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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

その答えは・・・

2012年05月09日 | 感謝

 メダカの入った水たまり・・・・すぐおわかりになったと思います。Photo

 浅い水たまりでは、すぐに干上がったりしてメダカが生きていけません。そこで深いのは手水鉢Bとトイレ前手洗いのCです。ただし、寒い信州の冬は凍り付いてしまう前に避難させてしまう必要があります。ときどき忘れてしまいましたが、家の中へ避難させていました。

 Bird Busの方は、よくスズメが来て、水たまりで羽を広げていました。スズメは浅く広い水たまりを好むようで、答えはDです。

 門扉横の「だいだらぼっち」の方は、狭く浅く、少しひび割れてすぐに乾いてしまうせいか見たことがありません。

 正解はメダカはBとCの水たまり、Bird BusはDです。これまでいただいた応募のコメントに正解者がおられますので、ネコ型のかわいい箸置き(右写真)をプレゼントします。応募を感謝します。少し難しかったかなあ?  (ドルカス)

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メダカと水たまりのなぞ

2012年05月08日 | 生活

 ドルカスの家には たくさんの水たまりがあるが、そのなぞがようやく解けてきAた。なにしろ家の持ち主のドルカスにも分からなかったものがあり、最後の手段、と造り主の義兄に聞いた。
 
 A:玄関横の水
まり・・・・「でいたらぼっち」の足跡らしい。※「でいたらぼっち」とは「だいだら坊の足跡」など、呼びB名は色々あるが、要するに巨人伝説のこと。

 B:手水鉢(ちょうずばち)・・・・そう言えば茶室の「にじり口」にある。C_2

 C:明らかに
彫った水たま り・・・・昔はトイレが済んだ後は、軒先など外に洗いが吊してあったのを模しDた。確かにトイレ前にある。※でも見たら分かるように、これって、実際に使うはずがないものですが。

 D:浅く広い水た
まり・・・・単なる岩の凹みを利用して、庭の景観をアップした。

 何だかすごく深い思想とか識見があって、水たまりがあちこちにあるのかと思ったが、聞けば単なる「そこに在るのを使って遊んだA、景観アップのD、実際的な目的Bがあったり、使うはずのないトイレ前の手洗いに模した完全な遊びのC」とばらばらであったとは・・・・Photo_7

 う~ん、これを「ひらめき」と言うか、「遊び心」と言うかは微妙!しかし、誰もが分からないのは、面白い。

 さて、今日は予定通りメダカを二つの水たまりに放しました。ボウフラ対策にがんばってくださいね。

さて、ここで質問です。

①メダカの放されたのは上記四つの内のどちらでしょう?次のPhoto_8写真からご推察ください。

②また小鳥たちの水浴び場(Bird Bus)と化しているのもあります。それはどれだと思われますが?

解答をコメントに書いてください。ドルカスに答えてもらいますが、3問正解者にはプレゼントを用意(先着3名)しております。ふるってご参加ください。 (ケパ)

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水たまり・・・・ドルカスの家の不思議

2012年05月08日 | 生活

Photo_2  ドルカスの家・・・・の不思議Photo_3
 ドルカスの家には、そこで気づく不思議な仕掛けがある。今日はそのPart2。

 「水たまりがあちこち」
 これらはドルカスの家のあちこちに散りばめてある水たまりだ。これもどうやらドルカスの実兄の仕業らしい。できる
Photo_5だけ自然石のままにして、ちょっとだけ水Photo_4たまりを作ってある。 
 井戸も現在は水たまりと化しているので、大小入れた。
 ドルカスは「水たまり」じゃなくて、「○×○×」と言うんだと言っているが、これは無視。すべて現状は水たまりと化している。
 おどろくが、これらの石の多くは、この地所から出てきた自然の石だという。へぇ!

 先週これらをすべてきれいPhoto_6にしたつもりだが、雨降り後の一週間経つと、う~ん、自然はすごい。ふつうの水たまりになっている。それで今日はそれぞれにメダカを放って、ボウフラ対策をしようと思う。
 それにしても、どうしてこんなに水たまりを作ったのか、義兄に聞いてみたいものだ。   (ケパ)

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路傍のベンチ

2012年05月07日 | 生活

 今私たちは信州のドルカスの家に来ている。Photo
 ところで写真のみかげ石のベンチは、大きな道路の歩道に面している。
 でもここは公園ではないし、バス停があるわけでもない。どうも個人の土地にあるようだ。

 これは信州はドルカスの家の前に置いてあるベンチで、道行く人がいつでも座っていいように、私製だが公道に提供されているベンチだ。実にめずらしい。

 このベンチには散歩の親子が休んだり、買い物帰りの人が腰をおろして一服している(タバコの吸い殻を私は掃除した)。


 このベンチにはもPhotoう一つの不思議があって、写真ではよくわからないが、実は中央部に碁盤が彫ってあって、その手のことが楽しめるようになっている。玄関の角には道標のような道しるべもあって、実に変な家である。
 種を明かせばドルカスの実兄が造園家で、この家を単なる個人の家にして独り占めにするのではなく、少しだが人々のお役に立ちたい願いを形にあらわしたものなのだ。昨日のテーマ、分け合うことのすばらしさを実践したものと言える。  (ケパ)

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そらまめくんのべっど

2012年05月06日 | 随想

 昨日は、大きなそらまめをドルカスと買って来た(写真は大型猫のコールと買ったそらまめ)。Photo大小サイズによる値段の方は目をつぶって、超特大のそら豆を選んだ。なぜなら、教師をしていて、大きな喜びの一つに子ども達への「読み聞かせ」があって、こんな大きなそらまめを見ると、どうしても思い出す絵本があるのだ。


「そらまめくんのベッド」(あらすじ)

 大きくてふかふかのそら豆くんのベッドに、サヤエンドウとか他の仲間は一度は寝てみたいのだが、そら豆くんは「だめだめ、これはぼくの宝もの」と断固ノーだった。Photo_2

 ところがある日、そら豆くんのベッドが突然無くなってしまったから大騒ぎ。どんなに捜しても見つからないので、周囲の豆仲間がかわいそうに思って自分のベッドを貸してあげようとするが、そこはサイズが違ってどうしても合わない。ようやく見つけた時は、ナントうずらが卵を産んでいました。「しかたがない、少しだけ貸してあげよう」と何日もそばで待ちます。

 卵がかえっPhoto_3てようやくベッドを返してもらったそら豆くんは、豆の仲間の親切に、自分のベッドを開放し、みんなが喜んでメデタシ×2になるお話し。


 自分がどんなに大切なものだからといって、一人悦に入って、独り占めしているだけでは、不思議と本当の喜び、楽しさは湧かないものだ。乏しくても分け合い、共感しあってこその喜びは、何ものにも代えがたい。

 昨日もテニスの帰り道、ちょっと高めのミルクプリンを買う。一つだけしか買えなかったが、それをドルカスと等分にして食べる。「美味しい」を二人で感じ合えるのは、一人で全部食べることに勝るうれしさがある。Cjp01

 人生だって似たようなものかも知れない。ただ一人立って、つらさをこらえて歩くのではあまりにも空しい。十字架に架かるまで愛してくださっているキリストに、自分を明け渡す人生。伴侶と共に、心を一つにして二人三脚で歩む人生。共有することは、独占よりはるかに勝る。 (ケパ)

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久しぶりのお天気で

2012年05月05日 | 生活

今日は朝から久しぶりによい天気。気持ちのよい朝だったのに、ささいな事で別々に早天をしてしまって・・・どうも原因は私らしい・・・・あとで悔い改めて感謝したのでした。

それで今日は、久しぶりにテニスに行くケパさんを素直に送り出し、洗濯を山のようにしたいけど干す場所が無いので、時間差洗濯をして(それでも最後までしっかりと乾いて感謝!!)気持ちのよい日差しと風が嬉しい日をすごしました。さらに嬉しい事に、半日留守にしたケパさんが帰ってきて、「ミルクプリンと焼きシュー」を一つずつのお土産。 Milk

美味しく頂いてから、気がついた。しまったわ!!取り忘れました。 それで、空き瓶にミルク入れてパチリ。
d(^-^)ネ!かわいい瓶でしょ。これに美味しいミルクプリンが入っていたのです。これはちょっと高かったねって、ケパさんに聞くと 「一人で楽しんで来たからね
。罪滅ぼしと思って店に寄ったけど、しかしこの値段にはびっくりだよ」と。 ですから感謝して半分ずつ頂きました。 のちの ドルカス)

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渋谷 ヒカリエ

2012年05月04日 | 生活

 GW連休の3日(木)、 警報が出るほどの雨降りだったが、Photo私たちは表参道から渋谷へ歩く機会があった。青山通りを下ると、渋谷へのちょうど中間どころに、国連大学と「アニー」の青山劇場があり、向かい側に青山学院大学がある。ここでドルカスを姪に渡して、わたしは渋谷に向かった。
 久しぶりの渋谷には「ヒカリエ」という文化情報発信型の巨大な複合施設ができていた。むかし「東急文化会館」があったところにデパートやテナント、レストラン街、劇場、区民サービスセンターが入り、2Fと地下にはダイレクトに繋がった交通アクセス通路ができていた。
1


 しかし、である。夕方になるま3 で入場制限をして、入りたい人々は長蛇のをならばなければならない。このウン百メートルはあろうかという列を見て、初めは入る気を失った。ドルカスが観ているアニーの公演終了を待っての数時間後、入場制限が終わって入る。

 このヒカリエ、面白いのは8階以
2上の上部階にある。そこには公園の芝生みたいに自由に寝っ転がれるスペース(写真)や、渋谷駅が見渡せる展望所(写真)がる。ギャラリー(写真)や名品ばかりの展示即売もある。面白かったのは11Fにコンビニのローソンあったことである。「なぜローソン?」と思うのは同じらしく、偶然だが写真撮影をPhoto_2ご一緒にさせていただいた。  (ケパ)   

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ミュージカル

2012年05月03日 | 感謝

姪に誘われて、久しぶりのミュージカAnnie1ルを見に行きました。
姉が行く予定が私に来た恵み^^。感謝感謝^^。

それも姪にとって幼児の頃からあこがれのミュージカル「アニー」です。ログランの後援されているミュージカルで、もちろん姉は一緒に行きたかったはずの「アニー」。埋め尽くされたホールの席はその半分近くは子ども達でしょうか・・・
子ども向けのミュージカルでしたが、孤児のアニー、そして彼女に関わる次々起こることに語りかけがありました。


歌の好きな姪はミュージカルでアニーの歌ったAnnie2曲を覚えたいと(姪の仕事は幼児教育)楽譜を求めましたが、歌われている「TOMORROW」なかなかよい歌で私たちがよく歌うやすらぎのゴスペルを思わされる歌詞でした。

1922年~1933年がストーリーの設定。ある小さな孤児院の中の出来事です。アメリカ映画などでよくあるシンデレラ物語のハッピーエンドとなりますが、

今応援しているNPO法人「礎の石孤児院」の働き「日本における孤児院建設」と重なり、偶然では無い事をおもわされました。
会場の外には「頑張れ日本」の垂れ幕・・・昨年の東日本大震災の応援もありました・・・

このミュージカルの主人公は11歳ですが、アニー役の少女も実際に11歳。その歌唱力がよかったですよ。しっかりとお腹から声を出していました。さらに脇役ですが孤児院の指導員役、かつてのアイドル歌手松本明子さんの歌声はさらに素晴らしかった。(ドルカス)

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愛ってなに? 再考

2012年05月02日 | 示されたこと

  一昨日と同名の題でアップした。なぜかと言うと、肝心なことが抜けていると思うからである。

  「星の王子さま」では、王子さまの小Rose1さな星に一粒の赤いバラの種が落ちて、咲いて、それから いろいろな関わりがあって、特別な花になったわけだ。しかしそれでは、単なる偶然性に過ぎず、必然性がない。偶然性ではその偶然に恵まれなかった人や、偶然そこに生まれ育った地縁、血縁がすべての決定要因とされてしまう。そうなると人生が他律的で、意味あるものとなっていかないように思う。自分の人生が納得できないのでは、まずい。


   私という人間はどうも変わっているらしく、最初の妻とはこんな出会いをした。
   私は小学生のものごころついた頃から、自分の伴侶とはこういう女性だと、イメージ化していた。中学生になると、まるで生きていて、私のそばにいる存在であり、絵を描かせるとたちどころに描けたことだろう。だからずっと、ただ探し続け、待ち続けていた。神を信じる前のことである。
  ハタチの時、神を信じクリスチャンになった。その頃、ある日の礼拝が終わって、途端に賑やかになった会堂の後ろの方から、初めての聞く声だが、あのイメージの中でいつも聞いていた声、低いアルトを聞いた。その瞬間、それが肉の形をした私の伴侶だと分かったものである。戦慄が走るとはこのことである。恐る恐るゆっくりと振り向いて、目をその人物に移して見た時、まさにイメージそのままだったことに驚いた。その後七年して結婚した。このような出会いは、偶然とは言い難い。


  ドルカスの時はもっとだ。神の言葉がまずあった。それは家族が崩壊して、希望を失った私が今の信仰に導かれて半年たった頃だった。「あなたは結婚します」と。はじめは何のことやらわからなかった。しかし身を持ち崩すことからは守られた。何しろ、やがて結婚するのだから。その後、神の備えてくださる人生、神が導かれる相手こそが最善であることが明確にわかるようになって、相手の選択を完全に神に委ねた時に、「この人だ!」とされたのがドルカスだった。言葉があってから五年がたっていた。これには人間的な愛とか、偶然は全く無い。
  だから、ドルカスは私が選んだ相手ではなく、御心の相手というわけだ。これは素晴らしいことだった。「星の王子さま」は放浪の末、悲劇的なカムバックを果たす。「too late」(遅すぎた)の虚しさが残るが、私たちの場合、霊の一致が人間的な思いより優先して結ばれた二人なのだ。私達の人間の選択は、まったくの過ちだらけだが、神は違う。この世に体をもって創造される前からの、一つを二つに分けての互いであることがよくわかるのだ。だから、いつもその発見をする。神の導きを賛美する。「神様、あなたは素晴らしい方、あなたは完全。あなたに従う者は失望することがありません。」
  御心の結婚は、ただ感謝、感謝の二人であり、生活なのだ。

  必然は偶然に勝る。   (ケパ)

 

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スィーツ

2012年05月01日 | 食べる

スィーツ
 しばらくぶりの片付け仕事、いつもの何倍か身体を動かした一日。ついにバテて、頭痛もして来る。そんな私の様子を見てか、ケパさんが食事のあと、コーヒーに誘ってくれて、さらにケーキセットにしてもらいご機嫌な私。 でもケーキの選び方、シフォンケーキVSイチゴケーキどちらがどれかって、予想に反して、イチゴはケパさんなのです。そして私は甘みの控えめなシフォンケーキでした。(ドルカス)



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