阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

コロナ禍は去りぬいやまだ言ひ合ふを
ホッホッ笑ふアオバズクかも

by小林じゃ

ランダムにサンフレ昔話 その8 2000年サテ開幕戦

2014-04-17 18:41:36 | サンフレ昔話

 7回目がコウジだったから8回目はカズの事と思ったけれど、一番書きたいカズのデビューは一回で書ききれないのでGWにとっておくことにして、今回は2000年3月12日のサテライドリーグ、セレッソ戦(舞洲セレッソG)の話。写真20番はカズ。

 2000年の新人はユースから森兄弟と駒野、外部から山形恭平、松下裕樹、八田康介、中山元気と年代別代表経験のある選手7人をそろえてスーパーセブンと呼ばれた。カズは前年11月にプロデビューして元日の天皇杯まで出場したがその頃から腰痛があったそうでちょっと出遅れて前日3月11日のJ1開幕戦はベンチ外だった。そのJ1第1節は神戸ユニバで1-0の敗戦。この年はラストの天皇杯も神戸ユニバでヴィッセルに1-0で敗れ、最初と最後が同じ場所同じ相手に同じスコアだった。

 サンフレのメンバーであるが、スーパーセブンのうち山形と松下は高校選抜の合宿で欠場、残りの5人が出場した。この日驚いたのはサテライトリーグであるのに正規の背番号をつけていたこと。97年に固定番号になったあとも、サテライトリーグでは古いユニの若い番号で出るのが普通であった。だからトップで出場機会がないとイヤーブックの写真撮影の時だけ自分の番号を着てゲームでは袖を通さないままサンフレを去る選手もいた。それがこの2000年からサテでも自分の番号の、しかもその年のユニで出場するようになったわけだ。システムはトムソンの3-5-2、前回にならって両サイドはダブルボランチと同列に書くことにする。

 

FW 15上野優作、32ミゲル

MF 33栗原圭介

MF 22コウジ、9山口敏弘、20カズ、23駒野

DF 28八田、2宮澤浩、16川島眞也

GK 12加藤竜ニ

 

(以下途中交代)

12加藤→21佐藤浩

22コウジ→30宮崎光平

16川島→29吉田幸生

15上野→27中山元気

9山口→24石川裕司

 

 セレッソのメンバーはメンバー表がなくてわからない。コウジの左サイドは山口、栗原がサテに回ったせいで押し出された格好で、このあとのノートを見てもこの年左サイドはやってないようだ。スタメンを見ていただいてわかるようにサテライトというにはベテランが要所にいてゲームは立ち上がりからサンフレが優勢。その中でルーキーたちが良い動きを見せて強風で観戦しづらい環境ではあったが十分満足できる内容だった。

 サンフレの得点はCKのこぼれからミゲル、同じくCKを八田が頭で押し込んで2-0で開幕戦を勝利で飾った。サテとはいえスーパーセブンの公式戦初ゴールは八田ということになった。

 ルーキーイヤーのJ開幕戦でベンチ外となったカズは「調子が悪い」と発言して先輩に怒られたという記事を読んだ。しかし、このあとのカズはトップに定着してこの年はJ1リーグ24試合出場3得点の記録が残っている。駒野は右サイドのレギュラー沢田を脅かす事はできずリーグ戦の出場はなく、ナビスコで先発したが対面三浦淳宏(当時横浜Fマリノス)に苦戦して広スタのバックスタンドから多くの野次を浴びせられた。なお、広スタのバックスタンドは昔から野次が多くて11年の名古屋戦の仮設スタンドの時もひどかった。構造的なものだと思うが、新スタジアムへの研究課題かもしれない。これは余談。とにかく、駒野がレギュラーをつかむのは翌01年まで待たなければならなかった。コウジもコンスタントに出場機会を得るのは02年から、しばらくはサテライトと代表のゲームでのチャレンジが続いた。

 双子駒野のプロとしての最初のゲーム、先にも書いたが、私にとってサテでは初めて見るおニューのユニとともに記憶に残っている。サテライトリーグがなくなってもう何年もたった。去年からJの試合の翌日に仙台や浦和で日帰り練習試合をするなど意欲的に若手の強化が行われているが、やはり公式戦の緊張感もほしいところだ。何か準公式戦みたいな有料試合があっても面白いと思う。小口のスポンサーを集めて数日間の小さな大会をやれないものだろうか。

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。