))

この本のおかげで少し、見方が変わりました。

いまのところ私は、かかりつけの内科医で間に合っているけど、
それとは別に、この本に書いてあること実践してみています。

疲れている皆さん、一緒に元気になりたいから、
機会があったら一度手にとってみてくださいませ。
お勧めです。

「疲れがなかなかとれない」と思ったとき読む本―ココロとカラダがすっきり変わるヒント

青春出版社

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「初恋」(TB練習版お題)

2005-05-22 13:45:53 | あの一言。
『友情は、翼のない恋である』
…バイロンの言葉。
この言葉を書いたバイロンの真意はわからない。
でも、高校1年の夏、その意味を悟った。

高校一年の夏。
クラスになじめず、いつも独りで漫画の原稿を書き、本を読んでいた私。
そんなとき気がついたらとなりにいたのが「のんちゃん」

彼女はいつも昼休みになると、そっと私のとなりに座り、弁当箱を開ける。
そして必ず、一緒に帰る。
物静かで、自分のことはほとんど話さない。
でも、芯の強さと穏やかさを兼ね備えた彼女は、私にとってとても魅力的だった。

「変わった人」と噂されて、傷ついていたあの頃。
私は彼女が大好きだったから、言った。

『なあ、のんちゃんお願い。私の傍から離れたほうが、ええよ。
 のんちゃんまで変な人って思われたら、嫌や私…』

のんちゃんは答えた。
『なんで?誰を友達にするかは、私の自由やん。
 私は、たまさんといるのが、好きやねん』

私は混乱した。
『何で、あたしの傍に、いてくれるん?
 のんちゃんがいてくれて、うれしい。うれしいねん。
 でも、あたしには、のんちゃんが、
 だまって、傍にいてくれる、その理由がわからへんねん。
 のんちゃんに、どんなメリットがあるんか、わからへん』

のんちゃんは、静かに答えた。
『たまさんは、絶対に、人の噂話や悪口を言わへん。
 安易にそういったものに加わらへん。
 私、ずっと見ててん。それで、
 この人なら、大丈夫やて思うてん。それだけや。』

…今でも忘れられない、ひとこと。

彼女の信頼を裏切らないように毎日を生きていたい。

人を信頼すること
穏やかな情愛をいだきつづけること
ただ傍にいるしかできなくても、傍にい続けることの
大切さを教えてくれた、彼女への感謝をこめて。

ブログ記事の舵取り。

2005-05-22 03:21:51 | ブログ運営のこと
私がこのブログを書き始めたきっかけは、
このブログの一番最初の記事に書いたとおりです。

そのコンセプトは、ずっと守っていきたい
と思っているのですが、
最近、悩みが発生しつつあります。

書きたいことは山ほどあるので
メモ帳に「ブログのネタ」にしたいことを
タイトルのみ書き残すようにしているのですが、
今、ふと見直してみたら、総数320件。
しかも、介護と一見関係ないネタも多数。
…どうしよう。

私のなかにある材料を駆使して
介護にあたっているのは、確かなことです。
でも、ブログのコンセプトとのバランスを果たして保てるのか…
書きたいことは全て書きながら、かつ
読者の方に、「コンセプト」を感じながら
読んでいただけるよう
ブロクを構成していくためには
どうしたらよいのか。

とにかく始めなければ、
何処にもたどり着けない
そう思って、ルールの理解もそこそこに飛び込んだ、ブログの世界。

でも、それじゃ駄目だ。
模索して、トライ&エラーを繰り返しながら
ここでも「トレーニングを積む」
それしか、ないのかな。

他の人は、こんなことは、考えないのかな…

『100億稼ぐ仕事術』

2005-05-22 03:00:50 | 本棚
ホリエモンこと、堀江貴文さん(Livedoor社長兼CEO)の本です。
『本棚』には一見介護と関係ない本も紹介していく予定なのですが、
この本、実は、介護者にとってもエールとなりうる本です。

彼はマスコミでの露出の仕方や、ラディカルな企業戦略の展開で、
一見派手な人のようですが、

地道な努力を絶えず重ねることができる、誠実な人
というのが私の感想でして…。

書いてあること自体は、ひとつひとつを採れば
「ああ、あたしもやってるな」ってことも沢山あるんです。
でも彼のすごいところは、別にあるんです。
そんな瑣末なことに気をとられて読み進めたら、気づけない。
彼のそういった濃やかな努力を、
彼は全て体系化して、
なおかつ進化させつづけながら仕事に邁進していく
(成長しながら仕事に向かい続ける)ことを
実践している。
すごい。あたしも真似したい。
てか、するぞ。

仕事は、どんな仕事でも本質は一緒。
介護は、仕事。愛のからんだ、人間として大切な仕事。
だからこの本は、参考になると私は思います。

介護と関係ない立場のかたにも一度、呼んでいただけたらと思います。

100億稼ぐ仕事術

ソフトバンクパブリッシング

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祈り。

2005-05-21 23:59:32 | 禁無断転載
かみさま、
何処にいるか分からない、かみさま。
どうか あたしに ちからをください。
あいするひとたちの
こころを
尊厳を
お別れの朝まで
まもりぬく ちからを。

わたしが
もっている武器といえば 
この からだと
この こころ
そして 
人様が恵んでくださる、愛。

ほかには なにもない
すっぱだかのまま いざ 勝負。

介護は、負け戦。
死に向かう大事な人に何もできない
そんな自分と戦い
そして、求めうる限り類まれなラスト
「いつかくるお別れの朝」
を目指して、
負けを受容して闘う、
そこに稀有な光を生み出すことを誓って。

かみさま、どうか私にちからを。

**********************

まだ若かったころ、
お金を稼ぐことなんて
そんな大事なことじゃないって
ずっと思っていた。
ささやかでも静かで安寧な生活と、
口を糊するお金があれば
それで十分だと思っていた。

でも、それは間違いだった。
護りたい人が出来たとき、
ほんとうに彼らに、安らぎを与えたければ
愛情だけじゃだめなんだ。

かみさま、あたしは今、
若いころあれほど憎んでいた
権力というものを切望します。
お金を作り出す力を、渇望します。

愛するひとたちに、無償の愛を捧げたい。
それができなければ、あたしにとって
人生は何の意味ももたなくなってしまう。

馬車馬みたいに働く。
力を、手にしてみせる。

いずれやってくる幕切れを
この上なく幸福なものにするために
かみさま
何処にいるのか分からないかみさま
そっと見守っていてください

※また書き直すかもだけど、とりあえず。

もしかして、疲れてる?

2005-05-20 14:07:09 | 介護の周辺
私は多分、介護者としてはかなり健康な方に入ると思う。
血液検査の結果も年齢よりうんと若いらしい。
精神的にも、安定している部類に入ると思う。
(多少、薬の助けも借りてはいるが)

にもかかわらず、最近私がハマっているのは
自分の健康維持のために色々と試すこと(笑)

身体が言うことを聞かなくなりつつあるからだ。
毎年、4月5月は私にとって病気になりやすい季節なのだけれど、
それにしても今年は、激しい。
疲れがこびりついたように、取れない。
身体の中にエネルギーをチャージできない。

脳が、疲れているのだろうと思う。
目安は、自分の日本語力。
(このブログを書き始めてから気づいたのだが)
3~4年前に自分が書いた文章と比較して、
まとまりがない。

私が過去に経験してきた職種
(何度か転職しています)はどれも、
正しく、かつ分かりやすい言葉で表現する能力を
要求されるものばかりだった。
だから、文章を書くということは私にとって、
呼吸するように自然なことだったはずなのだ。

なのに。
悔しい。
書きながら推敲していくことができない。
見直しもしないでUPしてしまう。
人にお読みいただくものだというのに、
ほとんど書きなぐるように打ち込み、UP。

澱のようにたまった疲れ。

薄紙をはがすように回復していくしかない。
もう、20代の頃のような無理はきかない。
30代のやりかたを模索していこう。

いやあのでも、結局凝り性なので(笑)
やっぱりめちゃめちゃ楽しくやっちゃうと思いますが…

追伸:
参考にしている本がいくつかあって、
とりあえず役立っていますので
それらを近々、本棚で紹介したいと思います。

『げんきプリント』

2005-05-19 23:52:35 | 本棚
本棚にカテゴライズしていいものかどうか迷ったのですが、
とりあえず。

対象年齢60歳以上、かつ「痴ほう症患者には使えません」と断り書きがあるこのプリントですが、
私は祖母のリハビリに活用しています。
本の指示通りに使おうなんて思わないで、患者さんの個性に合わせて、使い方をカスタマイズしてしまえば大丈夫と個人的には感じています。

この本は、八週間で終わる仕組みになっていまして、
・ごくかんたんな計算問題と、
・ごく有名な本からの引用、慣用句、歌などの朗読及び書き取り
この二つで構成されています。

痴ほう症対応のものではないので、
祖母ひとりでプリントに向かわせたりはしないで、二人で机に向かいます。週に5回くらいはこの本を使っています。

横から私が、
必要に応じて補助線をつけたり、
出来たところには色鉛筆でしるしをつけたり、
ペンや定規(透けないもの)を活用したり、
読めない字は大きく書き直して読みやすくしたり…。
色々工夫しながら、一緒に楽しむ感覚でやっています。

うちの場合は、進行をゆるやかにする(一部改善する)効果が出ている気がします。

まず、時計が全く読めなくなっていたのが、今、読める状態に戻っています。
それから、薬の整理の手伝いが出来るようになりました。
抑うつ的な気分や不安感が和らぎ、「きれい」とか「これが好き」とか、
自分の思いを表現できるようになりました。
何かをしたいという意欲を出してくれるようになった。
少しだけですが、漢字を使って、短い文を書けるようになりました。

何より、「誰かと一緒に、何かに取り組む(ばあたん主体で)」
ということが一番かな。うん。
達成感と満足感、誰かと何かを共有したという気持ち。
これに尽きると思います。

あと、
本人が辛がったらその日は作業をストップする。
本人が興味を示したところだけをやる。
そういった配慮もしながら、使うようにしています。
それから、痴ほう症の患者さんの場合は、「八週やったらそれで終わり」じゃなくて、何度も使う方がいいみたい。本人の中に「これはできる!」といった自信がつくようなので。

痴ほう症の介護をなさっている方も、そうでない方も、
いちどごらんになってみてください。

げんきプリント―60歳からの読み・書き・計算

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「またちゃん」と「たまちゃん」

2005-05-19 01:18:44 | じいたんばあたん
私とばあたんの名前は、音が殆ど同じだ。
病院の窓口などで、間違えて呼ばれるくらい(笑)
「またちゃん」と「たまちゃん」
例えて言えば、こんな感じ。

ばあたんは、時々、不穏になる。
(認知が低下し、精神的に安定しない状態のこと)
夕方から夜にかけて、…つまり、
認知症の患者にとって一番つらい時間、
特にその傾向が強い。

ばあたんは、私の前で
「少女」になる。
「姉」になる。
「先生」になる(彼女は短大で教鞭を執っていた)
「母」になる。
「親友」になる。
「娘」になる。
そして時折
「赤の他人に接する、穏やかな老婦人」になる。

ばあたんに起こっていることは、
別に異常なことではないのだ。

たぶん、人間の人格というものは、
光の当て方によって様々な姿を見せる
多面体のようなものなんだろう。
ばあたんの場合、
病気のためにそれらがランダムに露出する。
ただそれだけのことのような気がする。

だから、そんな時は、
ばあたんの中の「設定」に寄り添って、
コミュニケーションを楽しむようにしている。
変調の多い曲を合奏するように。

だが、
ばあたんはばあたんであり、
私は、私である。
これだけは偽りようのないこと。

だから、
もしばあたんに名前を尋ねられたら、
それだけは、なるべく正直に答える。
『あたしは、たまちゃんだよ』
その時の「架空(?)の関係」にかかわらず。
正しいやり方かどうかは知らない。

***************

私が名前を打ち明けると、なぜか
彼女は、安心した表情になる。
そしてこっそり打ち明けるように、言う。

「私ね、たまちゃんがどういう関係の人か、
 思い出せないのよ。
 でもね、とっても親しい間柄なのよね。
 だって、名前までお手々つないでいるんですもの」

じいたんの、愛情表現。

2005-05-18 02:30:05 | じいたんばあたん
ばあたんは、夜中に目を覚まして、
外へ出てしまうことが時々ある。
理由は分かっているのだが解決するのは難しい。
認知症の患者にとって、夜は不安の塊なのである。

先日、彼女はとうとう一階のフロントで保護されて部屋に戻された。

一昨日じいたんに、そのことを報告したら、
彼はすぐ対策を講じた。
眠る前に、玄関のドアの左上にある、くの字の金具をひもで縛って、ばあたんが表に出られないようにするのだ。

今日そのことを知った私は、
じいたんにやんわりと提案を試みた。
『じいたんのやり方は、安全な方法ではないと思うよ。
だって、もし夜中に、じいたんに何かあったらどうするの。ばあたんは電話もかけられないんだよ。私(やマンションの管理人)が部屋の中へ入ることもできない。だから…』

ここまで言ったところで、じいたんは私を制した。
『もう言うな。わしの好きにさせてくれ。』

確かにそうだ。いくら私が心配しようが、
彼らの生活は彼らのもの。
私には、何もできない。
…とぼとぼと、後ろ髪を引かれながら、家路についた。

伯父に、相談の電話をした。
ひとしきり私の話を聞いた後、伯父は教えてくれた。
「それはな、おじいさんの気持ちなんだよ、たま。
『お前さん、ゆっくり休め』ってことだ。」

…そうだったのか。
電話切ってから涙が止まらなかった。

夜中や明け方に、自転車飛ばして
こっそりマンションの外から様子を見にいっていたこと、
じいたんは、気づいていたのかもしれない。

真夜中に電気付けっぱなしで、椅子で寝ていたことが2度ほどある。
私が起こしたのを「覚えていない」と言っていたけれど、
本当は、覚えていたのかもしれない。

じいたんの方がずっと、うわてだ。
祖父母が注いでくれる愛情には、ずっとずっと敵わないまま
私はいつまでも、追いつけないんだろう。

二人が、今夜も無事に過ごしてくれますように…