こんなことがあった。ある日、テニスの待ち時間中、私を牧師と知る方がキリスト教について質問してきた。それでテニスコートの片隅は、たちまち伝道と証しの場になった。
神は活きておられ、信じる者一人一人の内に住まわれ、その人生を最善に導かれる、そんな話に目をパチクリして聞いてくださった。いつも思うのは、似たようで全く反対の働きをする悪霊なら、なんと分かり易い話であろうかと。そして基本的には、神を信じるまでは、人は悪霊だろうと、自分自身であろうと結局その類の、罪と悪の虜になっていることに、ただ気づかないだけなのだ。
自分の罪のために十字架にかかってまで死んで愛を示してくださった(そんな神は他にはいない)、この神を信じることは、己の中に革命を起こす。
私が伝えたいと思ったことは、ただ一つ、下記のみ言葉だった。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ16:26)
神は活きておられ、信じる者一人一人の内に住まわれ、その人生を最善に導かれる、そんな話に目をパチクリして聞いてくださった。いつも思うのは、似たようで全く反対の働きをする悪霊なら、なんと分かり易い話であろうかと。そして基本的には、神を信じるまでは、人は悪霊だろうと、自分自身であろうと結局その類の、罪と悪の虜になっていることに、ただ気づかないだけなのだ。
自分の罪のために十字架にかかってまで死んで愛を示してくださった(そんな神は他にはいない)、この神を信じることは、己の中に革命を起こす。
私が伝えたいと思ったことは、ただ一つ、下記のみ言葉だった。
人は、たとい全世界を手に入れても、まことのいのちを損じたら、何の得がありましょう。そのいのちを買い戻すのには、人はいったい何を差し出せばよいでしょう。(マタイ16:26)