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命のカウントダウン(健康余命3605日)

トレッキング、カメラ、陶芸、スキー、釣り、カヌー、遊びなら何でも大好き。仕事も好き、時間がない!

まだあった 半世紀(以上)前のいたずら

2020-01-28 00:06:55 | 思い出

小学校の時は石炭ストーブでした。

色々とやらかしたものでした。

まずは、ストーブの係に立候補して私はいつでもストーブ係でした。

その日は、嫌いな先生の授業が4時間目にあったので・・・

3時間目までは最低限の燃やし方をして・・・・

4時間目が始まる少し前に、残りの石炭を午後の分も全部、ストーブ上部の蓋を開けて放り込みました。

すると、4時間目が始まって2,30分すぎると、ストーブや煙突から白い煙が漏れ出してきて・・・

それから数分後にドンっという鈍く大きな音がして、先生はびっくりして大のけぞり!!

作戦成功して私たちは大爆笑。

そのあと、鋳鉄のストーブが赤くなるほどに燃え盛り、教室は暑くて暑くて

授業どころではなくなったのでありました。

 

4時間目が終わったら、私たち悪ガキのすることは・・・・

勿論、水爆です!!

燃え盛っている石炭ストーブの上蓋を開けて

そこに、バケツ一杯の水をぶち込むのです。

当然、ドカーンと

教室中に石炭の灰が降り注ぎます。

怒られるのは分かっているのにやっちゃうのですよ。

でも、その日は違いました。火の勢いが強すぎたのです。

ストーブの外側まで赤くなっていたので・・・・

多少やばいかなとは思っていたのですが・・・・・

 

バケツの水を放り込んだ瞬間に大爆発!!

どドドーン、バリ、バカン

あれ、予想外の音が混じっているぞ???

もうもうたる煙の中に見えたのは・・・・・・

ばらばらに崩れ落ちて、鉄くずとなってしまったストーブでした!!


半世紀前のいたずら 完結編

2020-01-27 22:58:25 | 思い出

丈夫なロープを受け取った私は、頑丈そうなな鉄の窓枠を選んでそれをぐるりと巻いてから、ロープの両端に机と椅子をしっかりと縛り付けました。

そして、机と椅子を窓の外に吊るしました。

教室の中からも、トイレからも、机と椅子は消えました。

その日も声色を使って代返をしたのですが、〇〇先生は怪しむことなく、授業は開始されたのですが・・・

半時間ほど経ったころ、ドドドドッと階段を駆け上って誰かが教室に飛び込んできました

体育教師の××先生でした。

「〇〇先生、一体あれは何ですか!?」

「はっつ?」

「窓の外に、窓の外に・・・・・!!!」

××先生は、〇〇先生を促して窓の方に・・・・

そのあと、どうなったかは・・・・

お察しくださいませ!!!

 

いやはや、なんとも自由で楽しい高校生活でした!!


半世紀前のいたずら その1

2020-01-27 22:48:11 | 思い出

前述のとおり、私は共産党支配下の京都の公立高校でのどかな高校生生活を送っていた。

高校1年の2学期の話である。

いろんな輩が殆ど選別されぬまま小中高とエレベーター式に進学していたので、結構な悪も混じっていた。

2学期になると、そいつらが本質を出し始めた。

授業をさぼる。さぼるのは良いのだが、進級はしたいらしく、何故だか私に代返を頼むのだ。

最初の1,2回は、声を変えて返事をし、それで何とか通っていたのだが、3回目ともなると、先生も気づく

「今日は、全員出席のはずなのに、なんで空席があるのだ?」

当時の高校の教室には、生徒の数だけ机と椅子が置いてあったのだ。

それで、バレた。

欠席になってしまった当人は・・・

何故か・・・私に何とかしろとのたまう

「分かった。何とかするよ」

それで、私は、次の日、彼の机と椅子をトイレに運んでおいた。

それで、また数回は上手くいったのだが・・・

マズいことに、ずっと使えないトイレの一室があることを誰かが通報したらしい。

再びバレた。

彼は、それでも私に何とかしろと言う。

何で私が欠席穴埋め業を請け負わなきゃいかんのだ?とは思ったのだが・・・

結構な悪で、逆らうと怖い。

「何とかしろよ!」と、怖ーい顔で言われると

「分かった、何とかするよ。」

と、言ってしまった。

何とかするけれど、丈夫なロープを用意してくれ 

と、私は言った。

素晴らしいアイデアだと思ったのだが・・・・・

体育教師さえ見逃してくれたら・・・・・

続く

 

 

 


半世紀前の京都ののどかな高校風景

2020-01-27 19:51:30 | 思い出

半世紀ほど前の話です。京都の府立高校の生徒でした。

当時の京都は、なんとなんと与党が共産党だったのです!!!

それで、15の春は泣かせない とかいう政策で、京都の高校は共産党支配下らしく平等に一学区一校

学校間格差ナシでした。だから、小学校、中学校、高校と、ずーと一緒だった奴がいっぱいいます。

私は素晴らしい制度だったと思うのですが・・・・

出来るやつも出来ないやつもずっと一緒だったので・・・、大学進学を考えると、良くはなかったのだと思います。

高校のクラスメートの多くに・・・・

予備校でも顔を合わせました。

それで、京都は6,3,3,4制ではなくて、6,3,3,1,4制やねとか言っておりました。

高校生活は、本当に自由を謳歌できました。

高校3年の1年間は、私は勝手に週休3日制度にしていました。

当時の文部省の規定では、出席日数が規定の2/3以上なければならない とのことだったので

それなら、1/3は出席しなくてもいいはずだと考え

当時は土曜日も授業があって、週に6日登校していたので

今週は月、火休み 来週は水、木休みと、日曜と合わせて週3日お休みにしていました。

それでも、何も文句言われませんでした。

良い時代だったと思います!