茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

消息

2009年01月31日 | Weblog
上野毛の五島美術館に行ってきました。
『千利休消息 横雲の文(よこぐものふみ)』を
しみじみ眺めてきました。
消息というのは手紙のことです。
1591年2月5日の書、
つまり利休さんが亡くなるほんの3週間ほど前に
大徳寺珠光院の住持あてに書いた手紙です。
利休さんが所持する「橋立」という壺を
預けるという内容のものです。

古筆学者の小松茂美氏は、
この手紙への思いを以下のように述べておられます。
橋立の壷を預けるから、私(利休)の判(自筆の文書)のない限り、
だれにも渡さないでもらいたい、という文面である。
「橋立」の壷とは将軍足利義政(1432~90)遺愛の茶壷である。
当時、利休が伝得して愛蔵していた。
秀吉が大層この茶壷に執心したが、再三の懇望を利休は退けた。
そのいわくつきの茶壷が、この「橋立」の壷なのだ。
手紙の背後には、
秀吉が一計を巡らして利休の手から取り上げようと画策したことが、
ありありと思い浮かぶのである。
***

大切な「橋立」を秀吉の手から守ってくれと
秀吉には渡したくないと
大徳寺に頼んだ手紙ということでしょうか。

この手紙には歌が添えられてありました。
レプリカの画像ですが左の部分です。
 「よこ雲のかすみわたれるむらさきの
       ふみととろかすあまのはしたて」

ヒントになるような定家の歌を見つけました。
 「春の夜の夢の浮橋とだえして
            峰にわかるる横雲の空」
「むば玉の夜わたる月の澄む里は
            げに久方の天の橋立」

春の歌は幽玄の極みとも解釈されている歌だそうで、
幽玄とは、
「心にあって言葉には言うことができないもの」とありました。

利休さんはどんな思いであの手紙の前に座っていたのでしょう。

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