これまで長崎の殉教記念聖会の折り、雲仙の向こう、天草四郎時貞の原城や、逆に北の方の西海市、天正遣欧少年使節の中浦ジュリアンを訪ねたりした。
今回は不思議な導きで、初のキリシタン大名の地、大村市を訪ねることになった。ここは沖合の人工島に空港があるところでもあるが、日本二十六聖人が最後の一日を過ごし、船出をした彼杵はすぐ近くでもある。
長崎まで連行する役人たちは、二十六聖人たちをキリシタン大名の地、大村を横断していくには、奪取される危険が大きいと判断したに違いない。それで彼杵という大村藩の直前の地から、舟で時津まで移送することになったのではないか? とにかく奪取を恐れていた役人たちは、できるだけ海路を取った上、長崎にほど近い時津港に着いても、夜が明けるまで狭い舟の中に閉じ込めていたほどだった。
大村はキリシタンにとって、幼子のゆりかごのような、大きく羽ばたかせるような地となっていたように感じさせられた。また当然なごら、多くの殉教者を出した地でもある。明日が楽しみである。 ケパ
今回は不思議な導きで、初のキリシタン大名の地、大村市を訪ねることになった。ここは沖合の人工島に空港があるところでもあるが、日本二十六聖人が最後の一日を過ごし、船出をした彼杵はすぐ近くでもある。
長崎まで連行する役人たちは、二十六聖人たちをキリシタン大名の地、大村を横断していくには、奪取される危険が大きいと判断したに違いない。それで彼杵という大村藩の直前の地から、舟で時津まで移送することになったのではないか? とにかく奪取を恐れていた役人たちは、できるだけ海路を取った上、長崎にほど近い時津港に着いても、夜が明けるまで狭い舟の中に閉じ込めていたほどだった。
大村はキリシタンにとって、幼子のゆりかごのような、大きく羽ばたかせるような地となっていたように感じさせられた。また当然なごら、多くの殉教者を出した地でもある。明日が楽しみである。 ケパ