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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

紅玉ジャム

2019年10月19日 | 食べる
買い置きした5玉程の紅玉を、ようやくジャムにした。
鍋を開けて、あっ失敗〜



紅玉🍎の、鮮やかな色が無い(-.-;)y-~~~

さあだった、無意識のうちにいつも使っている砂糖で作ってる。



これでは、さとうきびの、風味とその甘さがつよくて、味も色も🍎紅玉ちゃんが。わからない
ショック〜



それでもちょっとヨーグルトやパンに乗せたら、🍎の食感あるよ〜と慰められた。

感謝します。も一度作るから、あまり使わないけど、グラニュー糖は高価だから白い砂糖使ってあっさりと作る事にしよう。

失敗も益に変えられるからね。
ドルカス   





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河川の氾濫で思い出す過去

2019年10月19日 | 自然
台風19号は雨台風だった。私は千葉の船橋に住んでいるので、こと雨に関してはどんな台風だろうと全く脅威を感じない。ここは安全、なぜなら千葉には山が無いからだ。

山があるということは、広大な山々に降った雨が、落差を利用し、まるでじょうごのようにわずかな面積の谷に注がれ、一気に奔流に変身するということだ。だから一定の森のダムとしての吸収量を超えた雨はこわい。

子どもの頃、突如として「カンカンカン・・と鐘の音が響く時、それは堤防の決壊を知らせる音だったことが忘れられない。たちまち周りは海となり、家が様々になるのだった。

千葉には山がない。全国一の平坦な県だ。だから洪水より風の害が大きい。感謝だ。

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金木犀の香り

2019年10月17日 | 自然

日曜日の朝チャリで移動中に、どこからか金木犀の香りを感じた。
確かにこの並木道から場所はわかるのに、花は確認出来なかったが、
昨日ようやく見つけた。 


金木犀の香り。直線に立ち並ぶJR 住宅の
端から端までの長い並木は、金木犀ですから


まさに秋を思いますね。
その朝以来、あちこちで香りを見つけます。

ドルカス   
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ここの地域ネコ

2019年10月16日 | 生活
台風の去ったあとの、鷹匠橋近くを🚲で通ると、今日は3匹の地域ネコ🐱が。自転車の音で、顔を上げた。
(先日の2匹に加え、手前の大っきなネコは雄かな?)


iPhone取り出してあるうちに。あの可愛らしい鳴き声の猫(まだまだ子猫だね)が、私のチャリに寄り、ゴロンゴロン
ここの地域ネコは可愛がられてるのか、私がそばに寄っても逃げない。構えない。


どうやら、私をいつもごはんまだて来てくれる優しいボランティアさんと間違えて来る?そんな雰囲気〜
「ごめん何もないのよ。」
今度まだて来ようか〜と。ちょっと私も辛いなあ〜
月曜日もお天気悪かった割には。身体が綺麗だった。雨の当たらない場所に避難していたかしら。
野良ちゃんでもいつでも次の事を考え、体調を整え。我が身を整えてるね。


ドルカス   
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台風の去った朝

2019年10月14日 | 自然
朝8時、会館から今日は利用できると確認電話があり、予定通り第1音楽室での礼拝が守れました。
配信は録画で昼からとなりましたが、


オンラインで参加される方には、全ての連絡ができず、今になってしてます。ごめんなさい。

主日の朝はまぶしすぎる程の朝日が差し込み、数時間前の出来事は?と思わされた。

長野県の北東側の地域には日本一長い千曲川(新潟に入り信濃川と名前は変わる)が流れている。長野市に入ると、犀川と合流してさらに大きな流れとなるが、氾濫と決壊、橋の落下、私鉄鉄橋の落下などなど、多くわかってきた。


この私鉄は、別所♨️までの、田園を通り過ぎる単線。上田駅から一番最初の楽しみが千曲川をこの鉄橋。


頻繁に実家の兄と情報交換の一枚は、実家の近くにに流れる神川。川上にあるダムが放水された様子。この流れも千曲川は注がれる。



真夜中に長野市内松代地区に住む妹からラインで床上浸水。があったが、朝の様子を教えてくれた。水深1メートルはあると。

川のそばで育った私は、小さな川の流れでも、増水した時は恐ろしいかったこと覚えてるが、
いま、船橋市内の、あの家は地上での終の住処と今住んでいるが、なんと災害の少ない場所なのだろうかと、思わされる。
確かに近くに高山が無く、綺麗な川のせせらぎもないけれど、それなりの自然を感じとり生活できてるから、なんて幸せ。

ドルカス   




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台風19号

2019年10月12日 | 自然
既に木曜日からメディアでは、台風19号の注意を促していましたが、昨日はまだ半信半疑でいた私でしたが、
流石に今朝は、どうなるの?この19号台風は、いま関東全域に影響およぼしてた!



(そばの公園は水浸し)
そして午後から夜にはさらに勢力増して伊豆辺りに上陸したと。
ん?あら〜千葉県って言わないよ?
いつの間にか、千葉県って言わないわ
と思ったら、えつ長野県わっ!上田、東御、長野?っと郷里に警報が出てる。

兄にラインすると、状況を教えてくれた。

情報からは完全に千葉県が無くなってる。
しかし、現実では暴風雨の最中。
と言うことはいまテレビ、オンラインで流れている地域はそれ以上に大半な事ね

深夜になって、周囲が静かになった。たいふうは去った?

その後、長野市に住む妹が、
千曲川の水位が上がって防波堤を超えたと、
床上浸水。
電気用品出来るだけ二階へ運び上げた〜
まちろん年老いた義理母の安全確保は一番だったろう。
その前には、実家上田周辺では千曲川の氾濫やら、橋が落ちたと。

船橋には大きな河川はない。近くに海老川が流れるが、千曲川流れ込む神川に注ぎ込む更に小さな川の程だろう。
千葉県内で、竜巻の被害で、家が跡形もない程の強風があったが、
前回も今回も船橋はさほどの被害はない。
今更、住みやすい気候であることに感謝した。

ドルカス
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その祈り聞かれる祈りだろうか?

2019年10月10日 | 祈り
昨日は失った歯の再創造を願っていたが、実際にはインプラントになったことを綴った。それは結果的には再創造と同じような恵みになった。


しかし自分的には、これはほろ苦く貴重な学びになった。この意味がすぐには理解できなかったが、問い続けて行くうちに、次第に、癒やしについて、祈りについて、自分の肉的な思い違いについて、知らされたからである。

クリスチャンなら「何でも祈ってよい」と思っていた。御心なら叶うし、御心でないなら叶わない。とにかく祈らないとあたかも【損する】かのようである。祈らなかったために得られなかったことが無いように、と。しかしこれは正しいのだろうか?
"あなたがたは、信じて祈り求めるものは何でも受けることになります。」"(マタイ 21章22節 ©2017)

確かにクリスチャンは、常に祈る。祈ることは正しい。問題は祈りの方向性である。自己責任とは言え、歯を失った、それで不自由している、だから神にまた得たいと再創造の奇跡を求めて祈った・・・・これは自己中心、100%肉の祈りではなかったか。たとえはひどいが、まるでドラえもんのポケットではないか。このことをつきつめれば以下にも通じていく。

病になった、その病の癒やしを求めて祈る。失業し経済がなくなったので祈り求める。いじめにあっている、その解決を求めて祈る。愛する人が死んだ、そのよみがえりを求めて祈る・・・これらは当然の祈りのように思える。確かに祈って、願いを神に知ってもらうのはよい。何の問題があろうか、いや、あるのである。まず第一に、この個人的な緊急事態を神はとっくにご存知であるということだ。

私たちクリスチャンは、この許された事柄に、まるでこれは受け入れられないと拒否反応のごとく、すぐさまその癒やし、神の手、回復、わざを求めて祈りに入る前に、静まって、許された神の御心を求めなければならないのだ。

病になることにも、失業にも、堪え難い死すら神の御心があること、許されたことを先ず感謝して祈る信仰が試されるのです。なぜなら、神を愛する者は、主イエスよりもはるかに軽いとはいいながら、苦難の恵みにも預かるからです。

それは肉を捨てるための唯一の道であって、実は愛の訓練です。人間の弱さと限界を神はよくご存知であるだけでなく、御子イエスを通しての取り成しも聞き入れてくださるからです。ですから、拒否するのではなく、もっとよいことのためだとして、感謝して受け取るのです。

苦難を通り、真実の自分の姿を知り、悔い改めて神のものとされた人にとっては、死すら解放であり永遠のいのちの喜びです。(最下欄の御言葉を参照のこと)

その上で御心を求めましょう。自分の歯は与えてくださいませんでしたが、神はインプラントを与えてくださいました。インプラントなので、前と変わらなず歯科医院に通う結果となりました。それでその後の十二年間、今日まで私の歯全体が守られる結果になりました。
また癒やしと祈りについて、これをきっかけに黙想するようになり、御言葉を求め、現時点では「何でも祈り求める」とはこのことであることに導かれました。



"何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。"(ヨハネ 第一 5章14節 ©2017)

この御言葉は、一切を神に委ね、その上で御心がわからなければ、つまり肉がとり去られての祈りでなければ、熱心な祈りでも【何事も】神は聞いてくださることにはならない。反対に「最善にしようとしているわたしの計画がわからないのか」とばかり、残念に思われるだろうことを私は知るのである。

考えてみればすぐわかることであるが、思慮の浅い年行かない我が子が、「お父さん、僕は自転車に乗れるようになったよ。だからお父さんのバイク、僕に運転ささて!」と願ったとして、それを許す父があるはずがない。私たちの願いとはそんなレベルで、最終的な結果が見えてないのだ。神はご存知である。神は愛する子に、最善しかおできにならない。

神が祈りを聞いてくださらないと呟いてはならない。最善は神との交わり、永遠のいのち、天の宝である。一言で言えば、神を愛する心なのだから。だから世のものを失うことは私の益である。また世で祝福されるならば、それは神の栄光を証し、そのご計画に用いてもらうことであって、決して自分の栄光にしてはならない。ここにその責任と恐ろしさを自覚したい。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
"試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。"
(ヤコブ 1章12節 ©2017)

"私たちは知っています。私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅ぼされて、私たちがもはや罪の奴隷でなくなるためです。"
(ローマ 6章6節 ©2017)

"試練に耐える人は幸いです。耐え抜いた人は、神を愛する者たちに約束された、いのちの冠を受けるからです。"
(ヤコブ 1章12節 ©2017)

"あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのために、目を覚ましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くして祈りなさい。"
(エペソ人への手紙 6章18節 ©2017)
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             ケパ


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インプラント

2019年10月10日 | 健康・スポーツ
今から11年前、私はインプラントの手術を受けた。左下大臼歯三本をインプラントにした。

その五年前、何年も求め続け、ほとんど諦めていた聖霊のバプテスマ突然受けたので、俄然私は奇跡を信じる者になった。そこで切に祈るようになった奇跡は、失ったこの三本の歯の復活、再創造だった。

私は生来、歯が弱い。今と違って、一昔前はまともなブラッシングの指導など皆無だった。痛くならないと歯医者に行かず、削って被せて、それでダメなら抜歯というパターンだった。だから虫歯、長じては歯槽膿漏というさんざんな繰り返しも、入れ歯をして喋りもフガフガ、食べるにも不自由するようになって目が覚めた。

歯に関してこれまで逃げ腰で、その結果放擲し、ここに至ったなんと愚かな人間だろうか。体の管理者として失格である。将来牧師としての召命を受けたというに、これでは説教一つすら、フガフガの入れ歯ではまともに出来ないではないか!取り返しがつかなく、悔やんでも悔やみきれない。

、そこで神の奇跡を信じる者として、歯の再創造を熱心に祈るようになっていた。再創造、つまり失った歯がまたそっくりそのまま生えてくる願いの祈りをするようになっていた。
  祈り始めて五年あまり、この祈りはまったく届かなかった。諦めてはいなかったが、心を入れ替え、熱心に通っていた歯科医師がインプラントを勧めて来た。そのことを結婚したばかりの妻、ドルカスに相談すると、一言「受けたらいいんじゃない」と。「おいおい、すごく費用もかかるし、未だ100%うまくいくとは限らないんだぜ」すると「大丈夫。祈ってOKが出たら私がプレゼントする」と言ってくれた。

その後、受けるべきかインプラントのことで祈っていると、「あなたはなぜ、再創造を祈るのですか? インプラントは不信仰ではありません」と言う示しが来た。それで私は受けることにし、手術は成功して、まるで自分の歯が生えてきたような三本のインプラントになった。



インプラントは素晴らしい。ただインプラントはやみくもにできるわけではない。その土台となる顎骨の厚さや密度の硬さ、形の問題がクリアされる必要があるようだ。

以下は素人ながら、実感していることだ。インプラントにするとそれで終わりではなく、それから維持するケアが始まることになる。だからその後も、自分の歯を詳しく知っている歯科医院を軽々しくし変えてはならない。インプラントそのもの、またその両隣りの歯を守ってこそ成功なのだ。もちろん全体的にも。

私の怠惰によって失われた歯は、あたかも再創造されたかのようにインプラントによって取り戻せたかも知れないが、そう喜んでばかりはいられないようだ。悔い改めつつ、感謝しつつ、歯磨きにいそしんでいよう。

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🐑ひつじのニッコリ大行進〜

2019年10月08日 | 自然
先月の15号台風で、千葉県内に暴風雨による倒木がもたらした停電、断水などの災害がありましたが、今まだ完全な復帰に至りません。まだに不自由な生活を強いられている地域、集落の話題を聞きますが、

今日はこのローカルニュースでほっこりです。


富津市にあるマザー牧場でも被害が多くあり、臨時休園してましたが先月末にようやく再開。

今月に入って、150匹の羊達がニッコリ笑顔を描くというイベントの話題をみました。
この「ひつじ🐏のニッコリ大行進」は、
毎日1回午後0時半から約15分間程で、
小屋を出たヒツジたちが牧場の斜面下に元気よく駆け下りて集合すると次第に笑顔の形に〜。

31日迄は、県内在住の証明書があれば無料で入園とか。 

一度はこのひつじ達に会いに行きたい私です〜

聖書には、100匹のひつじ達とひつじ飼いが登場します。100匹のうち一匹が迷い出てしまい、99匹を危険な山においてでも探しに行く羊飼い〜
さあ、結末はどうだったの?
✝️マタイ18:12〜13に書かれています〜

ドルカス   








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地域ネコ

2019年10月08日 | 生活
4時間ほどの仕事を終え帰る途中。
最近は、この橋をよく渡るけど、


渡る前に、ふと見たら何やらいる。
あまりにもその場所に馴染んでいて見落とすところだったよ。



チャリ🚲を橋に止めて戻り、声かけながらパチリと、撮影させてもらった。
地域ネコちゃん。何故か甘え声だね。

橋の上には私がチャリで通るのに困るのだけれど〜、相変わらず避けようとしない🐦鳩たちがいるのよね。
いつも慎重に鳩を驚かせない様に通り過ぎる私です。

ドルカス   

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