goo blog サービス終了のお知らせ 

ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

映画「アイヒマンを追え!」

2017年01月11日 | 映画•映像
映画「アイヒマンを追え!」をヒューマントラストシネマズ有楽町で観た。トーホーとかの大手の映画館では観れないのが残念だ。

私は高校生の頃から隠れキリシタン化しており、「沈黙」「アンネの日記」「アウシュビッツ」などの本から始まってユダヤ人問題に関心があった。だからホロコーストの最高責任者アイヒマンについて、もちろん知っていた。1960アルゼンチンでモサド(イスラエルの対外諜報機関)によって確保され、秘密裏にイスラエルに移送され裁判の後、絞首刑にされた。 ご存知の方も多いと思うが、このナチスによって殺されたユダヤ人はおよど600万人ほどで、これは現在イスラエル国に住んでいるアラブ人を除いた全ユダヤ人とほぼ同じ数である。単なる虐殺ではなく、アイヒマンなどによって、じつに理性的に生前と秩序正しく行われた・・・・実に恐ろしいことである。私は本映画を観るまでは、あれはイスラエルによる民族抹殺という人類への罪に当たる正当な裁きだと思うこと以外、何も分かっていなかった。 ドイツでは大物アイヒマンを裁けなかった理由がよくわかった。 (ゲシュタポ時代と裁判時代)

戦後のドイツ国家機関に、優秀だった元ナチ党員が数多くいて、彼らは連携して戦犯の追求から逃れようとしていた。だから元ナチ党が多いドイツではアイヒマンを裁けなかったのだ。この映画は反面、「我々日本人は、自分たちの戦争責任をどう受け止めているのか?」と言う疑問が湧いた。過去を曖昧にして、未来はあるのだろうか、と? なぜならこの点が曖昧だからこそ、韓国や中国に付け込まれ、どう見ても不当な反日に、肝心の日本国内が一致して反論できていない状況があると思うからである。 (逮捕当時の新聞)

と同時に、この映画は、何が正しいのか、と言うことを問われる映画である。国家反逆罪を犯してまで、正義を追求すれよいのか。 ケパ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする