ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

聖霊のバプテスマ

2011年05月12日 | 聖書

 わたしは現在の教会に来るまで、長らく、いわゆる「福音派」の教会にいた。そこではわたしだけかも知れないが、自分が救われたことは分かっても、なぜか「天国に行ける」確信が持てないでいた。※参考:聖書(ローマ人への手紙10章9、10節)

 それだけでなく、いくつかな重大な疑問があった。救われたと言っても心の中は変わりはなく、罪が私を相変わらず私を支配していた。特に疑問であったのは「祈り」で、毎週水曜日にあった教会の「祈祷会」・・・・形式的でほとんど祈らない「祈祷会」・・・・は苦痛でしかなかった。それは「祈る」そのことが天に届いた感じのしない、実にむなしい行為のように感じたからだ。

 20年このような信仰生活を続け、次に迎えた試練の10年間の後半、ようやくわたしは「聖霊」と「聖霊のバプテスマ」にこそ解決の糸口があることを知るようになった。神に求め続けて、ついに50歳を過ぎて、神の語りかけと「聖霊のバプテスマ」を体験した。求道をはじめた時から聖霊体験まで、不思議に私には人の導き手はいない。ただ神が導いてくださった。

 今わたしは、聖霊が私を支配され(そう常に願い祈っている)、聖霊の声がわたしを導いていることを知っている。主人のそばで仕えていれば自然に分かるように、分からなかった神のご人がらさえかなり分かる。どこを切っても、金太郎飴のように、ただ愛だけを感じる。それがますますのめり込むように夢中になる。神を愛する者へと変えられていく方へと。

 神は生きておられ、力有るお方であり、わたしに新しい命を与えられたのです。つまり神以外のことはいっさい、無価値だと思うようになりました。わたしは自分自身に希望を失いました。そして十字架にかかってまでわたしを愛してくださった主の愛が、ようやく分かりました。こんな教祖はいません。福音派のクリスチャンのみなさん、ニコデモに主が言われたことば、生まれ変わることは、今も真実です。聖霊のバプテスマを受け、新生しましょう。すばらしい恵みです。 (ケパ)

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