進化論と言う見方考えがある。たぶん学校の生物で教わったが、うさんくさく思った。長い年月の間にアメーバーから猿へ、ヒトへと突然変異し適者生存した結果だと言うのだ。そしてまことしめやかに、始祖鳥とかの中間型生物の化石で説を証明しようとしていた。しかしどうみても、中途半端な生物はその絶滅が早かったとしか思えない。
進化論は神を信じない人にとって、これほど多くの生物の存在を下等から高等に至るまで説明できないための、ありそうで実はあり得ない論だ。だいたい偶然で生じる突然変異とやらが怪しい。猪豚(いのぶた)という、猪と豚のあいの子が存在する。これは近い種であって可能なのだが、どうやっても猪豚の子孫はできない。過去長年にわたって羊や牛、猫や犬などの品種改良は恣意的にできても、種は種であって乗り越えられた試しはない。
反面、進化論が命の尊さをどれほど傷つけてきたか、その影響は深いものがある。たとえば進化論ならば、牛や豚などの肉を食べたくない。これらは進化の過程での人間の先祖だったはずで「共食い」になりはしないか?また人の命はこれら偶然の結果ヒトが誕生し、偶然の結果自分が生まれてきたのであって、自分の存在も偶然であって、必然的な意味がないことになる。
やはり聖書という神の言葉に依らなければならない。聖書に依れば、人間は天地創造の最後の最後に、特別に神によって、神の似姿に造られ、命の息を吹き込まれた存在なのである。だからヒトは特別な、霊を持った存在なのである。
聖書によると、神の天地創造の第四日目に、動物の創造に関して次のように語られ、その通りにつくられた。この方が私には自然に受け取れる。
(※聖書は少なくとも、4千年前からの人類最古の唯一の書であり、その語って来たことはすべて成就してきた驚くべき書物である。またその内容も死海写本のように、数千年、ほぼ変更がない。) ケパ
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神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥が地の上、天の大空を飛べ。」 神は、海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神はそれを見て良しとされた。神はそれらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地にふえよ。」(創世記1章19~22節)