ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

窓ガラス拭き

2016年12月30日 | 示されたこと
晴天に恵まれ、年末掃除で、前から気になっていた窓ガラスを半年ぶりにきれいにした。
やる前はガラスの外の汚れが気になっていた。マンションの二階以上なので、少し危険な作業である。しかし無事に外を拭き終わってみると、今度は中の、内側の汚れが見えてきた。外ガラスをきれいにしなければ、内側の汚れなど、全く気がつかなかったことである。

他人のことを厳しく批判をする人がいるが、そういう人に限って、自分のことが見えていない人が多いように感じる。見えていないからこそ、辛辣な批判ができるのだろう。私がクリスチャンになるきっかけは、学生運動でノンポリ(=運動に無関心)学生を批判し見下していたのに、その運動に挫折したからだった。その時、自分の愚かしい内側が見え、逃げ回ったガード下から星々の運行を見上げ、ようやく宇宙万物を創造された神を受け入れることが出来たのだった。

ルカ伝の6:41には、
†---あなたは、兄弟の目にあるちりが見えながら、どうして自分の目にある梁には気がつかないのですか---とある。

人を批判し、受け容れない人は、結局、自分と自分の周りの人をも不幸にしている。あらゆる問題を外ガラスの汚れのせいにして、自分自身の内側が見えていないのだろうと思う。だから神は、愛する子への試練をお許しになる。ただし、内側の汚れに気づき、それをどうするかは、その人次第なのではあるが。

最後に批判に似ているが、以て非なるものがある。それは愛する者をいさめ、忠告し、建徳する言葉だ。神と神に属する者は批判に受け取られることを恐れずにこれを告げる。
ケパ




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