茶の葉の声に耳を澄まして    Tea-literacy

数千年にわたる茶と人とのかかわりに思いを馳せ、今、目の前にある茶の声に耳を傾ける
お茶にできること、お茶の可能性とは

三国点前

2010年10月28日 | Weblog
いよいよ
明日から静岡お茶まつりが始まります。
今日は舞台の設営です。
茶室を組み立て、ひと仕事終わると、
「まあ一服」と
茶道塾の吉野塾長が
お茶を点てて下さいました。
伊藤園さんが再現を試みたという
室町時代のお抹茶でした。
茶畑を育てるところからこだわったという
詳細企業秘密のそのお茶は
いくぶん白っぽいものでした。

そのお茶を
ささらの様な茶筅で
丁寧にがりがりと点てて(?)おられます。
たぶんこのようなお茶筅だったろうといわれています。
確かに、資料で見るようなささら振りです。

やはり、
これでふわっと泡が立つように点てるのは
難しそうです。
道具って、使いにくいものは使わないものですから、
ふわっと点てていたのではない時代の道具
ということに考えられるのでしょう。
お茶が違っていたのです。

でも、お茶も一様ではなかったでしょうから、
このころから、
ちゃんとしなっていたお茶筅もあったのではないかと
私は思うのですが、今のところわかっていません。

翌日はこの同じ茶室で
和紙の壁を取り外して韓国風な布をかけ、
朝鮮王朝時代の茶礼をするのです。
作業をしながら、
韓国の家について聞いてみました。
日本の茶室に見られる「土壁ににじり口」は、
50年くらい前には、
韓国のどこででもよく見かける家の作りだったそうで、
今でも田舎に行くと見られるそうです。
しかも、足元の壁がポロポロと落ちてくるので
紙を張るといいます。
小さな戸口は
着物でないのでにじりませんが、
ラッパズボンみたいな服装で
よいしょとまたぐように入るのだそうです。

土で作られた小さな空間に住む家族の
儒教に基づいたその暮らしは
粗末でも心配りや礼節があり、憩いがある。
普通に「和」があるその日常に
高い精神性を見た誰かが
日本の茶の湯の舞台に
その設えを持ち込んだのかなあ
などと考えつつ
今日はよく働きましたあ。