茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

菜の花

2010年03月01日 | Weblog
万葉集に
「可美都氣野 左野乃九久多知 乎里波夜志
 安礼波麻多牟恵 許登之許受登母」
という詩があります。
「上野(かみつけの)佐野の茎立(くくたち)折りはやし
 あれは(我は)待たむゑ今年来ずとも」
という恋の詩です。

群馬県の佐野というところは、
並んだ船の上に板を渡して橋とした「船橋」が有名で、
平安の頃から都人に愛されてきたそうです。
「橋を架ける」ことが「思いをかける」掛詞となり
たくさんの詩に詠まれてきました。

この詩も、
「佐野の菜の花を折っては料理をして、
 私は(貴方をいつまでも)待っています。
 たとえ今年は、いらっしゃらなくても。」
という切ない詩。
愛する人はこの舟橋を渡って旅立っていったのでしょうか。
時は春。
あたりは一面の菜の花。
別れの場面がフラッシュバックするような美しい詩です。

お茶の世界では、
利休忌を終えるまでは、
菜の花を床に置いてはいけない
という約束があります。
菜の花は、
利休さんが自刃の日、
床に飾り残した花といわれており、
利休さんが最も愛した花と考えられています。
ご法要の前に摘んでは、哀しまれるからです。

利休忌を終えれば、
床に飾るも膳に添えるも大いに結構なのですが、
私たちは既に菜の花づくしをしてしまいました。
前供養でございます。

菜の花は、
いかにも侘び茶の花という感じの
花ではないような気がします。
利休さんの最期の思いは
菜の花畑に飛んでいたのでしょうか。
切ない別れがあったのでしょうか。
そんなことを考え、
今日は菜の花のお浸しをいただきました。

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