長電話

~自費出版のススメ~

甘く危険な香り

2009-06-30 | 政治
宮崎県知事と大阪府知事の発言が衆院選挙前となって話題になっています。知事というと総務省から派遣され、リモートコントロールされた人達が地方の事情とやらで与野党があいのりで支持、当選するのが定番でしたが、最近は政治と自己実現に目覚めたタレントと中央の議員がその裁量権の大きさに魅力を感じはじめたこともあって、スター知事が増えてきました。

なにかやらかしてくれそうな人(千葉)もいますし、さすが弁護士というディベートの訓練を受けた弁のたつ人(大阪)もいて、にぎにぎしく、いっそ参議院は全国の知事、政令指定都市で構成すればよいのでは? と思う程の勢いです。

政治がショー化するのは、民主主義を採用した国では仕方のないことで、むしろ通過儀礼とさえいえますから、政治ではなく、選挙を生業としているようにしか見えなくなった政治家がポピュリズムに傾くのも当然のこと。自民は森さん(宮崎県知事担当)や古賀さん(大阪府知事担当)をパイプとし、彼らの取り込みを計りはじめました。

舛添さんが大臣として目立ち、1年生議員でも人気と実力さえあれば厚遇されることが証明され、以前のタレント議員のように国会議員になっても複雑な人間関係に取り込まれ埋没してしまい、苦い思いを味わうという恐れが減ったこと、また田中康夫のように中央に参戦して小規模所帯ながら一定の影響力をもつふるまいができたことなど、スター知事が中央を目指す素地はできており、自民の誘惑は彼らには甘く映るでしょう。

ただ、それにしても宮崎県知事に関しては「調子に乗るな」と一括すればそれで済む問題ではないのかなあ、と素朴に思うのですが・・・

マイケルジャクソンと私

2009-06-29 | アート
マイケルジャクソンが亡くなったのでとりあえず「スリラー」を聞き直してみました。オフザウォールの方が好きなのですが、手元になかったのでこっちを選択。

先にシングルカットされた3曲はPVとともにしか聴いた記憶しかなく、まともにこのアルバムに向き合ったことがないことを確認、「ガールイズマイン」はこれに入っていたのか、とか性犯罪の無実を叫ぶ「ビリージーン」の後に、優しいメロディの割りにだらしない男の性を謳う「ヒューマンネイチャー」がきたり、とか、彼の二面性も表現された構成になっていることなど、忘れていたこと、気付かなかったこともあり、なるほどなるほど、と感心しながら1回だけリピートしました。

テレビやラジオで繰り返しオンエアされたためか時代性が強く感じられ、少々恥ずかしい。漫画的であるという理由で愛され、同じ理由で否定された彼を、好きなアーチストにあげる人は欧米に比べ日本人には多くありません。人種的、宗教的偏見の少ない日本にあっては、保守的な欧米の黒人に対する差別を乗り越えた、大リーグでいえばジャッキーロビンソンのような立場が知られることはあっても理解されることはないでしょう。私もまったくもってそのような偉人扱いができません。

私にとっては、プリンスの「when doves cry」1曲の方が、「スリラー」というアルバム全体より大切です。さらにいえば、スティーヴィー・ワンダーの「インナーヴィジョンズ」はじめ、スライやマービン・ゲイ、カーティス・メイフィールド、アースの名作より「スリラー」がよいとは思えませんが、そんな純音楽的な比較は彼の特殊な在り方を考えるとあまり意味のないことかもしれません。

スティーヴ・ポーカロが楽曲を提供、TOTOが演奏もしているバラード「ヒューマンネイチャー」が好きなので、この曲だけもう一度聴いていたら、マイルス・デイヴィスもこれをカバーしていたことを思い出しました。とてもよい曲です。

コンフェデの決勝戦

2009-06-27 | スポーツ
コンフェデレーションカップの準決勝でイニエスタのいないスペインがアメリカに負け、ブラジルvsスペインというもっとも見たかった組み合わせはかないませんでした。また前回ワールドカップ優勝のイタリアもふるわず、一次リーグ敗退と、いまいち盛り上がらない結果となっています。

試合を見ていないので、やる気がないのか、手を抜いたのか、それともしっかりやった上での結果なのかは分かりませんが、日本が準優勝したこともあるこの大会、各国のやる気と位置付けはどんなもんなんでしょう。

優勝していればこの大会に参加できたアジアカップ2007で、日本が4位に終っても、オシムさんが強く非難されなかったのも不思議で、さすがに結果だけを求めず、内容さえよければ許す日本人気質だと感心したものですが、なんだか釈然としなかったのも事実です。

その国にとってどんなに重要な試合でも、ベトナムリーグの試合を2時間観し続けることはしませんしできません。サッカーは、試合内容、マッチアップも重要ですが、観る方の試合に対する気持ちが伴わなければ、面白くならないのです。

結局各国の力が本当に試されるのはワールドカップと欧州選手権しかないのかと思うと観る方も気合いが萎えてしまうってものです。

エルヴィスとマイケル

2009-06-26 | スポーツ
晩年、エルヴィス・プレスリーはドーナツの食べ過ぎで太り過ぎ、私が音楽を聞き始めた頃にはもう過去の人で、ロックスターというより、エンターテイナーのイメージが強く、甘いラブソングやシンプルなロックンロールに反応することがでませんでした。

フランク・シナトラやトニー・ベネットは大人になってから改めて聞き直して、よいとか凄いとか思ったりはしましたが、エルヴィスは苦手のまんまで、亡くなった時も現役感が全くなく、新世代に淘汰されたようで、むしろ当然視していたような記憶があります。

マイケルジャクソンの訃報もそういった印象があり、全盛期だった頃の音楽はよかったけれど、すでにミュージシャンとしては死んでいたので、うまく悲しむこともショックを受けることもできませんでした。

思い入れは屈託から生まれるものですから、彼やエルヴィスの晩年のようにソフティスケートされすぎているとなかなか好きにはなれないものなんだということを今回の訃報で実感させられました。

女の足指と電話機

2009-06-25 | アート
最近仕事で関わった本の中で最も文章が自分に合うなと思った作品のひとつに虫明亜呂無の「女の足指と電話機」(清流出版)があります。同じ時期に作った映画評論を集めた花田清輝の本に比べると、同様に映画を扱いながらも、スポーツ新聞の連載を集めたものだけあって、簡明で、丁寧に腑分けされた文章はとても読み易く、取り上げる映画も好きなものが多かったので、読み進めるのがとても楽でした。

映画であれ小説であれ、作家の文体を予め知っていると読み易いものですが、初めて読む作家でこれほど身近に感じる人も珍しいと、僭越にも思ってしまい、今度他の著作も探ってみたいと思っているところです。

この本に掲載された文章が書かれた当時、映画批評界はというと、映画評論というジャンルの開拓も始まったばかりで、社会・アート全般を網羅的に捉えた博覧強記な人々で構成されており、南部圭之助やその弟子筋の淀川長治のような映画専門家は例外で、業界をリードしていたのは、花田清輝をはじめ、政治的・思想的背景を強くもった評論家が多く、論争も盛んだったそうです。

サブリミナルのようにして思想を滑り込ませる啓蒙的文章も刺激的でいいのですが、虫明さんの視線が水平で、中立的な立場と、読みやすく美しい文体は、私のような単純な映画ファンにはとてもとっつき易く好ましいものです。

ペルシャの土壇場

2009-06-24 | 政治
イランの大統領選挙後の世情が荒れているとの報道が続いています。ブッシュ元米大統領に悪の枢軸呼ばわりされたわりには限定的であれ選挙もやってるし、マスコミも世論もある国ですから、同じ肩書をもつ北朝鮮やミャンマーとは一緒にはできず、また天安門事件のような独裁対民主派(悪玉vs善玉)の構図でもないようです。

日本では、民主的とみられるムサビ師率いる改革派というのは実はパーレビ王朝を倒したイラン革命の主役・ホメイニ師の直系で、彼等は革命の理念に戻ろうといっているのであって、自由や政教分離を叫んでいるわけではなく、選挙結果、それも正確な数字の開示を求めているだけのようにも見えます。

一方、体制側の最高実力者というわれるハメネイ師は、ホメイニ師の後を継いだ、日本でいうと小泉(ホメイニ師にあたる)の威光でデタラメばかり言う二流学者・竹中平蔵みたいな人らしく、アフマディネジャド現大統領と組んで反米を中心としたイスラム的ポピュリズムを叫ぶ人とか。

つまり、体制うんぬんの問題ではなく、どうも権力闘争の色合いが強いのではないかと思えるのですが、どうでしょう。

事態が収束しないのもタイの暴動時と同様、預言者カラーである「緑」を反政府組織が身に付けているから軍が手を出せないからとか、ラフサンジャニというハメネイ師のクビを切ることのできる人がいて権力が分散していたりと、一時の日本並によく分からないイランの政治状況です。

産経新聞がねじれる時

2009-06-23 | 政治
朝日新聞で左翼的主張を強く感じる記事は散見される程度ですが、産経新聞の場合はトータルに親米右翼のDNAによる思潮が網羅されており、記事のひとつひとつが「財界の作った新聞」らしいキャンペーン、プロパガンダに満ちた、政府自民党よりの主張が忍びこんでいます。

この新聞を読む事によってアレルギーを起こすと、自分の左寄りの姿勢を確認できるんじゃないか思い、定期購読した時期がありましたが、国連の官僚主義を取材した記事や、浮世絵がフランスの印象派に与えた影響を詳細に伝えた連載など、読み応えもあり、思惑はさておき、それはそれで得るところも多々ありました。

ただ読んでいてつらいのが、思慕の対象である与党自民が保守を自認しながら、小泉さんのように古き良き社会を壊すような経済政策をとったり、岸さんの孫のように北朝鮮に単純にむかついているだけで、結局拉致問題は何も解決しないどころか後退させるような姿勢をとったり、漫画さんのように北方領土は半分でも構わんよといってブレてみたり、と、毀誉褒貶が激しくちっとも保守的ではないので、その度に振り回され、マッチョな右翼を標榜するだけに、微妙に軌道修正を強いられる様子が中間管理職的で、悲哀が露わになってしまうところです。

自民支持というスタンスがなく、政権にも是々非々で臨むことができれば、根本的に錯誤があるとしても、表層的には主張は一貫しているのですから、その姿勢はよしと、堂々としていることも、もっと支持を得ることもできるでしょう。政権交代が実現したときにこの新聞がどう対応するのか、変化するのかが楽しみです。

長澤まさみの演技と評価

2009-06-21 | アート
宮崎あおい、蒼井優、上野樹里、長澤まさみ、柴咲コウなど若い女優が仕事を選びながら実力をつけています。男の子の幼い虚栄心に満ちた人気テレビタレントの無自覚な嘘の演技に比べると(やつらは星条旗に逆らわなければカネになると思ったFOXテレビのようだ)、テレビより映画という媒体を選択しがちな彼女たちのコクのある、プロダクションに頼らない存在は、文芸的であり、海外でも評価されてもおかしくない安定感があります。

おそらく上記のなかで最もアイドル的で演技としては最も評価の低い長澤まさみの初期の映画「深呼吸の必要」という映画が好きです。群像劇なので、作品の中の彼女の比重は小さく、映画ならではのロングショットで捉えた映像は、ジャージを着た気の弱い地味な少女として長澤を説明します。この扱いは名作「セーラー服と機関銃」で当時アイドルだった薬師丸ひろ子を制作意図に反し、いっさい薬師丸のアップのない作品をつくり、ヒットさせた相米慎二の演出を彷佛とさせ(そういえば、長澤は「セーラー服と機関銃」のテレビリメイクの主演でした)、主張する彼女のルックスを抑制的に捉えてみせました。

また、TBSのドラマ「僕の妹」でも彼女が兄であるオダギリジョーに迷惑をかける度「ごめんなさい」と謝るのですが、その実感も反省もない態度を示す演技にも感心しました。

個人的には「おせん」で旗を振っていた蒼井優、青山真二の「ユリイカ」で自閉的な少女をさからわず演じた宮崎あおいに惹かれますが、「ラストフレンズ」で上野に喰われたこともあり、女優としての評価の低い長澤まさみに対して、昔から異常に業界に人気のある(タイプとして近い)小泉今日子なんかよりずっと素材に徹することをわきまえた彼女の知性も、有り難いものです。

小島慶子とラジオ

2009-06-20 | アート
小島慶子が午後のTBSラジオ「キラキラ」で暴走しています。彼女のことについてはそのメリハリのない番組構成と内容から2時間半も番組が持たないのではないかと心配していたことを以前ブログにカキましたが、その腰の座った態度と下ネタになっても決して下品にならない雰囲気という「スタイル」をもったこの人のおかげで、だれることなく毎日完走、ほとんどフリーアナウンサーかタレントの域に達しております。

小島慶子は最近ときどき見かける「男気」をもった女性で、料理は苦手だけど掃除は大好きという、がさつさと繊細さを合わせもち、強気に押すかと思えば涙もろかったりと、悪女の深情け的キャラもあり、なんともとらえどころがありません。役者でいえば天海祐希でしょうか。男好きのする派手な美人ではないけど美形、背が高く胸がないところも同じ。

一度テレビのニュース番組を担当したのですが、フリートークがなく、その強い個性がほとんどでていませんでした。『ママアナのデジ@缶』や『回復! スパスパ人間学』などでもがんばっていましたが、やはり彼女が活きるのはラジオ。彼女を通してテレビを見てみると、どれも窮屈に感じ、早く解放させてあげたいと思っていたものです。

ラジオは電話と同じで、脳に一番近い器官である耳からのみ情報が入るため、視覚に集中を邪魔されません。情報が多いようで薄っぺらな印象しか残らず、映像で補完することに慣れ切ったテレビの制作態度と違い、スタッフ次第で番組のクオリティの差が激しくでます。

平日の午後のリスナーの緩い時間帯のラジオというと、ゆったりとどうでもいい話をする吉田照美のような人があっているのかもしれませんし、何年もこのテンションを保ち続けるのも厳しいでしょう。まだ少し心配ではあります。

脳死と家族

2009-06-19 | 政治
腐った国会にシリアスなムードを一瞬すべりこませた「臓器移植法」。「脳死は『人の死』法案」などと言われていますが、最終的に法案が成立しても、「家族」の積極的拒否があれば、移植はできず、覚悟さえしっかりできていれば、現状とたいして変わりません。つまり論点は判断する「家族」とは誰なのか、となります。

ゴッドファーザーでいえば、ビトと若い頃のマイケルの家族観の違いですね。

親族の規程はあっても「家族」の規程は民法に明記していません。世帯を共にする人が家族なのか、離れていても血が濃ければ家族なのか、世帯主は「家族」を代表できるのか、遺族と「家族」はどう違うのか。飼い犬は家族なのか。政治家のイメージする「家族」とはすっかり変わってしまった現在、この部分が今後、摩擦を呼ぶことになるような気がします。

ただ、子供を含め全体として、移植を待つ人は1万人、年間脳死で亡くなる方4千人、A案の下での提供見込みが70例(現状10例)と、臓器移植積極派からすれば、データとしてどうしようもない数字が並びます。難しいという判断が簡単な状況です。

サッカーW杯 予選終了

2009-06-18 | スポーツ
巨人の原監督が以前、敗戦の弁で「野球とはそういうもの」と言ってましたが、本来その言葉はサッカーに適用されるものです。サッカーは番狂わせのある運や気持ちが試合を左右することが多いのに対して、9回も仕切り直しがあり、何度も打席が巡ってくる野球は確実にチーム状態や戦力が反映されるスポーツです。「そういうもの」というのは、「それも人生さ(セ・ラ・ヴィ)」と同義で「仕方ない」に近い意味ですから、1試合中に何度もリベンジのできる「明日があるさ」的野球にはあてはまりません。

今回のオーストラリア戦では、飛車角を欠いているにもかかわらず、日本は目指している「守備の為の速いポゼッションサッカー」がしっかりできていました。3バックにしてさらにサイドバックがあがるという戦術もアウェイですし、まあありでしょう。ゲームを支配していたのは日本ですし、玉田という起点にならないFWを使いさえしなければ、追加点もとれたかもしれません。

80分試合を支配していても10分で負けるのがサッカーです。よいサッカーの実現とアジアレベルですら勝ちきれない結果は、世界を知らない攻撃的な監督を戴く勤勉な日本人らしい当然の結果だと諦めるのもよいでしょう。しっかり手はうったけど勝てないのです。しかしサッカーとはそういうものなのでしょうか?

説明責任のあり様

2009-06-17 | 政治
あれだけ説明責任を求められていた民主党の小沢さんへの攻撃が影を潜めつつあります。結局求められる説明『責任』とは「辞める」ことであって、政治家の価値観や遵法精神はいくら説明しても理解されず、辞めることでしか納得されません。

こういったマスコミの態度を見ていると、戦後、藤田嗣治が戦争画を描いていた罪を問われ、半ば詰め腹を切らされる形で日本を追放されたことを思い出します。彼の戦争画は「敗者の美学」に彩どられたような「殉教画」に近いもので、決して戦意高揚的なものではなかったにも関わらず、美術界はスケープゴードを彼に求め、日本画壇から追いやって、戦争責任が自らに及ぶのを回避しようとしました。

また、少し前に「富田メモ」という『昭和天皇がA級戦犯の靖国合祀に不快感を示していた』という宮内庁の官僚が残した怪し気な文書が発掘され、戦争を巡って毀誉褒貶を繰り返した朝日新聞が「天皇も言ってるのだから、A級戦犯分祀」と盛り上がっていました。天皇制反対とか君が代・日の丸反対運動を展開しながら『天皇』のお言葉を拠り所に主張を肉付けするあからさまに図々しい朝日の態度にあきれたものですが、追求もされないので、言いっぱなし、その後説明も言い訳もありません。

自らは顧みず、調子に乗って他人ばかりを攻撃する彼等を見ていると、針のむしろの漫画太郎さんにフォローのひとつもいれてやりたくなるってものです。

交流戦大詰め

2009-06-16 | スポーツ
WBCの日本代表の主力がパリーグ中心に構成されていたこともあり、投手力から見ても交流戦はパリーグの圧倒的優勢を予想していました。しかし、6月14日現在で57勝対55勝と、パリーグのリードはわずか、後半はセリーグのチームが打ち合いを制するシーンも見られ、交流戦前には4人しかいなかったセリーグの3割バッターも増え、防御率1点代が4人もいたパリーグのピッチャーもダルヴィッシュとマーくんのみとなりました。

広島(の投手陣)、中日(のブランコ)の健闘が光り、特に広島の中継ぎの安定感はAクラス入りを射程に入れるに十分な戦力で、ルイス、前田、斉藤、篠田、大竹と揃って来た先発陣に余裕を与えています。優勝は中日がするとしても、新球場でプレーオフができれば夢のようですし、カリスマのある栗原健太という打線の軸ができ、ピッチングスタッフも若いだけに来年以降にも大きな期待が寄せられます。

今回の交流戦は、それぞれのリーグをリセットし、首位チームが決して磐石ではないことを証明、追撃するチームにはずみをつけたという、意義のとても大きな期間となりました。

不思議なEUサッカー事情

2009-06-15 | スポーツ
昨年のアリーグのレイズの優勝、A・ロッドを擁するヤンキースの低迷、そして今年の若手とベテランの融合に成功した巨人などによって、すでに明らかだったように、スターを集めただけではチームは機能せず、工夫と気持ち次第で巨大戦力にも立ち向かえることが改めて証明されました。有能な監督を迎えようが、実績のある4番バッター、エースを揃えようが、結局野球は旬の選手が一丸となれば優勝できます。誰が西武の日本一を予想したでしょう。誰がオリックスのAクラス入りを予想できたでしょう。

ところがヨーロッパサッカーになりますと、そうはいきません。プレミアもセリエAもリーガも近年、優勝するチームは限られ、ゆるがない階級社会を実現、選手を育て供給することで運営費を稼ぐチームと、毎年選手を奪い合い優勝争いを演じるチームにはっきり色分けされています。

レアル・マドリードが空前の移籍金をはたいて、当代最高のプレイヤーであるクリスチアーノ・ロナウドとカカを同時に獲得しても、ヤンキースのように「悪の帝国」よばわりもされないし、巨人のように無節操とも非難されません。大金をつまれてもネームバリューのないチーム(マンCなど)には行こうとしないわけですから、そのヒエラルキーは磐石なものなのでしょう。

統合が進んでいること、階級社会を自明としていること、生活の一部としての地元サッカークラブの応援とサーカスショウとしてのスポーツ観戦。ヨーロッパサッカーは遠く離れた日本人にはよく分からないシステムで運営されているようです。

漫画さんは死の迷惑

2009-06-13 | 政治
郵政民営化反対論者の首相こと漫画太郎さんの意を受けて行動していると思われた総務相こと死神が政府から離れることになりました。

西郷隆盛の心境であると辞任会見した後に墓参りにいった死神は、西南の役でも起こすつもりなのでしょうか。今回の辞任劇は泥舟政権に見切りをつけたハトの乱だの、「友愛」と「正義」の旗印の元に兄弟連携するだの、マスコミも漫画的政権運営にもはやまともに取り扱えないと、ふざけ気味の様相です。

かといって首相が泣いて馬蜀を斬ったとか、死神が正義を貫いたといった美談でもなく、結局、民営化支持者の御手洗氏がしきる経団連が西川氏の後任をリストアップせず、漫画さんの決断の手足を縛ったということではないか、と思います。

一度も国民の信任を受けていない漫画政権の、内にはグリップが効かず、外には睨みがまったく効かない悲哀がつくづく偲ばれる事件であるということ以上に、マスコミに悪口を言わせない強い財界の恐ろしさを思い知らされます。