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歴史模擬授業(第32回 第二次世界大戦の後)②-3 日本の国際社会復帰と国交回復

2014年01月15日 07時19分18秒 | 歴史☆模擬授業

歴史模擬授業(旧),ついに今回で最終回です。最後までご覧いただき,ありがとうございました!

 

わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

歴史模擬授業32回 日本の国際社会復帰と国交回復

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「さて、サンフランシスコ平和条約独立を果たした日本。

 このあと、日本がどのように国交を結び、国際社会に復帰していったかを見ましょう。」

「はい、」

「まず、1956年に、ソ連との間に、日ソ共同宣言というものを調印します。 

これで、ソ連との国交が回復し日本は国際連合への加盟が実現したのです。

これで、やっと日本は国際社会に復帰できた。」

「国連の要(かなめ)にソ連がいたから、ソ連が許さなきゃ、なかなか日本は国連に入れなかった

だろうからね。(予想)」

「戦争が終わって、10年以上、国際社会復帰にかかったんだね・・。

それだけ、日本が戦争で失ったものは大きかったんだ・・。」

「そうね。だから、失うのは一瞬だけど、それを回復するには時間がかかる。

人間関係や信頼なども同じね。

日ソ共同宣言・日本の国際連合の加盟は、セットで覚えましょう。」

「はい。」

 

「そのあと、日本はどんどん豊かになってきます。

豊かになり、安全である、と見なされれると開くことができる国際的な行事も、

ついに日本で行えるようになります。

それがオリンピックというもの。」

「あ、たしかに、ずっと戦争ばかりしていたり、お金がない国で、

オリンピックを開くのはむずかしいもんね。

施設をつくるお金がない、とか、オリンピック出場選手も命の危険にさらされるとかだったら、

危ないもんね。」

「だから、日本でオリンピックが開けるというのは、それだけ、

国際的に、安全で豊かになった国と認められたわけです。」

「ほえー。」

「最初に日本で開かれたオリンピックの会場は東京

この東京オリンピックと同じ年の1964年に、開通したのが、東海道新幹線

新幹線は1964年に初めて開通したんだけど、これは、オリンピックで海外からも国内からも

多くの人が東京に訪れるから、その人たちが一気に早く移動できるように、とね。」

「ほえー。」

「たいがい、大きなイベントがあると、新しい鉄道が開けたりするものね。

何年か前の愛知万博でも、万博会場に行けるように、

「リニモ」がつくられたりしたのを覚えてるよ。」

東京オリンピック東海道新幹線開通セットで覚えましょう。」

「はい。」

 

「東京オリンピック開催の翌年に、日韓基本条約を結び、韓国とも国交が回復しました。」

「今度は韓国とも。」

「そして、1968年に小笠原諸島が、 1972年に沖縄

アメリカから日本に返還されました(日本の領土に戻りました)。」

「戦争が終わってから20年以上もたってからだったんだね・・。」

沖縄が日本に返還された年と同じ年に、日本は中華人民共和国とも国交を正常化できたのです。」

「中国ともやっと国交が!」

「このときに出した声明を、日中共同声明と言います。」

「そうなんだ。」

「社会主義のソ連とも中国の2つの大国と、日本が国交を回復できた(できそうな)状態で、

日本が経済的には成長して、1つの国として国際的に認められるようになったからこそ、

もう日本は資本主義国として生きていくのだろうと確信し、

アメリカは沖縄を日本に返還できたんだろうね。(予想)」

日中共同声明(および中国との国交回復)と沖縄の返還もよくセットで出るので覚えましょう。」

「はい。」

「今回は、セットで覚えるのが多い気がする。」

「うん。多い。でも、丸暗記はしないように。因果関係を考えて覚えましょう。

 

◎社会主義のソ連が認めなきゃ国連に入れない。

→だから国連に日本が加盟できるのはソ連との国交回復が必須。

→1956年 日ソ共同宣言&日本の国際連合加盟

◎東京オリンピックは多くの人が東京におとづれるから、交通機関が発達

→1964年 東海道新幹線の開通&東京オリンピックの開催

◎日本が、ソ連につぐ社会主義の大国の中華人民共和国と国交が回復する(回復するきざし)が

 ないと、自分の持っている日本の領土を日本に返せない、とアメリカは考えていると予想

→1972年 沖縄の返還・日中共同声明

 

というように、関連付けて覚えましょう。」

「はい。」

「あと、中国とは、日中共同声明を発表した6年後の1978年に日中平和友好条約が結ばれ、

経済や文化の面でも交流が深まりました。」

「おお。」

「このように日本が国交を回復していく間に、世界では、アメリカとソ連の対立する冷戦が続き、

一時は第三次世界大戦が起こりそうな緊張状態になったりしました。

そして、冷戦の象徴だった、ドイツのベルリンの壁というものが崩壊し、

1990年に東西に分かれていたドイツが統一し、ドイツは資本主義になりました。

次いで1991年に、ついに、ソ連が崩壊します。」

「え・・。」

「これにより、冷戦は終わり、時代は新たな時代の幕開けとなっていくのです。」

「社会主義が負けたってこと?」

「負けた・勝ったということではありません。

 

たとえば社会主義の中華人民共和国の経済成長は現在すさまじい勢いを見せています。

ただ、1991年のソ連の崩壊によって、

社会主義・資本主義の激しい対立は終わったということになります。」

「そうなんだ・・。」

 

「そして、今度は、新たに、宗教対立、石油の利権をめぐる対立、

1945年の戦後からおこっている中東(イラン・イラクやイスラエル・サウジアラビアなどがある国々)と

アメリカ・ヨーロッパの関係などがからみ、

湾岸戦争イラク戦争などの新たな戦争がおきていくことになり、

日本も世界の中でのように動いていくかが、今後の大きな問題になります。」

「そうなんだ・・。」

 

「これで、昭和時代の勉強は終わります。(昭和時代は、明確には、東西ドイツ統一前の1989年までです。)

歴史の勉強もこれでひとまず終わります。」

「先生、いままでありがとうございました。」

「私こそ、ありがとう。私の授業をずっと続けてまじめに聞いてくれて。

少しでも、この勉強が君たちが未来を切り開いていく力になればうれしいよ。」

「うん、がんばります!」

「ではでは、第一部終了!みなさまお疲れ様です!」

「へ?第一部?」

「うん。第一部♪

第一部は、私立中入試を受ける小学生で習う話を中心に、

小・中学生用の勉強内容を行いました。

しかし、中学生は、大航海時代・宗教改革・市民革命・ベトナム戦争・中東戦争など、

世界の歴史もたくさん習うのです。

そこをすっ飛ばしたので、第二部では、世界史の中学生内容を行っていきます!」

「おお!ってことは、私たちはどうなるの?」

「一緒に進級しちゃう?」

「うん、するするする!いざ、数年後の世界へGO!」

「たいむわーぷ!」

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長い間、応援して頂き、まことにありがとうございました。

第二部では、第一部に付け加える形で、中学生の世界史の内容を行っています。

「新☆歴史模擬授業」という名で連載中です。(2014年1月現在,市民革命まで)

ではでは、これからもよろしくお願いいたします。

 

 

「長らくご覧いただき,ありがとうございました。」

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わかりやすく解説していので、「こういう説もある!」という専門的なことを
引き合いに出されてもお答えできないことがあるかもしれません。申し訳ありません。
不快な気持ちになった方には申し訳ありません。

 

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