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ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

海難1890

2015年12月21日 | 映画•映像
随分遅くなったが映画「海難1890」を観た。

映画のキャッチコピーに「日本人が知らない・・・」などとあったが、私はこのトルコ軍艦の遭難のあれこれと、在留邦人救出のために、イランへトルコが救援機を飛ばしてくれた二つのことは知っていた。アジアの両端に位置する我が国とトルコとは、現在でも特別な友好関係にある。どうしてかと調べると、それはこの映画、トルコ軍艦「エルトゥールル」号の台風による遭難事件に必ずたどり着くからだ。
どれぐらい大事故であったかというと、日本でコレラにかかって死んだ10人を引いた乗員640名中の生存者はわずか69名というから、和歌山沖の島の海岸は死体で埋まったような状態であっただろう。かつ台風の中での救出活動は危険であり、島民も命懸けの救出であっただろうと思う。しかしこの悲劇が、その後の百年を超える両国の友好の礎となった。
この映画は実に美しい映像で、しかも史実に忠実でありながらスペクタル十分に描かれている。全く言葉の通じない、何もかも異なる民族、ただ一つ共通しているのは西欧に対し、一方は衰えつつなお抵抗した月の国、もう一方はその支配をこじ開けつつある日の昇る国だったという点である。

私たちが行う毎年のパトモスやイスラエルの派遣には、よくトルコ航空を使う。目的地に対し、イスタンブールを経由する最短ルートであるだけでなく、料金も安く食事も対応もなかなか良い航空会社である。この映画を観て、なおさら親しみを感じる。なおトルコは確かにイスラム国ではあるが、イスラム圏で唯一の政教分離したRepublic(共和国)、民主的な政体の国である。観ておいて損はない映画であると言える。 ケパ



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映画「母と暮らせば」

2015年12月14日 | 映画•映像
今日は表題の映画「母と暮らせば」を観た。

のっけから横道だが、いつも松竹の映画を観て思うことだが、あの商標の富士山、私は広島の山の中で育ったので富士山というものを18才になるまで知らなかった。新幹線に乗って、はじめて本物の富士山を見た時、「あれえ、松竹の絵と同じだあ」と思ったものだ。最近の松竹映画には、以前のような絵画的なものから、綺麗でもただの写真となっており、それが何となくイマイチな感じがする。
というのもこの山田洋次監督の映画、松竹の記念碑的な力作らしいのである。しかし私たちといえば、カトリック中央会が後援しているとか、婚約者役の<黒木華(はる)>がひいきなので、それらがどうなっているのかが楽しみだった。逆に気がかりな点は、息子といえども死者の亡霊のようなものが生者に関わってどうのこうの・・・・は聖書的にはあり得ないもので、それがどう取り扱われるのか、という点だった。

結論から言うと、カトリックの祈りとか礼拝は忠実に映していたが、息子の霊と会話し、最後は息子に連れられて(カトリック信徒なので)天国に行くシーンは噴飯ものだった。カトリック、そのキリスト教の霊とか死後の世界観がわかっていない、むしろ仏教的理解に属するものだった。今の日本で、松竹が興行的にある程度成功するためには、こんなを出すしかないのだろう、そう私は思うしかなかった。
余計だが、黒木華は天性のものだろうか、やはりよかった。 ケパ



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映画 「杉原千畝」

2015年12月08日 | 映画•映像
今日は久しぶりに映画を観に行った。公開中の「杉原千畝」である。外国人監督で日テレが制作し、ほとんどがヨーロッパロケで英語ばかりの異色の映画だった。が、かなり本格的なあ映画になっていた。

杉原千畝のことについては、イスラエルに重荷がある教会の者としては知っていた。映画「少年H」においても、日本到着後の彼らの様子が描かれていた。しかしやはり映像で観ると、当時の状況などまるで迫力が違ってくる。そういう意味では一見の価値があると思われる。

特に印象に残ったのは、杉原千畝個人がロシア正教徒だと思わせる、正教会で十字を切る仕草があったことだ。しかし例によって、宗教的な真相は一切触れられていない。いずれにしても日本人として数少ない、組織の方針に抗って人生を棒に振ってでも、為すべきことをしただけ、という誇れる人物がいたことは素晴らしいと思う。

ただその動機が、映画ではハルピン学院の校訓などの人道主義的結果のようにみせていた。しかし私はそれは最大の誤りであって、一人の神を信じる者として、ギリギリの状況での「自分を捨て隣人を愛する」行いであったことは明白だと思う。そこが不信仰国日本映画の限界点だと、正直嘆かされた。 ケパ







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二つの名前を持つ少年

2015年08月24日 | 映画•映像
有楽町のテアトル系映画館で観た。これはホロコーストを逃れ、ポーランドの大地の中を奇跡的に生き続けた1ユダヤ少年の実話である。
映画で印象深い点があった。それはどんなにカトリック教徒を装っても、割礼というユダヤ人の明白なしるしがあることである。

もう一つは、ポーランドの人々のあたたかさである。かくまったことがバレれば、ナチからどんな目にあうかわからない。ポーランド人だってユダヤ人を差別していたはずなのだが、「同じ人間」として素性の知れぬ少年を受け入れた。

原題「run boy run 」にある通り、ただ単に少年が逃げまくっていくシーンの連続のようでいて、少年にたいしての実に様々な人間模様を描き出していく。それが秀逸な素晴らしさである。
もし私が少年を見たならば、果たしてどのシーンの人間であるのだろうか? 実に考えさせられる。

日本人にとって、ユダヤ人はなぜ迫害されるのか?この点についてクリスチャンを除いては、わかりにくいことでろう。それを割り引いても、この映画は見る価値があると思う。 ケパ 
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映画「炎のランナー」

2015年08月06日 | 映画•映像
昨夜は教会で「炎のランナー」の映画を、みなで観た。最近Blu-rayが出ており、これを購入したためだ。以前DVDでこれを見た時、画質の悪さにがっかりしたこともあって、今回のBlu-rayの美しさには大満足となった。音も改善されて、聖歌隊のボーイソプラノが心地良かった。だから、いくらレンタルショップでDVDが安売りされていても、買ってはかえって損をする?

古典的名画であるこの映画には、テーマがある。パリ・オリンピックでの実話に基づいて作られており、「真の勝利者とは何か」ということである。
おそらく多くの日本人にとって、ユダヤ人がヨーロッパで受ける差別とか、どうして大切な予選レースを安息日の日曜日だからと言って辞退するのか、理解に困られることだろう。これはキリスト教信者、またはキリスト教文化圏に属していないと分かりにくいものである。それを説明していたら、明日の朝までかかるので割愛したい。

ユダヤ人が受ける偏見を打ち破るために(と言うことを言ってはいるが、実質は自分のため)、アマチュアから逸脱してプロのコーチから指導を受け、見事金メダルを得たハロルド。一方エリックは中国の宣教師家庭の出身で、自身もまた宣教師で、オリンピック出場のための一時帰国だった。彼にとっては足の速さは神から預かって神の栄光を讃えるためであり、宣教の武器でもあった。
走ることは同じであるが、目的は対照的であった。ハロルドが自分のための栄冠を目指したのに対し、エリックの目的は神のためであった。そのことはエリックの走る姿が、タイムを争うフォームから外れ、神を讃えるように天を見上げていることからもわかる。だから百メートルの予選が日曜日であることを知ったエリックは、3年もこのために練習してきたのにも関わらず、安息日を守るために出場を断念する。エリックは絶対的な優勝候補だったので、収まらないのは国王をはじめとする英国チームである。しかしエリックの意志は固い。幸い四百メートルの出場権を持っていた親友が譲渡してくれ、エリックは急遽四百メートルに出場し、そこで金メダルを獲得した。エリックにはプロのコーチも居らず、距離が四倍になったのに、である。

安息日を守るために、本来の百メートルを断念してまで得たエリックの勝利は、全英国(特にスコットランド)人の熱狂的な祝福を受けた。対するにハロルドの勝利は、見方によれば自分より速いエリックが出場できなかったためのものだった。こうしてハロルドにはチャンピオンの孤独感が滲み出ていく。

走ることを生きることに置き換えてみると、この映画のテーマがよくわかる。自分の栄誉や成功のために生き、(時には手段も選ばずに)走るのは普通のことであるかも知れない。しかし人生を自分のためにではなく、他のために、神のために生き、走ることは、全く異なる栄冠を受けることになる。
確かに時にはエリックのような、本来の百メートル辞退という大チャンスを逃す痛みを伴うかも知れない。何を目的とし、重要としているかが、問われるからだ。しかし、これは大いに証の場となって用いられた。人々に目先のレースや栄冠よりも、大切なものがあることを知らせるためである。神を信じる者にとっての栄冠は本来天にあり、世での栄冠よりも永遠の天での祝福こそ目指すものである。

そのことは原題「(a) chariot of fire」が言い表している。「炎の戦車」では何の意味かがお分かりいただけないと思うので説明する。これは旧約聖書2列王記2:11で、預言者エリヤが炎の戦車に乗って天に凱旋するシーンである。つまりエリヤ=エリックと捉えるなら、テーマがより分かりやすいのではないだろうか。

それで、余計ながら最後に、聖書の次の数節の言葉を付け加えささていただきたい。 ケパ
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兄弟たちよ。私は、自分はすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ、この一事に励んでいます。すなわち、うしろのものを忘れ、ひたむきに前のものに向かって進み、キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです。(ピリピ3:13-14)

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レフト・ビハインド

2015年06月29日 | 映画•映像
先週の金曜日から始まった映画「レフト・ビハインド」を観た。題名からは「残された後の出来事」の意味になるだろうか。

前作のレフト・ビハインドと設定が異なって、今回の一作目は旅客機の機長扮するニコラス・ケージが主演で、その家族関係を中心に描かれている。聖書の「携挙」が中心なのだが、これから始まる患難から守られるためにクリスチャンと(神をまだ信じることができない)幼子たちが、今回は飛行中、昼間に、突然大量に消えていなくなる。するとどうなるか!・・・そのパニックを描いている。

一言で言えばこれは前作よりも、信仰を排したパニック映画になっている。四人家族で残された機長の娘が、これも残された牧師に怒り叫ぶ「(携挙で人を奪うなんて)神がこんなことをするはずがない」が心に残る。確かに、天国に行けずに残された(レフト)人々にとって、携挙は余りにも理不尽である。映画では直後の地上の混乱ばかりが描かれて行くが、実際にはこれから大患難時代が始まり、例えようもない恐るべき7年後のキリストの地上再臨まで続いて行く・・・本作のような患難前携挙説の映画設定ならば。なぜならこれからの地上は、サタンの完全支配となるからである。もしこの映画がシリーズ化されるならば、それが描かれるはずである。

ただ、この映画、日本ではあまり注目されていない。わずかな映画館しか封切られてないし、観客が余りにも少なかった。この調子では、すぐに打ち切りになる感じがする。そもそも日本ではキリスト教の土台がないし、日本の教会が携挙を軽んじて周知していないためである。クリスチャンですらレフト・ビハインドの意味すらわかってない人が多い。終末の時代、これは大きな問題だと思う。 ケパ
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「海街diary」

2015年06月27日 | 映画•映像
映画「海街diary」を観た。後味がほのぼのして、江ノ電と鎌倉を舞台にしたいい映画であった。近年の日本映画は素晴らしいと思う。「くちびるに歌を」や「風に立つライオン」などなど。この映画は三姉妹で暮らしていた中、突然家族を棄てて再婚していた父の死と葬儀、そして再婚相手の女性が残していった、父の4番目の娘と暮らすことなった過程を描いたものだ。
いわば自分たちの父を奪って行った相手の子と暮らすのだがら、様々な葛藤を互いに出し合いながら、次第に心が一つになって行く、それが無理なく観ている者に溶け込んでいく気持ち良さがあって、「癒され系」の映画なのだ。特筆すべきは自然の美しさだ。桜を中心に、これだけでも相当癒される。

傷つき、憎しみを抱いて生きると、他ならぬ自分が憎しみの炎に一番焼かれてしまう。だからいろいろあっても、それぞれやんごとなき理由があって、一皮むけばみな良い人だった・・・と受け入れあい、恩讐を越えて行くのが、実際にはとても楽だし人生を肯定する上で必要なことだ。

ただし、である。これはあくまで日本人的な発想、スタイルであって、これはこれで大きな問題を抱えていると思う。と言うのはハリウッドにしても、どこかの国にしても、正義と悪、光と影であって、悪い奴は容赦なく滅んでしまうのが大体の定型である。みんな善人になってしまって、ホッとしている日本映画とは根本的に異なるのだ。
このようなみなそれぞれ訳があって、善人で処理してしまえば、人間が本来持っている罪性(原罪)が明らかでなくなる。キリスト教が広がらない原因が、そこに見えてくるようである。 ケバ
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映画「トゥモローランド」

2015年06月13日 | 映画•映像
ディズニーの最新作「トゥモローランド」を観た。
観ているうちに、なんだか以前観たような・・・気がしてた・・・そうだ!「ネバーエンディング・ストーリー」とよく似ている。違うのは乗り物とピンバッジとか、そういう現代風の舞台設定だ。そしてなぜかわからないが、ラストのピンバッジの大量生産だった。しかし、ディズニーらしい、未来を信じる明るさで、安心しておすすめできる映画である。

ただ、あえてより理解を深めるためなのだが、和魂洋才と言い、その中核であるキリスト教という魂を取り除いたこの国民にとって、善悪の2大世界の対決、それぞれの国がこの世をめぐって熾烈な奪い合いの戦いをする、このことがよく分からないのではないかと思う。我が国の文化では、悪人に見えても案外良いところが見えて来たり、なんだかんだと一緒に混ぜてすき焼きにして、それでご馳走さん、そういう人間性の扱いとは明らかに異なるからだ。生きる者と滅びる者とが明確なのだ。

どうしても宗教の話になるのだが、これは人間をめぐっての神とサタンの対決、必ず人がどちらかを選び行かなければならない天国と地獄の二つの国。この世界観の有る無しからくる。だからハリウッドの映画を観ても、多くの日本人は善悪がハッキリし過ぎて、イマイチしっくり来ないはずだ。しかし彼らには二つの世界を現実のものとして捉えているので、リアリティー感が強い。

一つ気になるのはこの映画、ピンバッジを与えられるのは、「夢をあきらめない」選ばれし者だ。それが私は気になる。一体誰がそれを映画のように数値化し、序列をつけられるのだろうか?こんなことを気にするなんて、バカバカしい興ざめの話ではあるのだが・・・ ケパ
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映画「シンデレラ」

2015年04月27日 | 映画•映像
最近はあまりいい映画がなくて、今日はやっとディズニーの映画シンデレラを観ることができた。
ところどころCGがあるも、大体は実写版であり原作にほぼ忠実で、安心して子どもたちに見せられる内容だった。昨今はおかしな内容が多いだけに、こう健全な映画というのは、ほっとさせられる。
また、それだけてなく、亡き母と約束した「勇気とやさしさを忘れないで」を最後まで貫くとか、最後に過酷なまでに自分を虐めた母を「あなたを許すわ」と言わせてみたりしているところが新しい。このような力の背景にあるのは、十字架の上で、すべての敵を許した、キリスト教社会ならではの価値観であると感じる。
自分としては継母役で、虐め役のケイトブランシェット(写真)の演技力が光ってると思った。なぜあそこまでシンデレラを憎むか? その理由として、父と娘の二人がいつまでも前妻を偲んでいる姿を映し出すことで、ますますシンデレラへの憎悪が高まる設定がよかった。これはある意味で、単純に善悪を論じているのとは違う。いつまでも前の妻とか、母に心を寄せ、新しい関係に向かおうとしないのであれば、誰でもが容易に陥りそうな感情である。
またディズニーほどブルーの美しさを引き出している会社はないと思った。 ゴールデンウィークにお勧めできる映画である。 ケパ
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映画「バードマン」を観て

2015年04月13日 | 映画•映像
今日は、下記の宣伝文句につられて、映画館に足を運んだ。なにしろ世界のアカデミー賞作品なのだから。

舞台に世界が熱狂!
本年度アカデミー賞
作品賞ほか四冠に輝く
今年最高の一本‼

《作品紹介文》
もう一度輝くために
もう一度愛されるためには、
すべてを手放し、羽ばたこう。
かつてスーパーヒーロー映画でトップに立った男が、ブロードウェイの舞台に立つ。彼に待ち受ける奇想天外なドラマとは?

・・・・・・・・・・・

アカデミー賞も、映画「アメリカンビューティー」以来、大きく変質して来ている。同性愛とか倒錯した性などに市民権を与え、普通のことのように見せていく。また、人間の内面を深め高めるのでなく、そのどうしようもない醜さと暗黒(罪深さ)をテーマに、「人間とはそんなもんだよ」と正当化していく。互いに傷口をなめ合うような、しかしそこに何の解決もなく、人間の品位をひたすら貶(おとし)める。ひどく絶望的だし、気が滅入ってくる。このような作品に、私としてはどこに価値があるのだろうか?と思わざるを得ない。

そんなわけだから今作では、全編汚物のような吐き出し言葉や、あり得ない自分だけの超能力、脳内に執拗に響くドスの効いた[悪霊的な]声・・・など、実に観続けるのにも忍耐が要った。かつてバットマンを演じて一世を風靡したマイケル・キートンを起用しての、このオドロオドロしい作品が、ナ、なんと作品賞を含め4部門受賞である。

これはある見方をすれば、当然のことなのかもしれない。これからの黙示録の時代、終末が来ると聖書は預言し、警告している。前兆としては天変地異が起こり、人の心が己だけに向くようになり、皆の心が冷え、地上には愛が見られなくなるとされている。人間の心が壊れていく時代が来る。映画界の壊れ方を見て、それが近づいている感覚を持った。 ケパ
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