私と台湾の出会い
私が今日、この世に存在するのは、もちろん神さまのご計画によるが、肉的に言えば台湾とアメリカをはじめとした連合軍のお陰である、と書くと、何やら前回のiPhone6の三者関係のように聞こえるが、そうではない。家族の話である。
父がもと帝国海軍の職業軍人だったので、仲間の多くは海の藻屑と消えたのであるが、父への命令は当時の海軍軍港、台湾の高雄への指令所だったので命拾いした。一方、母は広島市内に嫁いでいたのだが、最初の夫が戦死し、次いで子が病死した。若い戦争未亡人となった母は、八月六日のその時は地域の子どもたちの寮母として疎開先に居た。それで原爆はその雲を見たに過ぎなかった(後に入市した)。
こうして生き残り、生き別れた二人はやむなく田舎に引き揚げ、お見合し、姉と私が生まれたという訳だ。父が本来の艦船に乗っていたら、子どもが死んだため身軽な母が寮母になっていなかったら、とたら、たらの話だらけだ。
人はこれを運命とか偶然とか言う。しかし私は創造主なる神を信じているので、偶然はないことを知っている。だから父を守った台湾に神の計画があったと分かるし、親近感を抱くのだ。それが今回、確かに現実のものとなった。
台湾で特に心に残ったのは、新竹のホーリネス鳳山村教会の愛である。
田舎だったからという説明もできるが、すべて手作りのおもてなしは、心にも特別なご馳走になった。小グループでのディスカッションが礼拝後にあったのだが、その主なテーマになったのは「同性愛者への対応」「都会と田舎の信仰者の実情」などだった。たとえ民族や国は異なっても、互いの状況は全く同じであることがようくわかった。
こうして私たちは、実は肉の兄弟に優る天国の兄弟姉妹であることを強く感じさせられた。彼らの心は肉親や親族以上に、私たちと強い結びつきがあったのだから。(写真は、結構距離のある新竹の駅まで、見送りに来てくださった兄弟姉妹)
最後には、この教会の牧師夫妻はわざわざ台北まで、新幹線に乗って我々と同行してくださり、夜の礼拝(聖会)会場の教会まで案内してくださった。驚くべき真心である。こういう経験をすると、私がかねてから神さまにおねだりしていた、「神さま、このままでは天国に行ったら、日本人が少ないではないですか。何とかしてください!日本にリバイバルを!」そんな願いごとが、この世の国の枠でしか考えていなかった、ごくごく小さなことだったように感じられてしまうのだ。 ケパ