じいたんばあたん観察記

祖父母の介護を引き受けて気がつけば四年近くになる、30代女性の随筆。
「病も老いも介護も、幸福と両立する」

どんな飲み物でもいい。ただ、

2005-05-30 22:19:59 | 介護の土台
人さまが、淹れてくださった飲み物。
いただくと、ほっとします。
普段は自分が淹れるばかりなので…


ばあたんもじいたんも、もう飲み物を注ぐ動作は難しい。
出来ないわけじゃないんだけれど、
温かい飲み物は特に、危険を伴うので心配なのだ。

じいたんは、片目が見えにくくて、遠近感がない。
ばあたんは、危険を察知するのが難しくなってきている。

それに何より、
二人とももう長いこと
自分でお茶を淹れてきたのだから、
せめて残りの人生は、
孫に淹れてもらう温かい飲み物を楽しんで欲しい。

だから、介護の合間に
行きつけ(というほどは行けないけど)の
喫茶店で、コーヒーや紅茶をいただくと、
なんともいえない幸せな気持ちになる。

人に淹れてもらう飲み物って、本当に心があたたまります。
あたしにとっては、ほっと一息いれられる、そんな飲み物です。



追伸:
はれうさん

ホットココア、おいしかった。とても。
ありがとう。

ちいさな肩と、淡く優しい笑顔。

2005-05-30 04:20:25 | じいたんばあたん
伯父が帰るとき、散歩とうそぶいて
ばあたんと二人、駅まで彼を送った。

蓮の花が咲く、あかるい池のほとりを
ばあたんと伯父二人きりで、
歩かせてあげたいと思いついたから。

家族連れがくつろぐ、日曜日の公園。
ごく普通のはずの、休日の昼下がり。



「ねえ、伯父さん、
 ばあたんと、手をつないであげて」

とても短いセンテンス。
なのに、
伯父の気持ちを思うと、
喉が詰まって、声に出せない。

駅はもうすぐ。
ああ、タイムアウトだ。

「伯父さん、ばあたんとお別れして!
 あたし切符買ってくるわ」

二人を置き去りにして、
券売機まで走った。

230円の、片道切符一枚。
私が買えた時間は、本当にわずか。
ばあたんと伯父、
二人のためには、短すぎた。


淡々とした表情で、改札の向こう側へと
てくてく歩いてゆく、伯父。

ばあたん、分かっているのかな。
息子が帰ってゆくんだよ。
ばあたんの小さい肩を
思わず後ろから抱きしめた。

その時。


階段を登る伯父が、振り返った。
ほんの少し、心配そうな顔。

見えたことを知らせたくて、
ばあたんの代わりに
「伯父さん!」と叫んだ。

もう一度振り返った。
淡いけれど、ほんものの、笑顔だった。




伯父の姿が消えたあと
ばあたんが、ぽつりとつぶやいた。


「おーちゃん、ありがとう、来てくれて」

世界がわたしを断罪しても

2005-05-30 00:54:21 | ブラックたまの毒吐き
※注意※これはブラックたまの毒吐きにカテゴライズされる文章です。

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白状します。
いまさらですが。

私は、決して褒められた人格の持ち主ではない。
むしろ底辺といったほうがいい(笑)

なぜなら、下に書いた「介護の定義」を承知した上で、
自ら望んで、この「世界」に「家族」として
飛び込んだからだ。

それまでに抱いていた大事なものを、
一旦、容赦なく切り捨てて。

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介護とは(少なくとも、介護する側にとって)

常に
「お前が死ぬか、私が死ぬか」という
究極の選択を強いられる
そんな中で、
何とか、お互いが生き延びることのできる道を
毎日、その瞬間瞬間で見つけてゆく
そういう作業である。

100%、チキンレース。

死という名の、
いつ訪れるかも分からぬ
だが確実に訪れる
終焉に向かって

あらゆるものとデッドヒートを繰りひろげる。
賭けるのは、自分のたましい。

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家族としてのつながりがある、ただそれだけで、
ぎりぎり生きるか死ぬかの、負け戦に向かう。

「肉親(あるいは姻戚)」であるからこそ
底が見えない、泥仕合になりかねない。

そんな怖ろしい作業に向かい合っていることを、
どこかで楽しんでいる自分がいる。
そんな自分を、心から怖ろしく思う。

病んでいるのか、狂っているのか。
ふと我に返る時がある。
自分のこころのありかたについて、
ひどく赦しがたい疑いをもつ。

  だから、
  無責任な「大人コドモ親族」を
  非難するような立場には、もともとないのだ。

  そして、
  「私を介護者にする」という前提しか
  今、選べない被介護者に
  どれだけ理不尽な仕打ちを受けようと、
  そんなものは、耐えてみせて当たり前なのだ。

  なぜなら、
  どう考えても
  すでに
  スタート地点で
  私のほうが優位に立ってしまっているからだ。


…介護者であるということは、
時に、ヤクザ以下と言ったらヤクザに失礼な、
そんな存在にもなり得る。
もう、すでに私はそういうモノになってしまっているかもしれない。


だからこそ、今、堂々と書き残しておく。
未来の自分のために。


世界がわたしを断罪しても

わたしだけは、わたしの事を、赦そう。