文屋

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■別にファンでもなかったけれど貴ノ花という、団塊男は、いい男だった。

2005年06月02日 16時50分16秒 | 日録雑感


元大関の貴ノ花は、団塊の星だったのかもしれない。
昨夜のNHKの再放送を見ていてそう思った。
70年代の活躍と、苦闘。けっして強い力士ではなかった。
そのころの勝負の模様は、いまとくらべものにならないぐらい
スピーディで気迫に満ちていた。死にものぐるいの闘いだったんだ。
いまさらながら、そう思う。いまの相撲は、いったいどうなってんだと。
引退を決意した当時の貴ノ花の素顔の表情も映し出されていた。
貴ノ花って、虚無の人だったんだと感じた。
すねている、人生に。捨てている、ある、固定された誇りのようなものを。
男らしく見えた。
それにひきかえ、ふたりの子の、虚無すらも知らぬ「ヌケ」具合が
とても気にさわる。相撲は、職業であり、それが稼業であろうが
身を投じたのであれば、投じたことに、虚無であるべきだ。
ただ、ひたすらでいい。すねていようがシニカルだろうが。
その道に、なんの「有」もない。意味すらもない。
団塊の人だったんだ。
いい男だった。