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歴史模擬授業(第29回 第二次世界大戦)②-3 第二次世界大戦のはじまり  

2013年12月17日 22時00分15秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業の続きです。

 

第27回 第二次世界大戦

詳細は12月9日の記事をご覧ください。

※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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「さて、では今日は第二次世界大戦を行います。」

「はい。」

「地図帳を開きながら聞いてね。(ヨーロッパの地図を見て,国の位置を確認しながら聞いてね)

日本が日中戦争を行っている最中、

ファシズムの体制をとった、イタリア・ドイツも次々と、他の国に進出していきます。

ドイツは、近くのオーストリアやチェコスロバキアなどを併合(この場合、ドイツ領にすること)します。」

「え・・・、近くの国を自分のものにしていったの・・。」

「で、ドイツは,ソ連不可侵条約というお互いに相手の国を侵略しないことを約束する条約を結びます。

 そうすれば、ソ連の近くの国までドイツは進出しても、ソ連自身はドイツを攻撃しないともいえます。

 そのため、ドイツポーランドにまで進入します。」

「どんどん侵入していくね・・・。」

「しかし、ポーランドは、イギリス・フランスと同盟を結んでいた。」

「え・・・となると・・・、それって・・・。」

「ドイツのポーランド侵攻により,イギリス・フランスドイツに宣戦布告(戦争をするぞ!と宣言するようなもの)します。」

「う・・・。」

「そして、ついに、1939年第二次世界大戦がはじまります。」

「ついに始まっちゃったんだ・・・。」

 

「これで、また世界中を巻き込んだ戦争が始まる。

 日本は、中国を援助するアメリカ・イギリスと対立した。

 また、ドイツがフランスに勝ち、フランスのパリを占領しました

 日本は、フランスがドイツに敗れると、

 フランスの植民地であった東南アジアの国々(フランス領インドシナ)に軍隊を送ります。」

「もう、ぐっちゃぐちゃだ。」

「あれ?第一次世界大戦で勝っていたフランスが負けてる・・。」

 

「そして、ファシズムのあの3つの国(日本・ドイツ・イタリア)は、同盟を結びます、

その同盟を、日独伊三国軍事同盟(1940年)と言います。独がドイツ、伊はイタリアを指します。」

「日本とドイツ・イタリアが手を完全に結んだんだね。」

「それで、ドイツ・イタリア・日本 VS イギリス・アメリカ という構図がより激化します。」

 

「あれ?ソ連は?」

ソ連は、ドイツとは不可侵条約を結んでいるという話をしたよね。

 実は、日独三国軍事同盟を結んだ翌年の、

1941年4月には日本とソ連も条約を結び、お互いは戦争しないようにしよう、としているの。

それを日ソ中立条約と言います。」

 

「じゃあ、ソ連はずっと何も参加しなかったの?」

「いや、それが、1941年6月にドイツ軍は、ソ連と結んだ不可侵条約を破って、ソ連に侵攻し始めたの。」

「え?!」

「で、それで、アメリカとイギリスが、民主主義をファシズムから守ろう、として、

それまでは対立関係のあった社会主義のソ連へ協力と援助を始めた。」

「ソ連はアメリカ・イギリス側についていったんだ・・。」

「うん。

ただ、まだ日本とソ連は中立条約を結んだ状態だから、ソ連と日本は戦っていない。

これは覚えておいて、あとで重要になってくるから。」

「はい。」

「日本は、東南アジアのインドシナ南部にどんどん攻め込んでいくの。

そうしたら、アメリカイギリス・中国・オランダと協力して、

日本に対して経済制裁(けいざいせいさい)を行います。つまり、経済的に日本に打撃をあたえようとする。

たとえば、日本へ石油の輸出を禁止したりね。」

「日本は石油がほとんど取れないから、それは大変だよ!」

「このようなアメリカ・イギリス・中国・オランダが行った日本への経済制裁を、、

4つの国の頭文字をとって、ABCD包囲陣と言います。(アメリカ:America イギリス:Britain 中国:China オランダ:Dutch)

あまり出ないですが、ときどき難関私立中学入試では出るので、覚えておくにこしたことはないと思います。」

「はい。」

 

「日本は石油が入ってこなくなったから、困った。それで、アメリカと交渉します。でも、交渉がうまくいかない。」

「え・・・え・・・それじゃあ、日本はどうなってしまうんだろう。」

「このあと、日本はついにアメリカを攻撃してしまうのです。」

「え?」

「それが1941年12月8日。日本軍は、ハワイの真珠湾(パールハーバー)を攻撃します。

そして、そのあとで、アメリカ・イギリスに宣戦布告して、アメリカと戦争を始めます。

その戦争を、太平洋戦争と言います。」

「この戦争の名前、聞いたことがある・・。」

 

「日本は中国とも戦争し、東南アジアにも軍隊を送り、アメリカとも戦争を始めた。」

「もう、おそろしいかぎりの戦争一色だよね・・。」

「最初は、日本軍は負けてはいなかった。

しかし、1942年6月のミッドウェー海戦で日本はアメリカに敗れてから、

日本はだんだんと負けて、

後退を続けることになる。

そのため、東南アジアからの物資の輸送が難しくなり、生活必需品の国内生産もゆきづまってくる。」

「そうだったんだ・・。」

「それでも日本は勝つことをあきらめずに、戦争を続ける。だんだんと食料も日用品も少なくなっていく。

そのため、日本は、食料や生活用品が配給制(割り当てが決められ、配り与えられること)になります。

また、それまでは大人の男性だけが戦争に行っていたのに、学生までが戦場に送られることになったのです。

そのことを学徒出陣(がくとしゅつじん)と言います。

さらに、そうすると人数がすくなるので、労働力を補うために、兵役についていない15歳から50歳の

男性は軍事工場で働かされ、中学生や女学生は勉強を中止されて、さまざまな職場で働かされることに

なりました。」

「えええええ。」

「みんな辛かったんだろうな・・。嫌々,戦争をやっていたんだろうな。」

「それが、多くの人は、それが正しいことだと思い、喜んで、戦争に行ったり働いたの。」

「え・・・」

「もちろん、全員ではないかったけど、多くの人は今回の戦争は正しいものだと思っていた。

なぜなら、政府は、日本がどんどん戦争に負けていることを報道しず、

「お国のために頑張るのが日本人のあかし」という状態になっていたのです。」

「え・・・。」

「大人なら、まだ判別がつくかもしれない。でも、子どものころに、それが正しいと教えられ続けたら・・・

そう思っても無理がなかった。そのために、多くの人々が、戦争を正しいものだと信じて、

戦争で命を落としていった・・。」

「そんな・・。」

「教育というのは、とてもおそろしいものなの。

使い方次第で、天使にも悪魔にもなる、おそろしいもの。

だから、教育というのは、国にとって宝であり、その宝を平和のために使っていく、というのが

現代のわれわれ教育者の使命だと思う。

この戦争中のような、戦争を良しとする教育は二度としないよう、気をつけないと・・。」

「はい。」

「では,第二次世界大戦の経過の説明に戻るね。

1943年にはイタリアが降伏します。残るはドイツ・日本のみになります。」

「え・・・。」

「1944年7月にはサイパン島がアメリカ・イギリスひきいる連合国に占領されます。

そうすると、サイパンからアメリカ軍の飛行機が飛ぶことができます。

それまでは、燃料の関係で、日本に直に飛行機を飛ばすことができなかったけれど、

サイパンからなら、行きやすくなったのです。」

「え・・ということは・・・。」

「そう、つまり、アメリカの大型爆撃機による、大規模な日本本土への空襲が始まる。」

「そんな・・・。」

「これは、一般市民が多く犠牲になるということなのです。」

「こわい・・・。」

「空襲の多くは、工場などがある都市部で行われるので、少しでも安全だと思われる田舎に、

小学生だけでも集団で避難させます。そのことを、学童疎開(がくどうそかい)と言います。」

「そうなんだ・・・。」

「中学の国語で「夏の葬列」という小説を習う学校が多いと思いますが、これは学童疎開をしていた

先でおこった悲しい出来事をモチーフにしたお話です。主題は、人間のエゴイズムを批判したものですが、

これも戦争というものさえおこらなかったら、おこらなかった事件なので、これを読むことで、

戦争の悲劇を感じます。」

「そうなんだ・・。」

「そして1945年3月には、東京が焼夷弾という爆弾が落ちたあたりをすべて焼きつくすという

おそろしい兵器による無差別爆撃を受け、一般市民を中心にして、一夜にして約10万人が犠牲になりました。」

「・・・・・。」

「また同年5月には、大阪や名古屋などの主要都市も攻撃をされ、ほとんどが焼け野原になっていきます。」

 「え・・、私たちの地元の名古屋も・・。」

「そして、地方の都市にも空襲が広がっていって・・。」

「考えるだけで、すごく怖い・・。」

「もう、人々は空襲におびえ、食料も少なく苦しく、

それでも「日本が勝つ」「お国のため、天皇のため」と信じ、こらえていた。」

「政府が正しい情報を国民に伝えていれば・・と思うと・・。」

 

「そして、同年4月、ついに、アメリカ軍は、沖縄に上陸します。

それは何を意味するか、これはとてもおそろしいことなのです。」

「え・・・。」

「これにより、さらに多くの犠牲者が出てしまうのです。

戦争がどんどん激化してしまっていて・・。

また、たとえ戦死しなくても、

「アメリカはおそろしいことをする国なんだ。だから、つかまったら何をされるかわからない。

また、日本国民として、恥ずかしくないよう、敵につかまるぐらいなら集団自決(集団で死ぬということ)をする。」

ということを正しいと信じ、集団自決をしてしまう沖縄の人々もいました。 」

「え・・・・。」

「そして、実は、太平洋戦争が終わった8月以降である9月まで沖縄では戦争が続いていたの。

このため、多くの沖縄県民が犠牲になるという悲惨な結果になった。」

「・・・・。」

「私は、沖縄に旅行に行ったことがあるんですが、激戦地に行き、沖縄の生の声を聞いたことがあります。

 そのときに、これは本当に生々しく、どんな理由があろうと絶対に戦争を起こしてはならない、と

 思った。戦争の一番の犠牲になるのは、何も罪もない一般市民なんだ、と。」

「そうだよね・・。」

 

 

「沖縄は、1945年4月にアメリカ軍が上陸し6月に占領されます。

もう、日本の負けは連合国から見たら、明らかでした。しかし日本は降伏しない。

その同時期あたりに、5月にドイツは降伏をします。」

「ついに、ドイツまで・・。」

「そのとき、問題がおきた。

ドイツは、ソ連と連合国(アメリカ・イギリス中心)に,はさまれた状態のまま、

降伏をしたため、ドイツを負かしたのは、ソ連か連合国か?という問題が出てきた。

これは、戦後に、どこの国がその敗戦国の主導権を握るか、という大きな利権問題が出てくる。

ここから、ついに、ソ連アメリカの対立が表面に出てきます。」

「そうなんだ・・・。」

「このソ連とアメリカの対立は、日本にさらなる悲劇をもたらします。」

「え・・?」

「これから話すことは1つの説なので、あくまで1つの説だと思って聞いてね。」

「はい。」

「戦争で、あと降伏していないのは日本だけなんです。」

「あ・・・。」

「じゃあ、日本はどの国が日本を降伏させた、かが重要になってくるでしょ。」

「・・・・。」

 

「7月に、ドイツのポツダムという場所で、連合国軍は会議を開き、ポツダム宣言というものを発表します。

この宣言を、日本に受け入れてもらい、日本は無条件降伏するように求めます。」

「そうだったんだ・・。」

「でも、日本はポツダム宣言を受け入れない、降伏もしない。」

「・・・。」

「そうすると戦争が続くよね。戦争が長引くとなると、それだけ,日本も,アメリカなどの連合国の国々のそれぞれの犠牲者も多くなる。」

「うん。」

「そんなときに、アメリカである新しい兵器が生まれていたんです。」 

「え?」

「それが、原子爆弾というもの。

アメリカはそれを8月6日広島に投下します。」

「え・・・。」

「原爆の威力は、予想をはるかにしのぐ、おそろしいものでした。

多くの人が一気に命を落とし、町の建物もほとんど吹き飛んでしまいまいました。」

「・・・・。」

「これでアメリカは、さすがの日本も降伏すると思った。でも日本は降伏しない。」

「え・・・。」

「そんな矢先、日ソ中立条約を破って、ソ連が8月8日に日本に宣戦布告した。」

「あ、、さっき覚えておいてといっていた日ソ中立条約」

「また、アメリカは、2つ目の原子爆弾を8月9日長崎に落とします。」

「え・・・。」

 

「この原爆の犠牲者は広島では14万人、長崎で7万人に上り、その後も犠牲者は増え続け、

今でも、この原爆により放射能による障害に苦しんでいる人がたくさんいます。」

「・・・・。」

「もう日本は、もうダメだ、と思い、8月14日ポツダム宣言を受け入れます。」

「日本はもういっぱいいっぱいな状態だったよね・・。」

「うん。しかし、報道捜査により,日本国民は戦争に負けていたことを知らない。ずっと戦争は勝ち続けていたと

信じている、だから、日本は負けました、など簡単に言っても国民は信じないだろうと思った。 

 そこで、全国民が一瞬で信じるようにするにはどうすればいいか、を政府は考えた。」

「え・・全員が信じる・・?」

「当時の日本人に一番の中心は、「天皇」だった。」

「あ・・・。」

「だから、天皇に、戦争が終わったことを発表してもらえれば、国民は信じ、納得するはずだ。

そこで、8月15日、天皇がラジオ放送で日本の降伏を伝え、長きにわたる戦争は終了します。」

「・・・・。」

「8月15日に戦争が終結したことから、現在は、8月15日終戦記念日とします。

(ただ、沖縄は9月まで戦火が続く、と悲劇的な状況が続いていました。)」

「お盆の最後の日(15日)の終戦記念日とは、この日のことだったんだね・・。」

「ええ。そして、ほとんどが焼け野原化した日本がこれから、60年でどのように現代にようになっていったかを

次はみていきましょう。」

「はい。」

「では、ここで終わります。起立、礼。」

 

「ありがとうございました。」

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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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