前回の歴史模擬授業(旧)の続きです。
歴史模擬授業(旧)第27回その2
第二次世界大戦 前 満州事変から日中戦争
詳細は,12月9日の記事をご覧ください。
※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。
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「では、今回は続きを行います。
日本がファシズムの道をどのようにたどり、軍部が力を握り、戦争に突入していったかを見ましょう。」
「はい。負の歴史を学んでいくんだね。」
「世界恐慌以後、日本では、不景気が続き、大陸(おもに中国やその周辺を指す)に進出して植民地を増やして、
少しでも不景気から抜け出そうという意見が、軍部の中で広まっていきます。
とくに「日本の生命線」と呼ばれていた満州という、中国の東北一帯の地域を侵略して、
不況で苦しんで政治に不満を持っている日本国民たちの目を満州にそらそうとしたのよ。」
「いつでも、はやく不況の対策をしろ!不況なのは政府が悪い!という風潮はあったのね。(もちろん、景気対策は政府の役目です)」
「しかし、景気対策において過激な考え方をする人たちが現れたのね・・。」
「・・・。」
「で、ついに軍部が行動にうつすんです。突然、植民地を得るために攻撃したら、世界から大非難でしょ。
そこで、あきらかに相手が悪いから攻撃をしました、それで植民地にしました、と言えば良い、と考えました。
日本は、1931年に南満州鉄道を爆破し、それを中国のしわざとして、軍事行動に出て、
満州全土を占領してしまいます。そして、1932年には、その地に満州国という国をつくります。
その一連のことを、満州事変と言います。」
「うーん・・。」
「満州国は、中国の最後の王朝の清の最後の皇帝、溥儀(ふぎ)と言う人物を満州国の皇帝に立てました。
清の皇帝の民族は、満州と同じ民族だったので、日本はその民族のための独立国をつくった、と言いはります。
しかし独立した国だとは言え、日本政府がその実権を握っていました。(これは悪いことです。)」
「日本にとって、都合の良い国をつくったってことだね・・。」
「しかし、国際連盟が、これっておかしいのでは?と思い、満州に調査に来ました。
その調査団のことをリットン調査団と言います。」
「平和を守る組織、国際連盟が来たんだ。」
「で、調査したら、鉄道を爆破したのは日本軍だろう、ということがわかった。
なので、国際連盟は日本に、満州から軍隊を引き上げるよう、命令をしました。」
「日本のやり方がばれちゃったのね・・。」
「そうしたら、日本はそれに反発して・・・」
「反発して・・・どうしたんだろう・・?」
「なんと国際連盟を脱退してしまうんです!」
「え??!!」
「これで、日本はどんどん世界から孤立化してしまう。」
「そうだよね・・。」
「そして、日本国内でも軍部の力が強くなっていきます。」
「・・・。」
「しかし、軍部の力が強くなることを良しと思わない人たちもいた。
その一人が、当時の内閣総理大臣の犬養毅(いぬかいつよし)。」
「あ、大正時代に護憲運動をしていた人だったよね。政党政治を目指していた、と言ってた。
昭和で出る、と先生が言っていたのはこのことだったのね。」
「しかし犬養毅の努力はむなしく、1932年5月15日に犬養毅首相は、海軍将校(かいぐんしょうこう)に
暗殺されてしいます。」
「え・・。」
「この犬養毅が暗殺された事件を、事件がおこった日からとって、五・一五事件(ご・いちごじけん)と言います。」
「これじゃあ、軍部に文句つけたり対立するようなことを言ったら、軍部に殺される、ということになるんじゃ・・。」
「そうなの。この五・一五事件によって、民主主義の象徴であった政党政治が終わり、
政治に対しての軍部の圧力が強まったの。」
「こわい・・・。」
「しかし、まだこの段階では政党はまだ存在していたし、内閣は内閣、軍部は軍部ではあった。
それが、ついに、政党にかわり、軍部が政治を動かすようになるきっかけとなった事件がおこる。
それが二・二六事件というもの。」
「え・・・。」
「二・二六事件は、1936年に、陸軍将校(りくぐんりょうこう)が部隊をひきいて、
首相官邸などを襲撃し、内大臣や大蔵大臣(今で言う財務大臣)などの大臣たちを殺害し、
平氏超などの東京の中心地を占拠した事件なの。(総理大臣は奇跡的に殺害されなかった。)
しかし、この事件は失敗にはおわった。」
「すっごくこわい事件なんだね。」
「うん、これは当時の映像も残っていて、以前テレビでこの事件の特集の番組を
見たことがあるんだけど、異様な雰囲気で、さすがに怖かった・・。」
「映像が残っているんだ・・。」
「うん、そのときに雪が降っていたというイメージが私は焼きついたから、
五・一五事件と二・二六事件が逆にはならなくなったよ。ほら2月には雪が降るけど、5月は雪が降らないから。」
「怖いのに、目をそらさずに、まっすぐ映像を見ることは、勉強で忘れないイメージをつけるのにも大切なんだね。
そうだよね、これは私たちが忘れてはならない負の歴史だから、イメージもつけて忘れないようにしなければ・・。」
「この二・二六事件のあと、政治権力は軍部が握ります。・・ということは、日本はどのようになっていくと予想できる?」
「戦争を行う?」
「悲しいことだけど、そういうことになるよね・・。それで、事件の一年後の1937年に、日本は戦争を始めます。
戦争の相手国は中国。中国の北京の近く、盧溝橋(ろこうきょう)という場所で日本と中国の両軍が衝突して
戦争がはじまります。その戦争のことを日中戦争と言います。
日本軍は、その戦争をしていくなかで、当時の中国の首都であった南京(なんきん)では、
多数の中国人 を殺害し、世界から非難をあびました。
その南京での事件は、南京事件(南京大虐殺(なんきんだいぎゃくさつ))と言い、この事件は、現在まで論争になっている事件です。
なので、非常に難しい問題です。」
「・・・・・・。」
「この日中戦争では、アメリカやイギリスは中国を援助します。そして、双方とも決着がつかず、戦争は長引いていきます。」
「・・・。戦争が長引くということは、それだけ被害も広まるよね・・。」
「この日中戦争で日本が戦争を行っている最中、今度はヨーロッパの方で大きな事件がおきます。
それが、ドイツの動きです。それを次回行います。
この時代は、現在まで続く、とってもデリケートな話が多いです。しかし、私たちは平和主義の観点から
二度とこのような悲劇が起きないように、この時代を学びましょう。」
「はい、目をそむけたくなるような内容だけど、きちんと学んで、二度と過ちを繰り返さないようにしたいと思います。」
「一緒にがんばろうね。ではでは今日はここまで。起立、礼。」
「ありがとうございました。」
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※わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。
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