茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

大海

2010年02月28日 | Weblog
たいかい、またはだいかいと呼ばれるこのお道具は、
『山上宗二記』に、
「当世には好悪とも数寄には用いず。
 昔より中古までは、名物とて用うる也。」
とあるように、
宋の時代から見られる形で、
修行僧が帰朝する際に持ち帰った
貴重な茶入れであったのです。

でも、一方で、
水屋で使われていた時代もあるようです。
石臼で挽いた抹茶を
一度この大きな茶入れに取り置き、
そこから茶席に持ち出す茶入れに取り分けたそうです。
口が大きいので
その用に向いていたことでしょう。
そういえば、茶業で
荒茶を保管しておく袋も大海といいます。

何故、「大海」と呼ぶかは不詳とされているようです。
気になります。
以下、なんちゃって仮説~。
太宰府に苔寺で有名な光明禅寺というお寺さんがありますが、
聖一国師に師事した鉄牛円心和尚が開いた
臨済宗のお寺さんです。
「一滴海庭」と呼ばれる枯山水は、
大海を現す白砂と陸を現す青苔の有名な庭園だそうです。

「一滴海」というのは
「一滴如大海」という禅語に由来して
広大な海も一滴の水から成るという意味があります。
鎌倉時代、
禅宗を広めるお坊さんたちは、
茶入れから掬い取るひと匙のお茶が
茶禅一味の真理を伝え、
いつか日本の地に禅の精神が行き渡る日がくる、
そう願い、
その茶入れを「大海」と呼んだ、
かも也。

「大海」を探っているうちに、
すべては日常の中にある、
仏は心の中にあるということを知るという
侘び茶の心に改めて思い至りました。

今日は利休忌。
そして息子の誕生日。
4月になると大海を渡っていく船乗りさん、
お茶は未だ始めずです。

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