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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

罪(Sin)こそ、最高だ!

2012年12月02日 | 随想

 宗教的な意味での罪(Sin)に対する言葉は、法的な犯罪Crimeである。ある人がいて、「キリスト教は原罪の中に人を皆とじ込める。だから人をおとしめる暗い宗教だ」と非難していた。確かにノンクリスチャンから、そういう風に見られても仕方ないかもと思う。だが、「待てよ・・・」である。それはとんでもない誤解なのであるから、う~んん、何とか解く法はないものかと。

God_41  今日はそれが祈りの中で答えられた。聖書の中に感動的な出来事がある。
イエス様があるパリサイ人(宗教的な指導者)の食事に招かれた時、罪深い女が入ってきて、「泣きながら、イエスのうしろで御足のそばに立ち、涙で御足をぬらし始め、髪の毛でぬぐい、御足に口づけして、香油を塗った。(ルカ7:38)」話である。この時、イエス様は次のように言われた。
 「だから、わたしは『この女の多くの罪は赦されている』と言います。それは彼女がよけい愛したからです。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛しません。」(ルカ7:47)

 罪は私たちを神の所に導く産婆役のようなものだ。自身に多くの罪を感じるなら、それは祝福となる。多くの赦しを得た者ほど、多く神を愛するようになるからだ。神への愛が、進んで御心を行いたいという願いを持つようになる。これは永遠の命への王道である。ところが逆に高慢な者ほど罪がなく、救われがたい者となっていく。罪深い者ほど、逆に祝福ではない か!

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