今日は長崎の西坂公園で、殉教記念聖会が行われた。この群れに導かれて十七年になるが、今回初めてライブ中継という現地に行かない形で参加することになった。
テレビで一緒に賛美したりするのだが、そうしているうちに、暑い夏、長崎を一人で訪問したことや、殉教聖会後の朝、凍える西坂でどんなに熱く祈ったか、それぞれ一つ一つの出来事を思い出していた。
ご存知のように長崎は特別な街である。街にはカトリック教会が中心地にあり、シスターたちの姿も普通に見かける。ちょっと違う雰囲気の日本の街である。やすらぎの歌の第2集に西坂の歌があって、その歌に惹かれて夏、初めて長崎にやって来た時、電車が市街地に入った途端に私はすごい霊的な圧迫を感じた。今ではほとんど感じなくなったのだが、その時は「な、何だ、これはぁ!」とビックリした。長崎は信仰の祈りが積み重ねられている、霊的な街でもあったのだ。
また、ライブ中継で映し出された26聖人のレリーフの前で、間もない頃の2月5日の早朝の暗さの中で祈っていると、どうにも涙が止まらない時があった。暗い上、寒さ対策の大きなマフラーをかぶって跪座して祈っていたので、人にはバレない。家族に大きな問題があって、そのために祈るしかなかったのだが、その時に涙が心を純化させてくれる体験をした。
辛かったが、今となってはあれほど真剣に祈れた恵みは大きな財産である。来年は何とかして、ライブではなく、これまでのように現地で参加したいと願わされた。
ケパ
テレビで一緒に賛美したりするのだが、そうしているうちに、暑い夏、長崎を一人で訪問したことや、殉教聖会後の朝、凍える西坂でどんなに熱く祈ったか、それぞれ一つ一つの出来事を思い出していた。
ご存知のように長崎は特別な街である。街にはカトリック教会が中心地にあり、シスターたちの姿も普通に見かける。ちょっと違う雰囲気の日本の街である。やすらぎの歌の第2集に西坂の歌があって、その歌に惹かれて夏、初めて長崎にやって来た時、電車が市街地に入った途端に私はすごい霊的な圧迫を感じた。今ではほとんど感じなくなったのだが、その時は「な、何だ、これはぁ!」とビックリした。長崎は信仰の祈りが積み重ねられている、霊的な街でもあったのだ。
また、ライブ中継で映し出された26聖人のレリーフの前で、間もない頃の2月5日の早朝の暗さの中で祈っていると、どうにも涙が止まらない時があった。暗い上、寒さ対策の大きなマフラーをかぶって跪座して祈っていたので、人にはバレない。家族に大きな問題があって、そのために祈るしかなかったのだが、その時に涙が心を純化させてくれる体験をした。
辛かったが、今となってはあれほど真剣に祈れた恵みは大きな財産である。来年は何とかして、ライブではなく、これまでのように現地で参加したいと願わされた。
ケパ