阿武山(あぶさん)と栗本軒貞国の狂歌とサンフレ昔話

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by小林じゃ

ランダムにサンフレ昔話 その3 ヨースケの質問

2014-04-09 19:23:46 | サンフレ昔話

 昨日までの代表合宿で大声で悪はしゃぎしてる槙野の横に洋次郎がいるのが残念だとか、槙野が上がりすぎて塩谷が上がれなかったとか感想が聞こえてくるのだけれど、まあ彼らしいというしかないだろう。ただ、槙野の昔話だけ書くのはさすがにうっとうしいのでヨースケ(柏木陽介)にも登場してもらう事にして、二人がユース3年だった2005年の話を書いてみたい。

 

 これは吉田町(当時)の広報紙、広報よしだ03年4月号に乗ったユース新入団選手の自己PR。この年はJ2降格の影響なのだろうか、新人は7人だけ。そのうちプロになった4人分を見てもらおう。吉田サッカー公園のロビーにおいてあったのを事務所でコピーしていただいたものだ。

 槙野のところを読むと、彼の基本的な部分はユースに入る前に完成されていたことがわかる。「常に声を出し相手をビビらす」ために大声を出していることもわかる。こんな事を自己PRで書く人は他にはおらんよね。私もユースのゲーム後に槙野から「今日は一回いい声がありましたよ」と言われて、90分応援して一回かとガックリ来たことがあったけれども、槙野というのはそういう男だ。私に言わせれば、10年前と今とではユニの色が変わっただけで、中身はちっとも変わっていない。

 ヨースケも「キーパー前に入ってくるちょっとだけうまいコーナーキック」ってところに性格が出ている。この頃のヨースケはネガティブでひがみっぽくて、ゴリさん訓話に必ず出てくる、「へたくそだから帰る」というセリフは有名だ。ここからはヨースケを中心に05年の話をしてみる。

 05年3月20日に吉田で行われたサテライトリーグG大阪戦にユースから槙野、ヨースケ、金山の3人が参加、槙野は先発でヨースケは68分くわしんに代わって出場。ややモチベーションの上がらないプロ選手の中で素晴らしい動きを見せる。ところが71分に負傷してわずか3分で前田俊介と交代、鎖骨骨折だった。

 そのあと3月29日、私はユースのアシックス杯西日本フェスティバルを見るために吉田へ。この大会は30分ハーフのゲームを1日2試合、春休みということもあってJrユースから宮原兄や、皆実高校が選手権優勝の時のFW、吉田中の金島君も練習生として出場していた。その2試合のインターバルのあいだにちょうど天然芝でサテライトが練習していたので見ていたら治療を終えたヨースケがやってきた。思いがけないことではあったけれど、一緒に練習を見ながらしばらく話を聞くことができた。

 まずは20日の負傷の場面、自分でも調子が良くて完全に抜けたと思ったそうだ。ところがつま先が引っ掛かって受身が取れずに肩から落ちたって。その時、サポーターの「うちのプリンスに何するんじゃ」という野次が聞こえて来たそうで、痛さの中で笑ってしまったと言ってた。プリンスと言われたことが嬉しかったようだ。

 自分がいない今のユースについては、「龍一にパス出す奴がいない」って。この時、ヨースケは自分の持ち味をパス出しだと思っていることを知った。これは私にとっては意外で、豊富な運動量で縦にボールを運ぶのがヨースケの魅力だと思っていた。ミシャが「危険な走りをしなければならない」と言う時、真っ先にヨースケの顔が思い浮かぶ。パス出しがうまい人は他にもたくさんいるのだから、もしこれからヨースケが代表を目指すのであれば、危険な走りの部分で勝負するのが良いのではないか、上半身の筋肉はいらないのではないかと思うが、これは本人が選択したことだからとやかく言うまい。話がそれた。

 そのあとU-18の話、去年の自分のベストシーン、これはプリンス多々良戦88分のドリブルからのゴールとJユースガンバ戦のFKと言ってた。私はずっと聞き役であったが、それで十分幸せだった。ところが、そのあと話題が変わって突然質問が飛んできた。曰く、

「槙野は、どうして大人の女性にもてるのでしょうか?」

これにはびっくり。20年サポーターをやっているがこんなことを選手から聞かれたのはあとにも先にもこの時だけだ。確かに、槙野は年上のファンが多くてプレゼントはブランドの財布とか、一方ヨースケは中学生女子が多くてプレゼントも猫耳とかおもちゃの類、この傾向はプロになってからも変わらなかった。しかし、これは聞く相手を間違っている。もっと女性にもてそうな男に聞くべきだ。もちろん、答えられるはずもなく、サッカー頑張ればもっともてるようになるよと言って逃げるしかなかった。

 ところがそのあと少しヒントになるような出来事があった。05年から2種の試合に女性審判が来るようになって、ユースの試合を担当する事もあった。しかし、接触プレーの判断はまだまだ経験が足りなくてサンフレユースのゲームを吹くレベルではなかった。まずは槙野のケース。

 7月9日のプリンスリーグ2ndラウンドは吉田で国泰寺と対戦。その48分、女性審判から不可解なイエローカードを出された槙野がレフェリーに向って歩いていく。一瞬緊張が走ったが、そのあと槙野は女性審判の肩を抱いて何かささやいてる・・・端から見たらセクハラ、思わず「触ったらいけんじゃろー」と叫んでしまった。こちらの方がセクハラだったかもしれないが、ユース選手を野次ったのはこの時だけだ。しかし、こんなことをする高校生男子はおらんよね・・・。

 なお、槙野はこの年のプリンスリーグは代表とかでいない時もあって10試合中7試合に出場、手元に残ってる公式記録ではシュートは計5本しか打っていない。槙野の、特に足による得点力はむしろプロになってからのものだ。センターバックとして海外行きたいならシュート練習よりも別の練習した方が良かったんじゃないかと思うが、これも本人の選択だ。新入団会見で得点王とると宣言してその線で努力する、それが槙野のやり方なんだろう。実現しないことがあったからといって何年にもわたってガタガタいうのはいかがなものかと思う。

 次はヨースケのケース。8月27日の吉田招待、2試合目の大阪朝鮮とのゲームだった。後半4分、女性レフェリーがレッドカードを掲げる。このゲームは天然芝のクラブハウス寄りにピッチが切ってあって、私がいた谷側のゴール裏からは遠い場所だったので何が起きたのか全くわからなかった。退場になって引き上げてくるのはヨースケ、もちろん声をかけるつもりはなかった。しかし、ネット越しにこちらを見て話したいように見えたので、「どした?」と聞いたら、「だから女審判イヤなんじゃあ」と言ってしまったと。なるほど、それなら異議じゃなくて侮辱でレッドかもしれない。「謝りませんからね、だってへたくそじゃないですか!」と続ける。そう言われても同意も反論もできない。なるほど、わかったと言うしかない。

 そのあと、ゲームを終えた選手たちが引き上げてきて、ヨースケもネット際まで来て迎える。そしたら龍一が「ちょっと言い過ぎなんじゃないの? 謝ってきたら?」って。ユースに入った頃の龍一は大人に対する態度がアレで視界に入っただけで睨みつけられてるように感じたものだ。この時期の龍一に接した人に、10年後はJでキャプテンやってると言っても誰も信じないだろう。だからこの発言は私にとってもびっくりだったけど、ヨースケは龍一に言われてがっくり、とぼとぼと女性レフェリーのところに謝りに行った。ゴリさんも加わった話し合いで、招待試合であるからベストメンバーで臨むのが礼儀、しかし公式戦でなくてもレッドが出たらノーペナルティというわけにもいかない。次のゲームの前半だけ出場停止という裁定になった。

 この女性審判への対応をみて、ヨースケの質問の答えが少しわかったような気がした。しかし、高校生男子一般でいえば、ヨースケの方が平均値に近くて、やはり槙野の対応の方が特異であるように思える。もちろん、ヨースケと答え合わせはしていない・・・

 ユース出身者が次々と移籍してしまう事態に、クラブ愛教育をしろという人がいる。しかし、サッカーやってる中学生高校生のスピーチを聞くと、8割以上が将来は海外でプレーと言う。それは止められない。それに、いくら忠誠心を上げてもambition(若い選手の成長には必要不可欠なものだろう)のパラメータが高ければ飛び出す力は生まれてくる。確かにユース出身者が移籍金も残さずに移籍してしまうのはクラブにとって頭の痛い問題だ。クラブの将来を真剣に考えて行動しているサポーターをリスペクトしているし、3人が移籍したあとの新入団会見で24番を継いだ選手にサンフレ一筋と言わせてしまったのは心が痛む。しかしそれでも、ユースやジュニアユースのゲームの現場では選手の個性を応援したいと思う。それは理屈ではなくて自然な感情だと思っている。



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