茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

清風払明月

2010年09月13日 | Weblog
『清風払明月
 明月払清風』
清風は明月を払い、
明月は清風を払う。

払うという字のイメージは、
捨てるという感じがあります。
心地よい風と輝く月が
秋の夜の主役を競っているような、
どちらも甲乙つけがたいほど素晴らしいということ?
それでは何か違う感じ・・・
支部研修会の間、
お軸のこの言葉がずっと気になっていました。

「捨」という字を漢和辞典で見ると、
払いのける、捨てる、撫でる、ぬぐう、清める、
掲げる、逆らう、違う、覆う、被せる、迫る、助ける、
などとあります。
迫るとか助けるとか、そんな意味かしら。

『茶席の禅語大辞典』でみると、
「明月と秋風が、
 互いに主となり客となり無心に払い合っている様子」
とありました。
まだよくわからない。

黄檗宗少林山達磨寺のHPには
 「美しく輝く月」はそれだけでただ美しい。
 「さわやかで清らかな風」はそれだけでひたすら爽快だ。
 その二つがお互いに主人となったりお客になったりしながら
 その美を極めている。
 その自然美の極致は
 決してありきたりの言葉で表現することは出来ない。
とありました。

茶席の禅語選ではこうです。
 師曰く、賓主(ひんじゅ)相い見えて、何の言説か有る。
 山曰く、清風は白月を払う。
 『禅語字彙』には
 「本體が作用となり、作用が本體となりて
  一方に固定せざるをいふ」とある。
  【清風拂明月明月拂清風】

少しわかってきた感じです。
「主と客は相対的なものであり、
 時、処、位によって主となり、客となるにすぎない。
 秋の夜空の清らかな様子は、
 迷いを払いさった『空』である。」
という説明のあるブログもありました。

やっと、なるほどと落ち着きました。
「そのままの、あるがままの、透き通った境地」
だそうです。
奥、深いです。
出自は、
宋の晦巌智昭の編した五家(臨済、雲門、曹洞、潙仰、法眼)の
宗旨の綱要書「人天眼目」。