今日は前回の続き、グーグル書籍検索で出てきた栗本軒貞国の記述のある本、といっても残りは少ない。まず書庫から加計町史と日本庭園史大系24巻の二冊を出していただいた。どちらも文化年間に吉水園を貞国が訪れて狂歌二首を詠んだという「吉水録」からの引用で、加計町史はこれに加えて「龍孫亭書画帳」に貞国が記帳した歌一首も載せている。吉水録から一首紹介すると、
又も世にたくひはあらしものすきのきつすい亭の山川の景
物好きは生粋の縁語だろうか。私も加計の吉水園には一度だけ行ったことがあって、「よしみずえん」と読むのは知っている。しかし、その中の吉水亭の読み方がこれで合ってるかどうかわからなくて帰って調べたら、ひろしま文化大百科には確かに「きっすいてい」とあった。吉水園の歴史を読むと、貞国が師匠と呼ばれるようになった頃だろうか、吉水園は天明の初めに完成した庭園で、その後文化四年までに三度の改修を経て今の形になったと書いてある。貞国が見たのは私が見たのとほぼ変わらない景色だったようだ。
これで貞国が地元で狂歌を詠んだ場所としては、厳島、大野、保井田、己斐、古市、そして加計と少しずつ集まって来た。しかし、貞国が住んでいた広島城下の地名が入った歌はほとんどなく、詞書に水主町の住吉神社が出てくるぐらいだ。これは原爆でとすぐに考えてしまうけれども、どこかに残ってないものだろうか。
日本庭園史大系の方は1ページに触れただけだったが、庭園の来遊者の資料に貞国が出ていたのは驚きだった。簡単に検索で出てくる書物はほぼ読み終えて、これからはこういう書物を探っていく必要があるのだろう。
次は「柳井市史 各論編」、これは国会図書館デジタルの図書館通信にあった。カウンター2で頼んでPCの席へ案内してもらった。図書館送信の制限がついたのが見れるというだけで、操作は家でインターネット公開の図書を見るのと同じであった。ところが内容は、「柳井地区とその周辺の狂歌栗陰軒の系譜とその作品」に出ていた貞律入門時にそば粉を贈られた時の贈答歌しか載っていなかった。この貞律という人は系譜でいうと貞国の三代あと、貞柳から数えて六世だけど、最初は貞国の門下、後に五世貞一門下とあった。栗陰軒の本を読んだ昨年9月の時点では狂歌について全くの初心者でよくわからずに読んでいたところがあった。近世上方狂歌の研究とあわせて、もう一度読んでみないといけないのだろう。
一時間の持ち時間なのに一瞬で終わってしまって、もったいない?から厳島道芝記の活字の本の大頭神社の項を読んだ。和綴じの本を読んだ時のノートと比べながら、まあこれは時間つぶしみたいなもんだった。上方狂歌は5巻、江戸狂歌は10巻を借りて帰った。
帰りは御幸橋を渡って川沿いを少し歩いた。阿武山が見えないかと思ったのだけど、御幸橋からは見えず、少し上流に歩いたところでビルの間に見えた山は帰って方角を調べたら阿武山ではなくて武田山のような気もする。
宇品から船にのって阿武山を眺めたいとずっと考えていて、予備知識としてどんな感じに見えるか知っておきたかったのだけど、これは空振りだったようだ。まずは、宮島と原爆ドームを結ぶ航路の方がいいのかもしれない。
庭園史のところにも書いたように、ここから新たに貞国の歌を見つけるのは簡単ではなさそうだ。阿武山や三篠川などを調べながら、ぼちぼちやっていきたい。