夫婦について、言い足りないことが一つあった。
日本の都市では珍しいことだが、広島市の中心部は広島駅前ではない。紙屋町と八丁堀と言って、今ではそごうデパートの3階に収まっているバスセンター(右写真、今回のお話の舞台)の紙屋町から、八丁堀という金融と三つのデパート街にかけてが中心部だ。
そのバスセンターがデパートに収まって1974年再開業した頃、新人社会人であった私はある外国人夫婦を目撃した。3階のバスセンターへ直行する真新しい長いエスカレーター、その初老らしき夫婦は私のすぐ前にいた。二人は並んで立っていただけでなく、やおら手を重ね、あつく手を握り返していた。
そのころのこと、公然たる町中で、いい年をした夫婦が手をつなぐなんて、私は見たことがなかった。だから「あっ」と思った。実に羨ましかった。「こうでなきゃ!」とも思った。
いろいろ山あり谷ありを乗り越えてきたはずの夫婦。50、60代はその報酬を受ける年代でもある。それが「濡れ落ち葉」とか「熟年離婚」があまりにも多い。男は家庭を犠牲にしての企業戦士で幾年月。ふと気がつくと企業ではお払い箱、家に帰るとカネの切れ目はエンの切れ目でこちらもお払い箱。公園で見かける、出勤した風でずっとベンチに座っている退職者を見かけるのはさびしい。
エスカレーターでは、二人の力で山も谷も乗り越えることができた、そんな同士的な確かなきずなを感じさせられ、「私も!」と若い私はねたみに体が震えたものだった。
PS:「それはどうなったの?」とお聞きになりたいでしょう?その答えは、「ただ神様はあわれみ深く、私たちの願いをご存じで、御心ならば、それはかなえてくださる」のです。人がナント言おうと、はい、堂々と。感謝! ケパ