過日、知り合いを通し、被災地からのメールを受け取った。
その中の一部分だけをお伝えしたい。
文中に出て来る街は、実は私たちも被災後訪れたことがあって、間違いなくこの大震災でももっとも甚大な被害を受けた街です。私たちもそこを通りがかっただけで、あまりのことにただ涙が止まらなくなりました。そしておそらくはこの写真は、文中から察するに、偶然でしょうか、その時私が撮ったもので、あまり遠くは離れていないと思われるのです。
この方はクリスチャンです。震災時は離れていて無事でした。しかし自宅のあった街は全体が地震・津波・火災で全くの廃墟と化しました(写真)。帰ってから自分の目で叔母の遺体を見つけましたが、実母を見つけることが出来なかったのです。多くの遺体がそうであるように、体の一部分だけでも、歯だけでもと、来る日も来る日も安置所を探し回っていました。それは耐え難いことだったでしょう。しかし文中にもありますが、母への強い思いがありました。そんなある日、転機が来たのです・・・・。最後は「感謝」で結んであります。
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<抜粋部分> 実は本当に恥ずべきことに、わたしはこれまでずっと、すぐに母のことを見つけて、わたしが母に死に化粧をしてあげるんだ!っと、すごく意気込んでいました。それに使命感を感じ、安置所に行く原動力のようにしていました。しかし、それは自分のわがままであり、だんだんと情けなくなり・・・・、(中略)
母の遺体や遺骨への執着心が少しづつ解けるような思いがしています。でも、変化はそれだけではありませんでした。このような中でもわたしは大きな希望を見つけることができました。ご報告させてください。
去年母の日にプレゼントした「バラの苗木」を、この瓦礫の中
から見つけることができたのです!
母が、「ここに地植えしたんだよ~」っと大切そうに眺めながらそう言っていたのを急に思い出し、必死で我が家へ戻り、思い当たる場所の瓦礫をはいで地上を目掛けて掘り起こしたら、やっと地上が見えて、そうしたら立派なバラの支柱がビンっと土に刺さって、バラの苗をずっと守っていてくれたのでした。
泣きながら掘り起こすと、土の中からたくさん、たくさん、粒々したバラの肥料が出てきました。母がどんなにか大切にしていてくれたのでしょう。わたしは涙が止まりませんでした。わたしと母しか知らないその場所から、すごく控えめな目立たない裏庭から接木されたバラの苗が、出てきたのです。母にやっと出会えた感じがしました。最高に最高にうれしかったです。
神様は本当に希望も与えて下さいますし、生きていてよかったです。そして本当に感謝しています。くじけることなく今日までくることができました。
※ 最後のバラの写真と本文とは、何の関係もありません。(ケパ)