文屋

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★野村芳太郎監督の「張込み」は、高峰秀子という「女優」を見つめる映画だと思う。

2005年04月11日 20時11分03秒 | 世間批評

べつに亡くなったからではないが、ぼくは野村芳太郎が撮った映画
「張込み」が好きだ。
女優が際だっている。その昔、この映画をはじめてビデオで見たときに、
高峰秀子を恋しく思った。
逃亡中の犯人の愛人が、いまは、公務員の家庭に嫁いで
つつましやかに暮らしている。
その暮らしを、張り込んだ刑事ふたりが、じっと見つめる。
見つめているうちに、ほんのりと恋慕する。
それは、描かれてないのだが、見つめることで、映画を見る観客の心が
登場人物の刑事の心を透かす。

淡々としていながら、スリリング。
物語は、ほとんど動かない。しかし、微動している。
ミニマルに、律動していく。

そして、もう何も起こらない。犯人はこない。

というとき、少し動き、一気にクライマックスに達す。

犯人と密会する、高峰の律動が、観客にぴたっと伝わる。

ヒッチコックの「裏窓」にも似ているが、九州の安宿や
鉄道、町の風景などの湿っぽさが、まさに日本。
昭和三十年代の空気。

リチャード・ドレイファス主演で、アメリカでもリメイクされ
最近では、テレビでビートたけしと緒形拳の子がやっていたが
まったく野村のこの作品と比べたら、月とすっぽんだった。

女優とは、スクリーンを通じて、恋される人。

そんなことが確信できる。

野村の弟子が山田洋次。
「拝啓天皇陛下様」「馬鹿まるだし」「馬鹿が戦車でやってくる」などは
驚くほどの秀作。