- 36-旧山本消防組番屋 - 札幌市厚別区 - 大正後期
火の見やぐらは当然だろうが木製のはしごを登っていく
先日、小樽で見たやぐらは鉄製であった。
山本地区は平地が中心なのと高い建物が無かったと思われるので、これくらいの高さで良かったのだろう
番屋は消防器具を置いておくという意味では、まだ各地にありそう。
- 37-旧若狭家たたみ倉 - 檜山郡上ノ国町 - 江戸末期築
たたみ倉は珍しい工法らしい
目に付くのは木材で棟上げした基礎部分で、ネズミは上がって来そうだが?湿気対策かと思う
主に上ノ国町周辺に多いとのことなので漁師、農家の利用なのでしょう。
- 38-旧ソーケシュオマベツ駅逓所 - 虻田郡喜茂別町 - 1907年(明治40年)頃築(主屋)(1983年(昭和58年)移築)
ソーケシュオマベツとは、現在の喜茂別村と旧大滝村の中間地点らしいですね その名前の川もあるし
ソーケシュ製パンとかパン好きにはお馴染みの店もあります。
駅逓とは今のような鉄道駅の旅客の乗り降り中心だけではなく、貨物運搬や郵便から宿泊などもしていたとのこと
馬小屋もあり移動中の休憩などによく使われ地域にはなくてはならないものだろう。
- 39-旧田村家北誠館蚕種製造所 - 樺戸郡浦臼町 - 1905年(明治38年)築(1983年(昭和58年)移築)
養蚕所が全部そうかは分からないが横長の建物になっている
それぞれの部屋で作業が違い流れるような配置かと推察する。
北誠館は浦臼で養蚕を教えていた田村氏が明治34年から建設を始めた建物で各部屋を見回ると
大体の役割がわかると思います。
- 40-旧農商務省滝川種羊場機械庫 - 滝川市 - 1921年
滝川市は今もジンギスカン発祥の地と言われ羊が重要な産業になっています
この建物は北欧の建築様式を取り入れて建築した農業機械庫です。
主に羊の飼料となる牧草の栽培に使用する大型機械を展示している。
- 41-旧納内屯田兵屋 - 深川市 - 1895年(明治28年)築
深川市納内に屯田兵が赴任したのは明治28.29年ころと言われる
北海道自体には明治8年ころで各藩の士族が中心であった
この頃になると平民からも募り家族とともに暮らし開墾に従事した。
- 42-旧山田家養蚕板倉 - 札幌市西区 - 1881年(明治15年)頃築
琴似の旧屯田兵屋は琴似神社内と北洋銀行の裏手に2棟残されているが
屯田兵村は現区役所含め、その地域にあった。
屯田兵の中には養蚕に着手し独自の施設を持つこともあった。
この建物は山田家の施設として現在の琴似神社の近くにあったものと言われている
兵屋以外に当時のくらしぶりを伝える珍しい建物である。
- 43-旧信濃神社 - 札幌市厚別区 - 1897年(明治30年)築(1983年(昭和58年)移築)
信濃神社および一帯は長野県からの移住者によって開拓された土地です。
神社の他、信濃公園、信濃小学校などにその名前を見ることが出来る
開拓者にとって神社、寺院は心の拠り所である。
- 44-旧岩間家農家住宅 - 伊達市 - 1882年(明治14年)築(1983年(昭和58年)移築)
岩間家は旧仙台藩の士族移民団の一員として明治4年に入植した
この建物は明治15年の建築で郷里の大工によって建築され、仙台地方の特徴を受け継いでいる
旧領主が立ち寄ったとあるので士族の中では上級の位だったのではと推測する。
農家のというよりは旧士族の住宅と考えたほうがよいか
- 45-旧河西家米倉 - 札幌市厚別区 - 1897年(明治30年)頃築
河西氏は前記の信濃神社がある地区に長野県から移住、開拓した中心人物である。
現在の地区に水田はすでに無いようだ
米倉なので高床になっている。
- 46-旧樋口家農家住宅 - 札幌市厚別区 - 1897年(明治30年)築(1983年(昭和58年)移築)
樋口家は富山県からの移住、開拓者である
明治26年に入植し5年後にこの建物を建てた。
岩間家同様に郷里の棟梁に建築を依頼し、郷里の建築工法を取り入れた住宅を建てた
仏間にある先祖の写真を飾ることは、昔は多くの家庭で見た光景だ。
- 47-旧小川家酪農畜舎 - 札幌市清田区 - 大正後期(1986年(昭和61年)移築)。
大正末期の建築なので北海道の酪農畜舎の走りであろう
小川氏がアメリカから取り寄せた設計図を基にとなっているので、当時のアメリカの畜舎も
このような感じということでしょう。
敷地は牧草箇所を広く取っているので遠くからでも見栄えがよい建物です
元は清田区平岡公園9丁目、現在は住宅街になっている地区と思われる。
- 48-旧菊田家農家住宅 - 江別市 - 1893年(明治26年)頃築(1986年(昭和61年)移築)
こちらは北越から野幌に移住した、菊田家の住宅ですが菊田氏は他の移住者の住宅を購入して移築した。
内部は明治40年ごろと言われ、開拓からも落ち着いたころでしょうか
お祭り当日の様子が食卓からも、うかがえるとのこと。
それにしても茅葺屋根が見事。
- 49-開拓小屋(再現)
移住当初はこのような家に住んでいたようです
想像で冬の寒さの辛さや、熊の怖さが感じられるよ
先人たちは偉大だ。
- 50-森林鉄道機関庫(再現)
すでに建物は無かったので聞き取り調査などで再現をした
確かに北海道は木材資源が豊富なので、運搬する鉄道は必須だったのだろう
正面から見る姿はとても素敵である。
- 51-旧平造材部飯場(再現)(1986年(昭和61年)移築)
この建物に寄宿し造材作業をするなら、仕事が終わった後の酒宴くらいと思ってしまう。
やはり冬の寒さの厳しさは大変だったろうと容易に想像できる
まずはこの宿舎を建てるところから仕事は始まる。
- 52-炭焼小屋(再現)
現在では、中々このような炭焼き小屋を見ることは少ないし、ある場所も知らない
大正末期の窯ということだが素人には立派に見えるのです。
「開拓の村」は以上で終了です
文中には「開拓の村」HPから引用させていただきました。
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