クリスチャンであれば、聖書をいつも読むことは、毎日の食事と同じように大切なこと。その聖書で、近ごろになってようやく英語の聖書で、KJVという聖書がどれほど重要かということを知るようになった。KJVとは欽定訳聖書(きんていやくせいしょ 右はその初版本の表紙)と呼ばれ、英国王(King Jemes)の命令によって翻訳された聖書のことである。こんな出自を持つ聖書は他にない。
この欽定訳聖書がシェークスピアと共に英語を世界言語に仕上げたとも言える。それだけではない、聖書の言語は旧約がヘブル語、新約がギリシャ語で書かれた。この原文にもっとも近づいた翻訳という理想に、このKJV(欽定訳)がある。「もっとも理想に近い」と言ったが、それは原文にある神の言葉を、人の考えでなく、神の言葉として、という意味においてである。これはある意味で学問的なものでなく、霊的な意味あいでもある。KJVというと王の権威によって編纂されたように見えるが、調べてみると実は極めて数奇な運命をたどった翻訳が集まった結実である。当時、正統を自認するカトリックから迫害され、たとえ命を捧げても真実の神の言葉は曲げられない、そんな幾人かの翻訳者の訳が新教国イギリスで採用され、日の目を見たのである。
確かにNKJV(KJVの新改訳版)を読むと、その簡素にして単純な言葉が、わたしの霊に「スーッ」と入ってくる感じがする。それまで見えなかった世界が見えてくるようだ。読み進める内に、英語という言語が、実はこのような聖書をもとに確立した言語だということ、だからこそ聖書の言葉が生きて、実をつけている言語なのだということがわかる。
たとえば中学生以来、日本人は英語の_sという複数形に悩まされて来たと思うが、これなど唯一なる神と、三位一体や多神教の神々とを峻別して理解するための重要な点である。ナルホド・・・・英語聖書、とくにKJVはすばらしい(わたしはKJVが古語が少し多いため、それを今風にしたNKJVで読んでいます。もちろん写真のように辞書が手放せませんが・・・・それでも良さがわかります)。 ケパ