ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

へーぇ、ユダヤ人ってそうだったの❗という話

2017年01月13日 | 随想
私は映画の予告編でしか観たことがないが、「テルマエ・ロマエ」というヤマザキ・マリという漫画家の作品がある。古代ローマ人の入浴好きは有名だが、その風呂建築家が日本人の風呂文化に時代を飛び越えて出会い、ローマのお風呂革命を起こしていくというストーリーだった。
そのヤマザキ・マリさんはイタリア人と結婚しイタリア在住なのだが、現代のイタリア人は他の欧米人と同じく、シャワーばっかりでお風呂には入らないそうだ。聞けば古代ローマ人とは全くの別民族らしい。
そう言えば、ゲルマン人やゴート族の民族大移動が古代ローマ帝国崩壊の原因だった。古代ローマ人とともに入浴の習慣は途絶えたのだろう。(民族大移動)

似たような、入れ替わってる国がある。それはイスラエルのことである。エルサレムの街角では、長いもみあげに山高帽、フロックコートという出で立ちの超正統派のユダヤ人(イスラエル人)をよく見かける。どう見ても彼らは北欧のスタイルで、半袖の私たちからは暑苦しくて見てられないのだが、彼らにはどうしても守るべき戒律のようだ。おまけに彼らは白人である。ユダヤ人とは本来セム族の一つ、ヘブライ民族のことである。聖書ではノアの三人の息子の一人であって、アラビア人が代表的だが、中東からアフリカ北部一帯に暮らす人々がその末裔である。だから彼等のようなアジア人なら分かるが、どうして白人なのか、かねてから不思議に思っていた。(↓アシュケナージの少年)

調べてみると本来のユダヤ人とは、現在ではスファラディと呼ばれる人々で、今もイスラエルだけでなく中東や北アフリカ一帯に住んでいる。しかし彼らはユダヤ人の中では少数派であって、アジア人の風貌で地位も低い。
それに対し白人としか見えない主流のユダヤ人は、アシュケナージと呼ばれる人々である。彼らは血筋的には、聖書のイスラエル人とは全くの別民族のようだ。彼らはハザールあるいはカザール人と呼ばれ、千年以上前、八世紀前後に黒海北岸辺りに一大帝国を築いていた。位置的に彼らは南からイスラムから圧迫を、また西隣にビザンチンの東ローマ帝国があり、そのどちらでもない、両方のルーツであるユダヤ教を国教として選んでいた。最終的にはキエフ大公国によって滅亡し、ユダヤ教に改宗した国民はヨーロッパ各地に離散して行った。あたかも本当のユダヤ人のようにして。そして彼らは白人であった。(ハザール国図版)

このような民族の多様な変遷は、私たち日本人にはなかなか理解が難しい。しかし世界の常識から見れば、日本人の方が珍しいことを知らねばならない。日本人とは、一度たりとも国土を離れなかったし、他民族の支配を受けなかった(戦後の進駐軍時代を除く)特別に恵まれてきた民族であって、そのことを感謝することを忘れてはならない。


ケパ






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第三次世界大戦が始まるポイント

2016年11月28日 | 随想
イスラエルから帰国して、はや2週間が経った。

数年前からイスラエルに行くと、国土の地形を立体化したもの(写真)が出回っていて、これが大いに参考になっている。
小さな国だが、砂漠のオアシスのような緑の国。高低差があって、時折雪が降るエルサレムの標高835メートルから死海の海抜下398メートルまで、車で3、40分の距離に過ぎない。つまり日本と変わらぬコートが必要なエルサレムから、ヨルダン川の常夏のエリコまで、一気に体験できる不思議な国なのだ。

話をエルサレム神殿の話題にしたい。
現在の段階では神殿の丘は、アラブ人のものである。しかしイスラエル軍が警護し監督している。ほとんどのユダヤ人は神殿の西壁で民族の悲劇を嘆き、できることなら神殿を再建したいと願っている。これを第3神殿という。

あるユダヤ人ラビに、「もし建てるなら、どこに建てたいか?」と聞くと、「もちろん神殿の丘、そして黄金ドームの所」と答えてくれた。
「じゃあ今そこにある黄金ドームはどうする?」と聞くと、「横の方へ移動してもらう」と明白だった。これはイサクを捧げた場所は絶対に譲らない、との硬い決心に思えてた。もちろんイスラムがこれに同意する可能性は今も今後も、ゼロパーセントだと私は思える。

今エルサレムの周辺のすべては、イスラエルの手にある。イスラエルが建てようと思いさえすれば、すぐにでも実行できる段階にある。しかしもし実際に行うなら、これは、第三次世界大戦の始まりになるだろう。とりもなおさず黙示録のリバイバルが始まっているということだ。

私たちはエルサレムの平和のために祈っている。しかしそれは第三神殿ができなくていい、という意味ではない。それやこれやで、神殿の丘から今後も目が離せない。ケバ



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お蚕(かいこ)山

2016年10月17日 | 随想
ドルカスの実家は、上田市中心部から北の方、真田町に向けて小高い山裾を行く。丁度お蚕山(虚空蔵山)と呼ばれる小高い山の尻りと、今話題の真田丸でも舞台となった砥石城の山裾に位置する。

なにしろ信州は山が違う。広島は中国山地育ちの私には、山といえばカレーライスのご飯のような形しか思いつかない。しかし信州は高さが違うし、日本アルプスと呼ばれるように屏風状に切り立っている。いつまでも雪を戴いている山もある。
ところがこのお蚕山は、まるで故郷の山なのだ。南北から見ると山の形が蚕そっくりなので、この名がついたと聞いた。そう言われて見れば、まったくよく似ている。
(中心の狼煙の上がる山がお蚕山の頭。右横後ろの狼煙が砥石城。上信越道ローマン橋と呼ばれる東側からみた写真。伊勢崎の砦とも呼ばれる)

私が面白いと思ったのは、山状が故郷の山に近いことと、名前である。蚕に「お」をつけて呼ぶのがこの地の習わしである。この地は昔から養蚕と生糸産業が栄えたところである。
上田市には信州大学の繊維学部がある。これはこの地の高い品質と生産レベルを物語っているし、生活と文化において、暮らしを支えてくれる生き物「お蚕さん」がどれほど愛され、尊ばれてきたかを物語る。

先週も「お蚕山」を何度も横目に通った。NHKの大河ドラマで注目を浴びた真田合戦にも関連する地域の山であり、「オカイコヤマ」は、良い響きである。
ケパ




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吾唯足るを知る

2016年10月12日 | 随想
今日は、昨日のブログ「信州上田」で紹介した、昼食に入ったそば屋「草笛」上田店の入り口横にあったプレートの説明である。

このプレートに、「何なの?」と少し気になりながらも、足を止めないでいた。
しかし今回は「う〜ん」と足を止め、組み合わせ文字らしその意味解きにチャレンジ !
口を中心に読んでいくと「吾」「唯」「知る」「足」と読める。どうも漢文らしいので、「足」に返り点を打てば、吾れ唯(ただ)足るを知る」と読める。これはおそらく、禅宗的な意味があると見たが、果たしてその通りだった。

意味としては、欲しがることを止め、充分足りていること、満たされていることに気づくと言う意味であろう。本当に貧しい人とは、実は次から次へと欲望を満たすことに取り憑かれている人のことで、満足することを知らない人のことだ、という意味にもなるのだろう。ささやかでも我欲に取り憑かれている私には、実に耳の痛い言葉である。

聖書にも同様な、いや、このように格言と言うよりも、目をまっすぐ上に向けさせ、神の愛と摂理を諄々と諭している言葉がある。私はやっぱり、この方がスッと心に入る。

 それから弟子たちに(イエスは)言われた。「だから、わたしはあなたがたに言います。いのちのことで何を食べようかと心配したり、からだのことで何を着ようかと心配したりするのはやめなさい。
いのちは食べ物よりたいせつであり、からだは着物よりたいせつだからです。
烏のことを考えてみなさい。蒔きもせず、刈り入れもせず、納屋も倉もありません。けれども、神が彼らを養っていてくださいます。あなたがたは、鳥よりも、はるかにすぐれたものです。

(ルカ12:22-24) ケパ


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あと三日、夏休みと宿題

2016年08月29日 | 随想
いよいよ今週で8月が終わる。夏休みと関わりなくなって、今年で十年が経つ。

今日はもよりのホームセンターのフードコートで買い物の後一息ついて、かき氷を食べていると、子供連れが目についた。そのゆったりとした様子を見て「ああ、この子は宿題が済んでいる」と思った。なぜなら、私の子ども時代はこの時期、たまりにたまった宿題やっつけに、血まなこになっていたからである。

また、その様な父の子であるにもかかわらず、私の娘たちは夏の初めには宿題をだいたい終えていたので、親として妙な感覚にいつも陥ったものである。我が子でありながら、不可解な人種のように見えたからである。この手の着実に努力できる人種は、私にとってまるで理解の範囲外で宇宙人である。その上「パパはちゃんとやってたんでしょうねェ?」なんて失礼な質問をして親を困らすような事もなかった。どうもそんな自堕落でいい加減な人種が身近に居るなどとは、思いもつかないらしかった。

このような元少年が小学校の教師になったのだから、夏休みの宿題については大甘であったことは当然で、ずいぶんいい加減な教師であったと恥ずかしく思う。実際には山のような宿題の赤丸つけ、一筆書いての評価、そして出したかどうかのチェックに疲れ果てていた。ちゃんと出す子は「すごい」と尊敬し、出さない子は秘かに「先生孝行だな」とも思ったものだ。

ケパ

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ムダな人生など、神を信じる者にはない

2016年08月06日 | 随想
最近とくに牧師として強く示されていることに、礼拝でのメッセージ(説教)について・・・。
シンプルに(つまり、ぶれずに)、イージーに(小学生でもわかるように)示された事を語るという事だ。私は約三十年小学校教師をした。小学校教諭にも専門があって、私は国語だった。だからつい、人の書き順や筆記具の持ち方などが気になる。

メッセージに関しては、私は仕事上、研究授業などをやり続けざるをえなくて、その事がすごく益になっていると感じる。つまり神学校での学びで、互いにメッセージし合って評価し合う講座があるのだが、そのためどうして辛口批評になってしまうようだ。決められた時間内で、対象を見ながらどのように展開して行くか、それは授業と恐ろしいほど共通しているところがあるのだ。良い授業とは必ずシンプルだし、全員が「わかった!」に到達できるイージーさの技というか、工夫に目を見張るものだ。

前の職業である教師が今役立っているのは、メッセージだけではない。牧会と言って、牧師としてどのように信者に接っし、どのようにフォローするか、そのことにも超役立っている。自閉症などのいろんな障害や集団の問題、幼いといえども人間関係の基本的な在り方。小学校教諭はおそらくこの世の職業の中で、牧師に最も近似した職業の一つではなかったかと感じる。すると大学卒業の際に献身するかどうかで随分悩み、結局は献身しない道を選んだ私だが、神は不思議な御手をもって導き、結局は無駄がほとんどなかった人生というわけだ。(※私は最初から教職を選ばず、3年会社に勤め、その後に教諭になった)

なおかつ言えることは、あの頃、熱心に燃えて信仰してはいたものの、神との霊的な交わりや牧師としての明確な召命もないままに献身し、牧者になっていたらと思うと、まさにゾッとする。それを考えるとこの人生が最善だったのだと心から思う。つまり神は、信じる者を最善の人生に導かれるのだ。

さて今は土曜日の夜。明日のメッセージのために主に祈り、語るべきことがらを示されて、シンプル、イージーに礼拝で伝えたいと心から思う。ケバ



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自己像のズレ

2016年06月15日 | 随想
今日の礼拝で余計な一節、「心を病む方には、自己像がズレている方が多い」と触れたが、ついウッカリ続けて「批判だろうが忠言だろうが、人が言っているのが本当で、『そんなことはない』と守っている自分の方が間違っている」と。

これを聞いていたドルカスはニヤリ! 一瞬「これは超マズイ!」と冷や汗たらりん。そしてその懸念は当たった。その後の会堂での賛美練習でドルカスが「牧師、間違って言葉、一言多く歌ってますが、分かってます?」と。
家庭とかの普段なら「余計なお世話だ」とか「放っておいてくれ」と一蹴したいところだが、今日だけは「はい、分かっています・・・」としおらしくなって認めざるをえない。確かにその通りで、間違ってないと思いたい私は間違っている。

考えてみれば、周囲の忠告、叱咤を聞き、それを改めるは謙虚でなければ出来ない話だ。以前、ある牧師の説教を聞いていると、モーセやダビデの年代が無茶苦茶なので、後でこっそりメモ書きして渡したことがある。私は礼を言われると思っていると、牧師はその紙を一瞥するなりくしゃくしゃに握りつぶし、なんと夫婦揃って「文字は殺し、御霊は生かす」と聖句まで唱えられて叱られた。

都知事の舛添さんが今日辞表を出した。「晩節を汚す」人がどうしてこうまで多いのだろうか? 知事の周辺には公私のけじめについて、誰も言う人がいなかったのだろうか? と言うより、多くの場合、言えなくさせていた・・・のだろうと思う。人間、高慢とは恐ろしいものだ。
自分を守っているようで、一番自分を破壊している。昔サタンは神に仕える最大級の大天使の一人で、天使の三分の一を擁する、美と賛美の極みだったと聖書では述べている。しかし高慢になってしまい、自分こそ神になろうとした。そして彼は、神に敵対するサタンになった。

心の病を患う人には、自己像のズレが大きい人が多いとは、私の経験からの実感である。過大な自己像を維持しようとして、八方破れかぶれで、バランスを失いかけているように見える。ありのまま、素直に等身大の自分を受け入れること。それができるのは、それでも神から赦され、愛されている自分があるから。人が私をどんなに離れ、裏切り、拒否してもいい。ただ神だけが今の私の支えで、謙遜でありさえすればいい。そして、どうにかして天のお父さにはほめられたい、と私は祈っている。 ケパ






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国情と団体行動

2016年06月03日 | 随想
東南アジアを旅して、数少ない私の経験でも彼我の国の違いを感じさせられることが多い。今日も学んだが、私が聞いたA国の公立学校の教師は、教室の子ども(親たち)から補習代という名の自分宛の賄賂(という認識はないだろうが)は当然のことである。なぜなら公務員の給与では生活が成り立たなくいため、子どもを帰して午後からするいろいろな副業の方が大切なようである。教師の中には午後から同じ教室で補習をする教師もいる。補習を受けなければ事実上、進級できない。そのための費用を親が私的に負担するのは当然だというわけである。つまり補習費用を出せない貧しい子どもたちは、結果として落第し続けることになる。だから卒業できないし、中退者続出である。ひどい例では、教室以外での副業のために、教師が不登校になるケースも。公立学校ではまともな教育を期待できないという。(写真の日本NPO孤児院は、そのような環境から子どもたちを少し費用はかかっても私学に通わせ、教育を守っている)

B国ではなんと出国手続きの手荷物チェックで、目を付けたとばかり係官がやって来て、「金を出せ」と賄賂を要求された。断れば「あっちへ行ってもらわなければならない」と別室を指差す。国際空港の検査官と言えば、その国が誇る公正な役人のはずなのだが・・・・。
少し古いが友人の話で、赴任のためC国空港の荷物チェックに立つと、手荷物のパソコンや携帯電話などが選り分けられた上、別室に連れて行かれた。そこで係官から使い道をどうのこうの質問されたと言う。彼がどんなに説明しても、彼は納得せず、結局は没収されたと言う。要するにこれは、賄賂を要求されたのではないかと私は思ったのだが。

これらの例には、貧しさ、と言う面もあるだろうが、文化という面も大いにあるように思う。与えられた地位や職権というものに対する、根本的な考え方、いわゆる「公」の意識が異なるからだ。
それは自分のためのもので、上手に運用して収入の一部にするためのものなのだ。ただ世界の建前は彼らは承知しており、取れる者から取るため、団体旅行などでこのような目にあうことは少ないと思う。しかし一人で、しかも一目で日本人とわかるような出で立ちであれば、世界のあちこちである程度覚悟しなければならないことだろう。日本人は団体行動を好むというが、そんな風に見られることにひるんではならない。渡航する国によってではあるが、国の玄関先や公務員ですらこうなのだから、最低三名以上かのグループ、団体でなければ危険な現実がある。
ちなみに私たちのミッション(宣教支援母体)で派遣に行く時は、この原則を周知し守っている。それは素晴らしい守りだと私は思う。 ケパ


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オバマ大統領を迎え、恩讐を超える大切さを思う

2016年05月25日 | 随想
今現在、日米共同発表が行われている。これを聞きながら感じることは今日両国ほどかつての恩讐を超えて、すべての面で大きく結びつき、信頼し合っている関係は他にないのではないかということである。
そう思うと逆に、隣国である中国や韓国などとの遠い距離を、いやでも感じさせられる。今はモノで中国製が溢れているが、中国とは今は人権も体制、国民性までも大きく異なってしまっている。かつて漢字や儒教などの文化的なつながりがあっただけに、この心の遠いさは残念である。
韓国とは同じ西側に属しながら、戦後70年をはるかに過ぎての孫子の時代に、未だに両国民が友好を築けない。この現状ほど、互いの大きな損失ないと思う。

この点、台湾とは真の友人、隣人として個人的には最も親しく感じている。シャープが買収されても、そんなに心配する必要がない相手である。

オバマ大統領がヒロシマに行く。「謝罪」の話題が出るが、広島出身で平和教育に携わっていた私も、そんな思いは毛頭ない。オバマさんが被爆地ヒロシマで、核の悲惨さ、世界平和へ向けてアピールしてくれれば、それが最高である。

ケパ


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船橋の市場通り

2016年05月13日 | 随想
船橋には市場通り、通称「ディーラー通り」というのがある。南口には一つのビルごとダイソーの百円ショップがあるが、このディーラー通りも船橋名物の一つかも知れない。何しろおそらく日本中の車を売るディーラー(販売店)がほぼ集結し、軒を連ねている通りなのだ。そして我が家はこの通りのすぐ近くなので、嫌でも毎日目にすることになる。

英国生まれの「ミニ」専門店や、遅ればせながら最近開店したフォルクスワーゲンまで、とにかく全部揃っている。特に面白いと思うのは、レクサスとベンツの販売店が道を挟んで対峙しているところだ。いざ、ガチンコ頂上勝負というところか。その行司役のように船橋警察署が隣にあるのも面白い。

このような集積したディーラー通りがあるということは、見方を変えて言えば、東京近郊で、ここら辺りから電車網でカバーしきれなくなって、車が便利になり始めの地域がはじまることの証明なのだと思う。
思い出す話がある、欧米の自動車メーカーの幹部がある目的を持って大挙して東京に来た。その目的とは、世界一の過密都市における車の未来を見に来たのだそうな。欧米の都市では東京ほどの規模は存在せず、車が不要な都会というのも未だ無いそうである。しかし東京は・・・車が無くても不自由はない・・・それを実際に見るまでは信じられなかったようである。これほどの快適で緻密な電車網を目の当たりにし、彼らはなんと思っただろうか? 「我々の真の敵は電車だ!」では、陳腐だろうか。

良くも悪くも船橋は都会と田舎の、いろいろな境目のようである。そしてここからなんと、日本のリバイバルが始まる。 ケパ


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