goo blog サービス終了のお知らせ 

ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

五十肩と老いと希望と

2017年01月27日 | 健康・スポーツ
一ヶ月以上も前から、右肩に痛みを覚えるようになった。テニスで高めに弾んで来たボールを、さらにドライブで打ち返そうとした瞬間、突然だった。いつもなら難なく打ち返せるそのショットが、痛みのために、ただ当てるだけのヘナヘナショットに。不思議なもので、高めのフォア(右)へのショットだけが痛くて打てない。別に寝違えた記憶もないし、原因がわからず、これは単なる「筋肉痛だ」と思い、しばらく様子を見ることにした。(この手の高いショットが痛くて打てない!)

しばらくして良くなるどころか、最近異変が起こるようになった。冷え込んだ朝方、右肩に痛みを感じて目がさめ、それからおちおち寝れなくなったのだ。一週間我慢して、今日ようやく病院に行った。私が思ったような筋肉痛ではなくてその一種、「肩関節周囲炎」という病名、早い話が五十肩なんだそうだ。突然やってくる症状で、それがずいぶん遅れ、早期高齢者になってやって来たようだ。それで人並みに「老い」を意識させられた。(処方された湿布薬と塗り薬)

テニスをしていて、50歳までは何の衰えも感じなかった私だが、歓迎していないのに、衰えのスピードは少しずつ加速度を増して行くようだ。最近若い人と勝負すると、配球や戦略面で活路を見出しはしても、フィジカル面(強打)で押し切られてしまうケースが出てきた。私の打球に威力がなくなり、打ちごろのボールになっているようである。以前にはなかったパターンで、正直、少し悔しい思いがする。

人は必ず老いる。また今までたくさんの方の葬儀を見て来た。血肉の命ある存在は、必ずそれを失うのである。もし神を信じず、肉体の命と共におしまいだと思っていたとしたら、死はどんなに怖い所だろう。
ところがクリスチャンは十字架を信じており、罪が赦され、永遠のいのちの「神の国=天国」への希望に満ち溢れている。肉体の死は、かえって罪の縄目からの解放であり、むしろ喜びの日でさえある。
神の国で主とお会いし、罪も苦しみも解放され、慰めを受けるのである。そして新しく、朽ちない体を与えられるのだ。だからクリスチャンは老人になるとますます希望に燃え、体の衰えに失望しない。

ケパ




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする