茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

茶葉ラー油

2010年09月14日 | Weblog
今日は、
読売文化センターさんの講座で
重陽の節句のお茶ということで
菊茶をお出ししました。
夕べ、
山形から届いた「もってのほか」を
湯がいたりしているうちに、
菊茶だけでなくて、
菊酒もやっちゃおう♪な気分になって、
それなら
おつまみも作っちゃおうなノリになってきました。

いつものポン酢でいただく茶葉を
ミッドタウンで行列のできるという
「茅の舎」さんのラー油と和えてみました。
ちょっと、お醤油を足したりしてみて・・・
あ~~~、
おいし~~~♪
ごはんや冷や奴など、
ラー油だけでは
視覚的になんかちょっと寂しかったのが、
素晴らしく満足な一品となりました。

ついでに、
ポテトを茶葉と一緒に茹でちゃって、
茶葉ごとマッシュにして
ちょっと濃いめにお塩をふってみました。
マヨも足して・・・
おおお、
おーいし~~~。

この2品を朝方にまた作って
講座に携えていきました。
冷茶のウエルカムティーの後いきなりお酒・・・
なんの講座かしらな展開となりましたが、
大好評でよかったです。

この茶葉ラー油はとにかくお勧めです!
上級煎茶を飲みきった後の茶葉(いわゆる茶殻)と
食べるラー油を和えるだけ。
お好みでお醤油を足すのみ。
おつまみにもいいですが、
ご飯がすすみます。
パリパリのお茶の葉をそのまま和えてもいいのでは
とのご意見もありました。

さあ、お茶屋さんへ行って、
100g1500円くらいのお茶を買って、
そのままでも、
お茶を飲んでからでも
ラー油と和えてみてくださいね。

清風払明月

2010年09月13日 | Weblog
『清風払明月
 明月払清風』
清風は明月を払い、
明月は清風を払う。

払うという字のイメージは、
捨てるという感じがあります。
心地よい風と輝く月が
秋の夜の主役を競っているような、
どちらも甲乙つけがたいほど素晴らしいということ?
それでは何か違う感じ・・・
支部研修会の間、
お軸のこの言葉がずっと気になっていました。

「捨」という字を漢和辞典で見ると、
払いのける、捨てる、撫でる、ぬぐう、清める、
掲げる、逆らう、違う、覆う、被せる、迫る、助ける、
などとあります。
迫るとか助けるとか、そんな意味かしら。

『茶席の禅語大辞典』でみると、
「明月と秋風が、
 互いに主となり客となり無心に払い合っている様子」
とありました。
まだよくわからない。

黄檗宗少林山達磨寺のHPには
 「美しく輝く月」はそれだけでただ美しい。
 「さわやかで清らかな風」はそれだけでひたすら爽快だ。
 その二つがお互いに主人となったりお客になったりしながら
 その美を極めている。
 その自然美の極致は
 決してありきたりの言葉で表現することは出来ない。
とありました。

茶席の禅語選ではこうです。
 師曰く、賓主(ひんじゅ)相い見えて、何の言説か有る。
 山曰く、清風は白月を払う。
 『禅語字彙』には
 「本體が作用となり、作用が本體となりて
  一方に固定せざるをいふ」とある。
  【清風拂明月明月拂清風】

少しわかってきた感じです。
「主と客は相対的なものであり、
 時、処、位によって主となり、客となるにすぎない。
 秋の夜空の清らかな様子は、
 迷いを払いさった『空』である。」
という説明のあるブログもありました。

やっと、なるほどと落ち着きました。
「そのままの、あるがままの、透き通った境地」
だそうです。
奥、深いです。
出自は、
宋の晦巌智昭の編した五家(臨済、雲門、曹洞、潙仰、法眼)の
宗旨の綱要書「人天眼目」。
 

葉山有樹

2010年09月12日 | Weblog
「陶磁は
 伝説や神話を後世に伝えるタイムカプセル」
という葉山さんの作品展に行きました。
そこには、
ミトラもミロクも
象も鹿も鳳凰も
トルコの青も祥瑞の青も
桜も牡丹もムグンファも
一つの調べに連なってありました。

詩経の鹿鳴の詩が聞こえる香炉、
李賀の飛天が溢れる水指、
ペルシャで万葉な花入れ。
お茶席にこうしたお道具があると、
何千年の時を越えて、
孔子の願いや、
李賀の想いとともにあるようで
よい時間が過ごせそう。
ですが、手にできるのは図録だけ~。

葉山さんは
「伝えることが仕事」だとおっしゃってました。
人間がずっと大切にしてきたものを
次の時代に引き継ぐことが仕事だと言われるのです。
陶芸の技術を引き継ぐのではなくて
陶芸の技術で引き継ぐのです。
素敵

展示会はその名も「陶磁物語り展」。
葉山さんは陶芸家ではなくて、
陶芸物語り師という感じです。
そう、
造形の人でありながら
物語の本を出版されている作家でもありました。
『空飛ぶダンゴムシ』
『魚になった少女』
『神話の波紋 玻璃と剣』など。

今日は『神話の波紋 玻璃と剣』を
ジュンク堂さんで求めてきました。
アッティラと五柳先生とさよという登場人物の名前からも
アジアの色と風が
走馬燈のように駆け巡っていく感じです。

葉山さんの作品の中に居て、
私たちは歴史を鳥瞰できる「時」に
生きて居るんだなと改めて感じました。
悠久の時の中を受け継がれてきた
愛のバトンを受け取り
次の時代に受け継ぐ
そんな仕事を私もしたいと
そう思いました。

東急百貨店本店8階美術画廊にて
9月15日までです。

折り紙

2010年09月11日 | Weblog
流浪の茶道教室・・・
いつもいろいろとお道具を詰め込んだ
ガラガラを引いては
お稽古場に通っています。
私は、忘れ物も多く
ダメな先生です。

今日は、香合を忘れてしまいました。
白檀は持ってきたのに。
何か代わりになるものをと
懐紙で「はこ」を作り始めました。
しかし・・・
「はこ」になりません。
あ~れ~・・・。

水屋は突如、折り紙教室になりました。
みんなで懐紙を取り出して、
それぞれに思い思いの香合を作り始めました。
画像は、
最優秀作品!
舟を折ってくれましたが、
大変安定していて
白檀を運ぶ任を果たしてくれました。

暑い日でしたし、
白い和紙の香合はなかなか涼を呼んで
良い風情でした。
それに、
香木は、こうして舟に乗って
大陸からやって来たわけですし。

インドが原産の白檀は、
仏教の伝播と共に中国に伝わり、
中国からは
鑑真和尚が仏典と共に
たくさんの香料を持ってきてくれました。
唐の時代(754年)のことです。
すでに、
インド・中国、朝鮮では
仏前を清めるものとして香が使われていました。
日本では、
ひとあし遅く奈良の時代に
仏教と共に広がっていきました。

でも、
日本におけるもっとも古い香木の記録は、
595年、
淡路島に漂着した木片を火の中にくべたところ、
よい香りがしたので、
その木を朝廷に献上したところ重宝された
という『日本書紀』にある伝説だそうです。

一片の香から
遙かなる旅が香ってきます。

風通し

2010年09月10日 | Weblog
畝の横腹を刈って、
お茶の木の足元に風が入るようになりました。
お茶の葉の密集度は高く、
畝の上に寝転んでも大丈夫そう、
畝間に腰を下ろして寄りかかっても
びくともしないような感じです。
ですから、
風も光も通らずで、
暗い世界が好きな虫たちの住み家になっていたのです。

刈り取ったお茶の葉は畝間にバラバラと落ちて、
それがまた土の乾燥よけになったり
栄養になったりするそうですが、
元気な夏の新芽がバタバタと
落とされているのを見ると
ついつい拾い始めてしまいます。
今回も、
花束を抱えるように
30㎝くらいの枝をたくさん抱え込んで帰ってきました。
番茶つくるんだ

お茶を拾っていると、
病気になっている葉も見つけますし、
何よりも
たくさんの虫たちを見つけました。
おー、初めて逢う虫たち。
デジカメであれこれ撮影を始めます。
虫が多いところは、
やっぱり密集度が高いところです。

あ、やばい、働かなきゃ・・・。
こうした観察はとっても大事なことなのでしょうが、
農作業というのは、
そんなことをして手を止めている暇がないのです。
腕サックはずして泥だらけのゴム手をはずして、
カメラ取り出して撮影して、
また、ゴム手をして腕サックして・・・
面倒ですし、
だんだんデジカメがドロカメになってきました。

さあ、さわやかな秋の風が畝を翔けるようになりました。
土深いところでは豊かな水が流れています。
すっきり!という気分です。
風でも水でも流れていないと。
流れの中に身を置いて流れず、
いつも熱く醒めていたいものです。


重陽

2010年09月09日 | Weblog
今日は茶畑で裾刈りをしました。
足元の枝が元気に畝間にせり出して来ているので、
それをトリミングするのです。
畝の端のお茶が密集している辺りに
茶の実がころころとついていました。
きゃ~、うれしい、今日のお土産~♪
と、じゃんじゃん鋏を入れていると、
どこからともなく馥郁とした香りが・・・
もう、お茶の花が咲いています♪
思いがけぬところで懐かしい友に出逢ったみたいな歓び♪
こちらもパチンして連れ帰りました。

帰路、
ふと寄ったリサイクル店で、
茶通箱を発見。
ほとんど未使用な状態で、
しかも蓋を置くとすーっと落ちていく素晴らしさ。
中に大津袋も入っていて千円!
五本組みの銅の灰匙(桐の箱入り)が二千円!
3千円で欲しかった物が二つともゲットできました。
もうこれで、
お菓子の箱で茶通箱点前の練習をしなくてもすむわ
もんじゃベラで灰を整えなくてもすむわ

いいこといっぱいの今日、
あ、今日は重陽。

という、
ラッキーが重なったご報告でした。

もう少しましな重陽の話題は
一昨年の今日のページをご覧下さいませ。


お月様

2010年09月08日 | Weblog
夜の風にひときわ心和む今年。
今日は新月ですが、
これからだんだん膨らんでいくお月様が
毎日楽しみな季節です。
お芋を供えてのお月見が常ですが、
あ、この芋のお月様は一石二鳥・・・。

川崎は「ひびの」さんのお菓子です。
さて、この月を菓子皿に盛ろうとしたときに、
あれ?
どっち向きに置く?
という話になりました。
あれ・・・?
4人で首をかしげ、
この方向に落ち着きました。

魚の絵を描くときに、
きまって頭が左に来るように、
月を描くときには
みんなこういう風に描いていたのです。

この形はもちろんありなのですが、
さて、この月は、
これから欠けていくのでしょうか、
満ちていくのでしょうか。

お稽古の日は、
9月6日、月齢27日だったので、
まもなく新月、
欠けている途上ですから、
お月様の向きは「逆」に置くべきでした。

画像のような向きに欠けている時は、
これから満月に向かっているお月様ということです。
月齢カレンダーを見て
今にして、はっきりとわかりました。

船乗りの息子に聞いてみると、
さくっと、
下弦の半月が欠けるんだよ、
下弦は左だよと言うではありませんか、
へ~~~、すごいじゃん。
夜空に見上げる月よりも、
海に映る月の方がきれいなのだそうです。

平安人が月を愛でに船を出すとき、
彼らは池に映る月を詠むのでした。
揺れて定まらない明かり、
池いっぱいに月の明かりは広がり、
でも
掬うと小さな掌に収まる月。
画像の月は、ぱくっとお腹に収まりました。
おいしかったです♪


茶花

2010年09月06日 | Weblog
秋の花がちゃんと咲いています。
秋明菊、竜胆、秋海棠、金水引・・・
虫も大合唱しています。
今年は暑いから、まだ咲かない、
とはならないのですね。
月を数えているのでしょうか。

様々な花入れに
みんなで思い思いに花を入れてみる
花寄せという作法があります。
花入れと花との取り合わせが
楽しみとなります。

以前、花寄せのお稽古に参加させていただいた時、
ある方がよその方の花をそっと直していたら、
先生が怒っておいででした。
「人の入れた花を直さないでちょうだい。
 花はその人が感じたように入れているの。
 貴女に人の心を直すことはできないの。」
というようなことをおっしゃってました。

うまく入らない・・・と感じるのは、
どこかに、人から見て上手でないかも、
という雑念があるからなのでしょう。
野にあるように置くのに定型はないのだから
心配をしてはいけません。
その自然姿(じねんし)もいいし、
雨風に撓んだような風姿(ふうし)もいい。
鳥や虫が折ったり曲げたりした動虫姿(どうちゅうし)だって
いいのですから、
山野で出逢ったその命を胸に
入れてあげればいいのです。

そうは言っても、
ちょっと葉を落とすと
らしさが際だったり、
高さを変えるだけで
表情が違ってくるのですから、
その一手が自分は足りない・・・
と言う気持ちにもなるものです。

でも、
花とじっくり向かい合って
自分の手で入れることが大事。
花とのその会話がとても大事。
あー、野山を歩いてないなと思えば
それがまた大事。
そこが花に稽古がある理由かと思います。

世界お茶まつり

2010年09月05日 | Weblog
10月に静岡で
第4回目の「世界お茶まつり」が開催されます。
日本中の、世界中のお茶が集まる大きなイベントです。

ワールドO-CHAメッセでは、
日本各地からお茶屋さんが出展していて
思う存分それぞれの味わいを楽しむことができます。
また、
世界中のお茶も集まっています。
民族衣装を来た各国の人が、
珍しいお茶道具でお茶を淹れてくれます。
お茶も、お茶に関連する道具も
なんでも揃っています。

お茶会もあります。
抹茶席も煎茶席もたくさんの流派がお席を設けます。
その他にも楽しい体験がいっぱい。
ブクブク茶、ばたばた茶、釜炒り茶、国産紅茶、
ミャンマーの食べるお茶などもあります。
中国茶藝も韓国茶礼もあります。
スリランカ・セイロンティーを使った茶会、
モロッコのミントティーを使った茶会、
インドのチャイを使った茶会、
英国式ティーパーティー、
東南アジアの健康茶を使った茶会など
回りきれないほどです。

「世界に広がる茶の文化とおもてなしの心」
「世界へ羽ばたく国産紅茶」
「お茶を飲むとなぜ、体に良いのか」
といったセミナーもあります。
世界中のお茶文化の専門家による
世界緑茶会議という国際会議も、
お茶の機能についての研究発表など
学術会議も行われるのです。

茶畑見学ツアーや茶工場訪問、
手揉み茶体験や禅寺でのお茶の体験もあり。
是非、この機会に静岡へ

開催日時:平成22年10月28日(木曜日)~10月31日(日曜日)
開催場所:静岡県コンベンションアーツセンター “グランシップ”ほか

生きてこそ

2010年09月04日 | Weblog
以前のお茶の先生のお宅に行ってきました。
戦争の時の記憶を書き留めたということです。
お部屋には古いアルバムが開かれ、
何枚もの便せんが並んでいました。

さっそく、
持ち込んだPCを開いて、打ち込んでいきます。
昔の字がなかなか読めないのと、
いろいろに記憶が交錯しておられるようで、
インタビューをしながらの入力です。
先生が書かれたものの倍くらいのボリュームになりました。

志願して戦地へ赴いた女性ですから、
お気が強かったのでしょう。
ご両親は反対したことでしょうにと伺うと
「どうせ反対しても行くのでしょうから」
と言われたそうです。
インドネシアへ向かう7隻の船の一隻が爆撃され
「兵隊さんが海に放り出され、
 海にのみ込まれていきました」とありました。
なんという光景を目にしてきた方だったのでしょう。

現地では、
機銃掃射にあい、
病院の軒下にうずくまった先生は
「さっきまでそこを歩いていた兵隊さんが
 バタバタと倒れ、それきり動きませんでした」
と語っています。

いつの間にか、
そこで何を見たの?
その時どう思ったの?
と、酷な聞き取りを始めていました。
先生は、時々、喉をつまらせながら
記憶の断片を追いかけていました。

まもなく90歳の先生に
そうめんを茹でていただいてお昼をご一緒しました。
「夕べね、海に氷を食べに連れてってもらったの」
先生はヘルメットをかぶり、
まもなく還暦を迎える息子さんのバイクに乗って
逗子海岸の「なぎさ橋珈琲」に行ったというのです。
え゛~~~

目を丸くする私に、
「この間は高速飛ばして浅草に行ったの」
と笑っています。
「生きていることよ。
 貴女もがんばってね。」
説得力がありました。

根を張る

2010年09月03日 | Weblog
この猛暑、
庭の鉢植えの緑は、
うかうかしていると
がくっと首を落とし、うなだれていますが、
茶畑のお茶たちは、
どうでしょう、
暑さなんぞどこ吹く風、
まだまだ、
次から次から芽を吹いています。

土はからからなのに。
お水はやっていないのに。
うなだれるどころか、
柔らかな葉を大きく開いて
天を仰いでいました。

育っていない幼木もいくつかありました。
植えるときに
根をまっすぐに落とさなかった苗でしょう。
まだ、ほんの30㎝ほどの幼木ですが、
土の中で
深く深く根を張っている様子が見えるようです。

畑の土はもうかさかさで
歩くとすぐに靴が真っ白になり、
白い砂煙が立つほどです。
でも、散水はしていない・・・
この試練が立派な根を育てるのでしょうか。
水を求めてぐんぐんと張るのでしょうか。
鱗雲の空を見上げて
土の中を想像していました。

九州では、
お茶は結納の品として欠かせないものです。
婚家で深く根を張るように。
そんな願いを込めてお茶が贈られるのです。
また、結納金を茶銀といったり、
結納の品を披露することをお茶見せというそうです。
福岡のお茶屋さんでは
結納セットが並んでいましたっけ。
贈られるお茶は番茶。
何度も出ない、からだそうです。

『本のお茶』

2010年09月02日 | Weblog
今日は、岡倉天心忌。
『茶の本』で天心はこのように述べています。

 茶道は日常生活の俗事の中に存する美しきものを
 崇拝することに基づく一種の儀式であって、
 純粋と調和、相互愛の神秘、社会秩序の
 ローマン主義を諄々と教えるものである。

100年ほど前にかかれたこの文章は、
今ではちっと難しくて、
よけいに茶道が大変な世界のものに
感じられたりしちゃいます。 
では、こんな文章だったらどうでしょう。

 茶道。
 それは日々の雑多なものごとの中にひそむ美しさを
 深く愛すること。
 茶道の精神は、
 ピュアな心や、世界と自分が奏でるハーモニー、
 ひとがおたがいを慈しむ気持ちの深遠さ、
 この社会の中で
 ロマンティストとして生きることを教えてくれます。

これは、
『茶の本』をカフェ風に翻訳した
『本のお茶』の引用です。
美しさを深く愛すること・・・
なんて素敵な表現でしょう

『茶の本』の口語訳は何種類かでていますが、
カフェ風には、
天心もくすぐったがっているようですね。

書  名:本のお茶
抄訳・文:川口葉子
写  真:藤田一咲
企画編集:三枝克之
発  行:角川書店

ちなみに、原文はこれです。
Teaism is a cult founded on the adoration
of the beautiful among the sordid facts
of everyday existence.
It inculcates purity and harmony,
the mystery of mutual charity,
the romanticism of the social order.

瓢杓

2010年09月01日 | Weblog
煎茶のお道具には瓢杓というものがあります。
柄の長い瓢箪をくりぬいて、
柄の先に穴を開けて、
中に漆を塗ります。
掬ったお水は、
柄の先の小さな穴から注がれるのです。

急須に注ぐときは、ちょっと、スリリング。
お水の量と瓢杓の角度、勢いを考えて
狙いを定めます。
その時の手の動きはとてもきれい。
細い水が細い滝のように落ちてきます。

韓国の茶道でも
この瓢杓はよく使います。
日本の煎茶道では、水を掬う道具ですが、
韓国茶礼では、お湯をとるのにもこれを使います。
日本の茶道の竹の柄杓は
その扱いが弓道を源としているため
柄杓の扱いはとても凛としていて
所作の中に「構える」という
心を集中させる場面があります。

そこへいくと
瓢杓は、なにか暖かくて
ゆるやかな感じです。
それでも、
置くときには、ころんとなるので
「残心」が必然として求められます。
お湯を空けるときも、
ぐるんと回転させないとお湯が切れないので、
その加減をはかる時間が
よい「間(ま)」になります。
味わいのある道具です。

瓢箪は、
昔からお水を入れたりお酒を入れたり、
哺乳瓶のように使われたり
重宝に利用されてきました。
七味入れにも使われていますね。
でも、
道具として使える様になるまでには処理が大変。
なので、
お道具やさんで求めると何万円もするのです。
本来は身近な道具なのだから、
瓢杓づくり、やってみたいな。