ホリスティックライフ in 世田谷

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長崎五島列島巡り~長崎キリシタン紀行

2024-05-12 23:29:48 | たび<国内>
本日、3本目にして、ここからが本題です。

1日中、大雨で、軍艦島ツアーは中止。
雨がやみそうな気配は全くなく、1日中、見事に雨で、
長崎は今日も雨だった~という歌が頭を離れない1日です。
晴れ女のはずですが、五島列島ですべての天気運を使ってしまったようで。
外を歩く気にもなりませんが、
長崎キリシタン紀行ですから、行き先を2つに絞りました。
日本二十六聖人記念館と大浦天主堂。



初めて長崎に来た時も、確かにここへ来ました。
この二十六聖人の中に、五島出身のヨハネ五島も含まれていて、
右から8番目と五島にいる時に知ったので、思わず数えて、確認しました。

キリスト教の伝来から布教、禁教、潜伏キリシタン、弾圧、
明治以降のキリスト教復活などを紹介する日本二十六聖人記念館は圧巻でした。
一連のザビエルの足跡を辿る旅を続けてきた後、
また、五島列島で数々の教会を訪れ、ガイドさんの話も伺った直後の私にとって、
この記念館に展示してあるものの重みがよく分かるんですよね。
ザビエル自筆の書簡があることにも感動、見入ってしまいました。
イエズス会創立者ロヨラの自筆書簡もあります。
天正遣欧少年使節のことも紹介されていて、としてヨーロッパに渡った中浦ジュリアン自筆の書簡も。
隠れキリシタンのコーナーでは、奈留島での最後となった隠れキリシタンによる
クリスマスの儀式の貴重な映像を見ることができました。これは本当に貴重です。



ローマ教皇も訪れています。

受付の方に、どうしてこれだけの貴重な資料がここにあるか聞いてみたら、
やはり、初代館長のスペイン出身の結城了悟神父の尽力によるものだそうです。
何度もヨーロッパに行っては、いろいろお願いしていたとか。
これだけのものが常に展示してあるのが素晴らしいです。
イエズス会の本家本元ともいえる上智大学でも貴重な資料をたくさん持っていますが、
一般人が見ることは難しいんですよね。
一度だけ、講座を受けた時にいくつかの本物を見ることができました。
その時、
26人のうち、イエズス会は3人だけだったんですよ、
だから、この時の様子を伝える絵も3人だけが描かれています、
と職員の方がおっしゃていたことを思い出しました。
それを受付の方に話してみたら、
そうなんです、長崎を拠点にしていたのはイエズス会ですが、
大阪や京都のほうではフランシスコ会が活動していて、
だからあちらで捕らえられた人たちが長崎まで連れてこられて
殉教の地となったのです、と。
26人のうち、日本人は20人ですが、
出身地は京都、尾張、伊勢が多いです。



すぐ隣には、日本二十六聖人記念聖堂として建てられた聖フィリッポ教会があり、
聖パウロ三木、聖ヤコボ喜斉、聖ヨハネ五島の聖遺骨が保管されています。
日本で迫害の時代に入った時、宣教師が国外に送り出し、
350年にわたってフィリピンで保管されてきましたが、
この教会が完成した際、この地に戻ってきました。



教会の敷地内にびわがたくさんなっています。



国宝で世界遺産でもある大浦天主堂。
最初は、開国して長崎の居留地に住むようになったフランス人のために建てられたもの。



その後、浦上からこの教会にやってきて、自分たちがキリシタンであることを神父に告白し、
「信徒発見」の舞台となりました。
ところが、まだ禁教の時で、迫害を受けることになります。
禁教の高札が取り払われたのは、明治6(1873)年になってから。
「信教の自由」が保障されたのは、明治22(1889)年の大日本帝国憲法。



こちらの建物にあるキリシタン博物館では、
キリシタンの歴史が分かりやすく説明されています。



えっ!その博物館の中で、こんなポスターを見つけてしまいました。



明日まで!あーーー、行きたかった~!

今日は、大雨で軍艦島ツアーが中止となったおかげで、
ゆっくりと時間を取って、2カ所、しっかり見ることができました。
五島列島へ行って、いろいろ見て学んだ後でもあるので、
実際に訪れた旧五輪教会や江上天主堂などの写真や説明を見て、
とてもうれしくなりましたよ。

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