内堀弘著『ボン書店の幻』(ちくま文庫)を読んだ。
以前に、白地社から出ていたことは記憶していたが、文庫になっていた。
私自身、詩や詩書、同人誌の発行などに関わってきたことが
この本を読んで、喜びとなった。
あるいは、励みにもなった。
あやうさや、はかなさ。でもこのまたたくような、あやうさは、
そうなのだなあ、輝きでもあると思った。
戦前の一時期、昭和初期に詩の潮流としてあった
モダニズム詩の詩書を、個の情熱で出版しつづけた
鳥羽茂という人の幻を追った書物。
史実をつづれば、そこには、鳥羽の無情が浮き彫りにされるが
読後、じっくりと鳥羽という人物の情熱を反芻、味読していけば
そこに、強い意志が見えてくる。
「詩という象(かたち)を愛していたのだろうな」と。
詩の精神や、詩のこころなどといったそんなもんじゃない。
詩が、文字になり行になり頁になり、意匠され
書物になる。その時間は、詩が象になっていく時間なのだ。
人は、別にそんなことはしなくてもいい。
でもそれをしなければ、詩はどこにも痕跡すら残らない。
この時間の齟齬や、矛盾のうちに、喜びはある。
本書は、まさに齟齬や矛盾を浮き上がらせている。
あとがきに描かれた「梨の墓標」が泣かせる。
でも私にはなぜか、VANの石津謙介氏との軽い交差の
くだりが強く印象に残った。
詩を身に抱き、それを象にしようと意志することは
献身的なダンディズムやディレッタンティズムなのだと。
以前に、白地社から出ていたことは記憶していたが、文庫になっていた。
私自身、詩や詩書、同人誌の発行などに関わってきたことが
この本を読んで、喜びとなった。
あるいは、励みにもなった。
あやうさや、はかなさ。でもこのまたたくような、あやうさは、
そうなのだなあ、輝きでもあると思った。
戦前の一時期、昭和初期に詩の潮流としてあった
モダニズム詩の詩書を、個の情熱で出版しつづけた
鳥羽茂という人の幻を追った書物。
史実をつづれば、そこには、鳥羽の無情が浮き彫りにされるが
読後、じっくりと鳥羽という人物の情熱を反芻、味読していけば
そこに、強い意志が見えてくる。
「詩という象(かたち)を愛していたのだろうな」と。
詩の精神や、詩のこころなどといったそんなもんじゃない。
詩が、文字になり行になり頁になり、意匠され
書物になる。その時間は、詩が象になっていく時間なのだ。
人は、別にそんなことはしなくてもいい。
でもそれをしなければ、詩はどこにも痕跡すら残らない。
この時間の齟齬や、矛盾のうちに、喜びはある。
本書は、まさに齟齬や矛盾を浮き上がらせている。
あとがきに描かれた「梨の墓標」が泣かせる。
でも私にはなぜか、VANの石津謙介氏との軽い交差の
くだりが強く印象に残った。
詩を身に抱き、それを象にしようと意志することは
献身的なダンディズムやディレッタンティズムなのだと。