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奮闘記・3~玉川上水下り第2ラウンド

 今日は、9月に始めた玉川上水下りの第2ラウンド。10月は天候に恵まれずずいぶん間が空いてしまった。まず玉川上水の歴史について少し触れておこう。
 時は徳川3代将軍家光の時代。参勤交代制度(1635年)を始めた結果、江戸の人口が急増し、それまでにあった小石川上水や神田上水だけでは飲料水不足の事態となった。そこでその解消目的として幕府は1653年に玉川上水を掘ることを許可し、町人の庄右衛門・清右衛門兄弟が工事を請け負った。
 玉川上水は、当初は現在の立川市青柳あたりから取水しようとしたが、実際に水を流してみると、拝島付近で水が地中に吸い込まれるという事態になり失敗。次は福生から取水しようとしたが、固い岩盤に当たりこれも失敗。そうして第3案の羽村で多摩川から取水することになった。ルートは武蔵野台地を東流し尾根筋を巧みに引き回して四谷大木戸まで至る43キロで、羽村から四谷大木戸までの高低差は約92メートル。つまり100メートル進むと21センチ下るという極めて緩い勾配に設計された。
 工事は高井戸まで進んだところで幕府から渡された資金が底をつき、兄弟は家屋敷を売って費用に充てたという。そのため上水完成後に、兄弟はその功績により玉川姓を許され玉川上水役という職を命ぜられた。
 上水沿いには山桜が多く植えられ、中でも“小金井の桜”は有名で、大正13年(1924年)に国の名勝に指定された。これは8代将軍吉宗の時代(1737年頃)に、幕府の命により、川崎平右衛門定孝が、大和の吉野(奈良県)や常陸の桜川(茨城県)など各地の桜の名所から種苗を取り寄せ、小金井橋を中心に玉川上水両岸の6キロにわたって植えたもの。
 平成15年(2003年)には玉川上水の歴史的な土木施設・遺構としての価値が認められ、既に暗渠化された緑道や駅などの一部区間を除いた約30キロの開渠部分が文化財保護法に基づく“国の史跡”に指定された。
 また今年9月に東京都が『奥多摩湖の小河内貯水池』『江戸川沿いの金町浄水場取水塔』『水道水源林(羽村堰より上流に広がる森林)』『村山・山口貯水池』『駒沢給水所の配水塔』、そして『羽村取水堰』と『玉川上水』の7ヶ所を“東京水道名所”に選んだ。10月からは旅行会社と組んで水道名所を訪れるツアーを開始し、水道関連の歴史や水道技術を観光資源としてPRしている。
 さて今日は前回到達した小平市鷹の台をスタートし、小金井市、武蔵野市、三鷹市を走って、杉並区高井戸までの15.5キロ。タイムは1時間31分45秒で、1キロ当たり5分55秒だった。到着後は駅前の温泉“美しの湯”に浸かってきた。写真は、春になれば小金井桜が咲き誇る小金井橋付近。
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キッコウハグマ・3~小山田の谷

 小山田緑地“梅木窪分園”の山道で1株見つけた後、もう1ヶ所生存情報のある本園の“小山田の谷”に向かってみた。期待を膨らませながら山道を進み、崖下の運動広場や野球場を見ながら“小山田の谷”に足を踏み入れる。まず目に入ったのは花が終わったカシワバハグマで、注意深く両側の地面を探していると、まず閉鎖花の株を見つけた。そしてそのすぐ先についに開放花を見つけて再びバンザイ! 見回してみるとあたりには何株も閉鎖花がある。しかし咲いているのは、ここでもひとつだけで、小さな花に何度もシャッターを切った。この日の失敗はカメラ用のライトを忘れたことで、薄暗い山道ではシャッタースピードが1/25程度にしかならず、帰宅して確認してみると手振れやピンボケだらけ。その中で辛うじて見られるものを、証拠写真として掲載した。次は綿毛の様子を観察したいが、ライトを忘れてはいけない。「キッコウハグマ(亀甲白熊)」はキク科モミジハグマ属の多年草。
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ヤブムラサキ・1~果実

 ムラサキシキブに良く似ているが、花や葉、そして果実の周りにも毛が密生している「ヤブムラサキ(藪紫)」。シソ科(←クマツヅラ科)ムラサキシキブ属の落葉低木で、果実は直径4~5ミリ。園芸品種として洗練されたコムラサキに比べると野性味たっぷりの趣きがある。これは長沼公園“霧降の道”のもの。
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