たいかい、またはだいかいと呼ばれるこのお道具は、
『山上宗二記』に、
「当世には好悪とも数寄には用いず。
昔より中古までは、名物とて用うる也。」
とあるように、
宋の時代から見られる形で、
修行僧が帰朝する際に持ち帰った
貴重な茶入れであったのです。
でも、一方で、
水屋で使われていた時代もあるようです。
石臼で挽いた抹茶を
一度この大きな茶入れに取り置き、
そこから茶席に持ち出す茶入れに取り分けたそうです。
口が大きいので
その用に向いていたことでしょう。
そういえば、茶業で
荒茶を保管しておく袋も大海といいます。
何故、「大海」と呼ぶかは不詳とされているようです。
気になります。
以下、なんちゃって仮説~。
太宰府に苔寺で有名な光明禅寺というお寺さんがありますが、
聖一国師に師事した鉄牛円心和尚が開いた
臨済宗のお寺さんです。
「一滴海庭」と呼ばれる枯山水は、
大海を現す白砂と陸を現す青苔の有名な庭園だそうです。
「一滴海」というのは
「一滴如大海」という禅語に由来して
広大な海も一滴の水から成るという意味があります。
鎌倉時代、
禅宗を広めるお坊さんたちは、
茶入れから掬い取るひと匙のお茶が
茶禅一味の真理を伝え、
いつか日本の地に禅の精神が行き渡る日がくる、
そう願い、
その茶入れを「大海」と呼んだ、
かも也。
「大海」を探っているうちに、
すべては日常の中にある、
仏は心の中にあるということを知るという
侘び茶の心に改めて思い至りました。
今日は利休忌。
そして息子の誕生日。
4月になると大海を渡っていく船乗りさん、
お茶は未だ始めずです。
『山上宗二記』に、
「当世には好悪とも数寄には用いず。
昔より中古までは、名物とて用うる也。」
とあるように、
宋の時代から見られる形で、
修行僧が帰朝する際に持ち帰った
貴重な茶入れであったのです。
でも、一方で、
水屋で使われていた時代もあるようです。
石臼で挽いた抹茶を
一度この大きな茶入れに取り置き、
そこから茶席に持ち出す茶入れに取り分けたそうです。
口が大きいので
その用に向いていたことでしょう。
そういえば、茶業で
荒茶を保管しておく袋も大海といいます。
何故、「大海」と呼ぶかは不詳とされているようです。
気になります。
以下、なんちゃって仮説~。
太宰府に苔寺で有名な光明禅寺というお寺さんがありますが、
聖一国師に師事した鉄牛円心和尚が開いた
臨済宗のお寺さんです。
「一滴海庭」と呼ばれる枯山水は、
大海を現す白砂と陸を現す青苔の有名な庭園だそうです。
「一滴海」というのは
「一滴如大海」という禅語に由来して
広大な海も一滴の水から成るという意味があります。
鎌倉時代、
禅宗を広めるお坊さんたちは、
茶入れから掬い取るひと匙のお茶が
茶禅一味の真理を伝え、
いつか日本の地に禅の精神が行き渡る日がくる、
そう願い、
その茶入れを「大海」と呼んだ、
かも也。
「大海」を探っているうちに、
すべては日常の中にある、
仏は心の中にあるということを知るという
侘び茶の心に改めて思い至りました。
今日は利休忌。
そして息子の誕生日。
4月になると大海を渡っていく船乗りさん、
お茶は未だ始めずです。
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